『人声天語』 第22回「AMT US TOUR 雑記(其の四)」

我々は本当に帰国出来るのか。そんな一抹の不安を抱きながら、いよいよニューヨークへ。

ニューアーク空港の横を通り抜けた時、離着陸する飛行機を確認。しかしいつもに比べて便数が少なく感じられる。オランダトンネルも封鎖。この日はブルックリンでのライヴ。ブルックリンへの道を地図で探しながら、大渋滞に揉まれる。
ようやくブルックリンが近づいて来た時、窓から事件現場が一望出来た。本来国際貿易センタービルがあるべき筈の場所は、未だ煙が立ち篭め、それをマンハッタンの夜景が照らし出す。カレンは「Oh my god…」と呟き涙していたが、ここで見てさえ、私には未だ何の感情も湧かなかった。かつてニューヨークではストリートパフォーマンスで稼いでいた事もあり、ツアーでも何度も訪れ、当然あの2本の聳え建つビルの姿はよく覚えているが、それでも尚、何ら一切の感情が湧かなかった。そこにリアリティーと云うものが一切感じられなかった。
その時、窓越しに「NY is standing still now!」と書かれた落書きを発見。私にとっては、煙で包まれた事件現場より、この1行の落書きの方がリアルだった。

まだ事件から1週間も経っていないと云うのに、クラブには溢れんばかりの客が押し掛けた。古いビルの2階にあるクラブの空中庭園に出ると、事件現場の煙が一望出来る。しかし溢れ返った客は、ここでビールを片手に談笑しており、誰もそんな事を気に留めている風ではない。

結局、昨夜購入したギターは使い物にならず、1曲目途中にして2度もギターを放り捨て、挙げ句客席に向かい、誰かギターを貸してくれるようステージ上から尋ねた。結果、対バンのギタリストが貸してくれたのだが、これもまた酷いものだった。この夜、私はひたすら酷い音しか出ないギターと悪戦苦闘を繰り返し、すっかり消耗してしまった。翌16日は、KNITTING FACTORYのライヴも、ラジオ局WFMUでのスタジオライヴ中継もキャンセルになったので、このツアー初めてのオフ。皮肉にも、鋭気を養うには丁度良い日程となった。

AMT5人は、ブルックリンのデュリュ-と云う友人宅に宿泊。
彼の姉は国際貿易センタービル近くで働いており、事件を目の当たりに目撃したらしく、飛行機が突っ込んで暫くして後、人間や人間の破片が降って来たらしく、更にその後は辺りに強烈な死臭が立ち篭め、多くの人が嘔吐していたそうだ。しかしそれを聞いたデュリュ-も、やはり何のリアリティーも感じなかったらしく、テレビで崩れ落ちるビルを観ても、映画のような気がしたと語り、実際表に出て、いつも見慣れたあの2本のビルが無くなっているの見て初めて実感したそうだ。流石にニューヨークでは1日中、事件現場からのレポートやテロリストについてのニュースが流れている。 それを観ているうちに、ふと悠長にも自分達のフライトの件を思い出し、デュリューにユナイテッド航空へ電話をしてもらう事に。結果、彼の限り無き尽力により、我々のボストンからシアトルへの便と帰国便は、無事シートを押さえる事が出来た。安心したら腹が減ると云う、全くもっていい気なもので、我々はデュリュ-と共にマンハッタンへ。

