『人声天語』 特別編「Acid Mothers Temple Soul Collective Tour 2003 雑記」3

今回のツアーは「Acid Mothers Temple Soul Collective Tour 2003」と題された「つるばみ」「Pardons」「河端一 solo」の3部構成となった企画モノで、1ヶ月間でアメリカ(San Francisco / Chicago)~イギリス~アイルランド~フランス(Parisのみ)~アメリカ(New York / Philadelphia / Seattle)を巡ると云うもの。いつものAMTのツアーとは異なり、久々に「地道な」ツアーであった為、いろいろと思う事多数。
拠って今回は「ツアー四方山話」的な内容で綴ってみる事にする。


第91回「その他諸々徒然なるままに」

今回のツアーでは、Birminghamでのライヴにて弓を盗まれてしまった。この弓は、長らくギターの弓弾きに使用していたもので、本来はインドの擦弦楽器Sarangiの為のものであるが、テンションの掛け具合の塩梅の良さと弓の太さが気に入って、ギターでも使っていた。ライヴ終了直後にステージに戻ったが、その時は既に盗まれた後で、ステージ上に置いてあるミュージシャンの楽器を盗むとは、一体如何な了見なのか。

翌日Londonへ移動した折、新しい弓(ヴァイオリン用)を購入したのだが、どうにも具合がよろしくない。ギターが盗まれようとも新たなギターは容易に探せるが、この弓に限っては、同じような逸品を見つける事は困難且つ絶望的なれば、本当にギターを盗まれた方が良かったと云えよう。

盗まれたと云えば、CottonのPardon Dos変身用ヘルメットも、アイルランドで盗まれたのである。このヘルメットは、前回のAMT北欧ツアーにて購入した「木こり用」のヘルメット。これを装着する事でCotton CasinoからPardon Dosと云う別キャラクターに変身するのであるが、盗まれてしまってはPardon Dosが推参する事も叶わず、Pardonsのツアーは続行不可能となってしまう。このヘルメットは終演後楽屋に置かれており、更にはプロモーターが其処にずっと座っていたにも拘らず、盗難の憂き目に遇ったのである。一体このプロモーター、何の為に其処にいたのやら。

元々アイルランドでは、大量のCDやら東君お気に入りの帽子やら、今までにも散々盗まれていたので注意せねばならなかったのだが、イングランドやスコットランドですっかり「ボケて」しまい、全くもって迂闊であった。翌日アイルランド版「男の店」にて、無事新しいヘルメットを購入出来たCottonは、その夜より「Pardon Dos 2号」として蘇生し、その後は1号以上に「ステージ上で何もしない」自堕落キャラを築いて行くのであった。

Pardonsのライヴは、全くもって意味不明である。Pardon Unoこと東君が、シンセとドームテルミンを駆使して演奏を始めようが、Pardon DosことCottonは全くお構いなし。ステージ上にて、Cotton Casinoのキャラ同様にビールを飲み倒しタバコを吸い続けるのは勿論の事、更には体操してみたり、ストレッチしてみたり、腹筋してみたり、腕立て伏せしてみたり、走ってみたり、寝てみたり、不毛なパフォーマンスを繰り返す。と、突如絶叫するかと思えば、シンセの鍵盤部分に腰掛けて、大爆音のディストーション宇宙音で会場を轟音の渦に落とし込む。彼女のシンセには「コットンレンジャー」なる10体の小さな人形が並べられており、何でも彼等はPardon Dosを守護しているそうな。されどこのコットンレンジャーもアイルランドにて6体盗まれ、その後は意味不明の玩具が追加され、シンセ上はすっかり子供部屋化する有様。更にツアー中にヘルメットもチューンナップされ、遂には点滅するライトまで装着されていた。

点滅すると云えば、今回ParisからChicago経由でNew Yorkへフライトする為、Paris Nord駅からCDG空港行きの地下鉄に乗ろうとしたのだが、これがストライキの真只中であった為、駅構内の電光掲示板にて発車案内こそされておれど、列車が来る気配もあるようなないような、このまま来る可能性のない列車を待つぐらいならタクシーでとも思うのだが、ストライキの影響で市内は大渋滞なれば、僅かに来る気配もする列車を待つ方が賢明か、そうこうするうちにも時間だけは経過し、我々が無事にチェックインに間に合うか、次第にピンチを告げるカラータイマーが点滅し始める始末。今からタクシーで向かえば、未だチェックインにギリギリ間に合うかどうか、されどもしここで列車が来れば、ここから30分もあれば事足りる故、誠に判断が難しい。プラットホームには飛行場へ向かう人々が溜まる一方で、何しろ今朝は未だ1本たりとも空港行きの列車が運行されておらぬ有様。漸く列車が駅に到着するや、ホームに溢れんばかりのすっかり待ち草臥れた乗客から歓声が上がる。皆乗り溢れまいと我れ先に乗り込むが、今度は待てども暮らせど扉が閉まる気配なし。今すぐ発車してくれれば未だ余裕でチェックインには間に合う算段である。漸く扉が閉まったと思いきや再び開き、また閉まったと思えばまた開くと云った、意味不明の開閉を繰り返す。プラットホームではセキュリティー陣と多分地下鉄職員一行であろうか、何やら揉めている様子。結局満員押し合いの車内にて延々待たされた挙げ句、「26番ホームに移動しました」との案内放送。「No~ッ!」乗客全員の悲鳴とも溜息とも云えぬ声。全員下車し、大きな荷物を抱えて階段を下り、今度は遥か彼方の26番ホームへ移動。ここで再び車両に乗り込むが、もう時間的には今すぐ発車してくれぬ事には、チェックインにも間に合わぬやもしれぬ。十数分後、漸くこの車両が動き出すや、すっかり憔悴気味の乗客から皮肉っぽい拍手が起こる。

