気付いてみれば、この「人声天語」も既に50回目である。何事もだらだらと続けて いるうちに、それなりの体裁なりが出来上がってくるもので、こんなしょーむないエッ セイとも呼べぬ拙文を、一体どれ程の人々が読んでいるのか知るには及ばぬが、ライ ヴ会場で「楽しみにしています」等と声を掛けられれば、これは何とか続けようかと 思ってしまう。しかし有名無名問わず色々なミュージシャンの方々が、あちらこちら でエッセイを執筆されておられるが、これ程音楽に触れていないアホな内容のものも あるまい。本来なら、自分の好きなアルバムやらミュージシャンについて、蘊蓄等書 かねばならぬのかも知れぬが、「文章にして書き表わす」程それらについて博識でも なく、またそれらから様々な事を想起して、何かしら説得力のあるものが書ける程の 知性も文才も持ち合わせてはおらぬ故、結局は徒然なるままにしょうむない事を書き 綴るしかない。一応ミュージシャンらしく「Listening Room」なるページも開設して はみたが、これも唯、今週のマイ・ヘヴィ-ローテーション3枚をMP3でアップする だけと云う代物で、解説やら蘊蓄等は一切無しの、所謂まるで素人レベル以下のもの であろう。元来、そのアルバムやらそのミュージシャンの音楽やらが好きであっても、 そのアルバムやミュージシャンについての蘊蓄等興味もない為、斯様な知識は全くもっ て皆無にして、そもそも語る事等出来る筈もなし。逆に、どうして皆はそんなに詳し いのかと、不思議なくらいである。そもそもブートリイシュ-1枚しか出ていないよ うなバンドについて、一体何処で情報を仕入れてくるのか。何かしらライナーノーツ 等でもあるのならば多少は理解も出来ようが、レコード盤1枚と資料も添付されぬジャ ケットからでは、私なんぞは全く何も見えては来ぬ。矢張りせめてG-Modern等には目 を通さねばならぬのか。しかし何よりも音楽雑誌なるものを忌み嫌っている為、そん な時間と金があれば、中古レコード屋にて訳のわからぬものをジャケ買いしている方 が遥かに楽しい。
学生の頃から、映画を観たり本を読んだりと、それなりに実はささやかな趣味はある のだが、ではそれらについて何か書けるかと云うと、矢張り何も書けぬ。生まれてこ の方一度たりとも、「批評家」「評論家」なんぞ侮蔑する事はあれど憧れた事等皆無 にして、そもそも端から書く為の分析なんぞしておらぬし、至って純粋に楽しむだけ であった。好きな作品を揚げろと云われれば枚挙に遑ぬが、それについて「何故」と 問われると困り果てる。「好き」な理由と云うものは、得てして極私的理由が伴うも ので、純粋にその作品自体の空気感が漠然と好きな事もあれば、その作品にまつわる 自分の甘酸っぱい思い出等から好きな事さえある。しかし斯様な理由がアカの他人に 通用しよう筈もなく、真面目に答えた自分の方が恥ずかしくなってしまうので、結局 は好きな作品を揚げる事さえ躊躇してしまう。
況して斯様な質問を浴びせかけてくる輩は、紛う事なくマニアであり、浅学から迂闊 な事でも言おうものなら、いきなり此処ぞとばかりに揚げ足を取られてしまう。この 手の輩は、端から自分の蘊蓄をここぞとばかり語り自慢したくて仕方がないのである から、決して私が何故その作品が好きか等、実は彼等にとってはどうでもいい事であ り、それなら斯様な質問をしてくれるな。鬱陶しいんじゃ、ボケェ。
