『人声天語』 第15回「echo改悪2001夏」

先日、大阪のオメガサウンドにて、AMTの2nd「Pataphisical Freak Out MU!!」のデジタル・リマスタリングを行った。と言うのも、米ECLIPSE RECORDSより2枚組LPでリイシュ-される為。久々に聴いてみると、今と随分音作りが異なる事に気付く。「嗚呼、我レ日々精進セリ。」何はともあれ、昔の方が良いと感じた時点で終わりであろう。

しかし昔の方が良かったと云うものは、世の中に腐る程存在する。枚挙にいとまないが、最近のもので例を挙げるならば、echoのパッケージか。

echoとは勿論、私を始めAMTのメンバーが愛煙する、日本で最も安いフィルター付き煙草である。このecho、味はショートホープが下品になったような感じで、150円と云う値段にしては、なかなか香りもよく旨い。巷では、1mgやらスーパーライトやら、水や空気のような味の煙草が好まれているようだが、やはり煙草は煙草らしい味がしなければ、何の為の煙草か。タール14mg、ニコチン1.2mg、これぐらいでようやく煙草らしいと云うものだ。更にこのechoは丈が短いので、何をしていても「吸い切れる」上、灰皿に置いておくと勝手に消えてたりなんぞし、無駄なく吸える辺り、まさしく貧乏人の為の逸品と言える。

パッケージは、なかなかのレトロな空気が漂うイカしたデザインで、海外ツアー時も、このパッケージを欲しがる輩が後を断たぬ程だ。加えて名前がechoである。初めて目にする日本の煙草がechoなどと云う名前であるが故、彼等は闇雲に自分の煙草とのトレードを申し出てくる。挙げ句の果てには、1本(1箱ではない!)1ドルで買いたいと言う輩まで出てくる始末。いくら私が、これは貧民階層の煙草で格安だから、と説明しようが、1箱500円~900円もする欧米では、日本の煙草の安さは想像出来ないようだ。兎に角欧米でのこのecho人気は、日本人では到底想像すら出来ぬ珍現象であろう。

さてそのパッケージであるが、最近パッケージの紙質が変更された。以前は、ザラっとした少々趣きのあるものだったが、新しいものは、まるでカラーコピーのようなつるつるのテカる紙質である。しかしこれは、パッケージがセロハンでシュリンクされておらず、迂闊にも濡れた所に置いてしまうと内部まで浸水すると云う、echo等の安煙草ならではの致命傷に対し、もしや防水効果を考慮したリニューアルなのかとも思ったが、実はそんなことはなかった。新パッケージの底には「包紙を改善させていただきました」と記されてはいるが、これはどう見ても改悪であろう。安いなりにも風情のあった旧パッケージに比べ、新パッケージの何ともお粗末な事。以前ハイライトのフィルターが変わった時もそうだったが、何故これほど毎度毎度改悪されてしまうのか。煙草とは味だけでなく、そのポーズを楽しむ側面をも持つ嗜好品なのだから、もう少し考えて欲しいものだ。これではカラーコピーで包装されたリサイクル煙草(シケモク)の様ではないか。

急激な生活スタイルや社会構造の変化で、多少の変化や変革を余儀無くされる事は理解出来るが、しかしそう云った事とは一見無縁と思われる、近頃の何の根拠もない悪しき変化や変革には、さながら腹が立つ。

以前の方が明らかによかったものとは、例えて言うなら即ち、
「下らないトレンディドラマ台頭以前の、子供向け番組やド渋のドラマ目白押しのゴールデンタイム」然り、「フィルム撮りで丁寧に作られた、大殺陣回り爆裂の時代劇」然り、「フォルムのみならず潔くロゴまで模した、本物より味のある音を醸し出す2流メーカー製コピーモデル・ギター」然り、「安物プラケースなど無縁の豪華ジャケットとAB面の美学を備え、デジタルコピーされる心配など無用のアナログ盤」然り、「トラック運転手がやたらと愛車に飾ってみせたチェーンを作る事も出来た、切り取り型の缶ジュース・プルトップ」然り、「敗戦後、欧米車のコピーに徹したあまり、欧米車並みに各々が個性的フォルムを持っていた自動車のデザイン」然り、「素人がただヤリまくるのではなく、時には大袈裟な女優の演技とカメラアングルの秀逸さで、煩悩の極限まで在らん限りの想像をめぐらせたピンク映画の濡れ場」然り、「ファジー機能などと云うぬるさを追究した不毛な機能を備えず、莫大な電力を消費し、ただひたすら冷やす云う使命を全うしていたクーラー」然り、「胡散臭いアジア雑貨屋やら某番組の悪影響で異常発生した俄似非鑑定士が横行する以前の、線香臭い爺婆でごった返す社寺での朝市」然り、「DJなんぞは脇役で、ファンキーなディスコナンバーに合わせ思い思いのダンスを、何故か壁面の鏡に向かって黙々と踊り続ける孤独な輩と、ナンパ目当ての男女の濡れた下心のみが渦巻いていたディスコテック」然り、「国道25号線の奈良と大阪の県境に佇んでいた『大和は国のまほろば』の古びた立て看板」然り、「B級グルメの我々をシビれさせてくれた、全く臭みの無い、ホルモン屋杭全食園の『マメ』」然り、「いい音質ではなく、いい音を録音することに執心していた録音エンジニアのこだわり」然り、「インディーズと呼ばれる以前の、本当に自主製作でしか世に出せないであろうと思われる恐るべき内容のもののみをリリースしていた自主製作レーベル」然り、「いかにもエルビス=ロックンロールと云った安易なイメージの、娯楽スポーツ界で最もシビれる男、WWFのスーパースター『ロック様』のモミアゲ」然り。

しかし今も昔も「It doesn’t matter!」な事はと言えば、先日の復帰劇で久々に味わった「ロック様の妙技」か。一時は少々飽食気味だったあのキメ台詞と久々のピープルズ・エルボーに、思わずシビれまくり、不覚にも感涙。

そんなロックの姿に、決して飽きさせる事のない「定番」こそが、また一方で最も難しい選択肢である事を実感。

(2001/8/29)

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