結局我々はチェックインには間に合わず、違うフライトに振り替えてもらい、それでも何とか今晩中にはNew Yorkに辿り着ける算段と相成った。New Yorkの会場であるTonicのブッキング担当Alan Lichtに到着時間を告げる。元々のフライト予定でさえサウンドチェック出来るかどうかと云うスケジュールであった為、このフライト変更により、Tonicに到着するや即セッティングしライヴをせねばならぬと云う、更に過酷な予定となってしまったが、キャンセルだけは避けたい故、まだライヴが出来ると云うだけでも幸運だったと思わねばならぬか。

しかしトランジット先のWashington D.C.に到着するや、東海岸行きのフライトは、悪天候の為全便見合わされており、結局我々のフライトより3時間以上も前の便の乗客も未だ待たされている有様。これでは仮にParisで乗り遅れなくても、結局は同じように足止めを食っていたであろう。再びAlan Lightに連絡、ライヴはキャンセルと相成った次第。30数時間を要したこの日の移動の最終目的地New Yorkに到着したのは深夜過ぎ、ミッドタウンのホテルへ移動しさっさと就寝。それにして高そうなホテル、どうせ結局オフなれば、この界隈の小洒落たバーなんぞに繰り出し、紅毛碧眼の美女と楽しい時間を過ごしたかったものである。何せここはタイムズスクエア、目一杯着飾った美女連中が、次々とタクシーに乗り込み夜の街に繰り出して行く。されど斯様な女性のお供を務めるには、私如きでは到底身分不相応である事、既に百も承知。何しろ身形も叶姉妹の如くゴージャスなれば、繰り出す先もさぞや高い事であろうて。

高いと云えば、イギリスは兎に角物価が高い。タバコなんぞ1箱ほぼ1000円はするので、買えぬ故に禁煙する人も多い。またロンドン市内の渋滞は深刻化しており、その御陰で「渋滞税」なるものを、ロンドン市内を走行する全車両に課すという、誠にもって不条理な政策さえ罷り通っている。ロンドン市内にある環状線の内側を走行する場合、先ずその朝に当局へ電話にてその旨を伝えると、クレジットカードから渋滞税の5ポンドが引き落とされるシステムになっている。1日5ポンドであるから、仮に1ヶ月毎日車を利用するとすれなれば、何と月額150ポンド(約3万円)である。該当エリアである環状線の内側には、至る所にビデオカメラが設置されており、渋滞税の申請をせずに万が一このカメラで撮影された暁には、何と罰金が追徴されるとか。そのカメラモニターを日がな眺めてチェックしている奴も奴だが、何故公共の一般道路を走行するのに税金を払わねばならぬのか。ロンドン市民なれば、車の維持費に加えて毎日5ポンドの渋滞税を払わねばならぬなんぞ、車に乗る事さえも辞さねばならぬやもしれぬ。勿論当局の狙いは、この渋滞税の導入により市内の交通量を減らす事が目的であるのだから、きっと効果はあった事であろう。それにしてもバカ高い家賃を払い、タバコがバカ高くて買えぬと禁煙し、渋滞税が払えぬと車をも放棄し、ではロンドンに於ける都市生活とは何ぞや。この不条理な政策を暴挙と云わずして何と云う。

暴挙と云えば、私はiBookを持参しており、今回も海外ローミング・サービスによるネット接続を図ったのであるが、何とイギリスは電話線の端末コネクタの規格が異なる為、接続する事が不可能であり、ヨーロッパ諸国もアメリカも日本と同じであるにも関わらず、一体何を思ってイギリスの電話会社は斯様な暴挙に出ているのか。電圧は勿論の事、コンセントの形も各地域にて異なるので「何で世界共通の形にしとけへんねん!」と常日頃より憤りを感じているが、況してインターネット接続のキーポイントである電話の端末コネクタの形が異なるなんぞ言語道断であろう。御陰でイギリス滞在中iBookは御役御免となり、結局投宿先の家のパソコンを拝借してメールチェックをする羽目となった次第。ようやく規格が日本と同じEU圏内のアイルランドに入ったと思うや、皮肉にも今度は部屋に電話もないような安ホテルへの宿泊が続いた為、接続する機会が皆無であった。IT時代と云われて久しい上、先進国と呼ばれる国でネット接続が困難であるとは、全くもって何がIT時代なのであろうか。

