『人声天語』 第100回「百記夜講(2003年総まくり)」

気がつけば第100回に辿り着けり。100回も続く筈はなかろうと思えども、旅先等で「 楽しく拝見させてもらってます!」なんぞと笑顔で語り掛けられれば、ならばもう少し続けんと邪な欲目も生ず。思い返せば、当初は自らの文才の無さあまりに恥ずかしければ、URLさえ秘密裡にして、そう易々とは見つけられぬようにと腐心したものなれど、今や文才の無さについては居直りさえ決め込む始末にて、堂々とインデックスページにまで名を連ねる厚顔無恥ぶりなり。今となってはAMTサイト日本語ページ に於いて、最もヒット数の多きコーナーとなり、愛読していただいている皆様には、この場を借りて心よりお礼を申し上げたい。

さて100回記念となれば、何やら特別な企画でも考えんとの思いこそあれども、然したるアイデアがある訳でも無く、詰まる処徒然なるままに綴るのみ。

気がつけば今年も残す処僅かにして、一体今年は何をしていたのか、斯様な事を思い返している刹那にも年が明けてしまいそうな程、今や時間の流れは激流と化し、このままでは天寿全うする日も、あっと云う間に訪れそうではないか。うたかたの夢の如く過ぎ去りし2003年、ここに年末恒例の「総まくり」綴る事にす。

「今年のAMT」

先ずはオリジナル・ドラマー小泉一のツアーメンバーへの復帰が決定。1999年のツアー・ラインナップこそAMT史上最強のメンツなれば、この気狂いドラマー小泉の復帰は、我々が以前より切望していた処。昨年12月のライヴ以来、1年間活動休止していたAMTであるが、それと云うのもここ数年の怒濤のリリース・ラッシュ&ツアーで、私をも含めたメンバー全員が消耗してしまった為。歴史的に見ても、新譜のリリースそしてツアーを繰り返す、斯様な過密なスケジュールをこなして来たグループは、大抵数年でメンバーの脱退やら解散と云う末路を辿る。メンバー各自が各々の活動を行ったこの1年、先日名古屋トクゾウにて行われた「第2回AMT祭」当日、1年ぶりに5人が顔を会わせ、サウンドチェックで音を出すや、自分の人生に於いてこのグループと巡り合えて本当に良かったと再認識、そしてメンバー皆に感謝。

来年からは、再び怒濤のリリース・ラッシュ&ツアーが再開される。自ら「第2期AMT」と名付けたように、いよいよ新たな展開に向かって邁進する所存。「God Bless AMT!」

「今年のGong」

今年は2月にオーストラリアにてDaevid AllenのGong(youNgong 改め)のライヴとレコーディングに参加して以来、DaevidとCottonとのトリオ「Guru & Zero」のライヴやレコーディング、そしてAMTとGongの合体ユニット「Acid Mothers Gong」のロンドン・ロイヤル・フェスティバル・ホールでのコンサートに到るまで、何かとDaevidと仕事をする機会が多かった。彼の音楽に対する厳しい姿勢は、ドラマーであった息子OlrandoをyouNgong脱退にまで至らしめたが、それ故に私は彼を信用し得るし尊敬し得るのである。

レコーディングの折、Steve Hillageの真似してギターを弾けば、DeavidとGilliから「それだけはやめてくれ」と云われた事が印象的。DeavidもGilliも「Classical Gong」にはうんざりの様子にて、Daevidに至っては「Classical Gongは自分のコピーロボットに演奏させたい」とまでこぼす程。確かに彼の活動遍歴を辿ってみれば、常に何か「変化」を探究しているようにさえ見える。Deavid曰く「『Comembert Elequtrique』のTシャツを着た年輩のヒッピーGongファンが、ステージ最前列に陣取っているのを見るだけでウンザリだ。」

来年は今秋より延期されたGongの欧州ツアーも行われる上、新譜「Acid Motherhood」もリリースされる運びとなっており、更にGuru & Zeroのアルバムのリリースも間近である。そしてAcid Mothers Gongの来日公演も4月に予定されているので、是非ともチェックされたし。

「今年のその他の活動」

今年はAMT活動休止せし故、他の活動にて多忙を極めし。

先ずは、今年突如結成された「Dare Devil Band(猪武者)」である。昨年のAMT欧州ツアーに於いて、スイスでの羽野さんとの偶然なる再会こそが発端。当初は単なるセッションのつもりであったが、気付いてみればバンドとなってCDまでリリース。いやはやこの先どうなるのやら。私はこのバンドで「ジャズギタリスト」を自負しているつもりなれど、誰にも斯様な風には思ってもらえぬ様子。

