『人声天語』 第139回「2007年総まくり」

歳を重ねる毎に月日の経つは、まさしく光陰矢の如し、この人声天語も過去最低の更新回数を記録、今や世の中容易に更新し得るブログが完全に主流となる中、何故斯様に手間の掛かる方法にて、斯くなる駄文をアップロードせねばならぬのか、まあそれも元来日記なんぞ綴る性分にあらず、気の向く侭に書き綴らんと思えばこそか。況や今年は殆どがツアー日記なれば、果たしてこれぞ自分へ課せり拷問の如し。今年も例によって忙殺されれど、AMT関連のライヴにて多忙を極めれば、遂には自分のソロ作品の録音も侭ならず、構想中の幾つかの新たなるユニットも稼働叶わず。2008年は、既に多くのライヴ予定が入っておれど、何とかこれら新たなるユニット等もぼちぼち始動せんと思う処。昨年の「2006年総まくり」にて「忙しいうちがこの稼業の華なればこそ、来年はより体力気力の極限まで稼働せん!」なんぞと宣わせて頂けれど、来年の決意たるは、最早休みなんぞ一切不要「死んだら休む!」何せ前述の通り月日は光陰矢の如し、未だ何も為し得ておらぬ生来の怠け者なれば、休みなんぞ言語道断不埒千万贅沢至極と心得るものなり。

 

「今年のAcid Mothers Temple」

Acid Mothers Temple & The Melting Paraiso U.F.O.(以下AMT & TMP U.F.O.)は、新女性ヴォーカリスト北川ハヲを擁し、3月のTrad Gras och Stenarとの国内ツアー、4月中旬から5月中旬の4週間強に渡る北米ツアーを行えど、結局彼女は方向性の違い等から北米ツアー終了と同時に脱退、再び野郎ばかりの4人編成へと立ち戻り、4週間に渡る秋の欧州ツアーに臨みし。今後再び女性ヴォーカリストを探すか否かは、再び「出会うべき人には出会うべくして出会う筈」との見地にて、いずれ巡り会うをのんびり構えん。 
周知の通りAMT&TMP U.F.O.は国内にて殆どライヴ活動を行わねども、今年は、Trad Gras och Stenarを招聘しての国内ツアーに始まり、広島宮島に於ける「満月祭」や姫路太陽公園に於ける「New Picnic」にお誘い頂き、近年稀に見る国内ライヴの多き年となりし。来年も何か面白そうな企画やイベントならば、条件等さえ合意し得る限り、是非出演願わんと思えば、関係者各位の皆様、また宜しくお願いいたします。 
恒例となりし「Acid Mothers Temple祭」も、「大サイケ」をキーワードに、今年こそ無事に山本精一氏をゲストに迎え、また昨年に引き続き元オックスの栗山純さんにもゲスト参加して頂ければ、過去最高の動員を記録、と同時にトクゾウも開店以来最高額の売り上げも記録せり。多くの方々に御来場頂き、有り難き幸せ感謝の気持ち限りなく、大いに恐悦至極なり。終演後、ステージへ機材の片付けに現れし山本さんが、未だ多くの客が酒を飲みつつ歓談する様を観て驚愕「何でや?何で未だこんなにおんねん?皆帰らへんのか?」ライヴ終演と同時に波が引くかの如く客が帰路に付くが常識とは、日本のライヴハウスに於ける見慣れし光景なれど、今から十数年前、初めて海外ツアーを行いし際、私を驚かせし出来事のひとつに、終演後も客が居座りバーにて酒を酌み交わし歓談する様あり。ライヴの余韻を楽しみつつ酒を飲むその姿に「日本でもこんな楽し気な雰囲気のライヴ出来たらなあ」と思えども、それを実現せんと思えば、何はともあれ始めに終演後ものんびり酒を飲めるライヴハウスありき、次に客に「終演後にのんびり飲んでもらう」雰囲気とその愉しみを理解して頂かねばならねども、終演後から午前5時まで居酒屋として営業するトクゾウこそ打って付けの場所にして、またオークションの売り上げによる振舞酒もあれば、回を重ねる毎に、終演後にのんびり飲むと云う愉しみに気付いて頂けしか。勿論2008年も12月第2土曜日たる12月13日に「第7回Acid Mothers Temple祭」を名古屋トクゾウにて開催致しますので、皆様是非お越し下さい。

今年のAcid Mothers Temple & The Cosmic Inferno(以下AMT & TCI)は、ツインドラムの一端を担う岡野太の脱退に始まり、その後任にあふりらんぽのぴかちゅうをゲストドラマーとして抜擢、7月下旬から8月上旬の2週間に渡る真夏の西日本ツアーを敢行、人生初となる四国上陸も果たし、連日ぴかちゅうのパワーに触発され壮絶なるパフォーマンスを展開、人生に於いて最も充実せしツアーと云える程に楽しめし。また四国、九州、中国地方と回り関西へ戻る行程なれば、連日その地方の名物を肴に飲み倒せしは云わずもがな、各地の温泉も巡りて、特に大分別府にて三沢君に案内して頂きし山奥の秘湯「へびん湯」は、まさしく幻の野湯、当然入浴料なんぞある筈もなく男女混浴、我々は、三沢君やこのツアーに於いて幾度も遭遇せし野獣(NOKEMONO)御一行と、この幻の野湯へ突入、秘湯巡りらしき母娘と遭遇すれど、怪しさ極まりない我々一行の姿に退散されれば残念至極、されど野湯のあまりの気持ち良さに、遂には全裸酒盛り(ぴかちゅうのみ水着着用、念の為)さえ始める始末、三沢君も野獣御一行さえも呆れ果てる狼藉ぶり、兎も角連日連夜演奏のみならず大いに満喫し捲りしツアーなり。難波Bearsに於けるツアー千秋楽は、山崎マゾ君をゲストに迎え、ステージ上は完全なる無法地帯と化せば、マゾ君とぴかちゅうがダイヴを敢行、斯様な親爺バンドにも関わらず客席はモッシュ状態、まさしく真夏の熱過ぎる夜となりて、終演後は会場内にてライターの火さえ灯らぬ酸欠状態となる始末、斯くして地獄の業火よりも熱き西日本ツアーは幕。このツアーに前座として同行し、連日朝まで私に付き合い飲み倒れしスズキジュンゾ君に心から感謝。
さて来たる1月5日(土)は難波Bearsにて、ぴかちゅうをドラマーに迎えしこのラインナップにて、2008年1発目のライヴを打ち噛ます事となっておれば、果たして如何なる新春の宴と相成るやら。尚、ぴかちゅうの参加にて、バンドの平均年齢が大いに若返りしは云うまでもなし。

