私達が働いていた「聖家族」と云う場所で、いろいろとアンダーグランド系のライヴを企画するようになる以前の数年間は、名古屋に於いて東京や大阪等のアンダーグランド系ミュージシャンのライヴを観る事はかなり困難だった。俗に言う「名古屋飛ばし」と言われるやつだ。96年大晦日、 ライヴハウス「聖家族」は閉店を余儀無くされ、しかし名古屋に何らかの形で「種を蒔いた」と実感した私は、「今度はあなた達が何かをする番です」と店の月刊通信に連載していた「人声天語」最終回に書き残し、自分はこれから何をすべきか考えていた。
そして閉店して一月にも満たない97年1月に、「ACID MOTHERS TEMPLE」と言うバンド名や共同体名と同名のレーベルを東君と設立。動機はいたって簡単。「自分達の出したいものを出したい時に出す。」当時、私はギター・ソロ作品をリリースしたかったが、どう考えてもそんなに売れるとは思えず、他のレーベルから出す事を躊躇せざるを得なかった。ましてギター・ソロのような即興一発録りのものは、「生もの」のようなもので、5年後にまだ売れ残っている作品を売らねばならない等と云う事にでもなれば、ほとんど生き地獄となろう。なるべく録音→リリース→完売という行程を短期間でやってしまいたかったが、プレスすれば納期まで時間もかかるし、まして少数プレスではコストが割高になってしまう。かと言って1000枚もプレスした日には、一生在庫と戦わねばならない等と、すっかり途方に暮れていた。
そんな折、某レコード店がCDRなるものでレア盤のブートレッグを作っている事を知った。CDRの存在はまさに渡りに船だった。早速CDRレコーダーなるものを2台購入することを決意。しかし社会的に無職の我々に、1台15万円もする代物を購入する経済力はあろう筈もない。また当時、CDRはまだそれほど普及しておらず、ディスク単価もかなり高かった。当然銀行が融資してくれる筈もなく、某金融業者から借り入れすることになった。(これが我々の失敗だったか。)最後まで難題だったジャケットも、妹夫婦のデザイン事務所ELFと東君の友人の写真屋さんの協力により解決。これでようやく我々のレーベルは始動することが可能となった。我々の音楽に興味がある人など多分100人もいれば良い方だろうと、1タイトルのリリース枚数は限定100枚に設定。実は1タイトルにつき100枚以上ものCDRを焼くなど、自分達の仕事量的問題上避けたくもあった。
あとは周知の通り、堰を切った河の如く、自分達の出したかった物を次々とリリース。始めの頃はモダーンミュージック等から友人の喫茶店にまで置かせてもらっていたが、意外に物を売ると云う事は難しいもので、たかが100枚が中々さばけなかった。しかしそんな実情とは関係なく、無情にも着実に借り入れた資本金の利子は膨らんでいく。机上の計算では、すぐに返済出来る筈だったのが、一向に元金が減っていく気配なし。しかし一方で次第に海外からのオーダーも増え、リリース作品も次々ソールドアウトになっていった。
我々はどうも金銭感覚と云うものがいい加減なようで、「たくさんある」と「全然ない」の2通りにしか判断出来ないらしい。結果、いつまで経っても借金が減っていかない。こうなると完全に自転車操業である。更に毎月利子を含め返済義務があるわけだが、タイトルが次々ソールドアウトになってくると、こちらとしては商品がなくなるわけで、当然売り上げもない。嗚呼、いきなり倒産の危機か。いやしかし、我々にはそんな切迫感や危機感はまるでなかった。なにしろ我々は究極に楽観主義者であった。「銭如きなんとでもなる。」
そんな折、AMTが音楽を手掛けたロシア映画「WILD GALS A GO GO」のサントラ盤を、自分達でリリースすることに。再び借金をしてまで1300枚もプレスしたこの作品は、海外では爆発的に売れた。が、卸し価格を海外の標準である$8に設定したことと、大手のディストリビューターからの入金が恐ろしく遅れた事で借金の利子がかさみ、結局ほとんど売り切ったにも関わらず、やはり借金は減らなかった。商品が売れているにも関わらず儲からないとは、我々には本当に商才が無い。
別に儲けようと思ってやっているわけではないが、自主レーベル等と云うものは本当に儲からない。まあ儲かっている人々もいるのだろうが、我々の場合はレーベルと云っても大掛かりなものではなく、本当の意味での自主製作であるから、自分達の「遊び場」のひとつとして維持出来れば良い、と思っている程度のものだ。なにしろジャケット製作も含め、まるで産業革命以前の「完全家内制手工業」である。
現在は、明らかに100枚限定では需要に対応出来ないものもあり、そろそろリリースのあり方等を再検討する時期に来たようだ。そう思うとレーベル設立当初に比べ、この3年間で随分大きくなったものだ。海外のレーベルから復刻されたタイトルもある。通販もアメリカ、ヨーロッパは言うに及ばず、イスラエルや南アフリカ等からも来る。自分達の音楽を、自分達の手で世界中に届ける事が出来るようになった。しかしただひとつ言える事は、この借金はいつまで経ってもなくならないだろうと云う事か。
(2001/4/3)