『人声天語』 第84回「嗚呼、フランス…(前編)」

11月30日、TGVの車内にて赤ワインとサンドウィッチを食らい、後はひたすら寝る。ツアーもいよいよ終盤、ヨーロッパ・ラウンドの最後を飾るフランスである。されどもう全員長旅の疲れも重なり、殆ど気力のみで凌いでいる状態。海外ツアーに於いては、開演時間が深夜である上、午前中からの移動が重なれば、自ずと睡眠不足気味にもなり、また食べ物の変化のせいもあって、常に体調をあるレベルでキープしておくことは至って困難を極める。況して今回は、最初のアメリカから数えれば2ヶ月に渡るツアーであり、気力だけを取り上げた処で、気を抜かずにそのテンションを維持することは、並み大抵の事にあらず。メンバーの間でも、ぼちぼち残り日数を数えては「もう少しで終わり」と自分達に鞭打つ光景が増えてきている。

夕方4時半過ぎにParis-Lyon駅に到着。ここで重い荷物を引き摺り地下鉄に乗り換える。こんな時に限り、自動改札のトラブルが発生し、切符を入れてもエラー表示され通り抜けられぬ。怒り狂った私は自動改札を破壊しようとするが、周囲に制止される始末。疲れがピーク近くに達し、なにかと苛ついている。地下鉄を下車し、今宵のクラブBatofarまで徒歩5分、重い荷物がより一層重く感ずる。

漸くクラブに到着するや、サウンドチェックを開始。ここは船を改造したクラブで、普段はDJパーティー等が頻繁に行われている場所。なんでもこのAMTのライヴを最後に、バンド形態による生演奏のライヴは、今後行わないそうだ。

エンジニアの段取りが悪く、各楽器のチェックさえなかなか進行せぬ。ここでも私のギターはファズも踏んでおらぬうちから「音が大き過ぎる」と云われるが、普段DJパーティー等でより爆音でクソしょうむない音楽がプレイされている筈であるから、要するに「ギターの音が大き過ぎてドラムが聴こえない」と云う、よく云われるケースであろうと推察、「ドラムなんか聴こえなくてもええからギターを全面に出せ」と指示するや、彼も了解した模様。されどサウンドチェックにてファズは踏まず。

数年前にここで「Japanese New Music Festival」が行われた折、丁度フランスに滞在していた私は合流し、「聖家族」のライヴを行っている。その時に用意されたディナーは、私と津山さんにとって「海外で出会った激不味料理」の第1位に輝く、それはそれは酷いものであった。ここのスタッフが作ったものであったが、一見普通のチキンライスの如し、されどその匂いたるや何とも摩訶不思議な、まるで何かが腐ったような香りであり、味たるや米は芯が残っており油でギトギトな上、とても筆舌に尽くせぬ他の何とも例えられぬ未だかつて経験した事のない味であり、津山さんは匂いだけで拒否、私と吉田氏はマヨネーズで味を変えてトライすれど数口運んだのみでギブアップ、されど佐々木君のみ「大丈夫ですよ」と平然に完食したと云う代物。さて今回も再びこの世のものとは思えぬ酷い料理が用意されておるのか「恐いもの見たさ」と云うよりは「不味いもの見たさ」で待っておれば、何処ぞの中華レストランからのテイクアウトで少々がっかり。一見五目炒飯のようなルックスに安堵し口に運んでみれば、何と米の芯が残っている…と云うよりは米を炊かずに野菜と一緒に炒めた代物。子連れ狼の「干し飯(ほしい)」ではあるまいし、斯様に固い米を食うたら腹を壊しそうである。結局殆ど手をつけずに終わるが、クラブのスタッフであるフランス人は平然と完食。文化や価値観の違いとは恐るべきもの。しかし米ぐらい炊け!

楽屋に、ベルギー在住の旧友Johanと、フランスのギタリストJ.F.Pauvrosが訪ねて来る。皆で赤ワインを飲みつつ談笑。ライヴ前のほっと出来たひとときである。

今夜の前座は、初ライヴとなるCottonと東君によるデュオ「Pardons」である。Cottonはこの日の為に、フィンランドのGSにて「木こり用ヘルメット」を購入しており、更に日本からヴォーカル用エフェクターまで持参している。