また先日行った羽野さんとのデュオは、ドラム+ギターと云う二極的な編成であった故、久々に「上モノ」に留まらぬギターを弾く機会となった。更にHigh Riseの成田さんを交えたトリオ「Super Session」に至っては、かなり刺激的な展開となり、斯様な機会を設けてくれた羽野さんに感謝。いやはや成田さんのギターは、流石としか言い様なかろうか。

毎年「今年こそ『つるばみ』の活動に本腰を入れん」と思いつつ、今まで実際には時間的都合等で叶わなかったが、今年は遂にその念願叶い「つるばみ」初の海外ツアー、 また「UP-TIGHT」との国内ツアーも敢行。新譜2枚をアメリカとイギリスからリリース、CDRリリースだった2ndもCDでリイシューされた。新婚ドラマー恵美嬢を長期のツアーに連れ出すのは忍びなかったが、彼女の音楽活動を了承して下さっている理解ある旦那様に感謝。それにしても彼女のドラミングは海外でも専らの評判で、そもそもあの小柄で華奢な身体の何処にあれ程のパワーが潜んでいるのやら。

一楽さん脱退後、長らく活動休止していた「西日本」は、元Subvert Blazeの岡野太氏を新ドラマーに迎え、再び活動開始。しかし以前の如く闇雲にライヴを乱発する事はやめ、自分らが楽しめる感じで「のんびり」やっていく所存。今年唯一行ったライヴでは、岡野氏がフルセットを持参、巨大ゴングまで装備したそのセットは「ハードロックやなあ~!」

吉田達也氏企画の「Japanese New Music Festival European tour 2003」にも参加。このツアーの様子は、人声天語第98回を参照して頂くとして、何とも楽しい6週間であった。矢張りツアーは気心の知れた人と行く事に越した事はなし。されど御蔭で少々弛み過ぎたか。合言葉は「S.W.R.」…さて何の略たるや?

それ以外では、J.F.Pauvrosとのデュオ、山崎マゾ氏の「Space Machine」や名古屋のフォークデュオ「正午なり」へのゲスト参加等、またMaquiladoraの日本招聘に際しゲスト参加、更にはCottonとノルウェイのアンビエント・サイケ貴公子Per Gislaのデュオ「The Birds」のJapan tourにもゲスト参加。どれも私にとっては楽しく有意義なものであり、また機会があれば是非共演したいもの。

ソロについては、今年は「Boomerang」を入手した為、漸くサンプリング・ループが可能となり、御陰でギターソロによる可能性が随分と広がった。また「Acid Mothers Temple Soul Collective Tour」に於いて、約1ヶ月に渡りほぼ毎夜ソロ演奏し続けた事で、いろいろ新しい発見もあり、またそれらを試す良い機会ともなった。

更に鈴木清順監督作品「ツィゴイネルワイゼン」のライヴ・サントラをギターソロで務める企画ライヴにて、初めてアコースティック・ギターによるソロも行った。これは自分としては全く新しい初めての試みであったにも関わらず、意外にも自分の日本人的ルーツへの回帰と云う結果となり、ならば今後もアコースティック・ギターによるソロを行ってみようかと思っている。かつて何人ものハードロック・ギタリストが、歳を重ねるうちにハードロックから渋いアコースティックな音楽性へと移行していく様を見ては、「ハードロック魂が枯れよった」と失望したものであったが、もしかして私も斯様な年齢に近づいて来たのであろうか。歳を重ねてこそ見えて来るものもあるのであろうが、近頃いよいよ老眼気味なれば、見える物も見えぬ有様。

難波ベアーズにての「70年代ロック・トリビュート」シリーズ企画も、今年の印象深い活動の一貫か。「ベアーズ高校文化祭」とも呼ばれるこの企画、ベテランから若手までいろんなミュージシャンが、ただひたすらオールド・ロックのカヴァー(と云うよりコピー)を繰り広げると云うもの。かつて音楽を始めた折、コピーなんぞ到底出来る技量さえ持ち合わせなかった私でさえも、気がつけば何とか雰囲気程度はコピー出来る技量を修得している事に、我ながら驚きつつも、生まれて初めてと云ってもいいコピー体験、コピーバンドを楽しんでおられる方々の気持ちなるもの初めて伺い知れたと云う処か。ベアーズの楽屋にて、開演前に皆がこれ程練習している姿を見る事も稀なれば、まさしくこれは「出演者が一番楽しい」ライヴであろう。まるで少年に戻ったかのような空気に満ちたこのシリーズ企画の中、特に先頃逝去された林直人氏によるFamilyのカヴァーは、永遠に忘れられぬものとなってしまった。

