『人声天語』 第23回「AMT US TOUR 雑記(最終回)」

さてシアトルである。何故シアトルがツアー最後の地かと云うと、中古レコード激安地区であるからに他ならぬ。とどの詰まり、ツアー最後の場所ならば、どれだけ買っても持って帰れる、否、持って帰らねばならぬ。

シアトル空港に着いた時点で我々の心は、既に中古レコード・ハンティングの期待感で満ち溢れていた。津山さんは、既に70枚以上のLPと数十本のミュージックカセットを抱えているが、あと100枚は買う決意のようだ。

シアトル空港には、「KINSKI」のギタリストであるクリスが迎えに来ていた。KINSKIは、数年前メインライナーと一緒にツアーして以来の良き友人。4人編成のギターバンドで、マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン辺りとジャーマンロックが融合したような感じのサウンド。先日SUB POPから出したEPがカレッジチャートの1位になる等、現在人気急上昇中のネオサイケ・バンドである。今年12月には初来日し、名古屋から山口まではAMTと一緒にツアーする予定。
そして彼等は恐るべき酒豪揃いでもある。昨年AMTが初めて此の地を訪れる折、ビールを大量に用意しておいて欲しいと言うと、クリスの家のキッチンにはビールケースが山と積み上げられ、巨大冷蔵庫には溢れんばかりのビールが冷やされていた。当然今年も同様、膨大なビールが我々を迎えてくれた。
酒が無いと猛烈に不機嫌になる東君と、ビールさえあれば御機嫌なCOTTONを筆頭に、AMTには常に膨大なアルコールが必要だ。毎度ツアーオルガナイザーには、兎に角膨大な量のビールを用意しておくよう伝えておかねばならぬ。何しろかつて、某フランスのクラブにて、ストックされていた全てのビールとワインを空にしてしまった事がある程だ。 クリスの家で軽く一杯やった後、いざクラブへ。

AMTのみならずKINSKIの人気上昇もあってか、会場は早くから鮨詰め状態。今回大量に持参した物販商品も、この日開演前にして遂にソールドアウト。
この日は、ムスタングとSGの2本のギターを拝借。ツアー最終日ともなると、疲労も重なり体力的にかなりキツく、まして前夜の大暴れの影響か、体の切れもすこぶる悪い。しかし逆に演奏はすこぶる安定感を増し、モニターの調子の悪ささえ全く厭わない、内容の濃いものとなったと思う。東君のシンセもいよいよ壊れたようで、まあこの日でツアーも終わり故、帰国後は東君の自宅スタジオにて、静かに余生を過ごされん事を祈る。

翌19日は、待望の中古レコード・ハンティング。
しかし早朝から、「AMT釣り倶楽部」を自称する東君と津山さんは、ツアーの折も必ず持参する釣り道具を抱え、COTTONと共に近所の湖へ。何でも釣りをしていると、昨日の客が彼等を発見し、声を掛けて来たとか。
さて午後からは、いよいよ中古レコード・ハンティング。昨年訪れた折、私と津山さんの2人で、トラッドやフォーク等根こそぎ買い漁ったせいか、今年はそう云ったアイテムはあまり見つからず。しかしクリスの案内で、次々とレコード屋を巡る。津山さんは兎に角買いまくる。70年代ロック全般、女性シンガー系、そして勿論トラッド。彼はミュージックカセット・マニアでもある為、膨大なカセットコーナーも隅々までチェック。もう既にリチャード・トンプソンや、アイアン・バタフライとバニラファッジのカップリング・カセットさえ入手済み。一方私は、今回はサントラを目玉に、民族音楽やサイケ全般、そして大量のWWFビデオを購入。一楽さんはDISC BOX用の買い付け、東君はフォーク中心、COTTONは全く意味不明なセレクション。兎に角5人で、前後見境なく買いまくる。果たしてこれを持って帰れるのか。

レコード・ハンティングの後は、クリスと彼の奥さんでありKINSKIのベーシストでもあるルーシーに、AMTからビールのお礼にと、キッチンを借りてカレーライスを御馳走する。食事の後、東君がクリスの為にと持参した栗焼酎を振る舞う。御返盃にとクリスから、今度はスコッチを御相伴に。
その後、クリス夫妻と私と東君は、クリスお薦めのバーへ。KINSKIもう1人のギタリストであるマシュ-も合流し、日米飲み比べ大会。しかし彼等の酒豪ぶりは半端ではなく、一見「限り無く負けに近いドロー」ではあったが、実際は完敗を喫した。当地シアトルではイチローが大活躍し人気を博しているが、こと我々はこの飲み比べに於いて、残念ながらイチローの様にはいかなかった。

やはりテロ事件の影響で空港に出発3時間前に着かねばならず、翌20日早朝5時、ルーシーの運転で我々はシアトル空港へ。私と東君は僅かな睡眠と深酒のせいで、辺りにアルコールの匂いを未だ巻き散らし、実際全く酒が抜けていない状態であるにも拘らず、片やルーシーは全くケロっとしている辺り、本当に恐れ入る。
膨大なレコードで超重量化した荷物が、未だ酒の抜けていない体に更にダメージを与える。ピッツバーグで購入したカスギターは、流石にこの荷物の量では持ち帰る気さえ起きず、こっそりクリスの家に忘れたふりをして置いて来た。彼にとっては全くもって、迷惑な話であろう。

搭乗するや否や、全員爆睡。サンフランシスコで関空行きに乗り換え、一路日本へ。一時は帰国さえ危惧されたが、西海岸の空気はテロ事件の影さえほとんど感じられぬ。
振り返ってみれば、ニューヨークでの1公演がキャンセルになったのみで、全日程無事終了。不味い機内食に文句を言いつつ、延べ14時間のフライトで夕方4時関空着。
津山さんは、この日の夜行で山小屋へ。一楽さんとはロンドンでの再会を誓い、各々帰路につく。

帰宅してみれば、心配してくれた人達からのメールの山。
テレビでテロ事件の報道を改めて観ているうちに、ついぞ先程迄アメリカにいたにも拘らず、今さら不安感が湧いてくる。それと云うのも、繰り返し繰り返し流される事件現場の映像と、極端に片寄った報道内容のせいか。
「百聞は一見にしかず」とはよく云ったもので、わたしは敢えて、現地で感じたアメリカ人の平静ぶりと、こんな状況の中でも集まった多数のオーディエンスの笑顔こそが、報道の裏に潜む「真のアメリカの民意」だと信じたい。

(2001/9/26)

Share on Facebook

Comments are closed.