いよいよAcid Mothers Temple & The Cosmic Infernoのヨーロッパ・ツアーまで残す処1ヶ月となれど、相も変わらずヨーロッパに於けるブッキングは難航続きにて、未だ決定済みのスケジュールは全日程の半分程度。日本では到底考えられぬ有様にして、これがヨーロッパに於いては至って普通の状況であれば仕方なしと判ってはおれども、矢張り大いに心労重なれば、何とかヨーロッパも大手のブッキング・エージェントを確保したいものなり。されど今やAcid Mothers Temple & Cosmic Inferno各メンバーがツアーTシャツ制作からフライトチケットやらワークビザの手配等までをこなしてくれておれば、以前に比べ随分と楽させて貰っていると感謝の気持ち余りある。
さてツアーに先立ち、例によって新譜を幾らかリリースせんと思えばこそ、連日連夜録音に明け暮れる日々なれども、スタジオを兼ねし私の部屋は、ここ数年来、溢れ返る楽器群とレコード群にてまさしく足の踏み場もなき惨状なれば、到底快適に作業し得る環境とは云い難く、そこで人伝てにて新たな録音スペースを探しておれば、この度目出度く奈良は明日香村へ移転の運びと相成り、2tトラック満載のレコードと機材楽器群も無事運び込めば、さて片付けやら機材のセッティングやらも漸く終え、兎に角これにて快適なる作業環境を入手せり。この件についてはまた後日御報告するとして、まあ何にせよ四十路を迎えるに当たり、人生再スタートとでも云うべく心機一転、清々しい気持ちで精進する心づもりなり。
大凡20年、我が人生の半分を過ごせし名古屋なれば、矢張りいろいろ思う事も多し。そもそも名古屋へ引っ越せし理由なるは、単に大学入学の為であったなれど、何しろ大都市にも関わらず、不動産や諸物価の安さたるや、我等貧乏人にとっては有り難い程にして、御陰でこれまで幾度となく無職赤貧となれども何とか凌ぎ得たのであり、故に名古屋から離れる事を躊躇し続けたのである。(人声天語第1回「名古屋」参照)
されど名古屋に移り住みし当初は、この名古屋にて斯様に長らく居を構えるなんぞとは、到底万に一つも想像だにせぬ心情なれば、それどころか兎に角名古屋を嫌悪せし事この上なく、先ずもって名古屋弁やら尾張弁と呼ばれるあの妙に粘りっこい言葉を耳にするや、関西人である私は、何故か妙に神経を逆撫でされるらしく、怒りのボルテージはいきなりピークを越える有様にして、御陰でたわいもない理由により度々喧嘩せしものなり。そもそも大学の新歓コンパにて、上級生共の「飲めよぉ~(「の」にアクセント)」「だろぉ~(「ろ」にアクセント)」なる矢鱈と虫唾が走る名古屋訛を耳にするや、一も二もなくぶち切れれば、いきなりビール瓶を振り回して大暴れせしを発端に、居酒屋にて日雇い労働者風情のオッサン2人組の名古屋訛「でしょうぉ~(「しょ」にアクセント)」「そうじゃんねぇ~(「ね」にアクセント)」なんぞと、まるでその見てくれに似つかわしくない軟弱な言葉遣いに憤慨し、表へ連れ出すやほろ酔い気分の2人をしばきまくり、挙げ句私の勘定もさせる傍若無人ぶりを発揮してみたり、友人がヤクザ風体のチンピラに絡まれるや、そのチンピラの名古屋訛による啖呵「うるせぇんだよぉ~、おめぇ~よぉ~」「たぁ~けぇ~(「たわけ」の訛)」なるが余りに滑稽にして、思わず相手がヤクザ風体である事さえ忘れさせる程なれば、後先考えず「じゃかぁしぃんじゃ、このボケがぁ!」と、ボコボコにしばき回した事さえある。
また大抵の名古屋人は、どうやら敬語、況や丁寧語さえロクに話せぬ様子にして、たとえ目上の相手や相手に敬意を示さねばならぬ状況でさえ「だからさぁ~」「~なんだわね」「~じゃん」なんぞとため口な塩梅なれば、思わず「お前何様やねん?」「おちょくっとんか?」と、その非礼なる無神経さを疑いたくなる事もしばしば。確かに必要以上の儒教的道徳観は堅苦しく鬱陶しいのみなれど、最低限度の品位と敬意たるものは心得ておいて欲しいもの。その点関西弁は、「~ますねん」なんぞと丁寧語は云うに及ばず、「~してはる」なんぞと動詞に「はる」を付ければ尊敬語、また「~さしてもらいます」を付ければ謙譲語と云う塩梅にて、標準語よりも至って簡単な文法にて敬語を駆使し得る故、関西人は無意識のうちでさえ敬語を使う頻度が高いのである。名古屋に住んで20年経とうかと云うにも関わらず、未だに名古屋弁が全く話せぬ有様も、単に関西人のアイデンテティーと云うのみならず、斯様な理由によるやもしれぬ。
