『人声天語』 第71回「2002年~総まくり」

AMTの2ヶ月に渡るツアーも終了。流石に2ヶ月は精神的にも体力的にもきつかったが、物事万事終わってみれば、取り敢えず「やりきった」と云う充実感だけは残るもの。Rosina de Peiraとの夢の共演も叶った一方で、欧州ラウンドは、東君病院送りで幕と云う、如何にもAMTらしい幕切れではあったが、何とか無事5人が顔を揃えて帰国出来、揃って千秋楽の名古屋トクゾウのステージに立てた事だけで、全て善しとせねばなるまい。この珍道中の詳細を綴ったツアー日記は、徒然なるままに当欄にアップしていく心積り。

さて恒例AMT忘年会も終わり、今年も残す処あと3日。昨年同様、今年の総まくり等にて、2002年最後の「人声天語」とす。されど何ぶん近頃めっきり記憶力の低下甚だしく、果たして「総まくり」出来る程の物事覚えておるかどうか。

2002年のAMTについて

AMT名義の下、新譜とリイシュ-を合わせ、一体今年は何枚の作品をリリースしたのか、既にもう定かではない。兎に角今年は私にとっては、AMTで始まりAMTで終わったしかと感じられぬ程、AMTに時間を割いた一年であった。昨年暮れより、2003年は活動休止する旨を決定していた為、今年は今迄の活動の総決算と云う意味でも、アメリカ、イギリス、ヨーロッパはツアーしておきたかった。折しもAustinでのSXS(3月)、LondonのQueen Elizabeth Hallでのワンマン(4月)、BostonでのTerrastock#5(10月)の出演が決定していた上、昨年イギリスを一緒にツアーしたフィンランドのグループCircleから北欧に招聘されていた為、それに合わせてアメリカ、イギリス、ヨーロッパを網羅するツアーを行う事が出来た。春と秋の2度に渡るツアーは、バンド自体をかなり消耗させた事は事実であるが、それを越えて更に強固な「何か」を手にする事も出来たと思う。何よりRosina de Peiraをはじめ、海外により多くの新たな人間関係を作る事が出来た事は、我々にとって大きな財産であろう。
そのRosina de Peiraと遂に共演出来た事も、我々にとって感慨深き出来事であった。特に長年に渡り彼女の大ファンである津山さんの感激ぶりは、とても私なんぞの伺い知れるものではなかったであろう。彼女のレコードで初めて知ったオクシタン・トラッドの1曲「La Nòvia」をカヴァ-した事から全ては始まったのだが、まさかその本人と「La Nòvia」を一緒に歌えるとは、我々の誰もが想像だにしていなかった事である。今回のToulouseにての共演は、Audreyと云う私の元彼女の協力があってこそ実現し得たものであったが、彼女と出会ったのも矢張りAMTの初ツアーの時であり、人の縁と云うものは、本当に一種の奇跡のようなものであると実感させられた。
ツアー千秋楽と題しての名古屋トクゾウでのライヴこそ、今のAMTを象徴した姿であっただろうと思う。東君の負傷と云う、バンドとしては決して万全な状態ではなかったものの、オリジナル・ドラマー小泉の存在は、それをフォロウして剰りあるものであり、彼がツアーに参加出来なくなって以来忘れ去っていた「AMTの魂」のようなものを、久々にメンバー全員が実感出来た夜でもあった。
また「歌わないヴォーカリストCOTTON」が、再びその美声を披露してくれるようになった事も、今年の大きな出来事であろう。
最後に、今年1年ハードなツアーを一緒にまわってくれたドラマーの夘木君に感謝。