吉田達也、津山篤、私の3名からなるAcid Mothers Temple SWRは、今年2ndアルバム「Stones, Women and Records」をリリースし、CD発売記念として国内ツアーを敢行。嘗てショウケース・ツアー「Japanese New Music Festival」の一部として国内をツアーせし経緯あれど、単独にての国内ツアーは今回が初めてと記憶する。常々完全即興をその演奏手段としておれど、今回はCD発売記念たる理由から、アルバムに収録されし数曲を再現するや、一部の客からは「再現と言ってもどうせ即興で適当に演奏したんだろ!」的な誤解を受けしは何とも不本意、これも今までの本気とも冗談とも取れぬ自分達の発言やら行動が招きし報いか。されど斯様な誤解なんぞ気に掛ける我々にあろう筈なし。演奏回数を重ねる毎に、バンド内の交感速度は更に加速を極め、限りなく自家放電し続ければ、果たして次に辿り着くは如何なる境地か。

Acid Mothers Gongは、カナダにて行われしフェスティバル「Festival International de Musique Actuelle de Victoriaville」に出演、今年はこのライヴ1本のみの活動なれど、相も変わらぬAllen翁とGilli媼の宇宙的元気さには圧倒され捲り。Allen翁も2008年はいよいよ七十路、されど再びGongファミリー総結集なるフェスティバルも開催されるとか、たとえAcid Mothers Gongの活動が、年に一度のペースとなれど、このコズミック翁媼と演奏を共にし得る限り、その無限とも思しき宇宙パワーに大いに触発されると共に、ロック・ミュージシャンとしてのこの2人への敬意増々以て深くならん。

Acid Mothers Guru Guruは、1stアルバム「Psychedelic Navigator」をリリース、CD発売記念としてUSツアーも敢行すれば大いに盛況。連日即興にて演奏を重ねておれば、Maniさんの音楽哲学等も自ずと伺い知れ、その演奏内容も更に深化せり。実はManiさんがアメリカにて演奏するは殆ど初めてにして(80年頃にGuru GuruとしてChicagoのみにて演奏せし経緯ありとか)当初は所謂ヨーロッパ人然とアメリカ嫌いを謳われておれど、いざツアーが始まるやすっかり愉しんでおられし様子、今やアメリカへの好感度も大いに上がりしとか。Acid Mothers Guru Guruなる名称への変更は、USツアーを組まんとブッキングエージェントに打診せし際、Guru GuruのみよりAMTの名を冠する方が、動員に結びつかんと云う理由にして、また元祖Guru Guruとの明確な区別化もし得る故なり。 
2008年2月下旬には「Guru Guru祭」の名の下に、このAcid Mothers Guru Guru、Acid Mothers Temple SWR、更にManiさんと吉田達也のデュオたるManitatsuの3ユニットにて国内ツアーを敢行する予定なれば、皆様是非お越し下さい。因みにツアー初日たる滋賀県近江八幡の酒遊館にてのライヴは、酒遊館が誇る新酒も飲み放題なれば、お酒好きな御仁には是非とも足を運んで頂きたい処。

 

「今年のその他の活動」

今年新たに始動せしユニットとして、先ずはぴかちゅうとのデュオなる光宙★魔呼斗を挙げねばなるまい。既に2度のライヴを行えば、ぴかちゅうの宇宙巫女パワーに大いに触発され、その破天荒さに時折翻弄されつつも、何やら面白気なる事が成せんとの兆しあり。「天真爛漫」「天然」なんぞと云う陳腐なる言葉にては到底筆舌に尽くせぬ彼女の破天荒さは、一体何処から降臨せしものか。今後いよいよ本格始動せんと企てておれど、果たして如何なるものが生み出されるやら想像だに出来ず、されど想像だに出来ぬ事程面白き事はなし。

昨年結成せし須原敬三氏とアイコちゃんとのトリオに、山崎マゾ君を迎え新たなバンドへと変貌。当初は所謂コズミック・ヘヴィー・ガレージ然とせしを目論まんとすれど、当然と云えば当然、この曲者揃いの面子に、斯様に不毛なる音楽的狭義なんぞ既に当て嵌められる筈なく、その結果大暴走、激しいステージパフォーマンスや暴力的演奏とは裏腹に、意外にも「うたもの」的な響きとなるは何故か。そもそも永遠に完成せぬのではと杞憂される1stアルバムが、陽の目を見るはいつの日か。