名古屋を今賑わせている話題と云えば、性懲りもなく誘致せし万博「愛・地球博」であろうか。そもそも「自然の叡智」をメインテーマに掲げ、別称「環境博」とまで銘打つならば、山林を切り開き万博会場を設営する事自体、テーマに大いに矛盾している事明白なり。稀少野生動物オオタカの営巣地が発見されるや、環境省のお達しにより、当初の主会場であった「海上(かいしょ)の森」開発を断念せざるを得ず、急遽規模を大幅縮小し、主会場を長久手の青少年公園へと変更するお粗末さ、更に現地視察せし国際博覧会事務局より「万博自体に環境アセスメントしておきながら、博覧会終了後は、山林を切り開き新興住宅地を造成するなど欺瞞であり、斯様な計画こそ旧態依然とした20世紀型の開発至上主義に他ならぬ」との厳しい批判に、結局万博跡地の新住事業も断念せざるを得ぬ下りとなれり。日本革命的共産主義者同盟(JRCL)の中央委員故高島義一氏が批判する通り、愛知万博とは、「ゼネコンと巨大企業と腐敗し切った政治家が2兆5000億円を浪費し、環境を破壊し、未来を食い潰す巨大イベント」これぞまさしく正論であろう。そもそもオリンピック、ワールドカップと続けざまに誘致に失敗せし愛知県や名古屋市が、最後に辿り着きしが万博誘致であっただけであり、既にバブルも終焉せし不況の折に、何故万博を誘致開催せねばならぬのか。99年の愛知知事選では、万博反対を掲げし景山候補が、オール与党推薦の神田候補の130万票に対し、79万票獲得と大健闘、万博反対を訴える県民の多さを物語れども結局万博は開催され、さて蓋を開けてみれば「冷凍マンモス(結局頭部のみと云うお粗末さ)」やら浜崎あゆのコンサートやら藤井フミヤの「大地の塔」やらと、そのセンスのなさは言わずもがな。大阪万博に於けるシュトックハウゼンをはじめとする電子音楽の連続演奏やらとは月とすっぽんであろうか、まあ云うまい。「名古屋だで仕方ないて、勘弁したってちょーす。」
そもそも愛知万博に先駆けて開港されし中部国際空港(通称セントレア)なるは、レストランやら温泉やらがあると云う事で、週末ともなれば万博よりも圧倒的多数の観光客共が押し寄せている現状にして「万博は入場料払わなかんけどぉ~、空港はただだがねぇ~」所詮名古屋人とは斯様な気質であろう。それにつけても一般空港利用者にとってみれば、長蛇の列を為すレストラン街等、全くもって迷惑千万、鬱陶しい事この上なしか。
斯様な名古屋人なれども、何と名古屋市内のみならず近隣にさえ遊園地なるものが存在せぬ故、遊園地にてデート若しくは家族サービスともなれば、遙々三重県の長島スパーランドまで足を伸ばさねばならぬである。これも偏えに日本で一番運賃の高い私鉄(何と競合するJRよりも高い!)名鉄の自社沿線開発と云う横暴なのであろうが、哀しいかな、名古屋は遊園地さえ持たぬ田舎なり。否、厳密に云えば東山動物園に併設されし東山遊園地なるものが存在すれども、未だ乗り物が200~300円と云う辺りからも、そのお粗末さは推察し得ると云うものか。あとは精々、名古屋港の大観覧車やら三越百貨店屋上程度しか思いつかぬ。
名古屋観光と云った処で、金の鯱が御自慢の名古屋城か、コアラが目玉の東山動物園程度、3英傑(織田信長、豊臣秀吉、徳川家康)を輩出せし尾張三河地方なれど、この3英傑皆が、安土、大阪、江戸と、この地に自らの居城を築城しなかった経緯も、どことなく頷けようものにして(名古屋城は徳川家康によって築城されたが、江戸幕府の東海道の要所として、また大阪方への軍事拠点として開かれた)結局は大して何もないのが現実なり。名古屋人に云わせれば「テレビ塔もあるて~」らしいが、東京タワーや通天閣に比べて見劣りする事語るまでもなし。せめて「ゴジラ対モスラ」にて壊されただけでも光栄と思わねばならぬ。
