今年1年間、AMTに於いて破壊的なパワーのドラムプレイを披露してきた一楽儀光氏が、一身上の都合により、今後一切のライヴ活動等に参加出来ぬ事となった。一楽氏は今後、AMTのみならず、氏の音楽活動全般に渡り、ほとんどライヴ活動が出来ない状態となってしまった模様で、何とも残念な話ではあるが、これも致方あるまい。皮肉にも先日この人声天語にも綴ったが、去るものは追わぬ。せめて氏のラストパフォーマンスとなりし、来たる師走の国内ツアーに於いて、見事最後の花道を飾っていただきたい。去りゆく者の花道をお膳立てせしは、我ら残されし者の務めと知る。
今年1年を振り返ってみれば、AMTにとっては、まさに破竹の勢いで猛進した年と言えるだろう。昨冬のヨーロッパ~アメリカ・ツアー以来、先月のイギリス・ツアーに至るまで、ほぼ12ヶ月の間に4度の海外ツアーを敢行した事になる。特に、今春のイギリス/アイルランド・ツアーの折には、いきなり全公演ソールドアウトとなり、前回のロンドン公演からたかが半年の間に、イギリスで一体何が起こったのか。何も判らぬまま我々は、何やら目に見えぬ巨大な流れに身を任せるしか術が無かった。テロ事件と見事バッティングせしアメリカ・ツアー、そしてロイヤル・フェスティバル・ホールでのGONGやThe ORB との共演。また相次ぐリリースラッシュ。昨秋から数えればこの1年間で、ここまでに3枚のCDと3枚のLP、3枚のEPをリリースしてきた。今年は本当に休む間も無く、AMTのライヴ活動と録音作業に明け暮れたと言える。今春リリースする筈だったソロ作品「INUI.3」は、未だ録音が頓挫したままであるし、その他予定していたプロジェクトも、未だ手付かずのままである。
更に来春はアメリカ・ツアーとロンドンのクイーン・エリザベス・ホール公演、来秋には北欧を含むヨーロッパ・ツアー等、既に予定は入っている。リリース予定も来夏迄は、相も変わらず目白押しであり、当面あと1年は何をおいても休めそうにはない。
それにしてもこのブレイクぶりは、一体何事か。臆面にも英WIRE誌の表紙に不請顔を曝し、英MOJO誌上では幾度となくグラビア記事が組まれ、伊BLOW UP誌でも特集記事が掲載される等、大手音楽雑誌に顔を曝すようになり、その御蔭なのか、チケットはソールドアウト、アルバムセールスも好調、昨年から比べればギャラも破格に。
海外での我々を取り巻く状況は、この1年で随分良くなったが、国内は相も変わらず厳しい限り。しかし関心が無いのかと思っていれば、私個人のエゴとも言える「一切のバンドに於いて、原則として東京でのライヴ活動停止宣言」が、意外な程の反響を呼ぶ。いざ観られなくなると知れば、無性に観たくなる等とは、少々虫の良すぎる話ではあるが、折しもとどめに一楽氏の全ライヴ活動休止の知らせ。これにて西日本さえも、完全にライヴ活動を休止せざるを得ぬ。先の「雨の法政多摩校舎ライヴ」が、事実上西日本の東京ラストライヴとなった。関西方面は、来たる12月のライヴが最後となろう。
しかし度重なるツアーで多忙を極める中、AMTと云うバンド自身が飽和膨張し、一方で摩滅消耗しつつあった事は否めぬ。これこそ数多くのロックグループが辿りし道程であり、先のイギリス・ツアー終了後より私が危惧していた事態は、意外にも一楽氏の一身上の都合と云う、全く予想外の出来事によって結論が出された。
バンドには必ずや、その巨大なエネルギー故か、「バンド自身の人格」なるものが知らぬ間に育まれるようで、その意思力たるや、到底メンバーの手などに負えるものにあらず、結果我々はバンドの意思に大きく左右され、かつて私が率いてきた全てのバンドがそうであった様に、気付いた時には引き返せぬ処まで辿り着かされている。これはまさしく宇宙に於ける「成劫→住劫→壊劫→空劫」と云う法則であり、即ち万物全ては、成劫にて生まれ、住劫にて膨張し、壊劫にて収縮し、空劫にて無に還り、再び成劫にて生まれる。
かつて私は、バンドの意思なるものに振り回された挙げ句、解散若しくは脱退を繰り返し、自分の思惑とは裏腹に、数々の辛酸を舐めさせられてきた。また何かに憑かれたような、一時の盲目的売名行為が結果的に致命傷となり、遂には失墜せし多くの友人達の姿も見てきた。そして自身のバンドを解散させる度に、バンドの意思なるをコントロールする術を、僅かばかり知る事となった今、永きに渡る不遇感に根差す、無闇に「売れる」事への恐怖感と自戒心が、必要以上に私を疑心暗鬼にさせ、物事が上手く運んでいる時こそ、その裏に必ずや潜む「罠」への危機感を煽る。バンドの持つエネルギーの大きさは、即ちバンドの意思が我々を陥れようとする力、若しくはバンド自身が成劫から空劫へ駆け抜けようとするスピードとも比例し、大きければ大きい程、バンドの意思をコントロールする為に、極めて細心の注意を払わねばならぬ。バンドとはまさしく意思を備える大きなエネルギー体であり、それを上手くコントロール出来得るか否かは、まずその大きさを知るかどうかに左右される。中には狎妓の如き従順忠節なバンドもあるようだが、AMTはどう考えても、手の付けられぬ斉天大聖の如きかな。
しかしそれらとはまた別に、どうやら知らず知らずのうちに、私個人が勝手に思い描きし「来たるべき時」へ向け、事象は自ずから確実に流れ収斂しつつある。勿論その終息点さえ、一つの通過点にしか過ぎぬのではあるが、ようやく第1幕のエンディングが、ちらちらと垣間見えてきつつある。私自身に課せられたと思われし、まずひとつ目の使命を全う出来る日も、さしてそう遠くはあるまい。そして終わりは是即ち始まりである。しかし第1幕の幕を引くには、私自身も多大な犠牲を払わねばならぬやもしれぬ。代償無くして得られるもの等あるべくもなし。そして森羅万象全ての事象はうつろいゆくのであるから、これもまた自然の理であり、まして求める側と求められる側の思惑が一致する点などほんの一瞬のことであり、これぞまさしく世の常とは、実は誰もが知る処。ひとつの終息点に向かう様とは、太古の昔より、必ずや同じ様相を呈するのが自然の慣しなのか、何時の世もその兆しとは、ある種の狂信的妄想と退廃的カオスを匂わせる。
はて私は、自分の人生に於いて、一体幾つ目のステージにまで立つ事が出来得るのであろうか。ほぼ四半世紀をも費やして、漸く最初の幕まで辿り着けそうだが。
一楽氏が去った事で、取急ぎ後任ドラマー探しをせねばならぬ。何しろ来春3月からアメリカ・ツアーである。
ロックのイデオムの下、即興で演奏出来る、且つ海外ツアーに出かけられる腕自慢のドラマーが居られるならば、老若男女ニューハーフ問わず、是非当方まで御一報を。
(2001/12/01)