『人声天語』 其の参:EUROPE編 第81回「嗚呼、スイス…」

11月19日、朝5時起床、7時半にカフェがオープンするので、それまでシャワーを浴びてのんびりする。7時半の開店と同時にカフェへ赴き、コーヒー、サーモンサラダ、クロワッサンを食す。今日の弁当にとクロワッサンとエビサラダも購入しておく。

午前9時半、スウェーデンはStockholmに到着。バスにてセントラル・ステーションへ移動。いよいよ列車移動によるヨーロッパ・ラウンドがスタート。


12時過ぎの列車でKobenhavenへ向かう。この列車に乗車する際、車掌に喫煙車両の所在を訊ねれば、「No, You’re LUCKY!」と皮肉られる。「駅で停車している間に外へ出て吸え」と云われ、何度か停車する度に吸いに出ようとするのだが、その度に車掌に「ここはやめておけ、次の駅で長く停車するから」等とアドバイスされ、なかなか吸う事が侭ならぬ。結局この列車は、発車予定時刻の4分前にStockholmを発車し、終着駅デンマークのKobenhavenに15分も遅れて午後5時半到着。今度は6時51分発のKoln行き夜行列車に乗車。東君と2人で、喫煙コンパートメント(個室席)を占拠。2人してフェリーで購入したボトルをチビチビやりながら弁当を食し就寝。今日は殆ど1日を列車内で過ごした。目的地のスイスはまだ遥か彼方である。

11月20日、ドイツのKolnに朝6時51分着。ここで漸く「ユーロ」が再び使える。昨日一日は、スウェーデン、デンマークと、共に「ユーロ」が使えぬ国ばかりを通って来た為、フィンランドにて予め購入しておいた食料で凌がねばならなかった。Koln駅構内にて、待ち時間1時間を利用して食料の買い出し。こちらでは、駅とは云えど、キオスク、カフェやバーからサンドウィッチ・スタンド等のファーストフード店は勿論の事、スーパーマーケットからブティック、ビデオ屋、本屋、雑貨屋、挙げ句は電器屋まで、まるでちょっとしたショッピング・モールの如くであり、まず大抵の物は入手出来る。今晩はスイスのBerneにて宿泊予定。スイスでは再び「ユーロ」は使えぬ為、ここで当面の食料を補充。今日の朝食と昼食にと、本場のハンバーガーを、今晩の為にとパスタ1束、トマト1房、クノールの粉末スープ、万が一キッチンがない場合を考慮してカップスパゲッティーを1個、更に折角のドイツなのだからとビールと赤ワインも忘れず購入。万全を期した上で、BerneのオルガナイザーSandoroに到着予定時間を電話で知らせる。

7時56分発Basel行きのECに乗車。1等喫煙コンパートメントを占拠せんと乗り込み、独りで優雅にシガーをふかしていたおやじを叩き出し、東君と共に再び2人で占拠。何せ東洋人にして髭長髪のルックスはかなり異様らしく、先の夜行列車に於いても、我々が占拠していたコンパートメントに1人のおやじが入って来ようと顔を覗かせたのだが、酒瓶片手の我々を見るや「OK…」と言い残し立ち去ってしまった。それに対し、津山さん+Cotton+夘木君組は、毎度誰彼問わず乗り合わせて来るようで、これは我々の作戦勝ちと云った処か。何しろ膨大な荷物を抱えている為、コンパートメントを定員通りの6名なんぞで共有するなんぞ、端から無理な相談である。車窓から伺える川は、どれもこれも凄い増水ぶりで、中州に建つ城も水没している。そう云えば、今年ヨーロッパは大洪水に見舞われたとニュースで観た事を思い出す。

スイスのBaselにてMilano行きに乗り換え、午後2時半Berneに到着。これにて北欧からの大移動も無事終了。駅までSandoroが迎えに来てくれている。津山さんは、以前「Japanese New Music Festival」の折に彼に会っており「売れてへんハリウッド俳優みたいな男前」と、何やら判ったような判らぬような説明してくれていたが、いざ会ってみればまさしくその言葉通り。屈託のない笑顔が素敵な好青年。

彼が働くクラブDachstock Reitschuleまでは徒歩5分、皆で歩いて今夜の宿泊先であるクラブを目指す。Sandoroは駅構内に置いてあるカートを拝借しCottonのスーツケースをクラブまで運んでいる。「おいおい、そんなんええんか?」まあいいだろうと、東君もカートを拝借し彼に続く。途中でふと中古レコード屋を発見、されど私はスイスフランにチェンジする事は避けたいので、スイスではレコード屋には行かぬと固く決意している。