名古屋市内には都市高速道路が通っているが、都市高速がこれ程まで空いている都市も珍しいであろう。そもそも名古屋は、都市中心部に於いて東京の如き大渋滞は然程見られず、どちらかと云えば近郊都市に繋がる郊外の幹線道路に於いて渋滞が多い故、市内を巡行するに当たり、わざわざ750円も払って都市高速に乗る必要がないのが実状か。
何しろ公共交通機関がバカ高い上に(地下鉄の初乗り200円)JRと私鉄2社(名鉄と近鉄)が市内を殆ど通っておらず、名古屋を起点に東海3県へ繋がる幹線のみの路線展開をしており、地下鉄も漸く環状線が開通すれども、基本的には中心部から放射状に拡がっておれば、車に比べ不便な事この上なく、一方で道路は闇雲に広い故、自ずから名古屋は所謂「車社会」となれり。デートをするにも車がなければ何かと不便にして、名古屋に住む限り、車は生活必需品なれども、居酒屋にも必ず駐車場がある辺りは、何と行き届いた心配りなるか。御陰で名古屋にてライヴの打ち上げともなれば、各自皆車で来場している故、終電車の時間を気にする事もなく、夜更け若しくは朝までトコトン飲み続ける有様にして、たとえ交通安全週間等にて飲酒検問が実施されていようが、居酒屋を後にする刻限には、既に警察の方々も検問を撤収しておられると云う塩梅。路上駐車の取り締まりも、他の都市に比べ圧倒的に緩ければ、車を所持しておれど、駐車場を借りずに、何故か2車線分もある一方通行の路上等に駐車しておくのが定石であろう。
名古屋に引っ越して来て、最初に驚かされた事は、テレビで矢鱈と時代劇が再放送されし事であったか。今現在は然程でもなくなったが、20年前の当時は、朝8時45分からテレビ愛知にて「大江戸捜査網」シリーズ4作を延々とリフレインにて放映されしを幕開けとして、続いて9時50分からは名古屋テレビにて「暴れん坊将軍」を、これまたシリーズを延々とリフレインにて放映、11時からは中京テレビにて「子連れ狼」やら「木枯紋次郎」等の往年の名作群を、正午からは再びテレビ愛知にて懐かしの「破れシリーズ」やら千葉真一の「影の軍団」シリーズ等からB級カルトなものまでを、午後2時から4時までは詳細失念なれども、「長七郎」シリーズやら何やらと、そして夕方4時のCBCにて「水戸黄門」と「大岡越前」を替わりべんたんにて、これまたシリーズを延々とリフレインにて放映せしをしんがりとする、所謂時代劇メドレー放映がなされていたのである。時代劇フリークの私とすれば、四六時中矢鱈とお笑い芸人がブラウン管を賑わせる関西のテレビ番組編成と大いに異なるこのラインナップに狂喜、流石は3英傑を輩出せしお国柄と大いに感じ入りしものなれど、どうやら名古屋人はテレビ番組編成についても保守的なのか、数年若しくは10年以上にも及びし同シリーズのリフレイン放映の不可解さは、何とも解せぬものなり。
リフレイン放映と云えば、その極みたるや10年以上に及ぶ、名古屋テレビにての「特捜最前線」であったか。午前10時50分と云えば「特捜最前線」が放送されている状態が当たり前ともなる程のロングラン・リフレイン放映ぶりにして、それも全508話のシリーズ終盤に差し掛かるや、突如100話前後まで立ち戻ると云う再放送ぶりなれば、まるで始まりも終わりもない迷宮の如し、一体何を考えて斯様に不可解な再放送ぶりなるや、その意図全くもって理解出来ず。されど10時50分からは「特捜最前線」を観る事がいよいよ日課にさえなってしまえば、ふと「もし『特捜最前線』の放映が終了すれば、その後の私の人生、一体如何にして午前10時50分から過ごせばよいのか」斯様な疑問さえ生ずる有様にして、ならば「セルフ再放送」すべく全508話をエアチェックせんと思い立ち、シリーズ途中からではあれども、毎日欠かさずエアチェックせんとタイマー録画さえ駆使せり。