勿論人の嗜好は千差万別なれば、お互い理解出来ぬ事も多く、口論になることもあれ ど、それは常に「善し悪し」に於いてであり、「好き嫌い」は個人の自由であり勝手 であろう。況してやマニアックな誰も知らぬものや、入手し難いレアなものこそが良 いと云う、レア度至上主義なるマニア特有の阿呆さ加減には、反論する気さえ起きぬ。 もし「男はつらいよ」が何かの理由によって金輪際上映禁止となり、全ての市販ソフ トが回収され、映画史上から完全に抹殺される憂き目にでもあえば、きっと彼等の間 では、何らかの理由付けをした上で、山田洋二でさえもカルト監督になるのであろう。 嗚呼、阿呆くっさぁ。
マニア心理と云うものは、単なる他人に対しての優越感に他ならぬと思えるが、まあ 誰もが何かしらひとつぐらいは、例えそれが些細な下らぬ事であれ、マニアックと呼 べる側面を持っているであろう。されど真のマニアは恐るべしで、勿論その為には様々 な事を犠牲にしてでも、何しろ自分の財産も時間も費やした果ての結果であろうから、 その蘊蓄の知識量は、他人を震撼させるには充分余りある。TVチャンピオン等に登場 する恐るべき輩共、何が一体彼等を彼処迄駆り立てるのか。あのスーパーカルトな問 題を平然と正解し得るディープなマニア達の鬩ぎ合いを目の当たりにすれば、例え 「河端一チャンピオン選手権」が行われたとしても、本人の私なんぞより私の事を熟 知し網羅している輩がこの世に居りそうで、いやはや空恐ろしくなる。
かつて、せめて「特捜最前線」と「子連れ狼」に関しては、かなりマニアックであろ うと自負していたが、インターネットの世界には、自分なんぞ足元にも及ばぬ程の 「特捜マニア」やら「子連れ狼マニア」が存在する事を知って以来、迂闊な事は言わ ぬに越した事はないと思うようになった。例え私が「特捜最前線」全508話のほと んどをエアチェックしていようが、マニア同士に於いては、「○○テレビが××年に 再放送した時は、第☆話が抜けていた」だのと云った、既に本編の内容とは無関係な レベルでの不毛な会話がなされているのである。これでは監督や脚本家、レギュラー 俳優陣が総出でかかった処で太刀打ち出来ぬ。
しかし人は何故「知りたがる」のか。勿論知識がある輩は、知識がない輩よりもその 点に関してのみ、「優れている」と言えるだろうが、されどそれに一体何の価値があ るのか。その価値は、その知識を求めている人達の間でのみ有効であり、決して全て の人を対象としている訳ではない。それが例え「我々は何処から来て何処へ行くのか」 と云う人類史上最大の謎に対してであったとしても、斯様な事は実際の社会生活に何 ら影響を及ぼす事はなかろうから、やはり斯様な事柄を気にもせぬ輩も多かろう。況 んや「知った」処で何の役にも立ちはせぬ。単に知識としての知識なんぞ、即ち経験 が裏付けぬ知識なんぞ、何の意味も持たぬと知れ。
否、仮に何事も知っているに越した事はないと言及した処で、矢張り知る必要のない ものはあろう。知らぬからこそ救われる事もある。そもそも何もかも知ってしまえば、 人生はさぞやつまらぬものに成り下がるであろう。
まだ聴いた事がない音楽があるからレコード屋に行くのであって、まだ会った事のな い人達がいるから旅に出るのであって、まだ金持ちになった事がないから物欲がある のであって、まだ悶絶したことがないから性欲があるのであって、まだ本当の恋を知 らぬからまだ見ぬ恋人を求めるのであって、まだ本当の愛を知らぬから寂しいのであっ て、まだ死んだ事がないからあの世について考えるのであって、まだ神様を見た事が ないから何かを信じられるのであって、まだ何も出来ていないから不安になるのであっ て、まだ何もやっていないから夢見るのであって、実はまだ何も判らないから脳天気 に生きていられるのだと思う。
否、こんな事さえ知る必要はないであろう。生きてようが生きてまいが、此処におろ うが此処にいまいが、そんな事さえ既にどうでもいいのかもしれぬ。
「知らぬが仏の帰り道」とはよく言ったもの。
(2002/4/23)