『人声天語』 第115回「AMT欧州ツアー2004 ~世界残酷食物語~」#5

11月10日

午前6時半起床。起き抜け早速、朝飯は津山さんと共に「玉子大根おろし茄子漬物御飯」を頂けば、矢張り朝飯は御飯であって欲しいものと痛感。

午前7時、Per宅を出立、徒歩にてOslo駅へと向かう。午前7時27分発Gotenborg行き超特急X-2000に乗車。いきなりスウェーデン語もノルウエイ語も理解出来てしまうようになったと自負する津山さんは、新聞なんぞ眺めておられ、この超特急の1等高級車両に御満悦、たまたま間違えて乗り合わせし2等の客が車掌に車両の移動を命ぜられるを見るや「ボケェ~、お前らは2等なんじゃ!この貧乏人がぁ~!」

車内サービスの朝食セットは、パン+ハム+キュウリ+トマト+チーズ+ヨーグルト+シリアル+チョコレート+オレンジジュース+紅茶。

チーズのみ残しほぼ完食すれば、Gotenborgまでの2時間程は即寝成仏。津山さんは、ここで再び必殺奥義「大陰唇サンド」を繰り出すや、その妙味を堪能しておられる様子。

午前11時25分、Gitenborg到着、駅にMattiasが迎えに来てくれておれば、フェリーのチケットと、Christainから預かりし先日のギャラを渡してくれる。フェリー代を払おうとすれば、またしても受け取ってもらえず。それにしても市内1等地に居を構える辺りからも、彼はかなり金持ちなのであろう事が伺えれば、金とは斯様に使いたいもの。Mattiasと共にトラムに乗り込みフェリー乗り場へと向かうが、その行程にて東君のスーツケースのタイヤが1輪もげるアクシデントありて、ここより3輪走行となり、その塩梅かなり辛そうである。フェリー乗り場にてMattiasとお別れし、午後12時45分発Fredrikshavn行きのフェリーに乗り込む。
フェリー内にて、昨夜の天婦羅の残りのテイクアウトを食す。今朝出発前に、大根おろしも添えて来た故、冷めた揚げ物特有のくどさも緩和されれば、いと旨し。

フェリー内の座席には小さなサイドテーブルが設置されておれば、津山さん曰く「アームレスリング出来るようにサービスしてくれてるんやなあ。」

フェリーは高速船なれば、かなりのスピードにて航行しており、デッキにて喫煙しようにも、風が強い為にあまり吸った気にならず。
午後2時55分、定刻より10分遅れてFrederikshavnに到着すれど、我々が乗らねばならぬ列車は午後3時13分発なれば、列車の駅が近い事を祈るばかり。Stockholmのようにフェリー乗り場からバスにて駅まで移動となれば、かなり時間的に厳しいと思われ、もしこの列車に乗り遅れれば、今夜のライヴには間に合うかどうかは微妙にして、それ故に津山さんはかなりの焦躁ぶりなれど、脳天気な私と東君は「フェリーと列車は連絡してるやろうから、大丈夫、大丈夫」と、根拠もなしに余裕あり。されど下船と共に、津山さんが猛ダッシュすれば、我々も超重量級の荷物を抱え、兎に角全力疾走、タクシーの運転手やら道行く人に駅への道を訊ねつつ、走る走る走る…、何とか発車5分前には無事にFredrikshavn駅に到着すれど、全員流石にこのかなりの距離の移動には大汗を流す有様。結局列車は定刻通りに発車すれば、全力疾走した甲斐もあり。走った御陰か一層空腹に苛まされし津山さんは、海老せんべいを齧り口寂しさを紛らわせておられれど、あまりの空腹なれば今やすっかり意気消沈気味。

途中Kobenhavn行きに乗り換え、午後5時56分、無事にAarhusに到着、これにて本日の10時間以上に及ぶ大移動は終了。駅には今宵出演するフェスティバル「The sound and litterature festival LIPS」のスタッフが迎えに来てくれており、タクシーに分乗して会場Ridehusetへと向かう。
この会場は、元は工場か教会であったのか、兎に角天井の高い音響の良さそうな煉瓦作りの建物。先ずは会場内にあるレストランにて晩飯となり、赤ワイン+タイ風煮込み料理+ライス+サラダなれば、大いに美味にして、ここまで空腹を耐え忍びし津山さんに到っては、お替わりを要求する程。

