『人声天語』 第115回「AMT欧州ツアー2004 ~世界残酷食物語~」#8

11月18日

午前9時起床。早速津山さんとレストランへ、朝食バイキングにて、スクランブルエッグ+ベーコン+ソーセージ+ヨーグルト+シリアル+パン+コーヒー。

斯様な朝飯に対し、今や何の感想さえ持たず。ゆで玉子3個を列車内のおやつにキープ、コーヒーは信じられぬ程の不味さ、まるでお焦げにお湯を差したような味。部屋に戻れば、湯舟に湯を張りのんびり入浴、嗚呼、極楽極楽…。昨夜対バンした7 That Spellsの面々が訪ねて来れば、カフェにて談笑、こいつらホンマに素頓狂で愉快な奴等にしてロック馬鹿。何でもZagrebには、イカれたヒッピー親爺が営むサイケ/プログレ専門レコード店があるとかで、津山さん共々驚愕。是非とも次回はチェックに伺いたいものなり。
正午、Mateが迎えに来てくれ、皆で駅へと向かう。午後1時15分発の列車に乗り込みLjubljanaへと向かえば、クロアチアもスロベニア共々先日EUに加盟したにも関わらず、矢張りユーレイルパスは使えぬそうで、当初は車掌に延々と言葉が判らぬふりしてやり過ごそうとすれども、結果的には切符を買わされる顛末…残念!スロベニアの国境にてパスポート・コントロールも無事済ませ、午後4時前にはLjubljanaに到着、オルガナイザーのAndreaが迎えに来てくれており、早速車にてホステルへ向かえば、若いバックパッカー共がレストランやバー、更にはネットカフェにて屯しており鬱陶しい事この上なし。ホステル内のレストランにて少々早い晩飯は、赤ワインを煽りつつ、鶏肉の煮込み+フィットチーネ+サラダ+豆のスープ+デザート+コーヒー、七味を振り掛ければ、味的には全く問題なし。

さて部屋にて荷物を解こうと伺えば、先ず階段に際して強靱に施錠されし巨大な鉄扉があり、そこを通り抜け自分の部屋番号の扉まで赴くや、何とそれは鉄扉と鉄格子の2重扉にして、まるで監獄か強制収容所か精神病院か、これは一体如何なる所業か、斯様な地の果ての異国にて、我々は一体何の罪で入投獄されねばならぬのか、もしやここは「ダメ人間強制収容所」にして、コンサートに託つけて我々を見事ここまで誘い出し、ここで真っ当な人間に矯正しようと云うのだろうか、それとも北朝鮮宜しく洗脳教育されスロベニアのスパイにでもされてしまうのか、嗚呼、我が命運もこれにて遂に尽き果てるのか。

どうやら隣の獄房には、既に津山さんが監禁されている様子、せめて妻子ある津山さんは勘弁したれや!

