『人声天語』 第12回「色の細道」

溜まりに溜まったリリース予定をこなす為、日夜録音とミックスに明け暮れつつ、録音が完了すると、次に出てくる問題はジャケットデザインである。元デザイナーだからと云う訳ではないが、何となくジャケットデザインも自分で考えたくなる性分のようで、しかしこれがまた悩みの種である事も間違いない。

最近のインタビューで「どうしてポルノをよくジャケットに使用するのか?」と云う質問が来た。そう言えば、確かにここ最近はエロ系を連発している。

私は中古レコード店でエサ箱を漁っている時、必ずと言っていい程エロ系ジャケットのしょーもないムードミュージックのLPで手が止まってしまう。余りにもジャケットが素敵な場合は、勿論内容に関係なく即衝動買いである。所詮店頭での情報は、その内容について何も知らなければ、ジャケットデザインと後はせいぜいリリース年代や国、レーベル程度しかない。特に「ジャケ買い」と云う言葉が存在するように、ジャケットからのイメージは、かなり重要であろう。

されどたかがジャケットである。客がついつい手に取ってくれるのであれば、音楽的内容を妥協する訳ではないのであるから、別段エロでも何でもお構いなしだ。十数年前に話題になったメディア・セックスではないが、やはり皆、多分にエロは好きなのであろう。自分の経験上、エロいジャケットだと云う理由のみで購入した、全く得体の知れぬ妖し気な1枚が、偶然内容も素晴らしかったりすると、何か凄く得をした気分になる。「眺めて良し、聴いて良し。」きっとこんなレコードの方が、買った客も喜んでくれるに違いない。。

それにしてもエロの持つ力は計り知れぬ。つい先日も、コンピュータどころか電話さえも持っていない友人が、たまたまエロサイトの実態を知り、いきなりコンピュータの購入を決意。ウラ画像が溢れるあの世界に魅せられ、ただそれを見たいと云う衝動のみである。かつて政府が「IT革命」とか何とかほざいていたが、裏エロサイトの解禁もしくは規制緩和さえすれば、そんなものは容易ではなかったか。かつてβとVHSのビデオ方式戦争に於いても、ナショナルがエロビデオをばらまいた結果、VHSが圧倒的シェアを確保したと云う噂が、真しやかに飛び交った事もある。やはり人心を常に捕えるのはエロなのか。

そもそもエロに無関心な奴などいるのか。嫌いと言う奴は五万といるだろうが、結局はコンプレックスやトラウマ等に起因するパラドックスと言えよう。歴史を紐解いてみても、太古からエロ文化は常に存在している。そしてまた常に背徳的な側面も内包している。ガキの喫煙と同様、やはり背徳的なものには何か人を意味もなく魅了するマジックがある。ましてやエロは、自然界的視野で考えれば、種族保存の為の生殖活動に繋がっていく。もし誰も興味を示さねば、種族絶滅の危機である。故に性行為に於ける快感には必然性があるのであろうし、そこへ興味を持っていく為の背徳感もまた必然的に存在するのであろう。もしもアダムとイヴが林檎を食べなければ、その時点で人類は絶滅していたかもしれぬ。やはり欧米のセックスライフの方が、常によりアグレッシヴ且つよりエロティックなのは、エロが人類の原罪と認識させられている事に関係があると思えてならぬ。生殖活動は本能であるから背徳感とは無関係だ、と宣う輩もいるだろうが、人間は生殖方法を学ばねば行為出来ない、と言う学説もある程で、賢いが故の哀しい進化なのか。(そもそも動物のようにサカリがなく、否、常にサカッている事自体、既に他の動物とは異なっているではないか。)兎に角、このエロに潜む背徳感こそが、人類最大の関心事であろう。

しかし美意識と云うものは、やはり千差万別であって、同じエロでもどうやら黄金律と呼べるものは存在しないようだ。

先日も友人の1人が、実は「熟女」系好きである事が判明。まあ私と同い年である彼にしてみれば、「年増趣味」の一語で片付けられる事かもしれないが、私にとっては驚愕の事実である。勿論、世に所謂マニアが多数存在する事は知っていたが、その類いの人種とは、きっと特有の空気感を持っているものだと勝手に想像していた。しかし彼とは、もうかれこれ10年来の付き合いであるにも関わらず、全く気付かなかった上、まさか白髪混じりの局部写真を収集している等、夢にも思わなかったではないか。

そう言えば私も、かつてはスレンダーな美少女が好みであったが、気付いてみれば最近、少しばかり体の線が崩れた豊満なタイプが好みになってきている。高校生の頃から大ファンだった池玲子の真の魅力に気付いたのもここ何年かのことだ。これはやはり年齢相応に趣味が変化してきたのか。となると、老人施設に於ける老いらくの恋も理解出来るというものだ。「女百まで男忘れず」もしくは「男百まで女忘れず」と云った処か。エロは死ぬまで有効だ。

さて肝心のジャケットデザインの方はと云うと、結局「たかがエロ、されどエロ、エロにもエロエロある。」等と云う駄洒落で済ませられたら…と思う程、何も思いつかぬ。エロ系ジャケットを作りさえすれば売れるのならば、とっくの昔に皆やっていただろうし、ヒットチャートは全て千差万別のエロ系ジャケットで百花繚乱の筈であろう。

色の道は然して奥が深いものだ。ここで一句。
「色の道替るまじきぞ月ばかり」

(2001/7/22)

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