ステージ最前列の端にて眺めておれば、隣にいた客が「Is this Cotton?」と尋ねるので「Yes.」と答えるや、その客は「Cottoooooooooooooooooon!」と絶叫、ここでもCotton人気は絶大で、音的にはビートもないスペーシー且つ前衛的な電子音をバックにCottonが絶叫すると云った内容なのであるが、超満員の客席はまるでロックコンサートの如く絶叫し興奮している。木こり用のヘルメットを前後逆さまに冠りステージに立つCottonの小さな姿が、その圧倒的とも云える存在感から、とんでもなく大きく見える。その横でタバコをくわえて、キーボード・スタンドを斜に倒し椅子に腰掛けてシンセを操る東君の太々しい姿。Pardonsの初ライヴは、まるでロックコンサートのように大いに盛り上がる中、30分程で終演。

さていよいよAMTである。前回のParis公演もSold Outであったように、今回も450人Solod Outで、会場内は朝の通勤ラッシュの如く超満員のすし詰め状態。今回のツアーにて予定を組まなかったイギリスからも、大勢が遥々ドーバー海峡を越えてやって来てくれたようだ。ライヴは大いに盛り上がり、アンコールでは、「恋は水色」等を絡めたフランス・バージョンの「God Bless AMT」を演奏。

それでも尚、客の興奮は覚めやらず、ステージ上にてShopzoneをオープンするやもうパニック状態。混乱に乗じてCDを盗まれぬよう気をつけながらの商いは、大層疲れる。ついでに壊れたZoomのマルチペダルやら不要品を次々客席に投げ込むや、そこは獲物に群がるハイエナのような有様と化す。

終演後、多くの客から「前回(2000年)観た時とはまるで別のバンドかと思う程、更に凄くなっていて驚いた」と声を掛けられる。昨年と今年の2年間で、我々は多くの作品を発表し、数多くのコンサートをこなしてきた故、自分達では知らぬ間に変化していたのであろうか。今や「世界最強のライヴバンド」と某雑誌でも書かれる程なれば、ここ最近のAMTを知らぬパリジャンやパリジェンヌがド肝を抜かされたのも、強ち当然の結果と云えるかもしれぬ。

Shopzoneを閉店し、後はDragibusのFranqによるDJタイム。日本の演歌やらJ-Popやらインディーバンドやら、兎に角日本に関連する音源を次々プレイ。私はパスティス片手に「火星から来た」と云う可愛い女性と談笑。私も「木星から来た」と答えるや、後はひたすらイカれた「宇宙トーク」となり大いに意気投合。「もし今の彼氏がいなければ、あなたと付き合いたかったわ。」そんな事知るか。

津山さんはすっかりお疲れの様子で、早く今宵の投宿先であるJerome宅へ行きたいであろうと、Jeromeに飲んだくれている私と東君を除く皆を、タクシーで連れて帰ってくれと依頼。されどこいつも飲み始めるやただの「ダメ人間」と化してしまう為、どうにもならず、その間に津山さんは楽屋にてお怒りの様子。兎に角「楽しい時間を過ごしたい」私と東君に対し、過労状態で矢鱈と睡魔に襲われている津山さん、この軋轢が遂に爆発し、その様を眼前にしたJeromeはただ狼狽えるのみ。「そもそもお前が俺の言う通りにしてれば、平穏無事に済ませたものを!」

取り敢えずJohanも含める全員でタクシーに分乗しJerome宅へ。最後の虎の子にとキープしておいたカップ焼そばを食し就寝。Bolognaからの長い1日は終わった。

12月1日、朝10時起床。疲れのせいか、最近目覚めが悪くなってきている。今日はToulouseへ行かねばならぬので、正午にはJerome宅を出発。地下鉄を乗り継ぎParis-Montparnasse駅へ向かう。

兎に角Parisの地下鉄の乗り換えは、エスカレータもないので階段を上ったり下ったりと、重い荷物を抱えていると難儀な事この上なし。更に地下鉄のMontparnasse Bienvenue駅からTGVの発着駅Paris-Montparnasseへは、地下鉄1区間程の連絡通路を歩かねばならぬ。Paris-Montparnasse駅へ着いた頃には全員疲労困憊で喋る元気さえなし。TGVの発車時間5分前に乗車出来たので、今宵のオルガナイザーAudreyへ到着時間を知らせる電話をする。されどこの電話をかけにコンコースへ戻る事さえ辛い程、旅の疲れは蓄積されており、TGVの車中で再び爆睡。

最初の停車駅Bordeauxにて乗客全員が下車、親切な初老の紳士が「ここで向いのホームの列車に乗り換えねばならない」と教えてくれる。何かのトラブルにより、急遽取られた措置の様子。慌てて荷物を下ろし、向いのホームに停まる列車へ走る。はて、気付けば東君の姿が見当たらぬ。元のTGVの車内へ戻り彼を探していると、違う車両のコンパートメントにて、脳天気にもビール片手に「ハ~イ!」と笑顔で手を振る東君を発見。乗り換えねばならぬと告げるや、大慌てで荷物を抱え下車し、何とか無事全員揃って乗り換える事が出来た。