矢張りはじめちゃんも投獄されておれば、ならば東君は何処に。

どうやら東君のみ投獄を免れたのか、今や我々の頼みの綱は彼のみなれば、救出に来てくれる事を祈るばかりなり。
…と、斯様な事を妄想させるに充分過ぎるこの非情なるインテリア、何でも元は陸軍関連施設だったとかで、それを改装して現在はホステルとして営業しているとか。まだ津山さんの部屋は山荘風な装飾も施された作りなれど、こちらは冷たいピータイルの床に鉄格子窓にして病院用ベッドならば、これはどう見ても精神病院の隔離病棟の如し、本職の探偵業からレクター博士宜しく精神病院に隔離されし犯罪心理分析家にでも転身せよと云わんばかりか。
今宵の会場Kud France Preserenへ向かえば、会場内のネットカフェ・コーナーにてメールチェック、この後のスケジュールの確認等の雑務に加え、ギリシャの音楽雑誌からのメール・インタビューも返信、Andreaに連れられてラジオ局にてインタビュー、更に会場へ戻りても国営テレビのインタビュー、国営テレビは「レイトナイト・ミュージック」なる番組にて、AMT特集番組を放送するとかで、今宵のライヴ映像も流されるらしい。
さてインタビュー疲れを推してサウンドチェックに挑めば、またしてもド阿呆なエンジニアと遭遇、まだMarshallのボリュームが2程度にして音作りさえしておらぬ段階で「Too loud!」とほざきくさる故、「Do you know how to make the Rock’n’Roll sounds?」と、思わず聞き返した程。エンジニアは、グダグダぬかさんとフェーダー全部上げとったらそれでえねん!こちとらすっかり呆れ果て、いちびって全員超微音にてサウンドチェックを行えば、このドレッド頭の阿呆エンジニアは「good!」と御満悦そうなれど、阿呆かお前、これやったら何の為に馬鹿デカいアンプ並べてるねん!まあ本番で腰抜かすなよ…カスがぁ~!だいたいなあ、黒人でもないのにドレッドロックにしてる奴って死ぬ程嫌いやねん!兎に角レゲエ野郎は1人残らず皆殺しじゃ~!ボケがぁ~!
Andreaは矢鱈と我々に気を遣ってくれるのだが、何故か「幸薄そう」な女性のオーラが滲み出ており、何とも云えぬ哀しさを背負っておれば、あの酒がないと不機嫌になる東君に「酒欲しいけど、強請ると悪いような気がしてよう頼まん」とさえ云わせる程なれど、私は「きっといろいろ強請って貰える方が、彼女にとっては喜びになるんとちゃうか」と、ここは遠慮なく赤ワインをお強請りするや、勿論彼女は喜んでボトルを届けてくれ「今日はお客さんも一杯で嬉しい」と笑顔なれども、矢張りその笑顔の奥に垣間見える何か「幸薄そう」なオーラは否めず。本日のShopzone。

午後10時半、いきなり大爆音にて演奏開始。あのドレッド野郎、モニターからボーカルの変なディレイ音のみ返しやがって、お前はホンマにド素人か!用意されたアンプ群のポテンシャルは素晴らしく、ステージ内の音は生音のみなれば到って心地良く、しゃあからお前みたいなド素人は要らん云うこっちゃ、このボケがぁ~!そもそもロックバンドにモニターなんぞ要らんのんじゃ、デカいアンプでドグワァワアアアアア~ンッ!って鳴らしたら、それでええねん。
「スロベニアの客は大人しい」との前評判を覆す大狂乱ぶりなれば大いに盛況、終演後、オルガナーザーAndreaも大いに喜んでおれば、一見「幸薄そう」な女性なればこそ、何か彼女にプレゼント出来たようでこちらも何気に嬉しくなる。また照明担当者も「ここ数年で観た中でのベストライヴだった、一緒に仕事出来て楽しかった」と喜んでおれど、唯一エンジニアのドレッド野郎のみすっかり拗ねており、ホンマお前は100回死んで来い!
(impro/Dark Star Blues/impro/La Le Lo/Pink Lady Lemonade/アンコール:La Novia(アカペラ))
さてホテルへ戻れば、何やら中庭にて宿泊者やらここいらの若者達であろう連中が、ドンチャン騒ぎの真っ最中にして、昨日Mateに頂きし赤ワインを東君とホテルの表にて呷り、午後3時半就寝。

11月19日

朝6時半起床。午前7時にAndreaが迎えに来てくれLjubljana空港へ。Austrian air午前8時40分発Wien行きに乗るべくチェックインすれば、何と首都Ljubljanaに於ける唯一の国際空港であるにも関わらず、チェックイン・カウンターは6席程しかあらず、更に今現在オープンしているのは3席なれど、その内の2席は客もおらず職員が楽しそうに雑談しておれば、我々がチェックインせしカウンターでさえ、客は我々のみと云う寂しさなり。朝飯は今やもう何でもお構いなしの居直り状態にして、空港内のカフェにてドーナツ+コーヒーを食す。

