『人声天語』第1回「名古屋」

「何故名古屋に住んでいるのか?」これは、往々にしてよく耳にする質問。答は簡単明瞭。「不動産が安い。」今住んでいる家は、箱庭付き2階建て、8・6・6・6・4.5畳の5部屋に風呂・台所・トイレ・洗面所。これで月額65000円。敷金は「改修しなくていいから」と頼んでタダに、家賃も値切って今の値段に。これでも少々高いような気もするが、家賃を8ヶ月滞納した時も笑顔で許してくれた大家さんだから、まあ不平は言うまい。

以前住んでいた一軒家は、オウム事件の時、信者のアジトと間違われて追い出されたが、幸いにも今現在、ここにそんな空気はない。なにしろ社会的には無職、即ち昼日中でも家にいるわけで、更に家に出入りする人間もまた然りなのだから、周囲から見ればかなり怪しかったらしい。髭長髪やら子連れの女性、更にはチャネラーまでいたのが災いしたか。しかしオウム信者は坊主やろ。何にせよ今は、近所の小学生どもが、私を外人だと思い込んでいる程度の誤解で済んでいるようだ。

数年前、フランスから友人が訪ねてきた際も、丁度私がツアーで留守にしており、彼は片言の「ミュージシャンの家はどこ?」の一言のみで、何と奇跡的に、最寄りの駅から2km以上もある我家まで辿り着いた。私とは全く縁がない近所の床屋が、最終的に案内したらしい。何ともどこで人は見ているのか?第一何故、床屋が我家の所在を知っているのか?

我家に来る人皆が、「ここにいると時間の感覚がなくなる」と言う。予定を大幅に遅刻しながらも重い腰を上げるのは良い方で、先の予定をすっぽかし居候化することも多々ある。たしかに我々の暮らしには、日付けや時間は全く関係ない。早い話が「お気楽極楽」な暮らしぶりである。私はどちらかと言うとライヴの予定等も少ない方なので、普段は全く「その日暮らし」である。『ACID MOTHERS STYLE』と言う我々の合言葉があり、「万難を排しても、やりたくないことはやらん、やりたいことはやる。」引き換えにしたものは、社会的信用と金か。

こんな暮らしが成立するのも、ここが名古屋だからだろう。都会の割に、不動産や物価が安い。そしてこの街に漂う「ゆるい」空気。山本精一氏もこの特別な空気感について、同意見を述べていた。私は関西人特有の「イラチ」なので、当初これが耐えられなかった。以前、大阪難波から近鉄で名古屋駅に着く度、余りの空気の違いに唖然としたものだ。世界で最もスピードが速い大阪から、ここ名古屋へ引っ越してきた当初、アストロ球団のモンスタージョ-がスローボールで目眩がするのと同様、体感スピードの違いで発狂寸前だった。そもそも名古屋弁の早口なぞ未だ会ったことがないように、全てが「ゆるい」のだ。しかし人間の順応力とは恐ろしいもので、この「ゆるさ」に慣れてくると、これほど「お気楽」なことはない。

名古屋は「偉大なる田舎」と称されるが、今日びの地域発展に躍起になる田舎よりも、よっぽど田舎らしい。これほど全く都会において必須条件であるはずの刺激が欠如し、そのかわり生活臭さが充満する大都市は、世界を色々旅しているが見たことなし。沖縄のように地元の誰もが口を揃えて「いいところでしょう。」と、やたらめったら御国自慢するような所より、未だ誰もが自慢さえしない名古屋の方が、私にはよほど気楽で都合の「いいところ」。ただし夏は蒸す。

(2001/3/9)

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