辿り着いたクラブDachstock Reitschuleは、京大西部講堂をより大きく綺麗にしたような感じである。今宵は日本人によるパフォーマンスが行われるらしく、明日は羽野さんとブロッツマンのデュオ、明後日はAMTと、偶然にも「Japan Week」になってしまったらしい。我々は、ここBerneを拠点にしてスイス3公演を回る予定。Sandoroからクラブ2階の1室を宛てがわれる。2段ベッドが3つ並ぶ清潔そうな部屋。隣室には今宵のパフォーマンの連中がかれこれ1週間も宿泊しているらしい。共同キッチンとシャワーもあり、これで自炊も出来る。

クラブのバーカウンターにて、Sandoroがビールを振舞ってくれる。今宵は出演者でないにも関わらず、ディナーも用意してくれているらしい。これは嬉しい限り。Sandoroの「あとは勝手にやってくれ」の一言をいい事に、Cottonと東君はクラブのバーカウンターにて「Bar Pardons」を急遽オープン、ビールの大盤振る舞い。


されどカウンターレディーのCottonはひたすら飲むのみで客の相手もせず、アルバイト失格を通告される。

長旅で疲れたので昼寝。津山さんは早速先程見つけたレコード屋へ。ひと眠りして起きると、津山さんがひどく興奮して帰って来た。兎に角物凄い在庫らしく「絶対行かなあかんでぇ!」それならば「ちょっと見るだけ」と云う事で、明朝一緒に行く事にする。

ディナーは半地下のレストランにて、ポークチョップとパスタ、それに勿論赤ワイン。見るからに繁盛してる様子で店内は満員、それも納得出来る。

2階の冷蔵庫にはSandoroが「Acid Mothers Temple」と書いたビールケースを冷やしてくれており、ビールを飲み倒して爆睡。当然今宵の日本人によるパフォーマンスは興味もなく観る筈もなし。そもそも「芸術家気取り」の輩とはウマが合わぬ。パフォーマンスは男性1人のみで行われる様子だが、御大層にも照明や音響等のスタッフも含め総勢数名の若い男女混合チームにして、その鬱陶しさは云うに及ばず。どうやら100万円以上の多額の助成金等を貰って今回のツアー(と云っても2~3公演のようであるが)を行っているらしく、ノリもまるで修学旅行か観光旅行かの如し。それにしてもお役所とは斯様にしょうむないもんに税金を費やしておるのかと思えば、何とも腹立たしいではないか。当然こいつらと口をきく気にさえならず、ひたすら無視することに徹底する。女性もいるのであるから、せめて共同キッチンぐらい片付けろよなぁ、ボケがぁ~。

11月21日、朝6時起床、久々によく寝た。朝からパスタを作り食す。レコード屋は10時開店なので、それまでシャワーを浴びたり今宵のライヴの準備等して時間を潰す。

津山さんと共に、10時の開店と同時にレコード屋に突入。いやあ、これは凄い! まさしく宝の山! 膨大な量の古楽、民族音楽、サントラ、サイケ等、まるで未発掘の遺跡に巡り会った盗掘家の気分である。取り敢えずこれは抜かねばなるまい。明日になれば、今夜のギャラでスイスフランを手にしている筈であるから、店主に頼み「取り置き」して貰う。先週からギターの弾き過ぎでパックリ口が開いている左手中指指先の負傷箇所が、今度はレコードの見過ぎで擦り剥け痛い、されどこの膨大な量のLPを見過ごす訳にはいかぬ故、痛さを我慢して猛スピードでチェックする。

午後2時、クラブへ戻り、今夜のライヴが行われるWinterthurへ出発する用意をする。丁度今夜ここで演奏する羽野さんとブロッツマン御一行が到着。羽野さんともブロッツマンとも久々の再会なれば、手短かなれど挨拶し、我々は駅へ急ぐ。

Winterthurへは列車で2時間、午後5時に到着。バスで2区間、今宵の会場であるGaswerkに到着。レコード屋へ行っていた御陰で昼食を食い逸れた上、スイスフランを所持しておらぬ故に何も買う事が出来ず、あまりの空腹にして、クラブに到着するや、楽屋に用意されていたスナック類を貪り食う。