その他の音楽活動について

1年の殆どをAMTに費やしたかのような印象のある今年ではあったが、ソロ、J.F.Pauvrosとのデュオ、Daevid Allenとの「Guru & Zero」等、実はそれ以外でも、かなり充実した1年であったと思う。
J.F.Pauvrosとはお互い友人としても良い関係を築いているが、彼と演奏する事は、私の至福のひとときであるとも言える。お互いに猛烈にインスパイアし合えるミュージシャンなんぞそうそう居らぬ上に、況して彼の生き様を知れば知る程、彼への興味は尽きぬ。今年はフランスと日本を共にツアーしたが、来年3月には再びヨーロッパをツアーする予定である。
Daevid Allenとの共演は、AMTのBBSへの一人のファンの書き込みが発端となった。「AMT+ GONGを観てみたい」この訴えに対し私は「Who can organize?」と答えたのだが、まさかそこにGONGのマネージャーとAllen本人が書き込んで来るとは夢にも思わなかった。Allenは当初「Acid Mothers Gong」をやりたいと云って来たのだが、お互いのスケジュールの都合上の問題で、結局私とCotton、そしてAllenの3人によるユニット「Guru & Zero」としての活動となった次第。たった3回のコンサートではあったが、Allenとツイン・グリッサンド・ギターを繰広げられたのは、長年のGongファン積年の夢として嬉しい限り。そしていよいよ来年は、Allen曰く「若いエネルギーを回復した新たなGong」を結成する下りとなり、それはAllenとGilli Smythに加え、彼等の息子Orlando、そして私とCottonを含める7人編成の大所帯。CDも出すらしいし、ツアーもやる予定だとか。
それ以外にも、今年はMaquiladora、Ueh、Kinski、Jenifer Gentle、正午なり、Space Machine等にゲスト参加させて頂いた。ゲストでギターを弾く事はとても楽しい。そのバンドのカラーに混ざり合いつつも、何か新たな方向性を誘い出す、それは1ギタリストとしての秘かな愉しみ。
セッションでは、Richard Youngsとのデュオや、山本精一氏とのギターデュオ等、とても楽しめるものも多く、兎に角退屈な「垂れ流し」インプロにならぬのは当たり前にして、やはり「見えている」ミュージシャンと演奏する事は、とても意味深い。
一方で、今年もソロのヨーロッパ・ツアーを行い、また国内でもソロ・ライヴを行う機会があった。今年は「Infinite Love」と云うスタジオ録音のギタードローン作品と、「I wished you were here once again」と云うソロ・ライヴLPもリリースした事もあり、ギタードローンに終始する内容から、そろそろ何か新たな道が見えて来るのではないかと思っていた。そういう意味でも、6月にToulouseの廃教会にて行ったソロ・パフォーマンスは、ひとつのターニング・ポイントとなり、次第にギターシンフォニーのようなものへ変化しつつある。Toulouseでのライヴ録音は、来年何処ぞのレーベルよりリリースするつもりであるが、かつて伺った灰野さんの「エレキギターはどんな音でも出せる凄い楽器なんだよ」と云う一言は、未だ私に大きな希望を与えてくれている。

今年のマイブーム

「今年の」と云うには語弊があるかもしれぬが、先日ツアーから帰ってみると、矢鱈と食べたくなったのが「うどん」である。帰国以来、一日に二度はうどんを食している有様。うどん好きと云う関西人の血がそうさせるのか、兎に角うどんである。名古屋に於いて、味噌煮込みうどんを除けば、口に合ううどんと巡り会う事も稀なれば、自分で出汁を取りアゲを煮て「けつねうろん」作りに精を出す。また土鍋にて「鍋焼きうどん」を作ってみれば、これまた美味なり。結局「味噌煮込みうどん」「鍋焼きうどん」「けつねうろん」を取っ替え引っ替え食いまくる毎日である。元来同じものを2ヶ月食い続けても飽きぬ質なれば、このうどんブーム一体いつまで続くのやら。

今年のBurn Out!