さてそのうち漸く第1話から再放送されたかと、喜び勇んでエアチェックも更に入魂となれば、今度は突如「石原裕次郎記念館落成を祝って」と無情にも「特捜最前線」は打ち切られ、当時既に深夜枠で再放送されておりし「西部警察」に取って変わるや、その時の私の憤りたるや怒髪天を衝く処の騒ぎにあらずして、オバハン宜しく名古屋テレビに抗議の電話を掛けてみれば「当面3ヶ月は『西部警察』の放映が決まっておりますが、その先は未定です」との返事。ならばと同じく「特捜最前線」を愛せし東君達と「レジスタンス赤い十字架」を結成、名古屋テレビに対する抗議チラシを自分のライヴ会場にて配布し、「特捜最前線」の再放送と「西部警察」の速やかなる打ち切りを要求する署名活動を展開、そして6ヶ月後、遂に我々は勝利し「特捜最前線」は再び10時50分から放映される運びと相成ったのである。時折臨時ニュースやら特別報道特番等で「特捜最前線」が番組中途で打ち切られる、若しくはその予定されし話が放映されず終いの場合も、名古屋テレビへ電話攻撃を繰り返しては、見事再放送させる運びとなったのである。電話攻撃に際し、なるべく多くの視聴者からの抗議電話であるかの如く思わせる為に、友人知人にも依頼せしは勿論の事、自らも声色やらイントネーション、更には口調や抗議ぶり等さえも使い分けては、ひたすら電話し続けし故、名古屋テレビも「特捜最前線ファンは恐ろしい」と思いしやもしれぬ。御陰で私は無事に「特捜最前線」を全話エアチェックするに至るのである。
されど斯様な些細な要求さえも罷り通る程、名古屋とは田舎なのかもしれぬ。到底東京のテレビ局各社に斯様な要求をした処で、一蹴されるのがオチであろう。
さて名古屋の食はと云えば、名古屋名物の定番と思しききしめん、味噌カツ、味噌煮込みうどんと食せども、引っ越して来た当初は、その味の濃さや甘さが全く口に合わず、「名古屋って美味いもんあれへんやんけ!」と憤りし私なれども、「風来坊」の手羽先に出会うや「美味いもんあるやんけ」と認識新たにし、「味仙」の台湾ラーメンは云うに及ばず(酢豚も絶品!)、味噌串カツやら八丁味噌によるどて煮等、自分なりの名古屋名物を発見せり。また名古屋在住10年の節目を境に、遂に味噌煮込みうどんや味噌カツの美味さも理解、今や好物にさえ挙げる程なれば、漸く名古屋の味覚にも慣れたのであろう。されど未だにきしめんと味噌おでんは頂けぬ。
吉田達也氏御用達かき揚げラーメンが絶品の「高麗人参ラーメン秀和」、中寿司とあら煮が絶品にして激安のAMT御用達寿司屋「寿司の学校キャベツ畑」、また東君御用達の大衆割烹「末広屋」やホルモン焼屋「美奈都」、昨年の総まくりにても紹介せし「鶏厨房」等は、名古屋B級グルメの隠れスポットであろう。今や一楽さんお気に入りの鰺フライ定食を擁する「こめっこ」は、元祖24時間オープンの大衆食堂なれば、早朝からビールを呷れし数少ないスポットにして、また名古屋と云えば海老フリャアなれば、名古屋ならぬ知多ではあるが「マルハ食堂」の海老フライの立派さは壮観、隣の温泉に浸かりし後に食らうが定石、更にはドラファン御用達中華料理屋「ピカイチ」のキムチ炒飯、今池プロレタリアート御用達「梅田屋」のとんちゃん、今は瑞浪駅前に移転せしチャイ屋「あむりた」の日替わりカレー、また古くは、藤が丘高架下に在りしB級東映ヤクザ映画に出てきそうな雰囲気の「ぐっち」のカレーうどん、同じく学生時代に御用達であったグリーンロード沿いに在りし「浜甚」の激安天麩羅定食(夏はそうめん、それ以外の季節は茶碗蒸し付き)等も、私の20年に渡りし名古屋生活を語る上では感慨深き逸品か。
気が付けば名古屋B級グルメを堪能する程ともなれば、今や「名古屋にも美味いもん結構あるで」若しくは「名古屋ならではの変な食いもんあるで」と、名古屋を訪れし友人知人を案内し得る。