日本より持参せしEchoの備蓄がツアー最後までもちそうにあらねば、搭乗ゲート前の免税店にて、L&M2カートンを購入し補充を図る。
さて搭乗せんとすれば、嗚呼、哀し気なプロペラ機にして、いざ飛立てば揺れ到って酷く、まるで今にも墜落せんと思しき程にして、殆どフリーフォールに1時間乗せられているかの如きなれば、おちおち眠る事も叶わず。元来飛行機嫌いの津山さんにとっては地獄の1時間であった事であろう。何とか無事墜落せずに午前9時55分Wien空港に着陸。空港内のカフェにてビールを呷り、午後1時20分Warsaw行きに乗り継ぎ。皆大いに空腹なれど、Warsawには日本食レストラン「日本館」が我々を手ぐすね引いて待っている筈なればこそ、ここは何としても忍の一文字なり。
されど我々のフライトに関する電光掲示板の表示が「Go to gate」から突如「Delayed」に変更、結局1時間遅れの表示となれども、「日本館にさえ行ければ」との、日本食への熱き想いに支えられ、如何な困難さえも耐え忍ぼうぞとの決意なれば、未だこの時点では「寿司5人前は食うたる!(津山さん)」「トンカツ、トンカツ、トンカツ…(東君)」「カツカレーをアペタイザーとして食うてから、刺身で日本酒を…(私)」なんぞと、もう殆ど手が届いたも同然なる日本食を各自夢見、未だ阿呆話なんぞする精神的余裕さえありて、ひしひしと迫り来る空腹感さえも「日本館行ったら鱈腹食うたる!」と思えばこそ耐えられもし得たのである。されど「Delayed」の表示が遂に「Cancelled」へと変更されるや、ここまで空腹に耐えて来た精神力も遂には潰え、午後5時45分発の便へとチケットのリブッキングを済ませるや、流石に泣きも入り、搭乗ゲート付近のビストロにて昼食にせんと、先ずは皆で赤ワインを煽り、私は蒸し若鶏肉のサラダをオーダー、決してこれが不味いわけではなかれども、夢見しカツカレーから比べれば、あまりに哀し過ぎる顛末。

スパゲッティー・カルボナーラにゆかりをぶっかけ軽く平らげし津山さんは、更にアイスクリームもオーダー。

何やら全員妙なハイテンション状態と化し、意味不明の会話を繰り広げておるや、丁度そこへ中国人の団体が通り掛れば「クソ支那人がぁ~、お前ら国広いねんから一歩も外出んな!」なんぞと思わず不条理な悪態を突いておれど、さすれば続いては更に巨大なアジア人の団体がやって来れば「またクソ支那人共やな」「日本人ってもっと垢抜けてるしなあ」「大抵ブランド品とか持ってるしなあ」「あれも絶対クソ支那人や!」なんぞと云っておれば、何と先頭には紛れもなく日本語で「ほっこくツアー」と書かれた旗を持ったツアー・コンダクターの姿が見受けられる。どう贔屓目に見ても、まだ各自自主的に動いている中国人の方が遥かにマシなれば、矢鱈おどおどした態度に加え、何とも垢抜けぬ身なりなれば、我々さえもヨーロッパ人から「こいつらも同じ仲間やな」と思われる事さえ何とも疎ましく「もう日本のパスポート捨てるわ」とさえ言わしめる程。海外で見掛ける日本人とは、何故あそこまで情けないか。「中国人ってすぐ群れるから鬱陶しい」とは、常々思っておる事なれど、日本人の方が更に見苦しく群れ返っておれば、何とも哀しくさえあれど鬱陶しい事この上なし。せめて自主的に動けや!「あれ、添乗員さんは?添乗員さぁ~ん!」って、ええ大人がなあ、同じ日本人として恥ずかしいからやめてくれ。お前らこそ日本から一歩も外出んな!
再び搭乗ゲートにてボケ~っと待っておれば、再び「Delayed」のサインが点灯、午後6時半発となれば、最早今宵のメインイベント日本館にての食い倒れは夢のまた夢、されどもしこの便が再びキャンセルとなれども、本日の午後7時45分発Warsaw行き最終便にてでも辛うじてライヴには間に合うであろうから、何にせよ飛んでくれる事を祈るのみ。暇に任せて搭乗ゲートのカウンターにあるコンセントを無断拝借しiBookを充電しておれば、漸く「Bording」のサインが点灯、約10時間に及ぶWien空港滞在もこれにて終止符が打たれ、晴れて待望の離陸にて、いざポーランドへ。
午後8時、漸くWarsaw空港へ到着してみれば、何と一面銀世界なれば、Warsaw空港が閉鎖されていた事もこれにて納得。オルガナイザーMarcinが到着ロビーまで迎えに来ておれば、彼もさぞや心配した様子であろうが、兎に角無事に再会出来た事を喜べど、勿論今宵の日本館行きは御破算。車2台に分乗し今宵のライヴ会場CDQへ。既にかなりの客が会場階上にあるバーにて待つ中、サウンドチェック後、Marcinと彼女のMaggyが、赤ワインと共に晩飯を楽屋に運んでくれれば、何故かベジタリアン料理だそうで、野菜カレー+野菜のすり身の包み焼き+茄子フライ+お好み焼き風味揚げ団子。

