『人声天語』 人声天語特別編 AMT TOUR 雑記 2002 其の壱:USA & CANADA編
第68回「ウエストコースト物語」
10月17日、結局夜中に3度着替えて、漸く熱もほぼ引いた様子である。されど未だ咳は出るは、体はだるいは、鼻水は出るは、兎に角ツアー中の病ほど厄介なものはない。移動が続く為、ゆっくり静養する事なんぞ望めぬ話で、況してや他人に移さぬようにせねばならぬのだが、既にCottonと津山さんには移ってしまった様子。夘木君はツアー前から風邪気味らしく、東君は歯痛に悩まされている有様。
朝、Daveに連れられ東君とSurefireの事務所へ。まるで体育館の如き、日本では考えられぬ程の広いスペースにCDやLPが並べられている。Squealer MusicのButchから預かっていると云う「In C」のCDや「New Geocentric World」のLPを受け取る。Butchは最近Bostonから随分田舎へ引っ越したらしく、Terrastockでも顔を合わせなかった上、近頃は育児で多忙らしく、メールでのやり取りもスムーズに行えない有様である。SurefireはSquealerのディストリビュートを一手に担っている為、Daveから今後何かあればSurefireに云ってくれと心強いお言葉。AMTは世界中の色々なレーベルから作品をリリースしているが、本当に多くの人達に良くしてもらっていると思う。勿論リリースすれば初回出荷で先ず3500枚程は捌くのであるから、レーベル側からすれば当然か。兎に角ここSurefireでShopzoneの商品を補充。
さて今日はいよいよNYである。途中のドライブインにて、薬とWWF(現WWE)関連の雑誌数冊を買い込む。NYにてWWE World(元WWF NY)に寄る時間があればよいのだが。我々一同のNYへ行く楽しみは、今やWWE Worldに行く事一点に集約されると云っても過言ではなかろう。前回WWF NYを訪れた際は、丁度RAWのライヴ中継観戦が行われており、WWF NYからの中継の際、東君と津山さんは見事、ブラウン管の端っこに映る事に成功したのであった。残念ながら当日のゲストはJazzであったが。
更に道中、中華のテイクアウトに立ち寄る。当然オーダーは「Shrimp fried rice」である。そもそも海外で見受ける中華料理は先ず九部九厘が広東料理であり、日本のように四川料理や北京料理ではない。特に広東料理が大嫌いな私と津山さんは、メニューの中でオーダー出来得るものが「fried rice」しかないのである。このfried rice、$6.50にして軽く600g以上はあろう、優に2食分はある上、巨大なエビがゴロゴロ入っている。これと野菜ジュースV8で腹ごしらえ。
NYへは渋滞もなく予想以上にスムーズに到着。会場であるKnitting Factoryに着くと、Kinskiも既に到着しており、数日ぶりの再会を祝って早速ビールで乾杯。ツアーの間の時間感覚とは不思議なもので、たった数日が数週間のようにさえ感じられる。サウンドチェックを済ませ、バーの方にShopzoneをオープン。されど矢張り体調が優れず楽屋にて仮眠。前回のKnitting Factoryでのライヴは、400人で早々にソールドアウトとなったにも関わらず、更に客は次々と押し寄せた結果200人近い人達が中に入れず大騒ぎとなったが、今回はほぼソールドアウトと云う感じで、騒ぎも起きず一安心。
さてNYのローカルバンド、そしてKinskiに続き、我々AMTの出番と相成った。いつもこのKnitting Factoryのエンジニアの仕事ぶりには感心する事頻り。モニターも恐ろしい程完璧で、本当に気持ち良く演奏出来る。この夜は、いつも以上に落ち着いて演奏出来た事もあり、全5曲2時間近い演奏を繰広げたが、既に終演予定時刻1時を軽く回っており、流石に終演と共に客は早々にホールの外へ追い出される始末。これも仕方あるまい。時折、電源を切られたりして強制的に終演を迫るクラブもある中、まだ好意的であると受け止めねばなるまい。そもそも3バンドも必要あるまい。「機材は全部Kinskiから借りてるんやから、しょうもないローカルバンドは必要ないやろ。」と津山さんはお怒りの様子であったが。
さて今宵の宿泊先であるが、全くアテがない。NYではいつも宿泊に問題を抱えるが、今回は車もある為、駐車するスペースの事を考慮すると、マンハッタンの友人宅に投宿する事は不可能である。結局いろいろ当たった結果、そのローカルバンドの事務所兼スタジオに泊めて貰える事と相成った。これでこのバンドの存在意義もあったと云う事か、津山さんも納得の様子。されどブルックリンの果て、倉庫街の一角にて、当然周囲にデリカの1件もある訳でなく、更にこの事務所にて一足先に寝ている輩の足が、この世のものとは到底思えぬ程の猛烈な悪臭を漂わせており、その部屋に入る事さえ許されぬ状況。私は別室となっているスタジオへ避難、東君はシルクスクリーンの工房へ、残り3名は、同じビル内にもうひとつ広い部屋があると聞き付け、そちらへ移動。スタジオのエアコンをONにして、アンプ群の隙間で寝袋に入るや、知らぬ間に眠っていた。