既にプログラムは始まっている様子にして、メゾネット形式の中2階にては、何やらポエトリー・リーディングなんぞが行われている。このフェスティバル、結局詳細は存ぜぬが、何でも詩や言葉と音楽や映像とのコラボレーションがテーマとなっているらしく、事前の話では、ポエトリー・リーディングなんぞとの共演を依頼されていたのだが、未だ何の説明もなければ、さてどうしたものか。会場内に筋力トレーニング機器が並べられており、一体これは何ぞやと思っておれば、突如テクノがPAより流されるや、白いランニングシャツに水色のジャージ姿のおっさんが、まるでこれら器械のTV通販番組の如き実演パフォーマンス+トークを始めれども、客が完全に引き捲るは当然の理にして、関係者であろうビデオ撮影してる女性に向けての強烈なカメラ目線が滑稽極まりなく、さえどこれもどうやらニュースタイルのポエトリー・リーディングの様子なれば、いやはや芸術と云う名の下、一体何が芸術なのか。会場内の空気と云い、客層のお上品な顔ぶれと云い、これもまた如何にもヨーロッパのアート系フェスティバルらしいと云った処なれば、本当に斯様な場所で演奏しても良いものやら、見る限りアンプも見受けられねば、これは静かにアカデミックな演奏をせねばならぬか等と、冗談混じりに語っておれど、未だ我々が招聘された主旨も見えて来ぬが、されどスタッフは「AMTが来てくれてとても嬉しい、楽しみにしてます」等と云ってよこす故、より一層困惑する事限りなし。
さて続いては、サイレント映画に併せてのバンド演奏が始まれど、これが退屈極まりなく、バックステージにて自分の準備を行わんとす。バックステージは、どうやら別の日にパフォーマンス等を行う小ホールなれば、当然津山さんはステージに上がり、数々の奇々怪々なるパフォーマンスを披露。芸術至上主義なヨーロッパなれば、これも芸術となり得るのか、個人的には大いに興味深い処なり。

駅に迎えに来てくれた男性に頼めば、酒でも何でも戴けるとの事であったが、どうにもその男性の顔が覚えられぬ私に対し、東君は名前こそ覚えておらねど顔は一瞬にして覚えた様子なれば、彼曰く「酒をくれる人の顔はすぐ覚えられる」との事。
漸くサイレント映画も終了し、いよいよ我々の出番であるが、この辺りから客数も一気に増加、客層が次第にヒッピー色に染められ出し、気がつけばアカデミックな雰囲気から怪し気な空気に一変。バックステージに居た為にその様子を存ぜぬ津山さんは、「今日はアカデミックにやる」と、「アカデミック=ディレイを駆使」との定義付けを持てばこそディレイを持参せんとすれど、知らぬ間にステージ上にセットされた巨大アンプ群を見るや「撤去!」と、そそくさとバックステージへディレイを戻しに行く始末。私にはマーシャルとフェンダーの2台のアンプが、津山さんには巨大ベースアンプが用意されておれば、これは大爆音で演奏しろと云う事であろうと確信、エンジニアを見ればZZ Topのメンバーの如き長髭のヒッピー親爺なれば、これはもう間違いなし、況してや一瞬のチェックにて完璧な音作りをしてくれた辺り、信用の置けるエンジニアに違いあるまい。会場内の音響も素晴らしく、大爆音にて大層気持ち良く演奏出来た事は云うまでもなく、先程までのアカデミックな雰囲気から一変、イカれた連中が踊り捲る有様。
(impro/Dark Star Blues/impro/La Le Lo/Pink Lady Lemonade/アンコール:La Novia(アカペラ))
終演後も未だアンコールを要求する客がいる中、私が機材を片付けておれば、このエンジニアの親爺がマイクを片付けながら「俺がマイクを片付け始めたら終わりじゃ。Too Late!」と客を一喝、彼にお礼の挨拶をすれば「ガハハハ、フェーダー全開の大爆音にしてやったわ、ここの会場でこんなバカでかい音出したのは今日が初めてじゃ、ガッハッハッ!」全くもって豪快に笑いつつ、ではとビールにて乾杯すれば、「君達の音はバカでかいがとてもシャープで繊細だ、こっちも頭ぶっ飛びながら一緒に楽しめたわ、ガッハッハ!」と、一緒に仕事出来た事を喜んでくれており、こちらとしても嬉しい限り。世の中のエンジニア皆、斯くあって欲しいものなり。
終演後は、タクシーにてホテルへチェックイン。はじめちゃんと同室にして、120クローネの値札がぶら下がった赤ワインボトルが置かれておれば、はじめちゃんと折半し開栓し乾杯し歓談。午前3時半、ほろ酔い気分にて就寝。