どれも味的には問題なしにして、本来なれば美味しく頂いておる処であろうが、何しろ今日1日日がな思い描きしは日本館にての食い倒れなれば、大いなる失望感に打ち拉がれる。されどこのお好み焼き風味揚げ団子は、まさしくお好み焼きの味がすればこそ、お好み焼き定食が無性に恋しくなりにけれ。
本日のShopzoneは、MarcinとMichalが代行、ポーランドのレーベルからリリースした新譜「Close Encounters Of The Mutants」は今宵より発売にして、今日明日のポーランド・ラウンドに於けるこの新譜の売り上げは彼等の取り分故、猛然とプッシュし売り捲っておれば、我々が持参せしタイトルは幾分押され気味、とは云え驚異的売り上げにして流石ポーランド。
Marshall等の一見巨大アンプ群が用意されておれど、その音たるやかなり酷く大いに苦戦、特にベースアンプが津山さんの大嫌いなTrace Eliottなれば尚の事にして、されどベースアンプが御陀仏御昇天にならなかったのは、津山さんのMarcinに対する気遣いからか。それにしてもポーランドは美女天国にして、客席を見渡せば芋を洗うが如きの美女尽し。満員御礼にして大いに盛り上がり、2度目のアンコールはヘビメタをおちょくり捲ったインプロなれば、客は意味不明の狂乱状態に突入。
(impro/Dark Star Blues/impro/La Le Lo/Pink Lady Lemonade/アンコール:La Novia(アカペラ)/Metal impro)
終演後、津山さんとはじめちゃんはホテルへ、私と東君はポーランド・ウォッカを堪能せんと会場に残れども、東君は既に酩酊、すっかり爆睡しておれば起きる様子も全くなく、MarcinとMichalは機材の撤収等にて忙しくしておれば、Marcinの彼女Maggyと会場階上のバーにてウォッカを呷る事となる。昨年Warsawを訪れし際にMarcinを驚かせる程ひたすらウォッカを飲み倒せば、その印象があるのであろう、Maggy曰く「先ずはこれから」といきなりグラス2杯を私に差し出すや、ならば受けて立たんとこの「Zoladkowka」なるウォッカ2杯からスタート。その後は、昨年Michalにボトルを頂きしウォッカ+蜂蜜なる「Krupnik」へと切り替わるや、Maggyは私に対し一度に6杯ずつ差し出す有様、目の前に並びし6杯のグラスを順番に一気に飲み干していけば、すかさず次は4杯が並ぶ始末。ウォッカ+ラズベリー+タバスコなる「Wsciekly Pies」所謂Mad Dogがお気に入りなれば、Maggyは早速5杯の「Wsciekly Pies」を私の前に並べる調子良さ、これも片っ端から空けていけば、漸く仕事を終えたMarcinとMichalがここで合流、再びグラスが並べられる。この辺りまでは何とか記憶あれど、ここから先は「一切記憶にございません。」