ヘリコイド0222MBのRocoちゃん(ex. Mady Gula BLUE HEAVENの田中さん)とのコラボレーション・ユニット「Karma」も始動。初音源は、アメリカ発のコンピレーションに1曲収録されているが、来年は是非アルバムを製作したい処。何しろテーマは「エロ」である。「温泉街+ラブホ+つのだじろう+横溝正史+アシッド・フォーク+Blackmore’s Night」このキーワードから、一体如何な音が生まれ出るのやら。

「今年のAMTレーベル」

今年リリースしたCD作品は、「Acid Mothers Temple Soul Collective Tour 2003 compilation / 河端一 solo+Pardons+つるばみ」「Charlie’s Pardons / Pardons」「Last Concert in Tokyo / Acid Mothers Temple & The Melting Paraiso U.F.O.」「ゾフィーをなめるなかれ!/ Zoffy」の計4タイトルである。Maquiladoraの来日に合わせてリリースする筈であった「Kiss Over / Maquiladora+河端一」なる2枚組CDは、プレスが彼等の日本国内ツアーに間に合わず、結局リリースするタイミングを逃してしまった。ディスクは既に納品されている故、ジャケットをツアー仕様から新たなデザインに一新し、来年にはきっとリリース出来る事であろう。プレス代金を払ったにも関わらず、未だ出荷していないのであるから、金は当然全く回収出来る筈もなく、何とも自分でも呆れる程間抜けな話である。

しかし間抜けな話はこれだけに留まらず、「Acid Mothers Temple Soul Collective Tour 2003 compilation」もツアー出発前までにプレスが間に合わず、結局ツアー途中にて、オーストラリアの工場から125枚のみをイギリスへ送って貰う顛末となり、無謀にも1000枚もプレスした為、未だ我が家にこのCDが山積みされている状態。ツアーCDである故、どうにもツアーがとうに終わってしまっている現在、何とも売りにくいアイテムである。まあ20年かけて売るしかあるまい。

更にPardonsは先頃解散した為、この2ndアルバム「Charlie’s Pardons」も果たして残りの在庫は捌けるのやら。

昨年のAMTヨーロッパ・ツアー最終日にて負傷した東君は、今年前半は全く働く事さえ出来ず、レーベル資金を彼の生活費に回した為、結局今もってレーベルの財政は借金決済であるが、取り敢えず「出したい物を出す」程度の金は何とか工面出来ている故、それもまた仕方なし。金なんぞ所詮金でしかない。

「今年の『DOKONAN』」

「DOKONAN」とは即ち「何処なん?」である。2002年春に行われたAMT・USツアーの際、フランス女性映像作家であるAudrey Ginestet嬢とその友人Estelle嬢が同行し、AMTをモチーフにしたドキュメント映画を製作。これは単なる「ライヴビデオ」や「音楽映画」の類いではなく、20代前半のフランス女性の目から見た日本人やアメリカがテーマとなっている。彼女はこの作品製作に1年以上もの時間を費やし、この度漸くフランス語字幕版が完成、先頃彼女の地元Toulouseにて公開された。どうやら評判も上々にして、現在彼女は英語字幕版を製作中、いずれはDVDでのリリースも考えている様子。タイトルの「DOKONAN」とは、ツアー中に我々が道に迷う度に「何処なん?」を連発したことから、彼女らが面白がって覚えた一語。ポスターに見られる「鯨が吊り下げられている」イラストの意味は、本編を御鑑賞いただければ御理解いただけようか。勿論AMTのライヴ映像もふんだんに鏤められ、また津山さんのギャグも爆裂しているとの事。残念ながら、私も未だ未見なれば(翻訳の手伝いの際に部分部分を観てはいるが)是非とも早く観てみたいもの。いずれ機会があれば、国内にて上映会なんぞも企画してみようかとの思いもあり。

 

「今年の1枚」

文句なしで「Gospel d’Oc / Rosina de Peira」である。オクシタン・トラッドの偉大なるシンガーRosina de Peiraの70歳にして再出発を記念する名盤。今更このアルバムについて、改めてここで語る必要さえないだろうが、いやはや本当の「うた」に触れたと実感出来る1枚であろう。僭越にもライナーノーツに我が拙文を寄稿させて頂く栄誉を授かったが、このアルバムの素晴らしさなんぞ、私如きの文才では、到底筆舌に尽し難く、まあ何はともあれ聴いて頂くのが一番かと思う。当AMTサイトでも通販や卸し売りを受け付けているので、興味ある方はここをクリック

幸いにして今年は、Rosinaと娘のMartinaのデュオによる「生の歌声」を聴く機会にも恵まれ、コンサート等でのPAを通しての音でなかった御蔭で、より一層「うた」の持つ素晴らしさを改めて知らしめられた。ある種の音楽に限っては、PAなんぞと云うものも考えものか。