スタジオにてAMTの新譜を録音している際、津山さんのベースに使用していたミキサーの5chが、突然発火、スタジオ中すっかり煙り、プラスティックが燃えたような異臭が立ち篭めた。この5ch、ベースをラインで拾っていたのだが、入力オーバーでインジケーターのレッドランプが点灯しており、入力レベルを押さえねばと思っていた矢先の出来事。いくら「Monster Bass」と異名を取るパワフルなベース・プレイとは云え、ベースアンプのヘッドが燃える事こそあれど(実際AMT2ndの録音の際、ベースアンプのヘッドが燃えた)ミキサーのチャンネルが燃えるなんぞ、聞いた事もなし。昨年10万近くかけて、ミキサーをオーバーホールした甲斐もなく、いきなりこの有様では泣くにも泣けぬ。勿論未だにこの5chは使用不能。恐るべし津山篤。

今年残念だった事

WWFがWWEに社名変更させられた今年、そのWWFが遂に日本に帰って来た、と云っても横浜アリーナ1回のみの興業ではあったが、勿論チケットは獲れず観に行く事は叶わず。Smack Down Tourであった為、RAW組に属する私のお目当てジ・アンダーテイカーも、またWWFと云えばこの人と云うべきビンス・マクマホンとストーン・コールドことスティーヴ・オースチンも来日しなかった為、然程の悔しさもないが、されどそのジ・アンダーテイカーは短髪となってしまい、オースチンに至っては無期停職、事実上の解雇と云う事で、WWFに於ける世代交代の波が、確実に訪れている事に幾許かの寂しさを感じてしまう。一方HBKやホ-ガンの復帰等、かつての大御所に依存せねばならぬ状況も事実のようで、嗚呼、ならばせめてオースチンも復帰させて欲しいものである。ジ・アンダーテイカーにかつての「暗黒路線」に戻って欲しいとは、思っていても無理な相談と諦めもつくが、せめてポール・ベアラーには復帰して頂きたいし、何よりもやはり再びオースチンvsビンスの抗争は観てみたいものである。しかしこのオースチン解雇、全てがシナリオで仕組まれているWWF故に、さて真実の程は如何に?

今年のお宝な1枚

今年もまた、よくもこれ程レコードを買いまくったものである。日頃、そこいらの中古レコード屋巡りをするなんぞ勿論の事、ツアーに出掛ける度、サイケ、民族音楽、古楽、現代音楽、ムード音楽、サントラ等、見境なく軽く150枚は買ってしまう。今や買ったレコードが棚に入りきらず、部屋中足の踏み場さえない有様。そんな中でも、今年のお宝な1枚と云えば、「田園に死す」のLPか。この映画は、高校生の頃に自主上映で観て以来、私の好きな映画の1本として数えられているが、サントラ盤は以前モダーンミュージックで壁に張られているのを見た程度で、とても手の出るものとは思えなかった。されど春に名古屋トクゾウにて正午なりで客演した際、リハ終了後に近くの中古レコード屋「ピーカンファッジ」を覗いてみれば、壁に張られているのを発見。当初その値段3万円かと思いきや、何と3000円であり、思わず「中古レコードの神のお導き」かと即購入。好きな映画のサントラ盤を聴くのは、私の数少ない愉しみであり、これは本当に嬉しい出来事であった。寺山関連のファンである正午なりの石田氏は、私より先にピーカンファッジを訪れていながら、この1枚を見落としていたらしく、後悔する事頻り。
次点としては、サンドラ・ジュリアンのLP「セクシー・ポエム」と池玲子のカセット「池玲子の魅力」か。どちらもかれこれ長い間探し続けていた故、遂に巡り合えたと云う事だけで、本当に嬉しかった。こちらも当時高校生だった私は、タバコの煙に曇る名画館のスクリーンに映し出されたその妖艶なる姿にすっかり魅了され、それ以来ずっと私を悶え悩ませ続けた逸品なのである。