LSD Marchの道下君にお誘い頂き、遂に北海道の土も踏めれば、彼とのデュオにてライヴとレコーディングを行いし。道下君とのデュオは過ぐる3月に姫路と神戸にても行っておれど、その時は道下君の歌世界に添っての演奏となれど、北海道に於けるデュオとは、ギター2本のみによる演奏にして、大いに異なるものなり。道下君の奥深くに潜む青白き炎を、紅き情念の炎に変貌させるかの如きそのギターワークは、彼の内なる激情さえも映し出す鏡の如し。アルバムの仕上がりも愉しみにして、また機会あれば是非とも共演したき処。

つるばみも今年は1月と12月にライヴを行い、新譜「天臨」もリリース。久々となる1月のライヴにて新境地を見出せば、12月のライヴにてもこれまた全く異なる新境地へ辿り着き、活動こそ疎隔となれども充分に納得し得る1年たりしか。恵美嬢も自身のユニットOme Zombieにて精力的に活動しておられれば、そちらも宜しく。

一部にてクロアチアのAMTとも呼ばれるクロアチア唯一のサイケバンド7 That Spellsのライヴやレコーディングに参加。今やギタリストNikoのソロユニット化しておれば、彼曰く「黎明期AMT & TMP U.F.O.の方法論を真似た」とかで、アルバムやライヴのコンセプト毎にメンバーを選ぶと云う塩梅にして、御陰で私も知らぬ間に正式メンバー扱いされる始末。されど久々に自分のバンドにあらざる場所にてギターを弾く機会を得れば、たとえ同じファズワウギターを奏でておれど、精神面は大いに異なるものにして、単なる1ギタリストとして「ギターを弾く」行為に専念し得しか。7 That Spellsは、2008年に初来日する予定なれば、私もスケジュールが合う限り参加せんと思う処、また私と津山さんが参加せし新譜「The Man From The Dystopia」もリリースされておれば、興味ある方は是非ともチェックして頂きたし。

今年印象に残りしセッションとは、灰野敬二+吉田達也+河端一のトリオ、坂本弘道氏とのデュオ、スズキジュンゾ君とのデュオ等が挙げられるか。 
灰野さんとは、多くの御仁が意外と驚かれれど、実はこれがライヴにては初共演にして、久々に戦慄すら覚える緊張感が溢れれば、何処かで知らず知らずに失いし「何か」を、再び体感し取り戻せし良き機会となりしか。この共演の企画を提案実現してくれしTOMO君とBloom氏には、改めて感謝の意を述べたしと思う処。 
坂本弘道氏とのデュオは、そもそも偶然ムジカジャポニカにて居合わせし際、店長のいとうせこ女史の突然の提案にて「ムジカで、お見合い~奇跡もじゃもじゃ対決編」として実現せしものなり。チェロとギタードローンによる夕べ、ラストは津山さんのアコギ弓弾きも加わり、トリプルホーミーも繰り出しての大団円。純粋に、演奏する事が楽しかりしと実感せし一夜として、大層印象深し。 
スズキジュンゾ君とのデュオは、昨年も一度行えど、また再び機会を頂けし。あのむさ苦しい容姿から想像しかねる美声による、たゆたゆ漂うかの如き彼の「うた」は、限りなく美しきモノトーンの音世界にして、そこへ僅かに浮かび上がる色彩を施さんとする事こそ、楽器奏者の本懐なり。彼とは終演後の打ち上げも大いに愉しみにして、何しろ朝まで、時には昼まで「このバカオヤジ!」なんぞと云いつつも常に私に付き合い飲み倒してくれるは、彼を於いて他には見当たらず。 
その他、吉田氏と佐藤研二氏によるデュオ石窟寺院との共演、河端一+ぴかちゅう+津山篤なるトリオ、またイタリアの若手即興演奏集団Neokarma 6stとの共演等も、大いに楽しめしセッションとして印象に残る。

今年も恒例2月の極寒欧州ソロツアーを行えば、爆音ギタードローンにて全てのPAスピーカー御陀仏御昇天と云うハプニングもあれど、日々新たなる発見多く、ならば作品化せんと思えども、AMT関連の活動に忙殺され時間が足らねば、残念ながら録音に取り掛かるまでにも到らず。何でも今更ノイズがブームとなりつつあるアメリカにて、ノイズ・フェスティバル「Free Damn Festival」にも出演、長年に渡り演奏し続けしギタードローンの集大成とも云える内容なれば、自分の中で何かひとつ決着がつきしかと思いし夜となれり。 
また国内にても久々にソロにて演奏する機会多ければ、一体何十年ぶりとなるか、まともな歌なんぞ歌い始める始末にして、これもひとつの諦念にも似たる居直り的心境の為せる技か。2008年を以て、私の音楽生活もいよいよ30年目、我ながら随分と長きに渡り音楽活動を続けしものなりと思えども、初めて自作楽器群とアナログシンセにて処女作を録音せし30年前を思い返せば、意外にもつい先日の出来事の如し。次なる30年を考えれば、その時は既にAllen翁宜しく七十路にして、今でさえ10年先すら全く以て想像だに出来ぬ生き様なれば、30年も先なんぞ、果たしてこの世に未だ生き長らえしか否か想像せんとする事さえ不毛と知る。そもそも刹那主義者にして運命論者、常に「今」のみに生きんと思うものなり。