ここで久々にショボいアンプ群に遭遇。これは辛いライヴとなりそうである。

軽くサウンドチェックを済ませディナー。ここの女性スタッフ達が作ってくれたスイス料理だそうで、何と茹でたマカロニに甘酸っぱいアップルソースを掛けて戴くと云う代物。パスタ好きの東君は「それほど不味くない」と平然と平らげているが、私を含めた残り4名は、一口食べてギブアップ。そもそもパスタの後味が甘酸っぱいなんぞ、私には理解不能、何故斯様な不味い料理方法を考えつくのか。

今宵はAMTのワンマン、されどスイスにて作品がディストリビュートされているとも思えず、果たして客は来るのか。以前、津山さんがRuinsと「Japanese New Music Ferstival」で、BerneのDachstock Reitschuleにてライヴを行った折は、客はあの広いスペースに僅か30人だったと聞かされ、一層不安は募る。されど蓋を開けてみれば、ほぼ満員の入り。ショボいアンプに泣かされつつも、ヤケクソで大暴れ。アンコールでは、「アルプスの少女ハイジ」のテーマ曲まで導入されたスイス・バージョン「God Bless AMT」を披露、大いに盛り上がる。されど負傷している左手中指の傷口に弦がめり込み、傷口が更にザックリ開いてしまった。スライドする際、流石に猛烈に痛みを感じる。加えてワウがぶっ壊れてしまった。

終演後、クラブのスタッフと赤ワインを片手に雑談。宿泊は近くのホステル。このホステル、広い部屋にベッドのみが幾つも並べられているだけの殺風景な、まるで病院の如き様相。他の宿泊者は軍隊関係者のようで、迷彩服の男が時折うろうろしている。勿論室内禁煙にて、ロビーにて東君と夘木君とCottonとでワインを飲み、午前4時就寝。

11月22日、午前7時、朝からの小雨の中、早々にホステルを出発し、一路Berneのレコード屋を目指す。結局、朝10時の開店にさえ間に合う。昨日のギャラはUSドルで貰った為、スイスフランは未だ所持しておらず、結局チェンジせねばならぬ。ならば…と、脳汁分泌に加速がかかり、もう際限なしにLPを抜きまくる。ボビー・ボーソレイユの「Lucifer Rising」のLPをはじめ20枚以上購入。結局400ユーロをチェンジ。されどこの店のディスカウント率が素晴らしく、550スイスフランを320スイスフランにマケてくれた。これは嬉し過ぎる。斯様に安いなら、明日もまた来ようと云う事になる。睡眠時間が短かった上、レコードを見て疲れたので昼寝、のつもりが起きてみれば夕方5時半。今宵はここDachstock Reitschuleにてライヴであるが、未だリハをやる気配さえなし。6時半に漸くサウンドチェック開始。今宵もワンマンなれば気も楽である。

リハ後、再び半地下のレストランにてディナー。今夜はステーキとパスタ、昨日の激不味料理とは打って変わり美味しく戴いた。

今夜も客入りは良く、遥々ドイツから来たと云う輩もおれば、何とも有り難い事である。演奏の方は、ツアー中盤に差し掛かり、全員かなり疲れ気味なればこそ、より一層激しさを増し、況してやこの日をとても楽しみにしていたと云うSandoroの為にも、凄まじいテンションで燃えまくる。Cottonはシンセスタンドに登り、シンセを膝の上に乗せて演奏、東君もシンセを振り回している。モニターからの東君のギターがあまりに喧しい為、ステージ横、丁度私のすぐ横のモニターミキサーに、音量を下げてもらおうと合図を送るのだが、このミキサーの女性、すっかりノリまくって「ハイドパーク」状態で踊りまくっており、まあ仕方なしと諦める。ツアーに於いては、時折モニターミキサーがサボって読書したり居眠りしている様を目撃しては、激怒してどつきに行く事はあれど、踊っているならこちらも悪い気はせぬもの。アンコールは、再びスイス・バージョン「God Bless AMT」大いにウケ、スタッフにもう1曲演ってくれと懇願されるが、こちとらすっかり疲労困憊にして、御丁重にお断り申し上げた。

終演後はSandoroのDJタイム。かつてZeni Gavaがここを訪れた際に置いていったと云う、彼の秘蔵の日本酒の樽を「今日こそ開けるに相応しい特別な日だ!」と開ける。日本酒片手に、Ruins、想い出波止場、Pink Floyd、Zappa等、客の反応なんぞ関係なしに彼のお気に入りをプレイし続ける。私と東君も久々の日本酒に舌鼓を打ちつつ、私は照明係のブロンド女性と話し込む。明け方近くなり、遂に客が誰もいなくなっても、Sandoroは「これからが楽しい!」と独り大爆音でDJを続けている。日本酒の樽も空となり、ほろ酔い気分にて就寝。