麺のこしと云うよりは、これでもかと云う程の麺の硬さに思わず閉口せざるを得ぬが、名古屋人に云わせれば「たぁ~けぇ~、何云ってりゃ~すの、これが美味いんだて!」だそうな味噌煮込みうどんの老舗「山本屋」ではあるが、兎に角たかがうどんのくせに滅法法外な値段にして、激安な関西の立ち食いうどんで育ちし私なれば「ボケぇ~、うどんになんぼも払えるかぁ!」と思う処ではあれど、この山本屋曰く「味噌煮込みうどんは御飯と頂く」そうで、御陰で御飯と漬物(大皿に大盛り)が無料で付いてくる上、お代わりも自由なり。これが果たして得しているのか、さてまた騙されているのかは知る由もなけれども、名古屋的に云えば「お得」らしい。私個人としては、高い金を払ってまで「山本屋」へ行くまでもなく、寿がきやの袋入り即席乾麺の味噌煮込みうどんの方が遙かに美味なり。
名古屋で忘れてはならぬのは、その「寿がきや」であろうか。麺メーカーにして自社のラーメン屋も出店せしは周知の通りなれど、うどんメーカーにしてそもそも何故ラーメン屋なるか。ダイエー等の大手スーパー内に出店している故、全国的に店舗展開していると思われるが、その格安感溢れるチープなラーメンは、私も高校生の折に、JR奈良駅前のダイエーへ寄り道してはお世話になったものである。スプーンとフォークが合体せし様の不思議な金属製レンゲは、スープの熱で熱せられ唇を火傷しそうになった事もしばしばなれど、あのフォークの部分は果たして必要あるのか。夏はサラダ麺なるメニューが在りしと記憶するが、一般に云う冷麺とは異なり、レタス等の本当にサラダが乗せられし代物なれば、名古屋の冷麺は辛子ではなくマヨネーズが添えられるを通例とするが、これも寿がきやが由来となるや、それとも寿がきやが真似たのか。ラーメンと並びて売られしはソフトクリームや善哉等の甘味であれば、それも女子高生やら買い物帰りの主婦連中をターゲットにせし所以か。
決してお世辞にも美味いとは云えぬチープな味なれど、どうやらディープなファンも多いらしく、これぞ名古屋のジャンクフードの定番なり。
名古屋オリジナルな味は数々あれど、代表格は矢張りあんかけスパゲッティーと小倉トーストであろう。甘党にしてパン嫌いな私にとって、小倉トーストはなかなかの逸品と云わざるを得ぬであろう、と云うのも元来嫌いである筈のパンなれども、あんドーナツと共に、時々無性に食いたくなるのである。昔付き合いし彼女の家族は、小倉トーストを「ロマンスパン」と称しておられたが、何と風情のある呼称なるや。「ロマンスパン」なる呼称が彼女の家族のみのものであるのか、さてまた愛知県の何処やの地域では斯様に呼称するのであろうかは存ぜぬ処であれど、何につけても「ロマンスパン」なる方が、「小倉トースト」なんぞと云うゲテモノ的イメージを想起させる名称より、余程風流ではなかろうか。この際「ロマンスパン」なる呼称に変更して、全国展開でもしてみれば如何?
いよいよ問題は「あんかけスパ」である。そもそもは「ヨコイ」なるスパゲッティー屋が、このあんかけスパの開祖にして、ここより暖簾分けされし店がまた暖簾分けをと繰り返せば、まるで鼠の繁殖の如く東海一円にあんかけスパ専門店が斯様に増殖せしとか。元々中華料理に於いてですらあんかけを好まぬ私なれば、況してや中華にあらずスパゲッティーなるはイタリア料理ぞと思えばこそ、ここに日本人の飽くなき食への探究心の業の深さを垣間見る事が出来ようものにして、さりとて店内もかなりの繁盛ぶりなれば、この想像だに出来ぬ逸品は、すっかりこの地方に馴染み深き定番として根付いているのであろう。いざ食してみれば、あんかけの異様さは云うに及ばず、ソースはトマトソース系と云うよりはブラウンソース系で纏められており、かなりのしょっぱさであれば、薄味好みの私としてはかなり厳しけれど、濃い味を好む名古屋人には程良い塩加減なのであろう。味より数で勝負と云う訳でもなかろうが、具のトッピングの種類の数だけスパゲッティーの種類がある仕組みなれば、ずらりと並びしメニューであれどベーシックは同じ味と云う塩梅にして、あんかけより逃れる手立ては勿論なし。この奇妙奇天烈なスパゲッティー、本場イタリア人は一体何と思うや。そう云えば、喫茶店等にて見受けられるナポリタンと呼ばれるステーキ皿に乗せられしケチャップ風味スパゲッティーも、確か元祖は岐阜の某喫茶店であると聞く。勿論ナポリに斯様な代物ある筈もなし。否、名古屋には更なるゲテモノスパがあれば、知る人ぞ知る「マウンテン」の小倉抹茶スパを忘れる訳にはいかぬ。これも偏えに小倉好きの名古屋人なればこそか。