「今年のAMTレーベル」

1998年1月に私と東君がAMTレーベルを発足、いよいよ2008年にて10年目を迎えんとしておれど、今以て赤字経営にして借金経営なり。そもそもレーベル発足の際、資本金にせしは東君名義の某消費者金融のカードなれば、毎月の利子に売り上げは搾取され、入金無き月は自腹にて、若しくはリポ払いなんぞ利用し返済しておれば、当然消費者金融の術中に見事嵌まりし結果となり、人声天語第47回「ビニルに刻む夢」に綴りし我々のささやかなる夢なんぞ、到底未だ夢のまた夢のままなり。AMTレーベルの海外ディストリビューションは、アメリカのオンライン・レコードショップ且つ自主レーベルEclipse Recordsに一任しておれど、Eclipse Recordsの上得意様たるアメリカの大手ディストリビューターForced Exposureからの支払いが大いに滞っておれば、遂にEclipse Recordsも破綻寸前となり、こちらも幾ら新譜やらを納品すれど、こちらへの入金も滞る始末。またこの度東君が自身の債務処理をせし際、当然レーベルの資本金たるカードも債務処理対象となれば、リポ払いなる悪魔の囁きも払拭し得れど、今後鐚一文も借り入れる事叶わぬ運びとなり、今やライヴ会場に於けるレーベル作品の売り上げのみにて、何とか自転車操業状態を死守せんとする有様。されど今年も、AMT & TCIの2005年ZagrebにてのライヴDVD「Hardcore Uncle Meat 」と、昨年のAMT祭のライヴDVD「Acid Mothers Temple Festival vol.5」の2タイトルを、何とか無事リリースし得れば、幸いにも充分にレーベルとしての機能は果たせしと云えよう。(私の初期作品復刻シリーズ第1弾「Osaka Loop Line」は、私の個人出資によるリリース。)レーベルにて儲けようなんぞとの野望はなけれど、せめて発足当初のコンセプト「出したいものを出したい時に出す」は、死守したき処にして、されど昨今のダウンロードによる販売なんぞが主流になれば、我々アナクロ人間は果たして斯様な時流に乗り得るかとの疑問を抱くどころか、時流に反発しては既に需要の失せしCDなんぞリリースし続け、その不良在庫の山を前に、相も変わらず「わしら商売下手やのう」と飲み明かすが末路なるか。

「今年の1枚」

毎年同じ事を綴りておれど、今年もレコードを買い捲りて、遂には部屋の半分が未整理のレコードに侵食される始末なり。果たして何故斯様にレコードを買い続けるのか、これは大抵のレコード大量所持者の抱く自己疑問なり。既に残りの余生にて一度たりとも聴かぬと思われるレコードを、何故後生大事に所持し続けねばならぬのか。更にそのレコード群に住居も占拠されれば、自ずとより広き住居に移らねばならず、結局レコード群の為に家賃を払いしも同然か。されど尚、レコードを買い続けねばならぬとは、レコードジャンキーの哀しき性なり。 
さて今年の1枚に選びしは、「Suuto Breakor / あふりらんぽ」なり。あまりに身近な彼女達による作品なれば、何やら胡散臭しと疑念を持たれる御仁もおるやもしれぬが、斯く思われるならば、先ずは何を於いても一聴される事をお薦めする。私が抱きしあふりらんぽの印象と大いに異なるこの1枚、されど彼女達も既に20代中盤に差し掛かり、オニに至っては母となりしこの1年、当然変わるべくして変わりしやもしれぬ。そもそも当初あふりらんぽは「雪景色」等に象徴されるが如く、オニとぴかちゅうの2人の女性による対決と云う方法論にて、その女性ならではの或る種ヒステリックでさえあるその音楽性の基盤を形成しておれど、既にその方法論による彼女達の音楽がひとつの完成を迎えしと同時に、それはマンネリ化への第一歩と化するは必定、ならば果たして如何なる方法論にて如何なるベクトルを選択するか、試行錯誤する彼女達のその過程こそ、私は大いに興味深けれど、ここに提示されし彼女達の音とは、これも既にひとつの到達点なるや否や、是如何に。この突拍子もなく宇宙的にして幻想的且つ大いなる母性さえ匂わせる全てを超越せしが如き包容力溢れる浮遊感、唖然とさせられぬ筈もなし。夏に行われしAMT & TCIの西日本ツアーの際、ぴかちゅうから伺い聞きし、そのあまりに突拍子な発想による話とは、まさしく有りの侭、思うが侭の彼女の等身大の思想やら哲学と云って差し支えなかろう。されど自分が彼女と同じ年齢の頃、果たして一体何を考え何を思いしかと思い返せば、東君共々大いに真面目に音楽に向き合わんとすればこそ、様々な体験等を基に人生哲学なんぞの基盤程度は形成せし反面、己れの信じる道のみが正道と狂信的になる余り、遂には東君と大喧嘩も繰り返し「Good Bye Forever!」と、袂を分かちし頃か。ならば四方や自分の娘にても奇しくあらざる年齢の彼女が、斯様に無為自然とも云える思想や哲学を形成し得るも当然、況してや女性ならではの瞬発力を伴う行動力もあれば、斯くも容易に何事さえも遣って退け得るも当然か。それは同時に、今年母になりしオニにも勿論当て嵌まる事ならん。嘗て人声天語第100回「百記夜講(2003年総まくり)」にて、あふりらんぽを「実は地球外生命体なのではあるまいか」と綴りておれど、地球外生命体どころか、大宇宙生命体か。されど彼女達が、大宇宙生命体であれ脳みそすっぽんぽん娘であれ浪花の赤い釣り目の女の子であれ、最早斯様な些細事が一体何の意味を持ちたるや。果たしてこの2人が目指す次の世界は何処、斯様なる愚問の答えすらこのアルバムには無関係ならん。兎も角私にとって、今年一番輝き目眩せし1枚なり。