マンハッタンへ来れば、我々の目的は唯一つ「WWF New York」しかない。このツアー中にRAW MAGAZINEやWWF MAGAZINEを買い込み、既にShop Zoneの新作Tシャツ等をチェック済みの我々は、各々購入希望商品のリストアップも完了。後は、社会的に無職の我々が苦心して工面したクレジットカードで、希望商品群を一気に購入するだけだ。そして地下のバーで、WWFのビデオを観ながらビールで祝杯を上げる姿を想像しつつ、一路タイムズスクエアのWWF NYへ。
しかしまだ営業時間内の7時半にも関わらず、何と店はクローズ。ショウウィンドウ越しに見える商品群を前に、それに手が届かぬ歯痒さは半端ではない。きっとテロ事件のせいで自粛しているのか等と思い巡らせていると、関係者通用口から数名のスタッフが出て来た。彼等に何故閉まっているのか尋ねた処、客が来ないから早終いしたとの事。営業時間は11時迄にも関わらず、こんな営業状態が許されるのか。帝王ビンス・マクマホンは、この体たらくな営業ぶりを知っているのか。仕方がないので、諦めきれぬ我々は、明朝10時の開店に合わせて再度の来店を決意。
この後我々は、デュリュ-お薦めのインド料理屋でディナー。デトロイトでの悪夢を忘れさせて余りある満足のいく内容。そしてデュリュ-お馴染みのハードロックバーへ。本当にハードロックしかプレイしていないこのバーに、津山さんは満悦至極。DJの持参したLPを覗いては、自分がDJを務めたいとまで言い出す始末。
目と鼻の先にテロ事件現場がある事さえ忘れさせる程、どこのバーも深夜であるにも関わらず大層な賑わい。アメリカはデカい。津山さん曰く「アメリカはまだ本気で怒ってへん。」 確かにアメリカが本気で怒ったらどうなるのか、それこそ簡単に想像がつきそうなのもだ。まあ、そんな事を想像した処で、どうなるものでもないので、心地良いハードロックとペルノーの酔い心地に身を任せ、そしてマンハッタンでの夜は終わった。

翌17日朝、再度WWF NYへ。店内で各々思い思いの商品を物色…する筈だったが、昨年来た時と様相は一変し、WWF NYのお土産グッズばかりが目立ち、お目当ての商品はほとんど店頭に並んでいない。結局、クレジットカードを使う迄もなく、せめて此処迄来たからにはと、本来のお目当てとは異なるTシャツ等を購入。地下のバー/レストランは、未だ開店前で結局ビールも飲めず終い。
その後、デュリュ-の案内で、新しいギターを購入する為、マンハッタンの楽器屋を巡るが、結局大したギターにも出会えず徒労に終わる。あとボストンとシアトルの2公演を残すのみなので、何とかなるだろうと諦め、マンハッタンを後に。

スティーヴ一行と合流し、一路ボストンへ。
彼等は昨日、マンハッタンでショッピングを楽しんだらしく、すっかり御満悦の表情。特にプリンセスは、お目当てのブーツを購入出来たらしく、いつになく上機嫌極まりなし。ラジオの選局も自らやる心掛けの良さに、私は少々安堵の溜息。と思いきや、ドライヴインで買った何やらジャンクフードに付けるマスタードの置き場に困り、私は今度「人間マスタードホルダー」にされてしまった。これではまるで家畜人ヤプ-ではないか。世の中万事油断大敵。

彼等「PLASTIC CRIMEWAVE & THE FAKE」とのツアーも、いよいよこの日が最終日。覚えたくもないのに覚えてしまった彼等の曲を聴くのもこれで最後。私はこの日、サウスポーのプリンセスのギターを借りて演奏。一楽さんが「ジミヘンみたいで格好良い」と言ってくれたので、今度サブのギターを買う時は、サウスポーのストラトでも買ってみようか。しかしヴォリュ-ムのポットが、どうしても腕に当って、知らぬ間にヴォリュ-ムが0になってしまう。更にポットが反対回りになるので余計に混乱し、時折無音状態で大暴れする羽目に。津山さん曰く「リッチ-が完全に憑意してるみたいやった」そうで、兎に角今回のツアー中、最も狂ったプレイであったことは自負出来る。そしてバンド全体も、私の窮状を察してか、激烈なインプロヴィゼーションを展開し、凄まじいテンションの演奏となった。

さて宿泊先に到着し、AMT一行は毎夜恒例の自炊にて夜食。COTTON自慢の逸品スパゲッティも登場。2年前は全くの料理音痴で、レシピの「しょう油」の記述に「『しょうあぶら』って何?」と言っていた事から思えば格段の進歩である。バルコニーでビールを飲みつつ、最後の晩餐。彼等は2日間かけてシカゴへ帰るらしい。
私の着ていたアンダーテイカーのTシャツ「Try me, I’ll make you famous」のコピーを見て、スティーヴは「Please make me famous」と言っていたが、プリンセスは自分は既に有名だから、と彼を嘲笑。相変わらず何て女だ、等と思っていたら、彼女は元モデルでTIMES誌等で活躍していたとか。人は見かけによらぬ、と言いたかった処だが、実は彼女言われてみればかなり可愛い。嗚呼、時既に遅し。