今年の1枚

今年の1枚は、「現地録音東北民謡大全集(日本コロンビア)」と云うLP11枚組ボックスである。定価10000円の処、九州の中古レコード屋にて1000円で購入。乞食芸能や農作業歌であった東北民謡を、その本来の姿が失われる前に記録しておこうと云う企画で、全て現地の人達によって演奏されている。節回し等も、近頃の高調子な技巧沢山、流暢且つ華麗な節回しではなく、成田雲竹らによってステージ芸として纏められる以前の、如何にも東北らしい素朴且つ力強い節回しの「生の唄」が収録されている。私は民族音楽に関して、その土地の人間による演奏である事は勿論、現地録音のものを聴くようにしている。伝統音楽とは「その土地の人達の音楽」であり、そこに根付く歴史や社会背景、更には風土や宗教も含めて成立しており、その土地の人間がその土地で演奏しているからこそ、生きているのであり意味もある。昭和20年代以降民謡がより大衆化したせいで、民謡歌手による矢鱈と技巧的な録音ばかりが蔓延り、このような素朴な現地録音は資料的価値しか認められておらぬのが残念である。「うたものブーム」以降、巷に於いて矢鱈と「歌が良かった」とのコメントを耳にするが、ならば是非とも斯様な「本物の歌」を聴いて頂きたい。「はっぴいえんど」や「Lou Reed」の類いを聴いて「歌が良い」など片腹痛いわ!

今年のロックど阿呆

Hello-Goodbye Studioの塚本憲氏により、ヒロシさんことHiroshi Narの過去の発掘音源が連続でリリースされている。勿論ヒロシさんについて、その経歴はここに私が敢えて語るまでもないであろうが、70年代初期より、その輝かしい活動経歴の裏側で、あれ程素晴らしい作品群を多重録音にて製作されていたとは、正直言って驚きであった。何と云っても、今やただの「伝説」と云う名の下に「終わっている」裸のラリーズとは異なり、ヒロシさんは未だにその己がロック道を邁進されている事はもっと評価されるべきであり、裸のラリーズの音源を後生大事に聴くのもいいが、「今」も尚ステージに立つヒロシさんを観ずしてどうするのだ。今やジム・モリソンもジミヘンも生で観る事は叶わぬし、されどそれを残念がるよりも前に、「今」ロックしているヒロシさんを観るべきではないのか。彼こそ「ロック」以外の何者でもないことは、一度でもヒロシさんのライヴを体験したことのある人であれば、異論を唱える事はなかろう。「ロックど阿呆」を自称する津山さんでさえリスペクトしてやまぬヒロシさん、そんな彼の過去の音源を耳に出来る機会を与えてくれた塚本氏に感謝すると共に、今後のヒロシさんの活動も全く目が離せぬ。

今年の廃盤

昨年秋より、当AMTレーベルの限定100枚CDRシリーズ「Gold Disc Series」は、装いも新たに「New Gold Disc Series」として、「ミュージシャン本人の意志で廃盤に出来る」と云う条件の下、限定生産体制を撤廃。その記念すべき第1弾は、私と津山さんの各々のソロのライヴ録音を収録したスプリット・アルバム「Rock is War」であった。このタイトルはWWFのTV番組「Row is War」のパロったもので、ジャケットも、HHHのTシャツを着て拳を握る津山さんと、スティーヴ・オースチンのボトルを手に、ジ・アンダーテイカーのTシャツを着て、テイカーよろしく白眼剥いている私が、各々キャッチフレーズを語っている、といったデザインである。されどこのジャケット、自分達では白眉の出来と自負していたのであるが、ツアーに於いて物販テーブルに並べるや、全くもって見向きもされず、そのセールスの悪さは当レーベル史上最低で、初回製作分のたった150枚を売り捌くのに1年以上も費やした。あまりの売れ行きの悪さから、廃盤決定と相成ったのであるが、先のツアーにて漸く在庫完売かと思っておれば、年末の大掃除にてジャケットが6枚発見されてしまった。もし購入希望の方おられれば、是非御連絡を。「悪乗りも程々に」と云う教訓を残す作品となった訳だが、来年あたり続編の「Smack Down」ならぬ「Smack Drone」のリリースを検討中。