「今年の不幸中の幸い」

私の自家用車は、2000年の東海豪雨の際に未だ購入して数ヶ月も経たぬ車が水没すれど、運良く人生初めての車両保険に加入しておればこそ、全損扱いにて保険料を頂ければこそ、新車にて購入せしホンダの軽バンなり。現在走行距離も既に12万kmを突破しておれば、昨年の車検の折にかなりの部品も交換し、盤石の態勢にてこの2007年に臨みし。 されど已む無き理由ありて車内にて爆睡せし際、エンジンは停止すれどもヘッドランプを点灯せしままなれば、見事バッテリー上がりとなり、その節は、同じ奈良県在住の萱沢君(Drink In My Life, ex.ユープタワー)に大変御迷惑を御掛けせしものなれど、更に後日、近鉄大和八木駅付近の常に大層混雑する国道24号線交差点前にて、バッテリーが完全に御陀仏後昇天召されれば、為す術なく迷惑承知にて車を放置し、駅前の交番にて界隈に修理工場が有るや無しやと問えば、運良く駅近くに一軒の修理工有りとの事、警官に斯くなる次第なれば絶対に駐禁の切符を切らぬよう念を押し、いざ修理工場へと赴くや、大層親切なる修理工にして、私の車に搭載し得るバッテリーの在庫無けれども、本来なら搭載出来ぬ型の中古バッテリーを何とか無理矢理搭載して頂きて事なきを得し。 
広島宮島にて行われし「満月祭」に、AMT & TMP U.F.O.として招聘されておれば、遠征組なる兄ぃと東君は前日より我が寺に投宿、津山さんとは翌朝近鉄大和八木駅にて待ち合わせし、さて当日の朝、いざ明日香の山より下山するや、山道を下り切りし刹那、ギアが入らなくなるアクシデント勃発、されどスピードをある程度落とせば3速のみ入れられると気付き、何とか3速のみにて走行を続けれど、明日香の観光地域を横断せねばならず、途中信号にて停止を余儀なくされるは当然、されど1速にも2速にも入らぬ故に、一度たりとも完全停止すれば発進に往生するは重々承知、何とか騙し騙し走行すれども、流石に国道169号線と交差する信号にて停止せざるを得ず、さて3速にて無理矢理発進せんとするや、遂にクラッチが御昇天召されしか、全く踏み込む事叶わぬ始末にして、後続車に大迷惑を掛けし次第、運良く目の前が整備工場付きガソリンスタンドなれば、兄ぃと東君に押して頂き、そのスタンドにて修理を依頼すれど、原因究明には時間を要するとの事、果たしてこの車にて遥か宮島まで走行し得るかと訊ねれば、勿論無理との返事にして、ならばレンタカーを調達せんと電話帳にて調べ、津山さんとの待ち合わせ場所たる大和八木駅前のレンタカー屋にて運良く同タイプの軽バンを予約し得るや、これまた運良く目の前に近鉄岡寺駅ありて、早速東君に大和八木駅へと電車にて向かって頂き、レンタカーを借り受けると同時に津山さんを拾って来て頂く算段となれば、結果このレンタ軽バンにて宮島へ向かい得る運びと相成り、無事にライヴも行えし。さてその私の車は、クラッチ板も含めその周囲まで御陀仏御昇天召されしとか、されど週末にも関わらず運良く全部品が届きしとかで、翌夕に宮島から帰還せし折には運良く既に修理も完了、山頂の寺までは車が無ければ到底帰る事さえ叶わねど、これにて奇しくも帰り得る運びと相成りし。 
私の軽バンにはヒートメーターが装備されておらねば、昨夏より時折ラジエターの警告灯が点灯せしども、当初幾ら調べれどラジエター関係に一切問題なく、修理工も「警告灯が壊れてるんでしょう」なんぞと楽観的発言せし故、素人のこちらも安心しておれば、今夏辺りより突然冷却水が1日にて空になる症状を発症、されど車に乗らんとする毎に冷却水を補充すれば問題なかりしかと気にもせず、今秋にはいよいよ明日香ー名古屋間の僅か2時間半のドライヴでさえ、途中で警告灯が点灯し冷却水も殆ど空となりし末期的症状へ進行、流石にこれは一度専門家に診て頂かんと近所の修理工場へ赴けば、ラジエター周りは問題なけれども、エンジンのシリンダー摩耗によるトラブルからこの症状が発症せしとか、既にエンジンの一部に損傷が見られるとかで、いつ何処で御陀仏後昇天されても不思議ならぬ危険な状況と諭されれど、斯様に深刻な事態とは夢にも思わず、連日明日香の山道を往復せしとはまさしく知らぬが仏、結局大枚を払きリビルドエンジンへ積み替えん事を決意、されどこのリビルドエンジンのエンジンパワーがショボければ、高速道路に於いても以前と比べ最高速度10km/h減、勿論明日香の山道に至っては、以前は3速にてほぼ全行程を登り切れしが、何と行程の3分の1程は2速へ入れねば登れぬ非力ぶり、そもそも以前のエンジンは、新車にて購入せし折から大事に育て鍛え上げし経緯あれば、走行距離12万kmにも関わらず、そのエンジンパワーは購入時と比べて殆ど衰えを見せず、故にこのリビルドエンジンの非力さには大いに失望、果たしてこれは安全運転を心掛けよとの啓示なるか、されど斯くなる上はインターセプター搭載を目論まん。

 