また海外では未だ殆どがダイヤルアップ方式のままであり、電話を使う折はネット接続を切らねばならぬのは勿論の事、電話代を節約する為、hotmail等の場合は全ての新着メールを先ず別々のブラウザで開いておいて、接続を切った後ゆっくり目を通し、返信原稿全てをしたためた後、再び接続して送信すると云う、誠にもって旧態依然のスタイルのままなのである。(昨年南仏Toulouseにてネットカフェを訪れた際、何とネットカフェがダイヤルアップである事に驚愕したものであった。)当AMTサイトは、これら海外からの接続環境を考慮し、かなり軽く作成されている筈なのであるが、されどトップページを開くには約5秒、インデックスページに至っては約10秒をも要する有様。今回のツアーに於いて、街角にてADSLへの乗り換えの宣伝を矢鱈見掛けた故、来年あたりにはきっとADSLの普及率は爆発的に跳ね上がっているであろうが、しかし日本ではそのADSLですら次第に「過去の遺物」となろうとしているではないか。今回はNew Yorkにてかなり高級なホテルに宿泊したのだが、各部屋には「繋ぎ放題ハイスピード・ターボコネクト」と銘打たれたADSLの端末が設置されていた。アメリカが世界に誇る大都市New Yorkのそれもミッドタウンに位置するホテルにて、ADSL如きが「ターボ」扱いとは畏れ入る。思い返してみれば、携帯電話の普及も日本の方が2年程早かったし、電話器の小型軽量化にせよ着メロにせよ携帯メールにせよ、常に欧米より日本の方が1~2年早く普及している。況してやカメラ付きの逸品なんぞ未だ見た事もなし。昨年、携帯電話の普及率が世界で一番のフィンランドを訪れた際、地下鉄の切符さえ携帯電話で購入している姿に驚かされたが、日本も近い将来斯様な具合になるであろう事は容易に想像出来る。未だに誰も携帯電話を持たぬ我がAMTの面々、このままでは時代の流れから完全に取り残される事は間違いあるまい。携帯電話としてならば今後も不要であるが、されど近い未来に於いて、その位置付けが電話ではなく所謂「端末」と化して行くのであれば、矢張りいずれは持たざるを得ぬであろうし、況してコンピュータ購入が単なる「敬遠」にて大きく出遅れた事を今更ながら悔いるならば、同じ過ちを繰り返さぬようにせねばならぬであろう。

同じ過ちと云えば、ツアー途中であるNottinghamにて、またしてもギターのネックを折ってしまった。今回のツアーでは、荷物を縮小化すると云う理由と、弓弾きする際にボディー幅が狭い方が好都合と云う理由から、Steinbergerのコピーモデル「Spaceberger」なるバッタもんを持参。ルックスはあの左右対称な特有のフォルムを持つSteinbergerそっくりであるが、オリジナルのSteinbergerとは、弦の張り方も違えば、当然トレモロユニットも異なる。何しろダブルボールエンド弦を採用しておらぬ為、いちいち2種の六角レンチでナット部とトレモロユニット部をバラさねばならず(要するに出来の悪いフロイトローズ+Rトレムブリッジと云った処か?)弦を張り替えるのに恐ろしく手間が掛かる上、フローティングしてある故、チューニングに矢鱈と時間を要し、されどSteinbergerならではのトランスポーズトレモロが採用されておらぬので、トレモロアームを使えば瞬く間にチューニングはガタガタである。オリジナルのSteinbergerが誇る特有の機能的長所がまるで欠落しており、単にへッドレス且つあの弁当箱のようなルックスと、せめて24フレットまであると云う、まさに「見せかけ」のみのコピーモデルである。更に御丁寧にもSteinbergerそっくりのロゴにて書かれた「Spaceberger」ロゴ入りの「純正ピックアップ」搭載である。オリジナル同様ボディー裏にアクティブの電池ケースはあるが、そこは改造されたのか元々なのかは存ぜぬが、何と矢張り「見せかけ」のみで内部は「空」となっている始末。云うまでもなくグラスファイバー樹脂製にあらず木胴である。故に容易に壊れてしまうようで、ついついいつもの調子で連夜に渡りギターにチョークスラムなんぞ食らわせていると、先ずはボディー横に付いている腰掛けて弾く時用の折り畳み式フラップがもげ、遂にはネックも折れてしまった。

物価の高いイギリスなれば、当然中古楽器も高く、またバッタもんギターでさえアメリカでの価格の2倍はする。されどギターがなくてはライヴも出来ぬ為、背に腹は代えられぬと楽器屋を尋ね歩けば、偶然にも1件のリペアショップを発見。ここにてリペアを頼めば、何と3000円程度で僅か数時間にて修理完了、これにて無事この夜のBirmionghamでのライヴも事なきを得、これ以後は連夜のチョークスラムにも耐え、壊れる事もなく無事ツアーギターの大役を果たし、そして現在は私の部屋にて、帰国後未だ一度もケースから出される事もなく放置されている。

(2003/7/11)

Share on Facebook

Comments are closed.