今年のお疲れ様

名古屋トクゾウにて、自主企画「www.kuma.cc presents」をオルガナイズしていた熊沢氏が、一身上の都合でライヴ企画を辞められた。「文化不毛の土地」「何をやろうが客が入らない」と言われ続けた名古屋の地で、確実に動員していたこの企画、ひとえに熊沢氏の情熱と努力によって、成功を収めていたと言えよう。彼の熱意と地道な情宣活動が、新たなオーディエンスを発掘し得た事は、紛れもない事実。本当にお疲れ様でした。

今年のDream Comes True

何と言っても、Rosina de Peiraの生の歌声を聴けた事。彼女との対面のあらましは、人声天語第56回「ソロツアー2002(伊・仏)雑記」を参照して戴くとして、今まで何度となくToulouseに赴いたが、オクシタン・トラッドのレコードを見つける事さえ困難を極め、何かしらのコンサートさえ巡り合えず、昨年漸く1人の女性歌手と知り合えた程度であった故、 まさかRosina本人と会えるなんぞ、況してや生の歌声を聴く事が出来るなんぞ、もう夢のまた夢と思っていた。偶然インターネット上で、彼女のホテル(と呼ぶより民宿か)を発見し、駄目元でコンタクトした事から全ては始まった。遂には先のAMTのツアーにて、同じステージに立ち、一緒に「La Nòvia」を演奏出来るなんぞ、これを奇跡と言わずして何と言えばよいのか。来年の3月3日で70歳になる彼女、「まだ私の生命があるならば、今後一緒に何かやっていきましょう」と語ってくれた。もしもこの素晴らしい歌声を、ひとりでも多くの人達に届ける手助けが出来るのであれば、それこそミュージシャン冥利に尽きると云うものであろう。人生、本当に何がどう転ぶかなんぞ知る由もなし。まさしく人生こそ奇跡か。

今年の酔っ払い

元来、私は酒癖が決して良い方ではなく、大抵は説教臭くなったり、女性を口説いてみたり、時には人をどつき回してみたり、猥褻行為に走ってみたりと、翌朝に思い出しては自己嫌悪に陥る事が多いのだが、最近どうやら記憶が非常に飛び易くなり、翌朝に思い出せぬ事多過ぎて、後で人伝に昨夜の様を聞き知るに、より一層自己嫌悪となる。身近な人間は、私の酩酊ぶりをよく存じておられる故、今更始まった事でもあるまいと、捨て置いてくれたりするのであるが、よく知らぬ人間なれば、さぞや嫌な思いをしておられるに違いあるまい。以前、特捜最前線の桜井刑事(藤岡弘)の真似と云って、炬燵テーブルにダイブして肋骨を折った事もあるが、これも全く自分では記憶にない。まあ自爆している分には救いようもあるが、春のアメリカ・ツアーでは、遂に警官と喧嘩になり、ビール瓶を投げ付ける等の行為にさえ及んでいる。もう少し「大人」の飲み方を身に付けねばと思うのであるが、酩酊状態の下、斯様に分別がある訳もなし。東君曰く「赤ワインを飲んでいる時だけ、仏様のような穏やかな顔になる」そうで、「赤ワインを静脈に注射しておきたい」とまで云われている。ならばと思い、赤ワインを飲み倒せば、翌朝の頭痛は半端ではなく、世の中上手くいかぬもの。