「今年始めし事」

私の髪は地毛にして、そもそもパーマをかける程の色気ある男にあらず。既に人生の半分以上を長髪にて過ごせども、手入れなんぞ施せし事ほぼ皆無にして、洗髪後も自然乾燥に任せるのみ、整髪料の類いなんぞ全く以て無縁なれば、ブラッシングなんぞせし記憶も皆無なり。されど海外に於いて、通りすがりの御婦人やらが「Beautiful hair!」やら「I love your hair!」なんぞと勝手に触りに来る始末なれば、成る程満更でもなしかと、尚、手入れなんぞする気にもならじ。 
三十路も半ばに差し掛かりし頃より、髪も老化するとかで傷みも酷くなれば、矢鱈と縺れては玉にさえなる始末となりて、手櫛程度は施さんとすれど、手櫛と云うよりは宛ら縺れし箇所を引き千切る始末。斯様なる中、ツアー中に何処ぞのホテルの洗面台にて備品のブラシなんぞ見つけるや、洗髪後ふと興味本意にブラッシングしてみんとすれば、縺れし箇所さえいとも容易に解け何とも爽快。これ以後ブラッシングが習慣となれば、今更思うは何故今までブラッシングせざりしか。「ロックは長髪」なるを信条とすればこそ、往年のCMにあらねども「髪は長いお友達(『髪』の字が『長』と『友』の2文字を含む故)」とならん事望むは当然、なれば斯かる僅かな手間如き惜しむべからずと肝に銘ず。

 

「今年の失望せらしめし事」

私が居を構える明日香の某寺にて、毎年お盆を迎える8月中旬に「施餓鬼会」が執り行われる。これはこの寺に於ける1年を通しての最大イベントの様相にして、住職不在の山寺故、何処ぞの寺より3名の僧侶を迎え、本堂奥に収められし仏具やら何やらも総動員されれば、前日より御近所の檀家さん達はその準備に追われる次第、勿論寺の管理人たる私も、施餓鬼会に向け大掃除せねばならぬは云うに及ばず。さてそのお越し下さる僧侶のうち、最も高僧らしき老僧おられれど、この僧侶の読経の節回したるや、未だ嘗て耳にせし事なかりし奇妙なる節にして、まるでコーラン朗詠の如きにしてさもあらず、This Heatなんぞを想起させるかの如きにしてさもあらず、兎に角昨年初めてその読経を耳にせし刹那、その衝撃あまりに大きく、録音せざりしを大いに悔やみし故、今年はこの際ビデオ撮影せんと、予め撮影許可さえ御伺いを立てる程なり。さて施餓鬼会当日となれば、あの老僧の姿が見えずして心中穏やかならず、冒頭の挨拶にて、彼の老僧は先頃逝去されしとの事、就いてはその御子息たる中年の僧侶が今年より施餓鬼会を取り仕切るとの事が述べられれば、私の失望半端ならず、されどあの老僧の節回しが、口頭伝授にて御子息に受け継がれしかなと期待を寄せれば、哀しきかな、御子息の読経は至って普通の節回しにして再び落胆、されどわざわざ承諾を得し故、今更ビデオ撮影を辞める訳にもいかぬ自分があまりにも愚かしき。

 

「今年の愛読雑誌」

音楽雑誌やサブカル雑誌を始め、雑誌と名の付く類いに全く関心無き私なれど、常々東京への移動やら海外ツアーに赴く際、退屈凌ぎに購入するは「週刊アサヒ芸能」なり。故に「今年の」と限定する必要なかりしかと思われれど、何故ここに取り上げしかと云えば、今年は須くも毎週欠かさず購入し続けし故なり。斯くも毎週購入購読せし理由とは、藤岡弘、によるコラム「藤岡弘、のサバイバルクッキング」が連載されしが為、そのあまりに荒唐無稽なる内容は、最早料理コラムの域を越え、昨今のアウトドアブームを発端とする趣味としてのサバイバルライフ指向に喝を入れんとするどころか、戦場やジャングル等にて如何に生き残るか、日本人とは斯く在るべし等、藤岡弘、流男の哲学が綴られしもの。肝心の料理レシピに至っては、そのそも本文と殆ど無関係なる料理にして(納豆の話にも関わらずレシピは野菜炒め等)食材や調味料の分量も一切記されておらず、結局は「男の料理なれば野生の勘を働かせろ!」と云わんばかりか。元来週刊アサヒ芸能は、この類いの雑誌の中にあって、執筆陣も濃ければ内容的にも圧倒的に読み応えあれど、この「藤岡弘、のサバイバルクッキング」連載開始に伴い、更に暑苦しく重量感を増せば、当然読み逃すは許されず、御陰で毎週火曜日にコンビニ等にて購入せねばならぬ羽目となりし。されど今年の最終号を以て、35回に渡る連載も終われば、何とも寂しき限りにして、ならば発行元の徳間書店より「藤岡弘、のサバイバルクッキング」単行本化を是非とも求むるものなり。単行本化に当たり、連載分のみにてはページ数不足と云われるならば、是非とも加筆をお願いしてでも実現されたし。ところで藤岡弘、のウェブサイト「Samurai Hiroshi」が全面リニューアルされておれば、以前の「藤岡語録」等に見られし右傾化思想全開ぶりは完全に封印され、また炎をバックに真剣なんぞ振翳す藤岡弘、の写真なんぞも、微笑を浮かべる氏の写真に差し替えられておられ、これも「おもいッきりイイ!テレビ」の企画コーナー「食材バカ一代」に毎週レギュラー出演すればこそ、世間に対し過激なる右翼的イメージを隠蔽せんとするが故か、これは何とも残念至極なり。蘇れ!Samurai Hiroshi!!!尚、この「藤岡弘、のサバイバルクッキング」に関しては、いずれ人声天語にて日を改め更に深く触れたしと思う処。