11月20日

午前9時半、目覚めてみればホテルなり。同室の東君の証言によれば「兎に角歩けず、Maggyに抱えられベッドに寝かされて、その後俺が隣のベッドにコロコロ転がして、ベッドの布団をめくって、またそのベッドにコロコロ転がしたら、転がり癖がついたみたいで、コロコロ転がってボコボコ蹴ってた」らしい。猛烈な二日酔いなれば頭痛も酷く、胃も荒れ捲り気分は最悪。
MarcinとMichalが迎えに来れば、今宵のライヴに必要な物だけ携行し、では遅い朝食を取りに日本館へ伺えども、ランチタイムは正午からなれば、仕方なくカフェにて、無謀にもステーキ+スープをオーダー。

されど昨夜の暴飲ぶりにて体調頗る悪ければ全く食欲もなく、ミートボール入りのトマトスープは美味にして完食し得れども、ステーキはこれビーフちゃうやん、チキンやんけ!チキンなれば焼き具合も、脂はすっかり落ち肉がパサつくまでの焼き込み具合にして、到底食せし塩梅にならず、半分以上を残し御馳走様。迎え酒として呷りし赤ワインにて、より一層気分悪し。
午後12時半発の列車にて、MarcinとMichal共々、バルト海に面する北の果てGdyniaへと向かう。車中にて、また性懲りもなくMarcin持参の赤ワインを呷れば、ますます一層気分悪くなりて、5時間に及ぶ列車の旅は殆ど爆睡せし。午後5時半、すっかり雪と氷の世界と化せしGdyniaに到着、クラブオーナーであろうロック親爺が迎えに来てくれており、車2台に分乗し、今宵の会場Uchoへ向かう。
会場に着いた処でなんとも云えぬのんびりした時間が流れる中、先ずは晩飯として、ポーランド名物カツレツが運ばれて来れども、

今や体調絶不調の私なれば、ちょっと箸をつけたのみで気分が悪くなり、東君と津山さんに譲渡、とても酒を飲む気にさえもなれず、オレンジジュースを飲む始末。サウンドチェック後、津山さんより胃薬を頂き楽屋にて休息、何しろ体調が頗る悪ければ、兎に角早く演奏を済ませ、ホテルにてゆっくり就寝したいとの想いのみ。
斯様なド田舎北の果て、果たして客は来るのかと思いきや、開演直前ともなれば何処からともなく続々と現れし、況してや美女率が今回のツアー中最高のぶっちぎり具合なれば、無理してでもここまで来て良かったと実感。今宵もShopzoneはMarcinとMichalに一任。
さてアンプはMarshallなれど、屁ェみたいな音しか出ぬ根性なしなれば、いきなり1曲目にしてスピーカーが悲鳴を上げる始末。ベースアンプもスピーカーがしょぼければ、津山さんはかなりソフトなタッチで演奏せねばならず、全体的に緩い演奏と相成れど、されど客は皆熱く踊り狂いし夜なりて、大いに盛況。アンコールでは、即興でSoft Machineの「We did it again」をカヴァー。
(impro/Dark Star Blues/La Le Lo/impro/Pink Lady Lemonade/アンコール:We did it again/Na Na Hey Hey(アカペラ))
終演後、楽屋に美女軍団がサインを求めポスターを携え押し掛ければ、一時楽屋はパニック状態。私はラジオのインタビュー1本をこなせば、インタビューアが結構可愛らしい女性な故、次第に本題から反れ、遂には昨年に続き昨夜も学びしポーランド語の口説き文句実践編へ、されど哀しいかな、一笑の下に一蹴される。津山さんとはじめちゃんはホテルへ、美女の群れを目の前にしては、如何に体調が優れずとも飲まずにおられぬ私は、東君と共に会場に居残り組。ライヴにて大暴れした故、体調も幾分良くなった様子なれば、早速バーにてMarcinとMichalと共にウォッカを呷る。バーテンダーの女性4名、各々異なるタイプの美女揃いにして、見渡せば客席も美女満開、何と云う美女棲息率の高さか!バーカウンターに座っておれば、Marcinが私に「さあ、ポーランド語会話の実践だ!」と、カウンターへオーダーしに来る女性客を順番に口説かせようとする。片っ端からと云うのはあまりに節操ない故、一応これはと思しきめぼしい女性に限り、ではポーランド語の実践編開始。「Twe Oczy Sa Piekne(君の瞳は綺麗だね)」「Jestes Piekna(あなたは美しい!)」「Kocham Cie(愛してる!)」辺りまでは「ありがとう」と、にこやかに対応してくれるのであるが、切り札「Zostan Ze Mna Na Noc(今夜一緒に過ごしませんか)」を発するや、すかさず「No!」と斬って捨てられる有様なれど、Marcinは「じゃあ今度はバーテンダーの女性にトライ!」なんぞと云う調子の良さにして、こちらも空腹にウォッカを調子良く流し込んでおれば、先程までの体調の悪さもすっかり消し飛ぶ現金さにして、今やすっかり絶好調なれば、早速金髪の一番クールに決めしバーテンダーに挑めども、見事轟沈。続いてバーテンダーの中では本命の黒髪の女性にチャレンジすれど、まるで諸星あたるの如くまたしても敢え無く轟沈。されどここまでの反復練習の御陰で、ポーランド語による上記の文章等はすっかり暗記。語学習得に必要なものは、臆する事なき反復と実践である。
さてDancin’Kingの異名を持つ踊り好きの東君は、今やディスコと化した会場にて踊り狂う有様にして、どうやらダンスパートナーの女性も見つけた様子なれば、かなり濃厚な熱い踊りを堪能中。ならばその隙にと、東君が予てより今宵の大本命と明言せし女性を含むグループに接近、取り敢えず彼の代わりに記念撮影も果たしておく。