「今年のX-File」

そもそも然程ライヴを観に出掛ける事も少なければ、到底足繁くライヴに通われている方々にとって、私の一見解なんぞ「何を今更…」と思われるかもしれぬが、久々に衝撃を受けたライヴとは「あふりらんぽ」なるうら若き女性二人によるギター&ドラム・デュオ。

 

一部では前々から話題騒然だったようで、結成1年にも満たぬうちから、既にUSツアーさえ敢行していると云う恐るべきポジティヴさ。一方で「天然」なのか、その次元を超越した音楽感覚に、思わず全身凍結なれど血液沸騰するが如き、完全に痺れてしまった。「お前はアホか」と云う歌詞をヘヴィーなリフに乗せ絶叫、そして意味不明のフリークアウトした即興パフォーマンス。自主製作されているCDRも思わず購入、しかしこちらもまた物凄い内容で、ヤラれまくりである。シリアスなのか洒落なのかさえ判然とせぬその姿勢も含め、一体これは何なのか、彼女らの歌詞をそのまま彼女らに投げ返したい「お前はアホか?」旧態依然としたオールドタイプの私なんぞには、いやはやまさしく超ニュータイプの「ミュータント・サイケ」である。彼女ら実は地球外生命体なのではあるまいか。これ程の衝撃は、82年に大阪城野音にて「ヘデイク」を観て以来かもしれぬ。

されどその「あふりらんぽ」にゲスト参加した津山さん、キラキラのビキニにて演奏する彼女ら同様、パンツ一丁(+靴下)にキラキラのモールなる出で立ちでギター弾きまくり、まるで親子程の年齢差あれど、全く斯様な些細事なんぞ無関係なれば、流石は「男・津山篤」である。畏れ入りました。

いよいよGyuuneから1stアルバムもリリースされるそうで、噂ではTzadikからのリリースも決定しているとか。そして当AMTからも初期音源をリリースする予定。

「今年のギター」

今年は、人生に於いて最も多くギターを購入した年ではなかったか。何しろツアーに出掛ければギターが折れる、否、叩き折ってしまう悪癖あれば、お気に入りのギターも次々と粉砕されていく故、自ずからギターを買わざるを得ぬのではあるが、私のお気に入りは「Fresher Straiter(ストラト・コピーモデル)ローズ指板デカヘッド」なれば、そう簡単に見つかる代物でもなく、故に安価で見つける度に片っ端から購入する事にしたのである。しかしローズ指板デカヘッドと云う条件は、実はなかなかクリアする事が難しく、仕方なくメイプル指板のものであっても購入する事に変更。御蔭で今や、新たに購入したギターと、ぶち壊されてパーツ取り用としてのギターの残骸で、狭い部屋は更に窮屈に。

ソロに於いて弓弾きを多用する故に、ボディー幅の狭いSteinbergerの偽物「Spaceberger」なるバッタもんギターを今年から使用しているが、これが全くもって酷い代物。その詳細は、人声天語第91回にて述べている故割愛させて戴くが、6月ParisにてDaevid Allenと共演した際、改めて彼のHornner社製Steinbergerコピーと比べれば、その月とスッポン程のクオリティーの違いに唖然、即座に本物のSteinbergerの購入を決意。人生で多分3度目であろう「新品」のギターを購入せんといざ楽器屋へ。(因みに1度目は人生最初のギター購入の際、2度目は12年前に購入したカスタムオーダーの9弦ギター。)取り敢えず試奏させていただくが、店頭での試奏程恥ずかしいものはなく、音の感じのみを確かめさっさと購入。今後は、AMTと西日本以外では、全てこのSteinbergerを使う所存。何しろ小型軽量、ケースを背負えど殆どギターには見えぬ辺りも良い。かつてこのSteinbergerが世に出た頃、「こんなカッコ悪いギター誰が使うねん?」と思っていたが、案の定、フージョン野郎に代表されるハイテクニック派に重宝され、それ故に更に嫌いになったものであった。またGong初来日の際、Daevid Allenが使用している姿を見ても「カッコ悪う~!」と思ったものである。斯様なSteinbergerを、まさか自分が使う事になろうとは。されど小型軽量なれば、ツアーの多い私には、何とも重宝な逸品なのである。精々しょうむないフュージョン・ギタリストに成り下がらんように気をつけねば。まあ斯様な華麗なる演奏テクニックは兼ね備えておらぬ故、いらぬ心配か。

