『人声天語』 第122回「まほろばロック」

国のまほろば奈良は明日香村の、更に人里離れし山奥の、そのまた山頂に佇む某寺院へ、レコーディング・スペースを含むAMT総本山(SHOPZONEを除く)を移転せしとは、前回も少々触れれども、さてそれにしても何たる長閑さなるか。石舞台古墳や高松塚古墳をはじめ、至る所に寺社仏閣や旧跡が点在しておるも、矢張り日本最古の都なればこそ。仏像愛好家でもある東君が以前「奈良は京都に比べて空気が遠い」と述べておれど、奈良は斑鳩の里にて育まれし私にとっては、何しろ世界遺産法隆寺が格好の遊び場であり中学校への通学路にしてみれば、斯様なニュアンスは何とも理解し辛く、「奈良と云えばヤンキーの街」程度しか連想出来ねば、奈良に対して格別な憧憬さえもなし。
自分にとって奈良は地元と云えば勿論地元であれど、斑鳩と云う場所が比較的大阪に近かった事もあり、高校生の時分より、大阪にて遊び回り果てておれば、また当時よりライヴ活動も大阪にて行っておればこそ、音楽関係の友人達も殆ど皆大阪在住にして、思い返せば奈良にはあまり縁なき暮らしぶりであったか。精々中学時代に自転車にて寺社仏閣巡りなんぞしてみたり、高校時代にデートで奈良市内を散策した程度。況して明日香村を含む奈良中部なんぞ、自分の最寄りの鉄道がJR関西線(現在の大和路線)なれば、単線にして電化も遅かりしJR桜井線なんぞ利用せし事、我が人生にて今だ皆無にして、況や近鉄にしても、高校の通学時に北和を横断する奈良線や郡山以北の橿原線は使えども、それより南なんぞまるでこの世の果てのような気さえすれば、余程の所用でもない限り利用せし事なく、また名古屋に移り住みし以降、近鉄特急にて難波ー名古屋間を往復する折も、八木でさえ単に通過するのみにして、降り立つ事なんぞ皆無であったか。

さて斯様に実はあまり馴染みなき明日香界隈及び奈良中部であれど、矢張り盆地育ち故、山が見えると云う事だけでも心持ち大いに異なれり。況して子供の頃より見慣れし金剛葛城と云う山々は、斑鳩から臨めし姿とは角度こそ違えども、矢張り同じ山々である事はその稜線から一目瞭然、金剛葛城から二上山や生駒山へ続く稜線を眺めて高田バイパスから南阪奈道を運転すれば、ふと東君の「奈良は空気が遠い」と云う言葉さえ思い出させる、何か特有のスケール観さえある。

明日香の山奥へ移りて既にひと月半、庭に咲きし八重桜も散り、代わって今は藤が満開なり。すっかり鶯と雉の鳴き声にて目を覚ます暮らしぶりなれば、市街地の喧噪も今は昔、狐やら狸やら野兎やらに遭遇しては、嗚呼、これぞ一体太古の日本の当たり前の景色ではなかったか等と思えばこそすれ、果たして斯様な静寂の中で、果たして音楽とは本当に必要なのか等と、思わず自問自答さえする始末。最初の2週間は電話さえ、3週間はインターネットも開通しておらなかった為、友人の近況どころか世情さえ全く存ぜぬ有様なれば、当初暫くは無性に不安に陥れども、ある時よりふと気にならなくなるや、これこそ何ともお気楽極楽な暮らしぶりにして、では電話もネットも開通せし今、再び雑務に追われる有様なれば、何ともあの不便なひと時が懐かしきかな。携帯電話は持たぬ故、近頃の若年層に於ける「携帯がない生活なんて考えらんな~い」なんぞ全く理解に苦しむが、されど確かに私も今やインターネットがなければ仕事にならぬのも事実にして、何とも便利であると云う事は、如何に人々の暮らしを貧しいものにしているのであろうか。携帯電話普及以前は、約束の時間と場所は絶対であれど、今や気楽に携帯電話にて変更される有様なれば、携帯電話を持たぬ私なんぞ「携帯持ってないんですか!困りましたね…」と、不条理にも叱責される始末である。「携帯なくて何が悪い!」自分の生活に於いて不要なればこそ、そもそも誰でも持ってる思うな携帯電話、なんで赤の他人のワレにそんな事ぬかされなあかんねん!
斯様な下りのお蔭か、iBookに向き合いネット徘徊する事も大いに苦痛となれば、ツアー前故の諸事確認メールをチェックするのみにして、ふと気付けば、今までネット徘徊なんぞと云う不毛行為で如何に人生を無駄に費やせしか。またテレビもビデオも置いておらねば、飯を食らいつつ、ついついテレビを観る悪癖もなくなりて、そのままダラダラとテレビの前に鎮座しては惰眠を貪る事もなし。子供の頃より無類のテレビ好きにして所謂テレビっ子でありし私なれば、今までの40年間の人生に於いて、情報と云う甘い罠にハメられし時間、大凡半分以上を占めるのではなかろうか。勿論テレビから学びし事も多かろう、今の自分の人格形成もテレビなくしては全く異なりしものであっただろう、その点について後悔するつもりは微塵もないが、低能低俗な芸能人バラエティーやら下衆なドラマばかりが蔓延する昨今のテレビでさえ、ついついダラダラと観てしまうテレビの中毒性を断つには、これは良き契機たるやもしれぬ。