午前2時、クラブオーナーであるロック親爺の車にてMarcinやMichalそして東君共々ホテルへ、部屋を開けたと同時にベッドに倒れ込み即寝成仏、ポーランド美女軍団とウォッカの前に見事轟沈せり。

11月21日

午前9時半起床。東君と同室にして、2人とも飲み過ぎ調子こき過ぎにて見事にダウン。午前10時、ホテル内のレストランにて皆で朝食を取らんと階段を降りれば、何と眼前に広がるは紛う事なきバルト海。この対岸はスウェーデンかと思えば、折角北欧を後にしヨーロッパを南下したにも関わらず、何故またしても斯様な極寒の地に戻って来ているのやら。朝食は、トースト+トマトサラダ+チーズ+スクランブル・エッグ+オレンジジュース+紅茶。

今やこの手の朝食にも慣れれば、何の不平不満もなし、トマトがあるだけ有難いと思わねばならぬか。東君とはじめちゃんのみコーヒーをオーダーすれば、いきなり出されたのはインスタント・コーヒーの瓶にして、このコーヒーの不味さたるや筆舌に尽くせず、何しろ溶けずに沈澱しているあたり、まるでトルココーヒーの如し。

食後、再び気分悪くなり体調は再び最悪状態。
午後12時半、タクシー2台にて雪道をGdynia駅へと向かう。このホテル、何でも駅から20kmは離れているそうで、確か昨夜のクラブは駅付近であった筈なれば、何故斯様に遠きホテルに投宿させられたのやら、不条理も甚だしい。ユーレイルパスの期限も昨日にて満了した故、今日からはチケットを購入せねばならず、それにしてもあともう1日有効期日があれば、今夜の大移動の費用が浮いた筈にして、何とも残念なれど仕方なし。駅にて30分以上待ち時間あれど、然してする事もなければ、カフェさえもなく、寒いベンチにてひたすら列車を待つ。午後1時31分発Warsaw行きに乗り込めば満員御礼にして、8人用コンパートメントを我々6人にて占拠せんと試みれど、シュワルツネッガー似のオバハンが割り込んで来るや、我々の荷物もある故、狭い事この上なく迷惑千万、更にこのババア、折角こちとら眠ろうとしておれば電気を付けて読書し始めるは、携帯電話にて大声で喋り出すは、車内放送用スピーカーから聞こえるノイズが煩いと騒ぎ出すは、暖房が暑いやら何やらと、そんな文句垂れんねやったらどっか他所へ行けや、このボケがぁ~!美人やないポーランド女に用はないんじゃ!
MaggyがWarsawの日本食レストラン「日本館」の予約を取ってくれたそうで、Warsawにさえ着けばいざ直行と夢見ておれば、Wawsaw到着直前にして列車が停車、空腹に加え今や眼前に日本食がちらついておればこそ、イラチの津山さんは既に発狂寸前。結局30分遅れの午後7時にWarsawに到着すれば、列車内にてサンドウィッチを食せしMarcinと東君は、「最もひもじくない2人」と云う事で、ホテルに残して来た荷物のピックアップへ、我々は徒歩にて日本館を目指す。
日本館へ到着するや、津山さんはパニック状態、湯呑みもひっくり返す粗相ぶりにして大騒ぎなれど、漸く寿司を注文せんとすれば、ハマチや平目等は品切れ状態、されど「金に糸目はつけん!」と兎に角寿司を大量に、更に大根サラダ+冷奴+納豆+御飯+日本酒を注文。