「今年の逸品」

何と云ってもこれは「ハモンドオルガン」である。ヤフオクにて僅か11円で奇跡の落札。デジタルシンセのサンプリング音とは明らかに異なる本物の「あの音」である。 加えて内蔵リバーブの音色が何とも言えぬ。ハモンドオルガンに憧れて25年、遂に入手した喜び余りあり、最近の殆どの録音作品に於いて私のオルガン・プレイを聴く事が出来る。ピアノは何やら高圧的な感じがする故好きになれぬが、オルガンやチェンバロは郷愁を誘う、私にとっては「哀愁のサウンド」なのである。Pink Floydの如きサイケデリックな音は勿論の事、Francis Laiの如きアンニュイなサントラ、その他ソウルジャズやガレージ、プログレ、ハードロック、果てはムード音楽に至るまで、実はハモンドオルガンさえ入っておれば、ジャンル問わず好感を抱いてしまう弱点あり。折角ハモンドオルガンも入手した事なので、EL&Pの如きキーボード・トリオでも結成してみたいと思うのは、音楽的良識を持ち合わせるロックミュージシャンならば当然であるが、自分のテクニックが所謂「Nick Masonもどき」程度でしかない為、流石に諦めざるを得ぬか。されど一生に一度は、ナイフを鍵盤に刺し込むアクションなんぞやってみたいもの。

「今年のFuckin’ label」

Sub Pop…云わずと知れたシアトルのビッグ・インディペンデント・レーベル。かつてグランジブームの際にニルヴァーナを送り出し、その名を世界中に轟かせ、今や到底「自主レーベル」とは思えぬ立派なオフィスを構える。数年前、懇意にしているシアトルのグループKinskiのChrisから、彼等にSub Popからオファーが来ているがあまり乗り気ではないと聞き、「チャンスだから契約してみては?」と薦めたのは私であった。そして彼等はSub Popと契約し、CDシングルとアルバムをリリース、結果として彼等は少々有名になった。無名バンドにとって「作品の流通」はとても重要な事柄であり、Sub Popの誇るワールドワイドなネットワークとは、自主レーベルながらもメジャー会社による配給であるが故、当然世界中の大型店等での入手は可能となる。

さてそのSub PopとKinskiが、KinskiとAMTによるカップリング・ミニアルバムの話を持ち込んで来た。私は原則として如何なるリリース依頼に対しても「No」と云わぬ主義であるが、契約内容はそこいらの弱小レーベルよりも酷いもので、されどKinskiの面々も同じ契約内容との事であった為、承諾しマスターを送った。ジャケットのデザインは、Sub Popが抱える専属デザイナー数人の中から選び製作したいとの事で、私は事前にチェックしたい故、草案が仕上がった段階で必ず送ってくれるようにと依頼。されどそれ以降全く音沙汰もなく、ある日突然Sub Popから荷物が届いた。そこには全くもって「ひどい」陳腐なジャケットのCDLPが詰められており、更にCDは全てカット盤(サンプル盤)これでは店頭に卸す事も出来ぬどころか、通販する事さえ難しい。ギャラの一部と云ってカット盤を送ってよこすとは、AMTの如きアンダーグラウンド・グループをそこまで食い物にする必要もないであろうビッグ・レーベルSub Popの汚さ、されどメジャーの仕事なんぞ斯様なものとは、十数年前に日本のメジャーと契約するしないで揉めた経緯なんぞで承知済みなれば、まあ仕方あるまいか。

それにしてもこの糞ジャケットは、到底「プロのデザイナー」の仕事とは思えぬお粗末さ。「従来のAMT作品群のジャケットを参考に」と云う私の要望にこれでもし応えたつもりであるなら、そのデザイナーの感性を疑いたくもなる。私自身は、ジャケットとは所詮「購買意欲を煽る」為の手段と割り切って考えている故、大したこだわりがある訳ではないが、このジャケットで一体誰が購買意欲を煽られるのか? 得てして「作家」を気取るデザイナーとは斯様な体たらくの糞デザイナーが殆どであり、ロクにクライアントの要望に応える事さえ出来ぬ。されど「作家」たる自尊心のみで慢心に陥り、また周囲もそれで納得してしまう処に大いに問題あり。

しかし絶対に許せぬ事は、Sub Pop側で勝手にリマスタリングし、私の作った音像が大幅に崩されていた事である。猛烈にコンプレッサーをかけた事で、爆音ギターはズタズタに断ち切られ、私の信条である音像の立体感や浮遊感も完全に粉砕されていた。この件に関し、Sub Pop側を糾弾、何らかの解答を求めたが未だ一切返答なし。ふざけんな、ボケ。所謂「良い音質」にマスタリングしたつもりなのであろうか、それならばSub Pop側は全く私の作品を聴いた事さえなかったのであろうし、私の音楽を全く理解していなかったと推察出来る。何らかの返答が得られぬ限り、そもそも斯様にミュージシャンに対して「リスペクト」の無いレーベルとは、金輪際二度と仕事をする気もなし。

イタリアの若手サイケバンドJenifer GentleがSub Popと契約したらしく、彼等が同じ失敗をしない為にも、マネージャーであるMarcoに私とSub Popの経緯を話しておいた。