11月11日

午前6時半起床。午前7時にホテルをチェックアウト、タクシーにてAarhus駅へ向かう。
駅構内のスーパーにて、サンドウィッチ、水、シリアル付きヨーグルト、一見ハンバーグの如き代物を購入。

午前7時半Flensburg行きの列車に乗車、早速朝食を取らんと野菜ハムサンドウィッチを食してみれば、何とも不味く、津山さんのバケットサンドも同様の様子なれば、マヨネーズとわさびを塗る事で味を補修する事で、漸く食せる代物となり得た。

購入したペットボトルの水は、日本から持参せし粉末ほうじ茶を混ぜ、常にほうじ茶として戴く事にしている。
さて一見ハンバーグの如き代物を開封してみれば、津山さん曰く「バキュームカーの臭い」が立ち篭め、メンバー全員「オエ~ッ!」とその異臭に悶絶、乗り合わせている他の乗客への配慮もあり、大慌てで蓋を閉じれども、未だ残るその臭いに、「遂に巡り会ったか、今回の激不味フード!」と、大いに盛り上がり大爆笑。されどこの残り香に気持ち悪くさせられる事この上なく、座席に備えられしゴミ袋を幾重にも重ねて完全封印、取り敢えず他人へ迷惑が及ばぬ場所にて試食しようと云う段取りと相成った。

Flensburg駅にてHamburg行きに乗り換えれば、乗客も疎らにして、ではといよいよ封印を解く事に。

幾重にも重ねられたゴミ袋が解かれていけば、次第にあのバキュームカーの臭いが立ち篭め始め、メンバー全員爆笑しつつも「オエ~ッ!」遂にその姿を再び現せば、先ずは自称味覚障害なるはじめちゃんに、人柱として先鋒を切って頂く。流石のはじめちゃんも、この強烈な悪臭に食すのを躊躇しておれば、その間にもこの猛烈な悪臭はそこいらに蔓延し、「はよ蓋閉めんかいっ!」既に悶絶死直前の津山さんの一喝に、はじめちゃんは思わず1つを丸ごと頬張れば「いや、味的にはそんなに不味くないかも…」

ならばと続くは東君、バクリと一口齧れば「うん、そんな思ってた程不味くないかも…」

それを聞いて少しばかり安堵した私と津山さんも、では話の種にと僅かばかり齧ってみれば、最初の一瞬は少し酸味のあるハンバーグのような感触であれど、次の刹那、まるで強烈な腋臭の如き異臭ならぬ異味が口中に充満、「ぐぎょぼぎょづびょべばぶぢょぎょぼでびゃぐ�ぁ~※▲◎◆$▽*#○★~!」と悶絶せし津山さんは即座に吐き出せど、私は思わず飲み込んでしまい、さすれば今だ広がる腋臭のような異味が、胃から逆流して来るが如きにして、この猛烈な不味さがフェードアウトして行くどころか、寄せては返す波の如くエンドレスに続く気配に、思わずほうじ茶を流し込めど、斯様なぐらいでは暖簾に手押し、即座に練り梅チューブを取り出し舐めれば、漸く僅かながら緩和される。されど触った指先の臭いを嗅いでみれば、まさしく少々乾燥気味のウンコを触った時の如し。結局この代物は即座に「バババーグ(ババとは関西弁でウンコの意)」と命名されるや、その後2時間はひたすらバババーグのネタで盛り上がる。デンマーク人は、本当にこれを旨いと思い食しているのであろうか、これが食えるならウンコも食せるのではなかろうか。その後も何故か、頭の中には「バババーグ」と云う一語のみがミニマルにクルクル回り続け、気がつけばRockyのテーマに乗せて「バ~バババッババッバ~グ」と歌っている自分に気付く有様なれど、何故Rockyなのか、そればかりは知る由もなし。
Hamburg駅にて今度はFrankfurt行きに乗り換え、東君と二人、喫煙コンパートメントへ。Hamburg駅にて購入せしドネルカバブを食せば、ドイツである事を痛感せし。

