『人声天語』 第35回「謹我慎念」

愈々以て2002年迎えし処で、所詮「明日今にして今日なりていずれ昨日ならん」ばかり、元旦なるはさして気にも留めず、ただまた一つ新しき朝迎えし我なり。

歳重ぬる度、正月気分遠くなりにけるは、是如何な所以か。四季巡るるは「をかし」とも、斯くなる催し事など縁なき暮らし故、目出たき心持ち此れ程もなく、唯久しき知人の嫁ぐ便り等届けば、目出たき事此れ程にして、果たして便り返し得るは何時の事かと、寂しく感ずる事僅かばかりならず。
歳重ぬる事、是即ち老い痴る意にして、我が命だに尽きぬうちにて人生の伴侶たるを見つけ得る事叶いしやと、人の縁に物想いし此の元旦なれど、強ちのたれ死すばかりの暮らしなれば、人知れずして逝く道こそ河原乞食の本懐を以て、元来見送らるる事疎ましければ、一体何血迷いて斯くも弱音吐くやと、せめて新春に我が志の意を新たにす。

斯くなる次第にて、過ぐる暮れより僅かばかり疲れ果てし心持ち、幸い「新春」斯く云う御都合主義的節目なれば、以て「社会的幸福感」なる迷い事切り捨つる事にて、我が天命を全うする所存。物事捨つべきなれば手に入らぬ物こそあれと知る。暮らしの実り豊かにしては「あはれ」なるもの生まぬ等、太古からの常識にして、嗚呼、未だそれら空虚なる幸福たらん幻想抱きし未練がましき我が姿、是如何程にも情け無し。斯く人間と生まれ落ちし限り背負いし「種の繁栄」なる命題さえ捨て去りし事を以て、果たして我れ如何な為にぞ生かされ得るか、此の境地に立ちて初めて我が天命全うし得らゆと胆に命ず。故、本能に起因せし幸福たる幻想、まずもって是非ともに払拭せん事こそ、我が天命の起点なれ。されど歳重ねる毎、それら幸福なる幻想に惑わされし程気弱になりてか、いやはや子連れ狼にて柳生列堂の斯くの如く、老い痴らば情いよいよ以て深くなるや。斯くなる上は、拝一刀の如き冥符魔道すら歩まねば、宿願なるは成就し得らぬか。

斯様な由ありて、久しく休業せし本業たる探偵業に復職せん。探偵こそ、かかる一切の情を打ち捨て、如何なる謎をも解き明かしては、況や皆不幸とならん結末たるとも白日の下へ曝しむる、是即ち非情の職業なれ。鋭き観察力と洞察力たるを問わるる上、あくまで冷徹無情なる精神状態を強いらるるとあらば、今の我が腐りし性根叩き直すに、これ程格好の仕事こそあるまじけれ。されど何より今時仕事あらんや。日がな徒然なるままに山陰の地なぞ旅すれば、先ずは猟奇連続殺人事件探し等より始めん。

「謹我慎念」なる心持ちにして如何な辛酸舐めんとも、斯くもまた運命なれば、是ぞ即ち我が人生と知りたる我なり。

(2002/1/02)

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