いつの日かEL&Pの「Love Beach」の如き駄作を作ってみたいものだと考えていたが、まさか斯様な形で満足のいかぬ作品をリリースしてしまうとは夢にも思ってみなかった。かつてZappaが「これからの時代は録音編集作業までが作曲となるだろう」と云っていたが、これからは「マスタリングまでが作曲となる」時代であろう。良い教訓となった。

「今年の素晴らしき青年」

米子に新たなスペース「水玉の部屋」が誕生した。米子と聞いた処で、何処か想像出来ぬ方もおられるであろうが、山陰地方は鳥取県である。水木しげるの故郷境港に近く、また港町故に海産物が美味な事でも知られる。

さて斯様な場所であるからこそ、なかなかライヴなんぞやる場所も無いようで、アシッド・フォーク・シンガーでもある阿闇妖子氏が一念発起し、昼は仕事で金を稼ぎ、夜は自ら内装工事を手掛け、何から何まで彼の手作りにより、漸くこのスペースが誕生したのである。勿論実費でドラムセットやアンプ群を揃え、照明はステージ脇に置かれた赤いランプシェードが掛かったアンティークな雰囲気の2つのスタンド、ミキサーも自ら「初心者ですが…」と懸命に務める。「こんな値段設定でいいでしょうか?高くないですか?」と問われたドリンクメニューは、簡素ながらも通常のライヴハウスより遥かに良心的な値段設定であり、若年層の客筋が主流を占める故、彼等にとっても手頃な値段であると云えよう。少しでもドリンクやフードで店が稼げれば、それは店にそのまま還元出来、結果として店→ミュージシャン→客→店と好循環を生み出すきっかけともなろう。海外のクラブや名古屋のトクゾウ、今は亡き聖家族等も、ドリンクやフードで稼げるからこそミュージシャンにギャラも払える訳で、単に「ライヴスペース」としての機能しか持たぬ日本のライヴハウスの構図こそが、諸悪の根源とも云えよう。

地方ならではの悲しさか、なかなかいろんな音楽に生で接する機会が少ない為か、山口の「インド洋」同様に客が「熱い」ことこの上なし。斯様な気配は、先ずもって東京は勿論の事、大阪や名古屋、いや岡山や博多等でさえ感ずる事はそうそうない。斯様な「熱い」客に向かって演奏出来る刹那こそ、ミュージシャンの本懐と知る。

そして米子なら矢張り海の幸である。打ち上げは「水玉の部屋」から徒歩10分弱の居酒屋「かば」にて決定。鳥取や島根をはじめ各地の地酒を揃えている上、この地方ならではの魚も取り揃えており、何しろ刺身が絶品にして手頃な値段設定。美味い酒と肴、そして熱い客が出迎えてくれる米子、ここを訪れる機会を作ってくれた阿闇妖子氏の人知れぬ努力に感謝。

http://www.eonet.ne.jp/~mizutamanoheya/ (現在リンク切れ[2004.10.01])

「今年の新婚さんいらっしゃい!」

今年はいろんな方の訃報が相次いだ中、一方で当然幸せな一報もあるもので、中でも津山さんの結婚は、同じバンドメンバーとして、とても喜ばしいニュースであった。特に身の回りに既婚者が少ない私としては、「結婚」の二文字に対する幻想は大きく、故に恐怖感もあり、到底自分自身が結婚しようとは思わぬ故、(特に男性が)結婚すると聞くだけで、既に尊敬に値する。先日ベアーズで行われた「70年代ロック・トリビュート」では、夫婦仲良くリチャード&リンダ・トンプソン宜しくフェアポート・コンベンションのカヴァ-を披露、一時期あれ程「おしどりロック」と某バンドを中傷していたのが嘘のように、自ら「おしどりトラッド」と命名。今後も夫婦での音楽活動を続けていかれるそうで、何とも微笑ましくも羨ましい限り。末永くお幸せに。

「今年のタイガース」

阪神タイガース優勝!

