今年ももう残り僅かとなり、世間がクリスマスやら年末年始やらの喧噪でごった返す中、煙草代にも困る程の赤貧に喘ぐ我が暮らしぶり、やはり今年も一向に借金の減る兆しなく、されど五体満足で過ごせた事に感謝すべきか。切に笠地蔵の訪問を待ちわびているのだが、この不況の中、斯様な美味しい話がある訳でもなし。
せめて大掃除でもと思い立ち、徐にレコード棚の整理等始めようものなら、何を思ったか、否、実は思う処ありし故なのだが、ジャンル別・国別・アルファベット順に並べ替え始めてしまい、これがまた大変な労力を必要とす。更には、はて斯様な物持っていたのか等と、色々電蓄に乗せているうちに、一体どれほど片付いたものか。かつて居候や来客多かりし頃は、至って整頓されていたものであったが、来客途絶えて久しく、まして女性の訪れる事なんぞ皆無の昨今、足の踏み場もない程に散らかりし楽器やらレコードやらCDやら郵便物やら、はてさて何から手を付けてよいものやら思案に暮れるうちに、結局は日も暮れ途方に暮れる。
それにしても、今年の海外ツアー時にジャケ買いしたカスレコードの数々は、一体何なのか。美人秘書らしきイカした女性のジャケットにそそられた速記術練習用のレコード、スコティッシュ訛り全開のスコットランドの弾き語り漫談レコード、ノルウェイの70年代中期バンドコンテストのオムニバス、63年度のサーフサウンド系のギター勝ち抜き戦オムニバス、ハモンドオルガンによるGoGoダンス練習用レコード、白人導師のインチキ瞑想教則レコード、トラックドライバー用の全曲カントリー調トラック賛歌アルバム、イギリス発バッタもんABBAもどきの魅惑のムードコーラス4人組のヒットカヴァ-・アルバム、キリスト教布教用バイブルコーラス・レコード、ラスヴェガスのストリップ「Gストリング・ショー」のサントラ盤、取り敢えず「~Beach Boys」と名が付けば全部買い漁ったハワイアンバンドのレコードの数々、セックス用BGMと銘打たれたディスコ・アルバム、イベット・ミミュー嬢のウィスパーボイスによるボードレール「悪の華」の朗読とアリ・アクバル・カーンのサロッドとの何の必然性も感じ得ないコラボレーション・アルバム、20~40年代のラジオ・ニュースやラジオ番組のレコード、BBCラジオ製作の効果音レコード、スコットランド地方のホームパーティ用BGMレコード等、数え上げればキリがない。加えて、愛してやまぬフランシス・レイやらミスティック・ムード・オーケストラやらを筆頭に、パーシー・フェイスまで根こそぎ買い漁る始末。最愛のABBAに至っては、LP、EP共に全世界のプレスを集めているので、どこまで買ってもキリがなし。果たしてABBAのレコードなんぞ、全世界のプレスとなると、一体どれ程の種類があるのか想像も出来ぬ。先日もベルギーの中古レコード屋にて、在庫のEP全部まとめて購入したばかり。ましてやメキシコ盤やらアルゼンチン盤、果てはパプア・ニューギニア盤さえもありそう故、そもそもスウェーデン原盤さえ未だ揃っていないのだから、これは一生かけても集めきれぬやもしれぬ。しかし何故ABBAのレコードなんぞ集める羽目になったのか。
本来基本的には、現代音楽、古楽、トラッド、フォーク、民族音楽を重点的に探し購入しているが、60~70年代映画のサントラや、艶かしい美女がジャケットのムード音楽、訳の判らぬ怪し気な意味不明のアイテムにも、ついつい触手が伸びてしまう。安いが故に、物欲エナジーはピークに達し、脳汁分泌量は極限を越え、ほとんど一種のパニック心理に陥る。後日、何故斯様なものを購入したのか、まるで憶えがない事も稀にあらず。これは一種の中毒状態の様なものか。
私は、ほとほとミュージシャン名やレコードのタイトルを覚えるのが苦手で、と言うよりも覚える気がさらさら無く、故に全てジャケット・デザインで覚えているのだが、どうやら海外の人間は、色々なミュージシャン名やらレコード・タイトルを言っては、「Do you know this one?」と質問する事が此の上なくお好きなようで、仮にそのミュージシャンのアルバムを自分も持っていようが、毎度の事私は返答に詰ってしまう。後でジャケットを見せてもらったり、音を聞かせてもらって初めて、「あ~それか。」と言った塩梅で、何ともバツの悪い事此の上なし。勿論、自分のお気に入りのミュージシャン名や有名なバンド名程度なら覚えてもいようが、ブート・リイシュ-のアルバム1枚程度のマイナー・サイケバンドなんぞ、到底覚えておられぬ。まして英語圏以外の名前なんぞ端から発音することさえ出来ぬ。しかしバンド名を覚えていようがなかろうが、音楽の善し悪しを聞き分ける事には、全く関係なかろう。かつて灰野敬二氏に同様の苦言を申し上げた折、氏も「ミュージシャンは、重箱の隅を突ついたようなサイケバンドの名前を覚えるよりも、もっとやるべき事がある」とおっしゃっていた。
とは言え、ミュージシャン名やタイトルを覚えていない故、どうにもジャケ違いやらでダブる事も多く、ましてや売り買いが激しい為、何やら見つけても、果たして今持っているかどうか怪しくなり、取り敢えず買ってはみても結局ダブる事となり、これこそ一体何をやっているのか。と云う訳で、レコード棚の整理整頓と相成った次第。