Toulouseまで5時間半の旅を殆ど寝て過ごし、午後8時にToulouse着。多分フランスにて最も訪れた回数が多いこの駅なれば、妙に懐かしい想いにさえ駆られる。駅のコンコースにて待っておれば、Audreyが向こうから歩いて来るのを発見。久々の再会にフランス流挨拶を交わし、一緒に迎えに来てくれたUehのギタリストStepheneと共に、Audreyのアパートまで徒歩。

フランスと云えば、実は「ヨーロッパで一番汚い国」であり、路上の至る所に犬の糞が落ちている。ウンコを何よりも最も恐れる関西人の私と津山さんなれば、ウンコを踏まぬようにひたすら足下を気にしつつ歩く。「エレガンス」が合言葉たるフランス人なれば、「犬の糞ぐらい片付けろよ」訪れる度にそう思う。

Audreyのアパートと、階下のStepheneのGFのアパートに分かれて荷物を下ろし、今宵の会場Mix’art Myrysへ地下鉄で向かう。Mix’art MyrysはToulouseの街中に建つ古いスクワットで、なんでも倒壊の危険性から近く取り壊されるらしい。スクワットと云えど、中には立派なバーもありギャラリーもある。ステージはまるで「ハムレット」でも上演するかのような、立派な劇場の如きで、矢張り元は劇場であったらしい。

楽屋には、StepheneのGFが作ってくれたシチューと白飯、そして赤ワインが用意され、久々に会うUehのメンバー共々、ディナーとなる。Audreyがオルガナイズするコンサートでは、大抵誰かの手料理でもてなしてくれ、このシチューも久々に口にする白飯もとても美味しく、皆おかわりする程。

津山さんは、今宵は何とも落ち着きがない。それもその筈、彼が永年愛してきたオクシタンの歌手Rosina de Peiraと共演する事になっているからである。過ぐる6月、私がRosinaの自宅をAudreyを伴い訪ねた事が全ての発端となっている。ツアー前Rosinaに、今回のToulouse公演の際に会う事は出来ぬかと打診した処、出来れば共演したいと申し出てくれ、この夢の共演が実現の運びとなった次第。

今宵から最終日までは、Grenobleに住むMaryleneの夫DrewのグループPsychic Paramountとツアーをする。Maryleneとは、1998年の初めて行ったAMTのツアーの際知り合い、翌99年には、当時GrenobleのグループOWUNのマネージャーを務めていた彼女が、AMTのフランスに於けるブッキングを手伝ってくれた。それ以後、私のソロやAMT等、毎回ブッキングを手伝ってくれており、今回も昨日のParis公演を除く全日程をオルガナイズしている。そのMaryleneの夫であるDrewはアメリカ人で、昨年9月の同時テロ事件の際も、当時NY在住であった彼の尽力により、我々はあの混乱の中、無事フライトチケットを確保する事が出来たのである。その後彼はMaryleneと結婚し、現在フランスはGrenoble在住である。されどフランスでメンバーが思うように見つからぬ事から、彼のバンドのメンバーは全員アメリカ在住のアメリカ人であり、活動は困難を極めている様子。今回のツアーで久々にライヴが出来ると、彼は嬉しそうである。ドラマーのみヘルプだそうで、Tatsuyaという在米日本人ジャズドラマー、内橋さんと演奏した事もあるとは本人の弁。

客の入りもほぼ満員、私のソロ公演は毎年行っておれど、何せAMTがToulouseで演奏するのは99年以来の事である。更に今宵のポスターには「Acid Mothers Temple avec Rosina de Peira」と大きく銘打たれており、Rosinaファンも大勢詰め掛けている様子。

Audreyが私に「Rosinaが来たわよ」と知らせてくれる。Rosinaと再会の抱擁を交わし、津山さんを紹介。これ程緊張している津山さんを初めて見た。津山さんがRosinaの大ファンである事を彼女に告げるや、大いに喜んでいた。

DrewのグループPsychic Paramountの演奏が始まる。何と云ってもDrewは立ち姿が「ロック」しており、矢張り「アメリカ産ロック馬鹿」は、先天的にロックとは何かを遺伝子で知っているかの如く、猛烈にカッコいいのである。同じ「ロックど阿呆」である津山さんも「Drewはやっぱりかっこええなあ」とステージを眺めている。