10月18日、昨夜の就寝は確か4時頃だった筈であるが、6時に起床。近頃本当に眠れない、と云うか、元来二度寝出来ぬ質なので、一度目覚めてしまうと余程の事がない限り、もう眠れないのである。仕方がないのでスタジオに置いてあるベースを弾いてみたりなんぞするうちに9時となり、隣のシルクスクリーンの工房で眠っていた東君も起きて来て、よくよくこの部屋を見渡せば、あの足の臭い男はもう出掛けたのかそこには居らず、キッチンもあればシャワーもトイレもある。取り敢えず即席味噌汁をすすり、シャワーを浴びて、さてもうひとつの広い部屋へ移動した3人を訪ねる。どうやらここはブルックリンの河岸で、こちらの部屋からはマンハッタンが一望出来る。今日の予定を考えつつも、メンバー全員で徐ろに新譜「Live in Japan」CD組み立てを始める。この新譜は、我がAMTからリリースしたのであるが、オーストラリアのCD工場からのディスクの納期がツアー出発日ギリギリだった為、取り敢えず1000枚を直接Terrastockに送ってもらい、日本からジャケットと外袋を持参していたのであった。猛烈なスピードの流れ作業でCDを組み立てて行く日本人を目の当たりにし、この部屋の住人達は、ただただ呆気に取られるのみ。トヨタの「カイゼン」が英語になっている現在のアメリカに於いて、まさか日本のヒッピーバンドでさえ、まさしく日本人の勤勉さを象徴するが如き、ひたすら能率を追究せんとする姿勢は、阿呆なアメリカ人である彼等を驚愕させるに充分な出来事であっただろう。そして我々は、CD全て組み立て終えるや、ここの住人達と昨夜のローカルバンドのメンバー達にCDを1枚ずつあげ、そそくさと立ち去る。一体彼等は我々に如何な印象を抱いた事であろう。
時間に余裕もあるので、待望のWWE Worldへ向ったのだが、道を間違えオランダトンネルの前に出てしまい、我々の思いとは裏腹に、強制的にニュージャージー州へ。仕方なく、WWE Worldへ行く事は諦め、一路今宵の会場であるPhiladelphiaへ向う。
2時間のドライブでPhiladelphiaへ到着。会場であるKhyber Passは、前回も含め何度も演奏した事のある馴染み深いクラブである。今日は、ここPhiladelphiaが本拠地であるBardo Pond、SeattleのKinski、San FranciscoのSubArachnoid Spaceとの4対バンで、プチ・サイケフェスと云った様相か。この3バンド、いずれのバンドとツアーしても全く問題ない程の素晴らしい機材を所持する彼等が集結した事で、狭いKhyber Pass店内は巨大アンプ群で埋め尽されてしまっている。この3バンドとは、かなり以前からの旧知の仲であり、またTerrastock#5以来の再会でもある為、楽屋もすっかりパーティー状態。Isobelちゃんの手料理BBQチキンに舌鼓を打つ。されど風邪が酷くなったCottonは、所構わず隙あらば爆睡。
ドリンクチケット制が通常のアメリカでは珍しく、楽屋には「AMT」と書かれた巨大クーラーボックスにビールがしこたま仕込まれており、この気の利かせ具合、流石当地にて連続ソールドアウトさせている実績からか。勿論今回もソールドアウト、客席は朝の通勤ラッシュの如き超満員状態。4バンドもあるにも関わらず、我々の持ち時間は1時間半もあるので、ゆっくり演奏出来る。されど実際演奏してみれば4曲で2時間半をオーバーし、終演は深夜2時を過ぎた。この日も大爆音で大暴れ。特に風邪で発熱中のCottonは、「暴れて汗をかいて治す」宣言通り、ビール片手に壮絶な暴れっぷりを疲労。それに触発されて、私も思わずラスト「Speed Guru」でトレモロアームをへし折ってしまった。演奏中にふと客席を見れば、KinskiのChrisとMatthew、SabArachnoid SpaceのMasonとMelynda、Bardo PondoのMichaelとJohnと云う、今宵の出演バンドのギタリスト全員が、私の眼前、何と他の客を押し退け最前列で一同に並んでいるのが何とも可笑しかった。終演後、3バンドのメンバー達に「本当にグレートだった」と告げられる。Kinskiのchrisは「岡山ペパーランドでのライヴに次ぐベスト2!」と云っていたが、はてさて岡山でのライヴ、そんなに良かったのだろうか、全く記憶にない。Bardo PondのIsobelちゃんも「Mind blow!」「So sweet!」と喜んでいたし、客にも大ウケであったから、確かにテンションの高い演奏ではあったと思う。
さてこの膨大な機材を各々の大型バンに積み込み、全員揃ってBardo Pondの家へ。ここは何度訪れても居心地の良い場所である。古いビルを自分達で2年掛かりで改装した、録音スタジオまである素敵な空間。深夜にも関わらず、Isobal、John、Melynda、東君とビールをチェイサーにスコッチをあおる。私が持参した煮干しとIsobelちゃんの用意してくれたマスカットを肴に、ひたすら飲んで談笑。煮干しを初めて見る彼等は、当初「dry fish?」と気味悪がっていたが、なかなかいけると好評。されどIsobelちゃんの飼い猫が、差し出した煮干しに全く興味を示さぬとは、一体アメリカの猫は何を食っているのであろうか。人間同様、矢張りフライドチキンやチーズが好きなのか。国が変われば猫も随分違うものだ。明朝早く出発せねばならぬにも関わらず、調子良く飲みまくる。いやはや楽しい一夜であった事よ。
(2002/12/22)