アルファベット順に並べる為、改めてバンド名等見ていると、実は1枚しか持っていないと思っていたミュージシャンの異なるアルバムをも持っていた事実が幾つか浮上。如何にミュージシャン名なんぞを気にしていなかったかを、明白に物語る斯様な事実には、流石に自分で呆れる事頻り。
しかし今後、ミュージシャン名の頭文字程度は覚えておかないと、自分の聴きたいレコードすら、自分のレコード棚から見つける事が困難となってしまう。要らぬ事をしたものだと、後悔した処で既に後の祭。
CDは何故かぞんざいに扱いがちで、部屋中そこいらに無造作に散らかっていようとさして気にも留めぬが、レコードに対する思い入れは深いのか、やはり大切にレコード棚に並べておきたくなる。
物心ついた頃から四半世紀、諸物価は上昇したにも関わらず、何故か然程レコードの値段は変わってはおらぬが、中学生の頃の2500円は、当時の私にとってはかなり高価であり、故にノート代さえも倹約してまで買ったレコードへの思い入れは、今の若い人達が気軽にCDを買う感覚とは、全く異なるものであったろう。大阪と言えども当時は輸入盤店や中古レコード屋は少なく、探しているレコードを見つける事も困難を極め、ようやく見つけた処で、限られた小遣いやバイト代で、レア盤や当時高かった輸入盤が何枚も買えるわけでもなく、故にやっとの思いで探し当て買ったレコードへの思いは至って深く、帰りの電車の中で何度もジャケットを眺め、ロックマガジンやフールズメイトのレビュー等思い出しつつ、その音を想像しては期待に胸踊らせ、早く家に着かないものかと電車の遅さを呪ったものである。さていざ電蓄へ乗せ、それが想像通り若しくはそれ以上の場合は、苦労した甲斐ありと、明けても暮れてもひたすら聴いていたものであるが、レビュー等に騙されどうしようもない駄作を攫まされた時なんぞは、そのやり場のない憤りを何処へぶつけていいものやら、そんな事なら違うものを買えばよかったと後悔しつつも、もしかすると自分が良さを理解出来ぬだけではないかと、やはり明けても暮れても聴いていたものである。時には、自分がレビュー等からイメージしていた音の方が圧倒的にカッコいい事もあり、斯様な時はいたく失望したものだが、それでも今のように聴き流す事なんぞ出来よう筈もなく、音の隅から隅まで耳を尖らせたものである。
レコードが高価であったからこそ、真剣に音楽を聴いたのかもしれぬ、そう思うと今のCD世代は真に可哀想ではないか。無闇矢鱈なリイシュ-の乱発によって、いかなる音源も至って手軽に手に入る現在故に、容易に濫読ならぬ濫聴出来るであろうが、結局カタログ的知識を裏付ける為であっては何の意味もない。音の善し悪しを知る術を身に付けねば、永遠に次々と押し寄せる新たなカタログ的情報に煽動されるのみで、何の為に音楽に触れているのか、その意義さえ既に其所にはありはせぬ。アダルトビデオ普及後の少年達が、動画と云う直接的媒体の影響で、性に対する想像力が至って乏しくなったと言われ、挙げ句の果てにAVをテキスト化してしまい、童貞の分際でいきなり顔射する等と云う愚行に出るのと、然程変わりはなかろう。時には自分の中で音のイメージを広げる事も必要であり、そこから自分なりの音についての善し悪しのボーダーが明確になってこよう。CD世代になって以降、全世界的に面白いと思えるミュージシャンが激減した事は、紛れもない事実であると確信する。この際思い切って、CDやレコードの値段を1万円ぐらいまでつり上げてみては如何がなものか。否、そんな事になれば、真っ先に赤貧に喘ぐ自分がレコードを買えなくなってしまうではないか。
しかし人間の物欲なるは、果たして何処で満たされ得るのか。どれ程買おうが満たされぬこの想い、単に物欲のみならず、果てしなき好奇心の御蔭か、興味深いものは際限なし。昨今のリイシュ-地獄には、有り金尽きて、ほとほと疲れ果ててはいるものの、それでもやはり聴いてみたいものも色々ある上、更には何処から湧き出てくるのか未発表音源の発掘も活発なれば、現在活動していない筈のミュージシャンなれど新譜が続々とリリースされているようなもので、まして限定盤やら気付けば廃盤とあっては、買わぬ訳にもいくまい。購買意欲を煽る見事なる商法等と、関心する事頻りであったが、ふと気付いてみれば、無意識のうちに、自分こそまさしく斯様なリリース形体ではなかったか。ニューハーフなればこそが知り得る男の喜ばせ方と同じく、レコード・ジャンキーなればこそが知るレコード・ジャンキーの弱点か。
されどピンク・フロイドぐらい売れるならば 、 斯様な売り方をせずともよかろうものを。嗚呼、これも売れないからこそ出た知恵なるか。否しかし、かつて安室奈美恵は初回限定10000枚特典云々と宣伝していたが、こちとら端から10000枚も売れぬのだから、結局はとどの詰まり、誰もが「限定」なるキーワードに弱いと云う事か。
それにしても、ようやくリリースされた私のソロLP「I’M IN YOUR INNER MOST」が、レーベル側の意向により初回プレス100枚とは、たとえ1週間でソールドアウトになったとは云え、何とも寂しい限り。作り手と売り手の思惑相察する事が出来ればこそ、何とも複雑な心持ちにして、されど買い手の心理なれば常に興奮覚めやらずと云った処か。入手困難であればこそ、探す愉しみやら見つけた時の喜び等、それは格別なるを知る自分であった。
(2001/12/24)