『人声天語』第3回「外酒顛末記」

私は、基本的に一人で外に飲みに行くことは、まず皆無。だからといって、だれかと飲みに行くかと云うとそうでもない。では下戸なのかと云うと、多分人並みぐらいは飲む方だ。勿論酒が嫌いなわけでも無い。なんでも普通、世の中の人達は皆結構飲みに行くそうで、私が「外に飲みに行かない」と言うと、怪訝な顔をされることが多い。大概は我家か友人宅にて、自分達で肴を作って焼酎をやる。金もかからないし、時間も気にしなくていい。酔い潰れても安心して寝られる。なにより下らないBGMや、煩わしい他の客や店員に苦しまなくてよい。不味いアテに文句をぶちかます必要もなし。

そもそも居酒屋なるものに行ってもロクなことがない。

かつて名古屋に引っ越してきたばかりの頃、近所の安居酒屋で、隣に座ってた肉体労働者2人が「~でさぁ…」「~じゃん。」等と名古屋弁(若しくは標準語)を喋ってるのに腹を立て(日本中どこでも肉体労働者は全員大阪弁だと思い込んでいた)表に連れ出しボコボコにシバいたことがあった。あれも今思えば、「安居酒屋」等と云う空間が生み出したトラウマだったのか。十代の頃、朝から大阪の新世界辺りでコップ酒をあおってたりしてたことが、このようなトラウマを育んでしまったのか。

東京の下北沢で、AMTの東君とたまたま見つけた「おでん屋」に行った時のこと。高架下にある、そのド汚い裏ぶれた佇まいから、我々は「ディープな東京」を感じ取り、暖簾をくぐった。オバハン一人でやってる4席程のカウンターのみの狭い店。メニューも「おでん」のみ。これぞよくドラマで目にする「おでん屋」ではないか。(おでんのみの屋台なんぞ、名古屋ではお目にかからない。)親し気に話してくるが決して愛想が良いわけでないオバハンの息子自慢を散々聞かされ、旨くもないおでん(そもそも東京に旨いもんなんかあるのか?)とビール何本かを平らげ、いざ勘定。すると何と5千円!ここはボッタクリの店なのか、我々がそんな請求に屈する筈はなく、文句言いまくって、結局自分達で妥当であろうと思われる値段を勝手に査定し置いてきた。オバハンは、何やら暴力団がどうのと脅しをかけてきたが、別段何も事件は起こらなかった。ド渋の店構えにつられて入った店に、大体ロクなことはない。

かつて聖家族と云うライヴハウスで働いていた(と言っても給料はほとんど貰えず、タダ酒が飲めることが見返りだったが…)時、仕事帰りに、同僚であった(またしても)東君と店の近所の屋台村で一杯やることに。以前知人に連れられて来たことがあったのだが、その店は満員だった為、隣の店に。客入りが悪いことは即ち不味い、その店も例外ではなく、とんでもなく不味いアテの割に割高な値段設定。思わず二人して「こんな不味いもんにこんな高い金払えるかぁ~、ボケェ!」とほざきまくってしまった。さて帰ろうと自分の車に乗ったのだが(名古屋は飲酒運転天国)気がつくと交差点で右折待ちのまま熟睡していた。私は「居眠り運転のプロ」の自負があったので、こんな体たらくは初めての事。気を取り直し運転を再開、一路家路を急いだのだが…。

…はて、車が止まっているような気がして、ふと目を覚ますと(再び眠っていた…)フロントガラスは割れ、膝の上には何故かカーステが。これは電信柱にでもぶつけたかと、慌てて逃げようとシフトレバーを探すと、ある筈のシフトレバーは何処に。仕方がないので外へ出ようとすると、ドアがひん曲がって出られない。何とかハッチバックから脱出。結局さっき眠ってしまっていた交差点から、100メートルも離れていない次の信号の手前で、路肩に駐車してあった車に激突したようだ。それもぶつかった衝撃にも気付かず眠ったままだったようだ。 左側の 路肩に停まっていた車に激突した為、助手席は完全に消失してしまっていたが、運転席は奇跡的に無事で、多少の怪我はしたが九死に一生を得た。

翌々日、何も知らない東君から、何と「帰宅してから24時間爆睡していた」と連絡あり。どうやら我々は、昨夜の店のオヤジに一服盛られたらしい。あわや、不味いもんを食わされた挙げ句、命まで払わされるところだった。この店は、その後潰れてしまったらしい。

(2001/3/30)

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