『人声天語』 『人声天語』第108回「地獄の季節」

兎に角夏が嫌いである。何しろ滅法暑い上に、陽射しも厳しい事この上なく、そもそも気温が20度を越えれば既にかなりの不快感を感ずる上、直射日光を浴びておれば乗り物酔いの如く太陽光線に酔う有様である。さて斯様な地獄の季節である夏が、当然の如く今年も訪れた事は云うまでもなし。

先達てのAMTのアメリカ・ツアーより帰国して僅か3週間、その間にAMTの新譜2枚を仕上げ、J.F.Pauvrosとのレコーディング等の所用にて、7月15日より今度はヨーロッパへ赴く。昨夏はまさに地獄の猛暑となったヨーロッパではあったが、勿論気温50度と云う異常さもあれど、何せ普段は酷暑や猛暑とは全く無縁の地なればこそ、当然の如くクーラーなんぞあろう筈もなく、それ故に業火の如き灼熱地獄と化した挙げ句、死者が数千人にも及んだ事はまだ記憶に新しい処。夏のヨーロッパは、一般的に2ヶ月間の長期休暇となる為、何とクラブの扉もその期間は閉ざされており、ブッキング等も当然不可なれば、過去一度たりとも夏にヨーロッパを訪れた事なく、果たして「夏のヨーロッパ」とは如何なるものか、大いに興味深けり。

さて先ず訪れたはイタリアなれば、いくら日本程暑くないとは云えど、矢張り夏は夏であるから、日中の気温も30度程度にして、湿度こそなけれど暑い事に変わりなし。されど風が吹けば随分涼しく、室内にても風通しさえ良ければ、まるでクーラーの効いた部屋にいるが如し。午後9時頃、陽が落ちていよいよ夜にもなれば、その涼しさたるやまるで秋の如く、また蚊の類いも僅かなれば、何とも心地良くビーチの散歩なんぞも楽しめる。
日本の夏も、私が子供の頃なんぞは確か今程の猛暑でなかった故、窓を開けて扇風機のみで充分凌げた筈であったが、一体いつ頃より斯様な猛暑となったのやら。夜ともなれば涼しげな風が吹き込み、蚊取線香の香りと相まって、これぞ旧き良き日本の夏の趣きではなかったか。それが今ではクーラー依存率100%にして、蚊取線香ならぬ蚊取電気マットともなれば、何とも趣きの失せた事であろうか。されどこれも斯様に熱帯夜続きでは術なき事と知る。

イタリアの金持ち連中の女性は、何でも金髪+小麦色の肌こそがステイタスらしく、街のあちこちで斯様な女性を見掛けるが、何でも殆どが実は陽焼けサロン通いなればこそとか。しかし齢三十路を優に越えておられれば、肌はすっかり弛んでおられ、そこには色気の欠片さえ感じられぬ。
何とも地中海らしいリゾートな雰囲気に満ち溢れるビーチにては、丸々と肥え太った老カップル群が、まるでアザラシの昼寝の如く、そこいらを占拠しており、ビーチギャルで賑わう日本のビーチとは大いに様相を異にする。勿論若いカップルや家族連れもおられるが、ガキ共がほたえ回る中、若い恋人達は周囲を一切気にする事なく、何とも濃厚なラヴシーンを展開しているではないか。まあ云うなれば、老若男女問わず、周囲の目を気にする事なく自分の人生を謳歌しておられると云った処であろうか。そういう意味では、矢鱈と他人の視線を気にしがちな日本人からすれば、何とも羨ましい事であろう。「イタリアは人生の楽しみ方を教えてくれる場所」とは何かの本で読んだが、私もそれは実感する処にして大いに共感し得る。

1週間をイタリアで過ごした後、空路にてフランスはParisへ移動するや、CDG空港は例によって不親切な案内具合なれば、重い機材を抱えての彷徨は泣かされる事この上なく、流石に空港ともなればクーラーなんぞ一応効いているのであろうが、しかし然程涼しい訳でもない故、こちとら玉の汗を流しつつ漸くParis市街へ向かう列車の駅へと辿り着く。「何でこんな暑い目に遭わなあかんねん!もっと駅までわかりやすうしとけや!この糞フランス人がぁ!赤ワインがお前らの血や言うんやったら、皆殺しにしてわしが全部飲んだっらあ、ボケがぁ!」空港内の不親切な案内に始まり、況してこの暑さなれば、次第に腹が立って来るのも当然の理なり。
更に列車や地下鉄の車内には当然クーラーなんぞもなく、その暑さの程はと云えば到底耐え難きものなれど、どうやらこちらに在住の方々にとっては、これが至極当然の事であろうから、誰一人として苦言を呈する訳でもなく、それどころか至って涼しげな様子なり。されど車内は室温の高さと相まって、猛烈な体臭と香水の香りが混ざり混ざった、いやはや何とも形容し難い、否、これぞヨーロッパ(特にParis)の匂いとでも形容すべきなのであろう、何とも云えぬ強烈な異臭が鼻を突く。私は日本人の中でも比較的外国人の体臭やら香水のきつい香りに対して平気な部類である筈だが、流石にこの強烈な臭気には閉口ならぬ閉鼻してしまう。されどこれこそが夏のParisの醍醐味と云わねばなるまいか。