Rosinaは「ロックコンサートの爆音」には慣れておらぬ為、外へ避難。そこで私と彼女はAudreyを通訳に、今夜の打ち合わせを済ます。「La Nòvia」の中間部のヴォーカルセクションで共演する事に決定。

さていよいよAcid Mother Temple avec Rosina de Peiraの幕開け。津山さんからはジョークどころかMCさえも今日は飛び出す事もなく、いよいよハイライトである「La Nòvia」へ。開演前に「Rosinaの前で歌うなんてとても出来へんで」とこぼしていた津山さんなれど、冒頭のヴォーカルセクションの本気度はいつもと全く異なり、凄まじいテンションである。中間部のヴォーカルセクションへ辿り着いたが、Rosinaが現れぬ。Audreyがステージに上がって来て彼女を紹介、ここで遂にRosinaがマイクの前に立つ。Rosinaファンであろう人達の歓声が静まるや、彼女が歌い出す。何度聴いてもこの生の声の凄さには、全身がゾクッとさせられる説得力とパワーがある。思わず聴き惚れてしまっていたが、我々もドローンパートやハモりを加えて行く。ステージに於いて津山さんのこれ程まで真面目な顔は今まで見た事もない。劇場と云う作りから素晴らしい音響効果も得られ、Rosinaの声は天から降って来るかのように木霊する。素晴らしい時間も終わり、Rosinaはメンバー全員ひとりひとりにキスし抱擁し、そしてステージを後にする。「Rosina de Peira!」と改めて紹介すれば、Rosinaファンは勿論の事、AMT目当ての彼女が何者たるやも知らぬであろう人々からも、満場の拍手と歓声が沸き起こる。そしてその歓声を掻き消すかの如く、爆音のギターリフから後半へ突入。

終演後、Rosinaは大喜びで「皆とヴァイブレーションが一緒になったのを感じた瞬間、音が自分の体の中を通り抜け、天に上って行くのを感じた」と語る。お世辞にも「上手い」とは云えぬ我々のコーラスワークであるが、その「想いの丈」は伝わったであろうし、きっと「奇跡」のような、音楽の神様が我々に授けて下さったささやかなプレゼントがあったのであろう。津山さんは楽屋にて感激のあまり落涙。それを見た東君「何だかんだ云うても、津山さんは本当に音楽を愛しているんだなあ。」後で津山さんに「本当にありがとうな。」と礼を云われるが、勿論最初に彼女にコンタクトしたのは私ではあったが、そもそもRosina de Peiraやオクシタン・トラッドを私に紹介してくれたのは、その津山さん本人であり、今日ここで演奏出来たのも、AMTの全員がここまでやって来たからこその結果のひとつであり、またコンサートをオルガナイズし、フランス語通訳を務めてくれたAudreyの存在があってこそで、私個人の力では何も為し得る事は出来なかった筈である。ただ津山さん曰く「それもこれもあの2人(私とAudrey)が付き合って乳繰りあってくれた御陰や。」

Rosinaを囲み津山さん共々談笑。ひょんな事からRosinaが歌い出すや、終演後ならではの雑然とした周りの空気は凍結するかの如く、水を打ったような静けさとなり、彼女の声がホールに響き渡る。間近で聴くRosinaの歌に、津山さんは大感激の様子。

Rosinaは、明日の昼にAudreyのアパートに改めてお別れの挨拶をしに来ると言い残し、会場を去って行く。

さて一方、AudreyとMaryleneの界隈では何やら騒動が勃発。どうもクラブ側の手落ちで、今夜の売り上げ全てを盗まれたらしい。AudreyはUehのメンバー全員から所持金を集め、取り敢えずそれを今夜のギャラとして払ってくれたが、それよりも一晩ここに置いておく予定であった機材を、Drewがこんなセキュリティーのない場所では心配だからとホテルへ持って行くと言い出し、Maryleneや他のメンバーと揉めている。片やAudreyは、既に帰ってしまって連絡のつかぬここのオーナーと、明日盗まれた金について交渉する事をここのスタッフに告げるや、Drew達の問題に関しては「It’s not my problem!」と関知せず、さあ帰ろうと我々一同帰路につく。

Audrey宅にて、UehのメンバーやAudreyの彼氏Oliverと共に赤ワインを飲みつつ雑談。東君は、蕁麻疹は赤ワインによるものと判断し「飲めないなら寝るしかない」と、他のメンバー同様既に就寝。結局朝方まで語り明かし、就寝は午前5時。

(2002/2/23)

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