「今年の革ジャン」

革ジャンなんぞ着るは、果たして一体いつ以来か。AMT & TMP U.F.O.の北米ツアー後、ソロにてAtlantaのノイズ・フェスティバル「Free Damn Festival」に出演、AtlantaよりSan Franciscoへ戻りし際、大いに冷え込みて、旧友Stooから革ジャンを拝借すれば「もう着ないからあげるよ」とその革ジャンを頂戴せし。私は十代の頃より長きに渡りロングコート一辺倒なれば、革ジャン姿とは何とも妙な具合に感ずれど、何事も見慣れてしまえば当初の違和感も失せし。ロングコートに長髪と髭面なれば、果たして一体何者かと、矢鱈と奇異の目で見られる事多かれど、革ジャンなれば「どうせいい年してロックバンドか何かやってはるんでしょ」と、ステレオタイプのイメージを与え易き様子にして、然程奇異の目で見られる事もなければ、これ幸いと、今冬は革ジャンを着る事にせり。何しろ満員電車に乗車せし際ですら、私の両隣の座席は大抵誰も座る事なく、然ればこちとら大いに肩身狭く恐縮すれど、稀に座らんとするは精々足腰の弱き老人か所謂大阪のオバハンのみなり。されど革ジャンを着るようになるや、斯様な肩身の狭き思いせじともよく、私の両隣の座席も普通に誰もが腰掛けんとすれば、それは矢張り単なるロックオヤジの類いにでも見受けられし故、取り敢えず自分達の理解し得る範疇に属する「社会人」と云う認識の下、何かと安心されるのであろう。 哀しげなる世の男性諸氏が「ちょい悪おやじ」なんぞの風潮に乗せられし昨今、そもそも「ちょい悪おやじ」とは年収1500万円~3000万円程度の小金持ちにして贅沢趣味を持つとの定義なれば、赤貧に喘ぐ享楽主義者たる私は、この革ジャンを纏い「極悪おやじ」と化して、不埒の限りを極めんとす。されどたかが革ジャンにて「極悪」とは、我ながら何たる陳腐な連想力か。

 

「今年の『竜』のチゲ」

今や世界最強のホルモン屋としてその名を全国のアングラ音楽ファンにも知らしめし姫路の「竜」、嘗て人声天語第32回「『竜』のホルモン」第96回「『竜』のモダン焼き」と2度に渡り紹介させて頂けば、今更改めて綴るべき事もなかりしかと思えども、今回綴らんとするは、メニューに掲載されておらぬ所謂裏メニューたる逸品「『竜』のチゲ」なり。「竜」を訪れる度、常連客と思しき御仁達が食せしを眺めてはおれど、メニューに掲載されておらぬ故に注文しかねておれば、AMT & TCIの西日本ツアーの際、わざわざ1日オフを入れてまで「竜」へと立ち寄りて、さてその夜の御愛想を済ませし際、何気なく大将に「今度一回チゲ頼んでみたいねんけど…」と切り出せば「ほなら予め予約入れといてもろたら用意しとくわ!」との二つ返事にて、遂にチゲを注文する権利を得たり。太陽公園にて開催されし「New Picnic」へ出演せし際、前日に「竜」にて前夜祭を行えば、大将に「明日チゲ用意してもらえる?」と依頼、これにて遂に長年の悲願なる「『竜』のチゲ」を食し得る運びとなれり。 
チゲと云うからには、当然韓国風鍋料理にして、その唐辛子の量たるや山盛りなれど、決して唐辛子の辛味にて出汁の旨味が損なわれる事なく、これが宇宙的美味なり。夢にまで見し「『竜』のチゲ」を頬張れば感慨新たにして、ひたすら貪り食うのみ。最後はラーメンをスープにぶち込み締めとすれば、これまた笑いが止まらぬ美味さにして、「『竜』のチゲ」を心行くまで満喫せり。これにてまた死に際に思い残す事がひとつ無くなりしか。

 