Parisと云えば、私の愉しみのひとつとして、「Steak Tartar(第89回「食こそ旅の愉しみ、さてまた苦しみか」参照)」を食す事なれど、J.F.Pauvros曰く「夏はオーダーしてはいけない」そうで、何故かと問えば、Steak Tartarは生肉である為、気温の高い夏は食あたりの危険性が大だとか。Mamma mia! 私の唯一とも云えるParisでの愉しみは、夏だと云う不条理且つ不毛にして斯くも阿呆な理由により、見事一蹴されてしまったのであった。J.F.Pauvrosによれば、夏のParisの愉しみとは、美しい女性が過激なファッションになる為、それを眺めて満喫する事だとか。確かに夏は人を開放的にし、矢鱈とあちらがお盛んになりがちな季節ではあるが、眺めるだけの愉しみなんぞならば、「腹が減っては戦も出来ぬ」の習いではないが、先ずはそれ以前に美食を味わう事の方が、遥かに有意義且つ実り深い事だとは思えぬのか。況して食あたりに対する危険性なんぞ、レストランの食品管理姿勢ひとつでどうとでも解決出来る筈であろう。これも「いい加減」な事この上ないフランス人なればこそか、今更文句を垂れた処でどうしようもなし。仕方ない故ステーキをオーダー、例によってスーパー・レアな焼き具合に頼めば、当然の如くどうせまたミディアム程度の焼き具合になるだろうと思いきや、本当にスーパーレアな焼き具合にして表面以外は殆ど生なれば、これではSteak Tartarを諦めた自分が何とも愚かなり。

さてヨーロッパから、Kinskiとのツアーの為に今度は一路アメリカへ。されどハイシーズンなればParis – Seattleのチケットが取れず、やむなく成田にてトランジットしてSeattleへ飛ぶ運びとなる。
先ずはParisからMilanoにてトランジット、されどMilanoが悪天候とやらでParisのCDG空港にて1時間半の足止めを食らえば、そもそもMilanoのMalpensa空港にて成田行きへの乗り継ぎ時間は1時間半であった為、今更Milanoへ飛び立てど、最早成田行きへのトランジットは絶望的か。結局Malpensa空港内をギターを抱え全力疾走、されどEUからの出国に際してのセキュリティーチェックが鈍臭い事この上なく、更には金属探知機4台の内、たった1台のみ稼動している有様にして、滝の汗を流してまでも、ここまで全力疾走して来たこちとらの切迫した気持ちとは裏腹に、何ともまあ悠長に応対にあたる職員共の能率の悪さと云えば想像を絶する阿呆ぶり、これには思わず私のヨーロッパ人への不条理な憤り大いに再燃す。「お前らその頭にホンマに脳味噌入ってんのんかぁ!どうせ脳味噌もチーズみたいに発酵して黴まるけなんちゃうんか!その脳味噌、フォンデューにして食うたろか!この腐れ毛唐がぁ!」
何とか搭乗には間に合えど、CDG空港にてチェックインした私の機材一式が詰められし鞄は、果たしてこの便に無事積み込まれるのであろうか。成田にてSeattle行きへの乗り換えは5時間と時間的余裕こそあれど、ここMalpensa空港で、もしこの成田行きの便へ荷物の積み換えが間に合わなければ、私の機材一式は成田に翌日便で到着する運びとなるが、私は今回ヨーロッパへとアメリカへとは各々異なる系列の航空会社を使用している故、果たして無事にアメリカまで送り届けて頂けるのであろうか。斯様な心配なんぞをしておれば、何と更にFirenzeからの乗り継ぎ便を待つとかで、結局フライトは大幅に遅れ、御陰で私の機材一式も無事積み込まれたのであった。(案の定Firenzeからのトランジットの荷物は、翌日便にて成田へ到着との事である。)
何にせよ無事に乗り換えられたのだが、Malpensa空港内を全力疾走させられた御陰で、暑い事この上なく滝のような汗。それにしても毛唐如きに斯様に大汗をかかされるとは、せめて紅毛碧眼の美女にベッドの上で汗をかかされる程度にしておきたいもの。

夏と云えばホリデーシーズンなれば、日本もご多聞に洩れる事なく、当然成田へ向かう機内は日本人観光客でごった返し、何とも鬱陶しい限りにして、況してや成田行きなればこそ東京弁がそこいらを飛び交い、更にはガキ共がはしゃぎ回っておれば、一方でオバハン共が矢鱈とスチュワーデスを呼びつけては何だかんだとホザきくさり、遂には通路を挟んでのババア・トークバトル爆裂状態、何やらヨーロッパのそれとはまた異なる、まるでウンコが発酵したかの如き、何とも云えぬ日本のオバハン特有の異臭がそこいらに立ち篭めれば、これはもう耐え難きを耐え忍び難きを忍ぶしか術もなく、凄惨苛酷極まりない事この上なし。漸くうとうとし始めれば、台湾の女子学生団体から突如記念写真をせがまれるは(何でやねんと訊ねれば「You’re very special!」って、それどういう意味やねん?)挙げ句はスチュワーデスから日本の入国カードを渡され不要と拒否すれば、入国するのに必要だと説教されるは、わしゃ日本人やど!どないせえ言うねん。
漸く成田へ着いたと思いきや、待ち受けていたのは午前10時にして気温33度と云うあまりの暑さ。空港内の寿司屋でウーロンハイを呷りつつ寿司や刺身を貪り、今度はSeattle行きの搭乗ゲートへと向かえば、またしても日本人観光客の団体でごった返しているはないか。当然の如く機内は鮨詰め超満席状態にして、寄りによって周囲をガキ共の団体に囲まれた事もあり、あまりの喧噪ぶりに寝るにも寝られず、何とも不快な空の旅と相成った。ホリデーシーズンなればチケット価格も高騰する上この有様では、斯様な時期に旅なんぞするものではないと改めて実感。
夏は矢張りクーラーの効いた部屋にて、高校野球でも眺めつつのんびりしておりたいものなり。

(2004/7/29)

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