今、6月に予定しているイタリア/フランスのソロ・ツアーの詳細を最終確認している。AMTのイギリス/アイルランド・ツアーの後、単独そのままドーバーを越えて、2週間程の予定である。
しかしヨーロッパのブッキングには、いつも泣かされる。当日会場に着くまで、決して安心など出来ないからだ。いきなりキャンセルになったり、クラブ(どころか町や国までも!)が変更されているなどザラ。ツアー中ですら常に確認しておかないとヒドい目に合う。とても日本では考えられないが、あちらでは当たり前のようだ。(日本に於いて、東京の予定の筈が博多になるなど100%あり得ないではないか!)以前もソロ・ツアーの折、途中スペインでの全日程が突如キャンセルとなったことがあったが、結果その2週間、フランス美女と甘い時間を過ごせたので、災い転じて福となると云ったところか。
とは言え、なにしろバカンスと称して、6月中旬から9月初旬まで、クラブも含め全て平気で休みにするなど、我々の常識を逸脱した生活習慣と価値観である。故に今回のように6月にツアーを組む等と云うことは、あちらではバカンス直前ゆえ、一番危険な時期であることに間違いない。突如予定を繰り上げて休みに突入する等と云う、なんとも理不尽な輩もいないとは限らないからだ。また常に何事に関しても、たとえ重要事項であろうと、連絡は死ぬ程遅い。良く言えば「のんびりしている」と言うことだが、私のような「イラチ」には耐え難い心労と苦痛である。大陸的時間感覚なのか、はてさて実は阿呆なのか。兎に角ヨーロッパ・ツアーのブッキングをすると云う事は、精神衛生上大変よろしくない。挙げ句の果てに、キャンセルでは泣くにも泣けぬ。
では何故それでもヨーロッパへ行くのか?簡単明瞭、仕事だからだ。今回もまず、イタリアのフェスティバルに呼ばれた事がきっかけである。しかしどうせ行くなら、ついでに大好きなフランスも回りたい…。ブッキングに於けるストレスさえも忘れさせてくれる程、私にとってフランスは大好きな土地なのだ。なにしろ、私が愛してやまぬトルバド-ルの故郷であり、かつてあのオクシタニアがあった所である。特に南フランスは料理も旨いし、ワインは絶品。更に女性は美人揃いときている。これを見過ごす程私はアホではない。フランス美女とワイングラスをかたむけ、その後は深夜のシネマにでも出掛け、そしてベッドで愛を囁き合う。これぞ人生に於ける至福の瞬間であろう。
「嗚呼、素晴らしきかな人生は。」
このまるでフランス映画のワンシーンのような事も、あながち絵空事ではないところが、人生が人生たる所以なのであろう。そもそも人生などと云うものは、自分が主人公の映画のようなものである。あとは如何に自分が優れた監督であり脚本家になり得るか、そして如何に主役として楽しめるか。それにしてもフランス女性と云うものは、何とフランス映画的なのだろうか。いやこれは反対で、フランス映画こそがフランス女性的なのか。まあフランス語の音響的マジックや、あの少しはにかんだ表情に幻想を抱いてしまう事も事実だが、あの個人主義的価値観や女性としての確固たる人生観には本当に恐れ入る。そして結局私は、彼女達に翻弄される調子のいい男にされてしまう。しかしこれもまた善し。なによりこの身なりの御蔭か、「ヨーロッパ映画に出て来るどうしようもない日本人」役にならずに済んでいることが救いであろう。
子供の頃は、空想夢想することが好きだったが、今や空想するより、それを具現化する方がよっぽど面白い。勿論、物理的に実現出来ない類いのものも多々あるが、最低限、自分の「生きざま」に関してはどうにでも出来るものだ。とは言え、私は運命論者なので、自分の人生とは、既にシナリオは書かれており、ただシナリオを知らずに演じているだけのものとして捉えている。故に未だ「落ち込む」等と云う事を感じた試しがない。たとえ悲惨な出来事があろうとも、それはそのように決まっていたのであるから、運命であり致し方ない。それよりも、常にその先の展開の方に興味がある。過去の出来事に絶望するより、未来に期待する方が楽しいではないか。この先私と云う映画は、一体どういう展開になるのか。主演男優且つ監督兼脚本家(と言うより演出)である一方、観客でもあり、両方の立場から楽しめる映画なんぞ、まさしく世界にこの1本のみであろう。ましてや、死んでしまえばそこでFINNとは、何とフランス映画的幕切れなことか。
今回のツアーでは、一体何が私を待っているのだろう。そんな事は知る由も無し。毎回いろいろな事があるもので、きっと今回も想像だに出来ぬ事件が私を待っている事であろう。しかしフランス映画のハッピーエンドなどほとんど記憶に無いが、せめてブッキング・トラブルだけは御免被りたい。
(2001/4/14)