そもそもトルコ料理であるドネルカバブであるが、ドイツにて私が食し得る品目は僅かなれば、毎度ドイツにてこの逸品を食しているのであった。肉に加え野菜も豊富に詰められている上、このスパイシーなテイストは、ヨーロッパ料理のタルい味に辟易とした頃合いに於いては、何とも感慨深いものなり。
コンパートメントに同席した男性が我々のギターを見て「ミュージシャンか?」と訊ねて来た事から歓談、彼もサックス奏者だそうで、話しているうちに、何と実はTangelin Dreamの準メンバーである事が発覚。ツアーの模様やらを伺えば「グループの中で人間なのは俺だけで、あとは全部機械だ、ハッハッハッ!」
朝早かった上に、バババーグで盛り上がりて眠れなかった東君は、私と向かい合った入口側、即ち私の右斜向かいの席にて爆睡、ひとつ席を空けて窓際の席、即ち私の左斜向かいの席にサックス奏者が座し、私は彼等と向かい合わせの丁度真ん中の席に座していた。私の右側席には私の鞄が置かれ、東君のスーツケースがその席の前、即ち入口に置かれており、私の左側の席と真向かいの席が空いている状態なれば、途中でロシア人2人が乗り込んで来るや、1人は私の左隣にしてサックス奏者の真向かいの席に、もう1人は私の真向かいの席に着く。隣のロシア人はひたすら携帯電話で何やら話しており、向かいのロシア人は、座席に置かれている時刻表を眺めていた。Dortmund駅に到着するや、突如2人の巨漢ロシア人がでかいスーツケース共々このコンパートメントに押し入ろうとし一悶着、このロシア人が東君のスーツケースを押し退けて無理矢理自分の鞄を入れようとするので、私の脚がスーツケースに押されて痛い事この上なく「ボケ~、お前何してくれんねん!」思わず日本語で捲し立てる。この巨漢ロシア人の体により、東君からこちらの様子は死角で見えず、同時に向かいに座っていたロシア人は、サックス奏者に荷棚の荷物を取ってくれるよう頼んでおり、狭いコンパートメント内は騒然となる。押し入ろうとする巨漢ロシア人2人と私が揉めておれば、サックス奏者は「Wrong train!」と、列車が違う事を指摘、すると彼等はそそくさと出て行き、先に乗り合わせていたロシア人2人も下車、コンパートメント内は元の静けさを取り戻した。その時、東君に「ウエストポーチの口開いてるよ、気をつけないと」と指摘されるや、直感で「もしや!」と思い中をみれば、時既に遅し…現金根こそぎ全て盗まれているではないか。列車は既に発車しており、当然あいつらが未だ乗っている筈もなし。パスポートと航空券が無事であった事は、不幸中の幸いであろうが、それにしても見事な手口である。偶然にもウエストポーチが、隣のロシア人が座していた左側に付けられていた為、あの混乱に乗じて盗んだのであろう。向かいに座るロシア人が時刻表を見ていたのは、下車する駅の目星を立てていたのであろうし、隣のロシア人が携帯電話で話し続けていたのは、実は既に車内の何処かに乗り合わせていた巨漢2人と連絡を取っていたのであろう。東君の視界を塞ぎ、サックス奏者や私の注意を逸らせている一瞬の隙の犯行であったか。況してウエストポーチの一番体に近い方の内ポケットに、白い封筒に入れ外からは現金と判らぬようにしてあった上、他にも封筒は幾つもあれど、見事現金の入りし封筒だけを抜いて行くとは、これをプロの仕事と云わず何と云うか。そう云えば、この騒乱の直前に、ふとウエストポーチのジッパーが3cm程開いているのを見つけ、「危ない、危ない…」と閉めた事さえ覚えておればこそ、既にその時に目星は付けられていたのであろう。よくよく見れば、デジカメの入れられているポケットや、他のポケットも僅かに開けられており、その手口の巧妙さには完敗宣言するしかなく、何故か腹立たしさもなし。もしもデジカメをも盗まれておれば、写真はもう撮り直せぬ故、相当悔しかったであろうが、盗られたものは金だけなればこそ、また稼ぎ直せばいいと諦めもつこうか。以前Musica Transonicのツアーの際にも、吉田氏と南條さん2人が各々かなりの金額を盗まれた経緯もあれば、これもまた海外ツアーと云うものに附随する厳しさであろうか。最近海外をツアーする事多かれば、旅慣れから少々油断していたかもしれぬ。身をもって知った良き教訓なり。何しろ今回のツアーに関すれば、成田よりの出立に際しても、イギリス入国に際しても、何かとトラブル続きの私なれば、これにていよいよその不運も極まれりと云った処にして、この天中殺の如きもこれにて漸く打止めと相成って欲しい処。
午後4時50分、Koln駅に到着。オルガナイザーのTillが迎えに来てくれておれど、彼の車には一度に荷物共々全員乗れず、2度に分けてピストン輸送してくれると云うので、はじめちゃんと荷物を先に会場へ運んでもらい、残された我々は駅近くのバーにてドイツビールを堪能、今や僅か全所持金僅か17ユーロとなれば、津山さんと東君の心遣い痛み入る次第。
さてライヴ会場Kultur Bunker Muelheim E.V.へ到着すれば、先ずは空腹故に晩飯と相成り、近所のトルコ料理屋へ。私はピラウ(ピラフ)+ピラキ(豆の煮込み)+茄子とチキンの煮込み+オクラの煮込み+チャイ(トルコ紅茶)をオーダー、昼食もドネルカバブであったが、トルコ料理は美味なれば全く問題なく美味しく頂く。