今年の美食天国と地獄

矢張りこれは、姫路のホルモン屋「竜」のホルモン鍋に尽きよう。普段私は殆ど外食なんぞせぬのだが、それと云うのも、大抵自分で料理した方が美味いからである。されどこのホルモン鍋、これは絶対に家庭では味わえぬ、ここ「竜」でしか味わえぬのである。そもそもあれ程上質のホルモン、素人が一体如何にして入手出来ると云うのだ。姫路Mushroomを訪れる愉しみとは、ヒロシさんにお目に掛かる事(もう辞められてしまわれたが…)と、この「竜」のホルモン鍋である。
それに対して名古屋の「人参ラーメン秀和」のかき揚げラーメンは、どうやら店主が代替わりした様子で、スープも薄くなってしまい、何しろ奇跡と言わしめたあの立方体のかき揚げ、今や揚がり具合が悪い事この上なく、外は焦げ気味にも関わらず中は半生、これではもう二度と行く気さえ起こらぬ。かつては名古屋を訪れたミュージシャン皆が、そのあまりの美味さに舌鼓を打ち、ラーメン大王こと吉田達也氏に至っては、この人参ラーメンを食いたいが為に、名古屋でライヴを行っていた程であった。どうやら巷では「こってり」スープより「あっさり」スープに人気が集まっているらしく、かつて「こってり」を売りにしていた硬派なラーメン屋も、不況の煽りもあってか、すっかり「あっさり」に鞍替えする体たらくぶり。お気に入りのラーメン屋を失った今、来年は先ず硬派なラーメン屋探しから始めねばならぬか。

今年の流行語

「WHAT?」
バンド内での流行語は数々あれど、やはり今年はこの一言に尽きるかもしれぬ。元々はWWFのストーン・コールドことスティーヴ・オースチンの、あまりにも有名になったキャッチフレーズである。日本語訳では「はあ?」と訳され、関西弁で云うならば「はあ?なんや?なんや?言うてみい、なんや?」若しくは「はあ?なんや?何ヌカしとんねん、このボケがぁ!」的なニュアンスであろう。私のアルバム「Kawabata Makoto & The Mothers of Invasion / Hot Rattlesnakes」は、ZAPPAと「Texas Rattlesnake」の異名を持つスティーブ・オースチンをパロったものであり、今年8月に行われたこのユニットの初ライヴの際、SEにWWFのビデオから編集した「WHAT?」のテープを流し、ライヴでもメンバー全員で「WHAT?」のプラカードを掲げた。この「WHAT?」がオースチンによって叫ばれる以前から、偶然にもAMTの「NEW GEOCENTRIC WORLD OF ACID MOTHERS TEMPLE」の冒頭にて「WHAT?」と云うループを収録しており、何故かこの語に共鳴するものがあったのかもしれぬ。それはさておき、そのライヴの写真をウェブに掲載した事からか、海外でも時折会場にて「WHAT?」と書かれたプラカードを持参する輩を見掛けた。兎に角この「WHAT?」なる単語、海外に於いて何かと使い勝手が良く、気分を害した時なんぞ、唯一言「WHAT?」で済んでしまう、否、「WHAT?」で片付けてしまえると云った処か。

今年の本業

私の本業が「探偵」である事は、極一部の人達のみぞ知る処であるが、今年も全く仕事の依頼は無し。せいぜい山崎マゾ氏のヤフオクに於ける入札競合者の調査と、落札へ向けての傾向と対策を予想する程度。我が推理力をもってすれば、斯様な依頼は朝飯前。哀しいかな、現代に於いて私好みの「犯罪美学に裏付けられた謎が渦巻く猟奇事件」なんぞ起こりもせぬ。現代人が情報化社会に生きるが故、知らず知らずに浪漫を失い、結果のみを追い求めるがあまり、如何に短絡的にしか物事を捉えておらぬかと云う事が、斯様なところからも伺い知れると云えよう。否しかし一方で、現代社会に於いてより複雑化を辿る犯罪事件に対し、プロファイラーと呼ばれる犯罪心理分析官の存在が、アメリカをはじめ重要視されている事も事実ではあるが。 まあ近頃は、「探偵」と云えば真っ先に「探偵ナイトスクープ」が連想される時代であろうから、私の思う処の「探偵」なんぞ死語であろうか。せめて年末は、天地茂主演・井上梅次監督作品「明智小五郎シリーズ」や石坂浩二主演・市川崑監督作品「金田一耕助シリーズ」のビデオでも観て感傷に浸るとするか。

(2002/12/29)

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