11月23日、朝11時起床。流石に日本酒とワインのチャンポンはキツい。猛烈な二日酔い。あの鬱陶しいパフォーマンスの連中は、ここに1週間も滞在した挙げ句、漸く今朝早く何処ぞへ発った様子だが、キッチンに鍋や食器の類いがひとつも見当たらぬ。どうやら全て彼等の持ち物だったようで、そうとは知らず、鍋に如何にも不味そうな欧風煮込みなんぞ作ってあれば「ボケェ~、こんなもん入れてあったら使われへんやんけ!」洗い場に食器が山積みされておれば「 使ったら片付けとけ、アホがぁ~!」等と、悪態をつきまくったもので、彼等にしてみれば我々こそ「なに勝手に使っているのよ!」と文句のひとつも言いたかった事であろう。

レコード屋は、土曜日の今日は12時開店であるので、津山さんと東君とで再び突入。ひと通りのコーナーをチェックし終え、なにげに普段はチェックせぬ「Soul Funk」コーナーにグランドファンクが混ざっているのを発見し「何でやねん? Funk違いやんけ…」と抜いてみれば、その後ろからGTO’sのオリジナルが! これはここの店主の罠なのか悪戯なのか、ともかくGTO’sを抜き出し、更にムード音楽やらサイケのリイシューやらを買い込む。兎に角ここにはPsychoやらEvaやらの懐かしいブートリイシューLPが売れ残ってゴロゴロ転がっている。結局ここで買ったLPは段ボール1箱分となり、とても持っては移動出来ぬので、Sandoroに日本へ送って貰うよう依頼。

午後3時半、今夜ライヴを行うGenovaへ出発。明朝、再びここへ荷物を取りに来る事にし、機材のみの軽装備。午後5時半、Genovaに到着。駅にはクラブのスタッフが迎えに来ている。今宵の会場Kab Usineは、何やら陰気な雰囲気。PAのチェックの際もBGMさえ流さぬし、ミキサー独りにて照明も殆どつけず暗い中でサウンドチェックを行う。今夜は前座があるらしく、Cat Hopeと云うオーストラリアの女性ベーシストのソロらしい。この女性、顔も酷い事この上なく、巨漢のデブであるにも関わらず網タイツなんぞ履いており、見ているだけで気分を害する。更に音の方も酷いもので、一種のノイズ・ミュージックであろうが、弓弾きしてみたり、山のようなエフェクターをテーブルにセットし、それはそれは電気の無駄遣いとしか言い様のないゴミ以下の雑音を生み出している。

ディナーはクラブ内のレストランにてインドネシア料理。されど大嫌いな香草パクチーの風味が強烈にて、パクチー好きの津山さんを除く全員が拒否。況して私の向いには、このデブ女が鎮座しており、汚らしくこの料理を口に運ぶ様は、見ていて思わず嘔吐しそうにさえなる。幸いにして、列車の中で、駅の中華料理店にてチャーハンをテイクアウトし食していたので、取り敢えずは問題なし。赤ワインのみを戴く。

フランスのGrenobleのオルガナイザーXavierが、友人3名と共に遥々やって来た。今回、Grenobleでのライヴが実現しなかった為、わざわざここまで観に来たのである。Jeromeと名乗るスキンヘッド野郎が、楽屋にパスティスのボトルを携えやって来たので、そのボトルをせしめる。ビールは飲み飽きていたので丁度よい。

さてあの巨漢女のライヴが始まれば、Cottonが「一見の価値あり」と云うので観てみる事に。これは本当に酷い。妙にセクシーな衣装を着ているので、気色悪さが増長される。

会場は今宵も満員、私は左手中指にテーピングしての演奏。されどテーピングなんぞものの一瞬で摩滅し、されどこの夜も凄まじいテンションの演奏なれば、痛いなんぞと云うてもおられぬ。

終演後、空腹のあまり、先日買っておいたカップスパゲティーを食す。明日は早朝6時半の列車に乗らねばならぬのだが、既に午前4時半。クラブのキッチンから赤ワインを1本、明日の列車内で飲もうと盗み、楽屋のソファーにて全員就寝。果たして起きられるのか。

(2003/2/20)

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