津山さんはホットソースを盛られ過ぎ、汗を流しながらも見事完食。
会場へ戻りサウンドチェック、斉藤さんと云う日本人男性もスタッフの様子にして、普通の日本語を喋ったのは久しぶりの気がすれば、我々が話す日本語とは何なのかと疑問に思えど、大阪弁+下品な下ネタばかりでは、確かにそれも無理なしと云った処か。
午後8時半会場、ワンマンにしては幾分早めのオープンだと思えば、何とこのTill、Acid Mothers TempleとThe Melting Paraiso U.F.O.は別バンドだと勘違いしており、この2対バンでブッキングされているのであった。ドイツは永らくAMTでは演奏しておらねば、ドイツ各地から客が来た様子にして、更にはオーストリアやらオランダ等からも来ているとの事。Tillはエンジニア兼照明係兼チケットのもぎり兼バーテンまでをこなし、勿論多少のスタッフが彼をヘルプしてこそおれど、まあ何とも忙しそうな事この上なし。本日のShopzone。

演奏を始めるや、さて1曲目が終わり、いざ2曲目と思えばギターアンプがいきなり御陀仏御昇天、フェンダーのくせに何ちゅう軟弱さか!やむなく東君の使用しているJC-120を借り受けれど、矢張り音的に厳しい事この上なし。ツアー直前に急遽ブッキングしたライヴなれば、7割程度の客入りなれど、先日ここで行われたROVOのライヴ時よりは遥かに多い動員だったとかで、ならばまあ良しとするか。
(impro/Dark Star Blues/La Le Lo ~ impro/Pink Lady Lemonade ~ Speed Guru/アンコール:La Novia(アカペラ))
終演後、会場地下にある宿泊施設に投宿、津山さんと同室。洗濯後、はじめちゃんに味噌汁一杯を御馳走になれば、嗚呼、何と旨い事か。流石に大移動で疲れたか、午前2時半就寝。

(2004/12/10)

其之壱其之弐其之参其之四其之五其之六其之七其之八其之九其之十其之十一
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