18年ぶりの美酒。私の場合、阪神は、兎に角巨人にさえ勝ってくれれば、たとえ弱くても構わぬが、矢張り優勝は格別。更に巨人の低迷も痛快痛快。日本シリーズは残念なれど、今年は野球に関するニュースを見ても気分が良かった事この上なし。されど応援に気合い入り過ぎて疲労困憊。毎年優勝されたら身がもたぬかもしれぬが、きっと次はまた20年後の愉しみとなるか。

「今年の美食天国」

日本を除けば、これは間違いなく韓国である。今年7月に初めて訪れた際の模様は、人声天語第92回「ユートピア大韓民国」に綴ったが、未だに忘れられぬのは犬料理の格別なる美味さ。「補身湯(ポシンタン)」なる鍋料理、あれを死ぬまでにもう一度とは云わぬ、もう二百度程満喫したいもの。出来れば次回は、犬料理上級者コース「スユク」なる肉塊も追加オーダーいたしたい処。もしや犬肉にはなにやら中毒性を促する物質でも秘められているのか、一度食べたいと思い始めるや、それは想像を絶する禁断症状の如き苦悶を誘発する。ならばと、そこいらの気に食わぬ飼い犬共をぶち殺し食するも一興かと思えるが、何しろレシピが全くもって想像出来ぬ上、近頃はペット犬も随分高額だそうで、結局は世間を騒がせた「名古屋の通り魔」ならぬ「ペット犬殺し」のお尋ね者にでもされるのがオチか。韓国なんぞ東京よりも気分的にはより近く感じられる故、是非ともまた訪れたい所存。

もしも韓国に行かれる機会あれば、この犬料理にトライされる事お薦めしておきます。

「今年のWWE(旧WWF)」

今やWWFと云う旧名称を知るファンの方が少ないのでは、斯様に思える程、ここ2~3年間に於ける日本でのWWE人気の上昇率は凄いものであろう。されど悲しいかな、私はツアーで留守がちの身なれば、留守中は常に録画に頼るしかなく、ツアーに明け暮れる日々の合間を縫ってビデオを観賞すれど、ここ2年程、どうしても「1年」のギャップが埋められぬ。常に1年前の番組を観ている状態なれば、況して最近はストーリー展開が以前にも増して速くなっている故、現在進行形のCS放送をチラっと観た処で、登場レスラーさえ見知らぬ場合も多く、これでは他のWWEファンとWWE談義を交わす事さえ叶わぬ。とは云え、折角録画して貰ったビデオである。これを観ずしていきなり現在進行形の番組を追掛けるのも悔しい話、と云う訳で何とか現在進行形のCS放送に追いつかんと、ひたすらWWEのビデオに明け暮れる毎日…を送りたいのは山々なれど、溜まりに溜まったレコーディングもこなさねばならず、そうそうビデオばかり観ている訳にもいかぬ。と云ってる間に、また再び1年以上の遅れをとり、慌ててビデオを観るのであるが、漸く1年前辺りまで追いつけば、再びツアーに出掛けなければならぬ。果たして私が現在進行形のCS放送に追いつき、かつてのように、来週までの展開を予想しながら1週間後をワクワク待ち焦がれる日は、再び訪れるのであろうか。

「今年の破られた戒律」

遂に私もDVDを購入し始めた。当初はDVDでいろいろリリースされようが、全てビデオで所持してる故、見て見ぬふりを決め込んでいた。なにせDVDにまで手を広げれば、毎月膨大なリリース数を誇る故に、一気に経済的困窮破綻に到る事は、火を見るより明らかであった。

されど…である。某掲示板に於いてAlchemy社長のJojo広重氏による悪魔の囁きの如きリリース情報、ひし美ゆり子主演の幻の作品「鏡の中の野心」がDVDにて、それも予約のみの限定ボックスセットでリリースされると伺い知れば、当然買うしか術はなく、そして一度破られた戒律は決してこれを「特例」として認める事なく、この後は堰を切った濁流の如く、DVDを買い漁る結果となってしまったのである。御蔭で未だDVDプレイヤーも所持せぬにも関わらず、Alchemy系列店「モンドルーム」にても散財する下りとなり、見事Jojo広重社長の術中に墜ちたと云ってもいいであろう。今後もお世話になります。

それにしてもDVDのケース、デカいだけで中身はディスクのみとは、何ともお粗末。せめて当時のパンフレットかポスターのミニチュア復刻でも封入されておれば、かつて少年の頃、なけなしの小遣いにて日本盤LPを購入した際、必ず面白くもない解説やらでさえ有難く拝読しつつレコードを聴いた歓びと同様の「なにか」があると思うのだが。如何でしょうね、DVDメーカー各位殿。

「今年の壁紙」

今年始めに、大してコンピュータについて理解もない癖に、一丁前にiBookを購入。当然の如く壁紙をセットしたのだが、それは偶然にもネットで拾った「天地茂」であった。CSにて「明智小五郎の美女シリーズ」にハマっておられる正午なりの石田君にもお譲りした逸品。このシリーズ、音楽はあの鏑木創氏が担当しておられるのだが、スパイサウンド+宇宙音が爆裂すると云う代物。どなたかこの「美女シリーズ」の音源をCD化する企画なんぞを、何処ぞのレコード会社に進言して頂けぬものか。

 