一気に大根サラダと寿司を平らげし津山さんは、髪を振り乱しながら納豆を練り捲り、一気に納豆御飯も平らげ大いに満足げ。つい先日まであれ程の納豆嫌いであった事が嘘のような変貌ぶりなれば、これも偏えに奥さんの力に拠るものなり。

東君は、日本酒+法蓮草おひたし+冷奴+小茄子の漬物+イカの塩辛+納豆+寿司数種と、如何にも酒の肴ばかりを注文しては、懐かしの味に大いに舌鼓を打ちつつ、ひたすら日本酒をお替わりし続ける有様。

私は、日本酒+冷奴+茄子田楽+サバ塩焼き+サバ握り+カツ丼(サラダ+味噌汁付き)を注文。

サバ中毒とも云われる私なれば、サバ2種には思わず感涙寸前、茄子田楽も冷奴も大いに幸せにしてくれれば、嗚呼、矢張り日本人に生まれて良かったと実感。ここ2日間の暴飲が祟っておれば、カツ丼は半分残しテイクアウト。はじめちゃんは、大根サラダ+キムチ+餃子、そして私が散々悩みし大盛りカツカレーをオーダーしており、嗚呼、矢張りカレーの匂いを嗅げばカツカレーにすれば良かったか…と、後悔も少々、カレーのあの匂いは麻薬の如くあまりに魅惑的なり。

全員大いに久々の日本食を堪能すれば、今や全く恍惚の表情なり。更にお弁当として、津山さんは御飯+キムチ、東君とはじめちゃんは焼そばをテイクアウト。さて午後8時、再び雑誌のインタビューがここ日本館にて待っておれば、すっかり満腹の私は、脳が全く機能せぬままインタビューをこなす羽目に。
午後9時25分発Wien行き夜行列車に乗り込むべく、駅を目指し雪道を歩まんとすれば、突如MarcinとMichalから支払いの請求をされる。今回のツアーポスターやTシャツはここポーランドにて製作したのだが、結局各地への発送コスト面等で折り合いが合わず、本来1日分のギャラにて相殺と相成っていた筈なれども、何とポーランド2日分のギャラでも相殺出来ず、更に300ユーロを請求されるや、津山さん曰く「わしらこんなとこまで来て、ただポーランド人喜ばしに来ただけや…。」当初の約束通り1日分のギャラにて相殺出来なかったは、オルガナイザーとしての力量不足に寄るものであろう。況してや私が当初より不要と一蹴せし光沢紙による豪華版ポスターも勝手に作成しておれば、こちらとしても納得いかぬ事も多けれど、金銭トラブルは何かと面倒臭い故、さっさと300ユーロを支払い、速やかに夜行列車に乗り込み雪のWarsawを後にする。
先日の寝台車とは異なり幾分快適なれど、津山さんの弁当のキムチの臭いが充満する中、然してする事もない故、ひたすら寝る事に終始する。午後10時過ぎ就寝。

(2004/12/10)

其之壱其之弐其之参其之四其之五其之六其之七其之八其之九其之十其之十一
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