山頂の寺院に居を構えているお蔭か、あまりに圧倒的な大自然と向き合っているせいか、仏教徒にあらざる私であれど、何か迷信深いものを感じざるを得ず、せめて毎日曜日は本堂の清掃をしてみたり、毎朝本堂の風通しをするついでに本尊の阿弥陀如来に線香の1本と云わず3本程を上げてみたり、ふと思い立ちて庭掃除に精を出してみたり、付近の道にて山菜採りのハイカー共が投棄せしペットボトルを片付けてみたり、何故か斯様な気持ちになるのである。時折訪ねて来られる津山さんが「俺が山にいる時と同じや」と笑っておられたが、「俺の山にゴミ捨てんな、ゴミは街に捨てえぃ!」と宣う津山さんの心持ち、僅かばかりなりと理解出来ようか。
陽が沈めば、奈良盆地の夜景がパノラマの如く一望出来る山道途中のポイントに、若いカップルが乗り合わせし車なんぞ停められており、当方未だ此の地に越してふた月にも満たねども「お前ら、わしの山でなに乳繰りおうとんねん!乳繰り合うんやったら、わしも仲間に入れんかい!」なんぞと烏滸がましくも思う始末。

されど山道を10分弱車で下れば、漸く小さな集落に辿り着ける程の僻地にして、当然買い物なんぞ易々と行ける筈もなければ、今や2週間に1度の割合にて、同じく奈良県在住であるユープタワーの萱沢君に御教示頂きし激安卸屋スーパーヨシムラへ行く程度、銀行やら郵便局やらへの用事も、余程至急を要する事がない限り、週に1度まとめて済まそうと思う処なれど、ひたすら日がなレコーディング三昧の日々を送っておれば、ともすれば日付や曜日も疎くなりにけり、先日も夕方に郵便局に出向けば扉は閉ざされており、はて何故と首傾げておれば、実は土曜日であったと云う有様。何ものに邪魔されるわけでもなく、一切の煩わし事からも離れておれば、朝5時半より夜中2時半まで、ひたすらテープを回し続ける事もしばしば。お蔭でAcid Mothers Temple & The Cosmic Infernoは、結成5ヶ月にして、既に6枚のスタジオ録音アルバムが完成、秋までには全てリリースされる運びである。

何しろ標高約570mである、先日下界の気温が30度近くまで上昇した真夏日でさえ、それでも未だ肌寒い程にして、陽が落ちれば今だに薄手のセーターが必要な程、就寝時ならば毛布2枚に掛布団2枚を被っている程である。元来寒さには滅法強い事を売りにせし私でさえ、5月中旬にしてセーターやら毛布2枚なんぞが必要だとは、まさか夢にも思わぬ処。名古屋ならば4月よりクーラーを稼働させる塩梅なれど、今年は未だ「暑い~っ!」と汗を流した事もなければ、お蔭で精神状態も至って平静穏やかにして、このままでは人格さえも変貌してしまう勢いであろうか。
夜ともなればまさしく真っ暗闇にして、月や星の眺めが何と素晴らしい事か。子供の頃に拝んで以来の天の川さえも、今夏は久々に拝めるであろう。流星群による天体ショーなんぞでなくとも、毎日が充分に天体ショーであれば、況してや満月の折なんぞ、月の音さえ「ギィイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ~ン」と聞こえる程、まあ何と幸せな事か。久々に見る種類豊富な昆虫群、そこらを闊歩する野生動物群やら、遥かに見上げねばならぬ樹々やらを眺むるにあたり、今までが都市の喧噪の中にて忙殺されん程の暮らしぶりなればこそ、長きに渡りて忘れ去りし何か、斯様なものをふと思い出したような気さえすれば、「自然の中に住んだからって、一体何が変わる云うねん。ほんなもん本人次第やろが!」嘗て斯くの如く思いし私なればこそ、似非ヒッピー親爺共とも相共感せしものなく、偽善的且つ独善的エコロジストやらナチュラリストやらを仇敵として来たものであるが、果たして自分もいよいよあの輩共と同等のカスに成り下がるや。せめてヒーリング・ミュージックやらのニューエイジ系の音楽を演奏せんと思わねば大丈夫か。
嘗てDaevid Allen宅を訪れし折、彼の果てしなきパワーはオーストラリアの大自然が源であると伺った事あれば、せめて私も彼の如きになりたいものなり。

周りに人家は数軒にして、人が訪ね来るも至って稀なり、そもそも独りにて気侭快適にレコーディング等こなしておれば、これぞいよいよ隠遁ギタリストの「まほろばロック」たるや。
「ド田舎生活1年生、アルバムたくさん出来るかな?」

 

 

 

 

(2005/5/18)

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