「今年の散髪」

夏が何より苦手なれど、かれこれ20年以上長髪であり、そして夏の暑さこそ長髪族(死語!)にとっては地獄の季節でもある。況してや髭もたくわえている故、真夏に襟巻きをしてるようなもので、望むべくもない我慢大会に出場しているような地獄の暑さなのである。(今年は冷夏だった故、幾分かは救われたか。)故に毎年、夏が訪れる前に自分で髪や髭を切るのであるが、今年も50cm程髪を切ったにも関わらず誰も気付かぬ。一般人が50cmも髪を切れば(そもそも50cmも伸ばしておらぬか!)間違いなく誰もが気付く筈であるが、気付いてもらえぬと云う事は、即ち何ら印象の変化もないと云う事であろう。

自分の人生に於いて、自分より髪の長い女性と付き合った事は数度しかないなあ…なんぞと考えども、だからと云って短髪にしようとも思わぬ。 そう云えば、女性も30代を迎えると、急に皆ショートカットになるのは何故だろう。

「ハードロッカーは長髪」大いなるロック幻想の果て。50歳を過ぎても未だ長髪のBlack Sabbathはエラい!短髪とスーツでハードロックが出来るか!

「今年の鍋」

私と東君は、毎冬何故か新しい鍋料理を考案しては、その冬はひたすらその新メニューに明け暮れるのであるが、今年の鍋は「ちゃんこもどき+自家製韓国風胡麻だれ」である。レシピは至って簡単なれば、是非お試しあれ。

始めは「ちゃんこもどき」の後半に重要な役割を果たす「自家製韓国風胡麻だれ」のレシピ。

  1. 多めの胡麻をフライパンで煎り、擂り鉢にて擂る。
  2. そこへ酒(若しくは水)少々を加え、コチジャン大さじ2+白味噌大さじ2+砂糖大さじ1を加え混ぜ合わせれば出来上がり。

では先ず「ちゃんこもどき」前半戦から。

  1. 昆布出汁を土鍋に用意し、先ず海鮮系の具(カニ、エビ、蛤、鱈等何でもお好みで)と練り物(ゴボウ天、野菜天、ハンペン他等何でもお好みで)をぶち込む。
  2. 海鮮系の具と練り物からの出汁が出れば、豆腐や野菜(白菜、椎茸、エノキ、ネギ等お好みで)をぶち込む。
  3. 最後に春菊と牡蠣(お好みで)を入れてひと煮立ちすれば、ポン酢でこれらの具を頂く。

さて前半戦の海鮮系の具を食べ尽したならば、いよいよ後半戦。

  1. 鳥団子(鶏肉ミンチ+ネギみじん切り少々+おろし生姜少々を混ぜ合わせたもの)と豚バラスライスを入れる。
  2. 上記の具に火が充分通ったならば、豆腐や野菜(白菜、椎茸、エノキ、ネギ等お好みで)をぶち込む。
  3. 最後に春菊やもやし(お好みで)を入れてひと煮立ちすれば、「自家製韓国風胡麻だれ」で頂く。「自家製韓国風胡麻だれ」にポン酢を加えたり、鍋の出汁を混ぜ合わせたりするのもまた美味。
  4. 最後はうどんをぶち込み、「自家製韓国風胡麻だれ」で頂いて、ごちそうさまと相成りまする。

一昨年は「モツ鍋~どて煮メドレー」、「ローズチゲ」昨年は「キムチ味噌煮込み」、「胡麻味噌煮込み」今年は「ちゃんこもどき+自家製韓国風胡麻だれ」と、予算が少しずつ高くなって来た辺り、我々の暮らしゆきも漸く人並みになって来たと云う事であろうか。何につけても鍋料理は美味にして冬の風物詩なり。

「今年の流行語」

これは何と云っても「なしぞ~!」である。高知県中村市出身の東君が矢鱈と使う一語である。意味は「何故?」と訳せば妥当か。東君の使用ケースから推察すれば、どちらかと云うと、少々腹を立てた状態で云う「何でやねん!」と同義語であろう。

そもそもはJNMFツアーの折、津山さんと2人して何かの折につけ「今ここに東君がいたら『なしぞ~!』って絶対云うてるよなあ」等と冗談を交わしているうち、それが更に飛躍して、空港の手荷物受取所にて「ここであの硬派一筋の東君が、何故か女性と素っ裸で抱き合って荷物と一緒に出て来たら、絶対動揺しながらも『なしぞ~!』って叫ぶよなあ」なんぞと云った具合の取り留めもない阿呆話にまで発展し、結局それ以来、事ある毎に津山さんと「なしぞ~!」を連発。特に硬派なニュアンスの四国訛りなれば、軟派なネタの折にこそ使う事が笑いの決め手。これを読むや、きっと東君曰く「なしぞ~!」

(2003/12/27)

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