翌18日朝、未だ眠っているスティーヴ達を尻目に、我々はシアトルへフライトの為、ボストンの空港へ。
国内線にも関わらず、出発3時間前にチェックインせねばならないと云う。全ては今回のテロ事件の影響。機内にナイフは勿論、ハサミ、爪切り、シェイバー、ドライバー、ライター等、一切持ち込めぬとか。結局COTTONは、ドライヴインで購入したWWFライターを全部没収され意気消沈。しかし爪切りで一体どうやってハイジャック出来るのか、是非御教示願いたいものだ。にも関わらず機内食のナイフはプラスティック製だがフォークは金属製である。爪切りよりフォークの方が、まだ凶器になり得ると思うのは私だけか。そもそもこの厳戒体制の中、危険を犯して迄同じ手口で犯行を続けるとは、私には到底思えぬ。テロリスト共もそこまで阿呆ではあるまい。えてして体制側の対応と云うものは、常に後手に回るものであろうから仕方ないか。

空港で、テロ事件関連の特集雑誌を買い漁る。
今迄ツアー中にテロ事件について、恐怖を肌で感じた事など全くなかったが、この現場写真や詳細な記事を見ているうちに、猛烈な不安感と恐怖感に襲われて来た。ついぞ昨日迄ニューヨークにいたにも関わらずである。空港ロビーのテレビでもテロ事件関連のCNNニュースが流されているが、ほとんど誰も観ていない。見渡せば、誰もこんな雑誌を読んでもおらぬし、皆至ってにこやかに談笑しているではないか。されど此処は未だ狙われていると言われているボストンであり、ここから飛び立った飛行機がハイジャックされたと云う、言ってみれば今回の事件の発端地ではないか。
私は雑誌を読み耽るという行為によって、完全に「情報」と云うウイルスに感染してしまっていたのか。これは日本での尋常ではない報道ぶりのせいで、過剰に心配してくれた友人が多数いたことでも頷ける。まるでメディアが敢えて、民衆をパニック心理へ導いているようなものだ。本来好奇心旺盛で情報に対して貪欲な日本人は、この手のウイルスにいたって感染しやすいのであろう。それにひきかえアメリカ人のこのマイペースぶりは一体何なのだ。懐が広いのか、あくまで個人主義なのか、臭いものならぬ恐いものには蓋なのか、単に阿呆なのか。
ともかく当のアメリカ人がここまで脳天気なのだから、我々が闇雲に不安がったり心配したりする必要もないであろうと、改めて「アメリカはデカい」事を実感。

蛇足ながら、1冊の雑誌の中に「世界の首脳にこのテロ事件に関して聞く」と云うコーナーがあり、あらゆる世界の首脳、それこそカナダや旧東側をも含むヨーロッパ諸国は言うに及ばず、パキスタンやタリバン、イスラエル等の今回のテロ事件に最も関連ありそうな首脳、更に同じくテロ問題を抱えるアイルランドから、果てはチベットやメキシコまで載っているにも拘わらず、同盟国を自称する日本の首脳は何処にも載っていない。そもそも日本では普段でもアメリカ関連のニュースは毎日のように報じられているが、未だアメリカで日本に関するニュース等ほとんど観た記憶がない。
帰国後知る事になる、日本に於いての様々な自粛等、これこそ果たして何をもって行っているのか。日本国内での数々の惨事の折、果たしてそんな風潮はあったか。まして私にとっては、狂牛病の蔓延の危機の方が、日本人にとって差し迫った大問題だと思うのだが。
今回の日本での報道ぶりを観る限り、松田聖子が端役でハリウッドにデビューした事を、如何にも大偉業をなし得たように報じたり、アルフィーがロンドンでコンサートを行った事で、世界にデビュー等と宣巻っているレベルと何ら変わりないようにさえ感じられる。アメリカで全く相手にもされていない状況も知らず、何故日本人が闇雲にパニック心理を煽られねばならぬのか。ヨーロッパ諸国のように、多くのイスラム原理主義者やユダヤ人を抱えているわけでもなく、単にアメリカの同盟国の一つでしかない日本は、もっと冷静な報道と、確固たるアイデンテティーを示さねばならぬのではないか。改めて「日本の弱さ」を実感。

そしていよいよ最後の地シアトルへ。
(つづく)

(2001/9/25)

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