奇妙と云えば、今池のカルトスポット「大丸ラーメン」か。午前3時から午前5時までと云う営業時間は、多分世界で最も短い類いではなかろうか。ここのラーメンは1玉半にて1人前にして、そこへ麺が見えぬ程山盛りの野菜やら肉やら具が乗せられており、そのあまりの量と諄さのせいか、私はこのラーメンを食す度に腹を壊す始末なり。客の希望にて麺をうどんに代える事も可能どころか、確か麺をラーメンとうどんとのミックスにする事さえ可能にして、また麺抜きなる通常ラーメン屋にては絶対許されぬ禁断の裏メニューさえ存在すれば、麺こそラーメン屋のこだわりのひとつであろうと思いきや、ここでは既に斯様な事さえ不毛に感ぜられる。果たしてうどんを使うラーメン屋なんぞ、日本広しと云えども、多分ここだけであろう。
名古屋に於いては、喫茶店の多さ一際なれば、住宅街であれ何処であれ、兎角其処彼処に喫茶店が犇めき合う有様。今や全国的にも有名になりし「名古屋モーニング戦争」、コーヒー代金のみで豪華な朝食が付いてくるのであるが、各店いろいろ創意工夫を凝らし凌ぎを削る様は、まさに戦争さながらか。
嘗て藤が丘駅前に在りし喫茶店「ラブラブ」では、モーニングにトーストやらサラダやらベーコンエッグやらに加えマイルドセブン1本が添えられており、思わず「トーストいらへんからタバコ2本にして」と頼みし事さえある程に、何と気の効いたオリジナルなサービスたるや。またこの店には名物として、ホワイトソースが添えられしオムライス、カトリーヌ御飯なる逸品が存在すれば、今は亡き近鉄バッファローズのファンたるマスターによる奇妙奇天烈なメニューは、マリファナスカッシュなるソフトドリンクをはじめとし、これだけに止まらず、また大盛りは必ず「チョモランマ!」とオーダーせねばならなかった。
名古屋を中心に展開されし喫茶店チェーンも多く、中でも藤が丘から尾張旭や瀬戸にかけてチェーン展開されし喫茶店「べら」は、ウインナーコーヒーが定番にして、紅茶ですらヨーロッパ風豪華絢爛なカップにて生クリームを浮かべし代物もあり。また愛知県全域に展開せし喫茶店チェーン「コメダ」のシロノワールなるアイスクリームが乗せられし巨大デニッシュは、これも名古屋の隠れた名物と云って差し支えなかろう。
嘗ては近所にお気に入りの喫茶店の1軒や2軒あったもので、「木曜日」と云うコーヒー専門店は当時住みしアパートより徒歩30秒なれば、コーヒーの味なんぞ大して判りもせぬ癖に、時折ふらりと訪れしものなり。マスターのコーヒーへの拘りの果て、食べ物どころかコーヒー以外の飲み物さえメニューにはなく、アイスコーヒーさえ邪道と抹消された程にして、また主婦連中の溜まり場になる事を避けんとする挙げ句、コーヒーの値段はどんどん釣り上げられ、確か1杯600円であったかと記憶する。
同じく藤が丘に在りしカルトスポット「パンプキンポンプキン」には、名物マスターJimmyさんより常連客であった稲垣さんが引き継ぎし後も、随分足繁く通いしものなり。ランチメニューのチキンライスは強烈なガーリック風味にして大ファンであり、また夕方仕事前に立ち寄りては、山の幸ピラフとチャイを、毎度遅い昼食として食しておれば、挙げ句オーダーせぬうちからこの2品がテーブルに並べられる有様。今でもあのランチのチキンライスの味が、ふと恋しくなる事あれば、また当時の彼女と知り合いし思い出深き場所でもあったか。
大学受験にて初めて名古屋を訪れし折、地下鉄にて乗り合わせし小学生数名に「自分ら、カーネル・サンダースがおるとこって何処やったっけ?」と訊ねてみれば、「ケンタッキー・フライドチキン」との普通の答に大いに失望せしも、今は昔20年前の事。当時私が期待せし答とは、勿論「ケンタッキー・フリャードチキン」であった事は云うまでもなし。
(2005/4/30)