「今年の鍋カレー」

今年は、我が人生にて初となる北海道への上陸も果たせば、北海道と云えば美食天国、さて一体何を食らうかあれこれ思い巡らせど、私は無類のカレー好きにして、先ずは北海道名物スープカレーを所望せり。結局数日の滞在にてスープカレーを2度しか食せねど、そのスープとしての美味さに魅了され、ならば自分でも是非スープカレーを拵えんと思い立ちレシピなんぞ調べれば、何とも手間暇掛かりて面倒臭き事この上なく、今更嘗てのシェフ魂も然程再燃せねば敢えなく挫折せり。斯かる折、ひとり鍋を突つきし折にふと閃きしこそ、この「鍋カレー」なり。因みに最近「カレー鍋」なる代物が流行りしと、某テレビ番組にて紹介されておれど、斯様なる代物とは全く無縁なれば、その旨予め御理解頂きたき処、そもそも「カレー鍋」なんぞ、果たしてお子様向きの鍋料理としか思えねば、到底酒に合わぬとは想像に易き処か。さてこの「鍋カレー」とは、鍋料理に於いて具材の醸し出すその出汁を、スープカレーのスープに見立てしが、そもそも発想の起源にして、一般の鍋料理とほぼ同じ調理行程を辿る故、カレーの名を冠するにも関わらず、調理時間が僅か15分程度と圧倒的に短ければ、仕事に疲れし体にても手軽に調理し得る優れものなり。また当然具材を炒める行程無ければ、油を使わぬ故、摂取カロリーも些か抑えられしか。 
さてそのレシピなれど、わざわざ記すまでもなき程に簡単なり。 
<鍋カレー(1人前)>
1)1人用土鍋に水を張り、出汁昆布を適量入れて火に掛ける。昆布はそのまま具としても食べられるので、食べ易いように小さく切って入れる。 
2)お好みの具材(今回は鶏腿肉、ゴボウ、白菜、大根、うずら巻)を適当な大きさに切る。うずら巻を入れるのは、練物ならではの出汁が出る為、うずら巻に限らず各自お好みの練物で可。具材は大き過ぎると煮るのに時間が掛かるが、小さ過ぎると素材の味があまり生かされないので、その辺りは各自お好みで。因みに私は、鶏肉はぶつ切り、ゴボウは乱切り、白菜はザク切り、大根は輪切りにし面取り、うずら巻は丸ごと入れるようにしている。欲張って具材を入れ過ぎると鍋が溢れるので注意、飽くまで鍋の大きさに対しバランス良く。 
3)1)の鍋が沸騰したら2)の鶏肉とゴボウとうずら巻を入れ、更に煮る。灰汁取りは面倒臭くてもやりましょう。注意点として、煮る際は必ず蓋をする事。早く煮えるし、スープの無駄な蒸発も防げるから。 
4)ここで一度スープの味見、昆布と鶏肉とうずら巻の出汁にゴボウの若干泥臭い風味が混ざるので、スープの味を市販の麺つゆを用い整える。私はヤマサの昆布つゆを愛用、安くて美味い。麺つゆを入れた状態で、充分スープとして味わえる程度に調整する。 
5)大根を入れ、粉末カレー粉をスプーン1杯程度加える。粉末カレー粉は、小麦粉等が含まれていないスパイスのみのものを使用。(小麦粉が含まれているととろみが付く為、スープカレーのようなサラサラの仕上がりにならない。)より一層エスニックな味わいを求めるなら、ここでカルダモン1粒とクミンパウダー少々を入れるとよい。(入れ過ぎると苦くなるので注意!)
6)白菜を入れ、更に煮る。 
7)最後に入れた白菜が程良く煮えれば、ここで味を整え仕上げる。4)の段階で、かなりしっかりスープとしての味を整えてあれば、ここでの調整はほぼ不要の筈。味が薄いからと云って、無闇に粉末カレー粉を加えると、単に薄っ平い味のカレーに陥る危険性あり。味が薄い時は、必ず麺つゆと粉末カレー粉両方を使う事。(先ず麺つゆから足す事がポイント。)味が濃い時は、水を少しずつ加えつつ味見しながら伸ばし、味が若干薄っ平くなったら麺つゆで微調整する。 
8)御飯を別に盛り出来上がり。辛味を加える場合は、ここでホットソースをお好みで加えれば充分。私は99ショップ等で売られているハバネロソースを愛用。(タバスコだと酸味も増すので不適、その他のホットソースも塩っぱさが増す為お薦めしかねる。) 
9)食べ方は自由。私は土鍋を食卓に置き、取り皿も使わずに土鍋から直接大胆に頂く。御飯はスープカレー同様、スプーンに御飯一口分を掬い、それをスープに浸して頂く。御飯なしでスープとして食べても美味い。是非お試しあれ。

 

「今年の流行語」

ツアーの度に、何かと流行語が生まれしものなれば、今年の上半期は、東君と私の間に於いて「ヘゲモニー獲得」「オルグ」「徹底殲滅」「撃沈」等の左派過激派用語が流行れども、これは人声天語第137回「北米ホットドッグ殲滅戦線内ゲバ戦記(AMT & TMP U.F.O.北米ツアー2007)」に綴りし通り。何を今更立花隆著「革マル対中核」なんぞ読み返しかと思えども、我々2人の「北米ホットドッグ殲滅戦線内ゲバ戦」は、奇しくもその展開ぶりが、東君が革マル、私が中核と、偶然にも見事に当て嵌まれば、その奇遇ぶりがこれら左派過激派用語の使用を助長せしか。 
さて今年1年を通しての流行語とは、津山さんに端を喫する「すんませ~んっ!」なり。これを文字にて表記すると、その真髄伝わらねど、「すんませ~んっ!」とは、ほぼ裏声になる程の絶叫にて発するが正しき発音にして、同時に頭を地面に擦り付ける程に土下座せねばならぬ。これはそもそも怒らせる程にあらざる些細事について、その相手に対し、未だ怒らせる状況と相成る以前に、先んじてひたすら謝り倒す行為にして、さすれば相手も斯くも仰々しく詫びられし後には怒る訳にもいかず「まあまあ…ええよ別に…」と、容易に不問に付して頂けると云う、実は欺瞞に満ちし見事なる心理戦法なり。そもそも昨今の男たるもの女性に対し大いに弱ければ「取り敢えず謝る」風潮さえありとか、これぞ世の男性諸氏の心境を見事に体現せしかと思えば、一度試されてみるのもまた一興か。

「今年の遣り残せし事」

今やツアーやらレコーディングやらブッキングやらレーベル事務やら海外ミュージシャンの招聘やらウェブサイトの管理更新やら通販業務やら何やらと忙殺されれば、遣り残せし事なんぞ無数にあれど、最も悔やまれるは、この人声天語第139回「2007年総まくり」が、年内に脱稿出来ず、新年を迎えるまでにアップ叶わざりし事か。況してや第138回「男は黙って噛み締めろ!(AMT & TMP U.F.O.欧州ツアー)」さえ未だ脱稿し得ておらねば、仕事の速さこそ売りにせし私としては不覚極まりなく、不徳の致す処なり。2007年は、世間も欺瞞と謝罪こそが溢れ返りし風潮なれば、これもまた2007年らしき幕切れなり。

 

 

 

(2008/01/02)

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