ツアー雑記ヨーロッパ編を書こうかと思っていたのであるが、肝心のメモ帳を家の中で紛失。我家で一旦失せ物と化せば、まず当分は出て来ぬであろう。何せよく写真で見かける文豪の書斎の如く、雑然としているばかりか、この家には到底入らぬ程の膨大な量の楽器群にレコード、そして本やらビデオやらが、所狭しと積み上げられている有様。「忘れた頃に」とはよく云ったもので、失せ物は大抵数カ月後に、とんでもない処から発掘されるもの。このメモ帳が発掘された曉には、もしやツアー雑記の続きなんぞしたためるやもしれぬが、その時になってみぬ事には何とも明言しかねる。
AMTウェブサイトのリニューアルも目処が立った故、漸く録音作業に復帰出来る事と相成ったのであるが、昨秋のツアー前から依頼されている全作品を、「ツアーが差し迫っている」と云う理由で棚上げしてあった為、すっかり締切りが過ぎて、レーベル側から催促のメール等も殺到し、さすれば何故かやる気の失せる私であるが、そうも云うておれぬ。しかし元来、試験前日に何故か関係もない小説なんぞ無性に読み耽ってしまう性分なればこそ、今もまた古本屋を巡っては文庫本等買い漁る始末。況してヘリコイドのROCOちゃんから「今、横溝正史にハマっている」と聞かされば、私も久々に探偵小説でも読んでみたくなり、古本屋軒先の五十円やら百円やらのコーナーの常連である角川文庫版横溝正史シリーズのコンプリートさえ目指す始末。元々横溝ファンである私は、かなりの作品を既に所持し読破しているのであるが、コンプリートまでは至っておらなかった故、斯様な折にも関わらず、横溝正史熱が再燃してしまった。
横溝作品を読み出すと、何故だか市川崑監督による一連の金田一シリーズの映画も観たくなると云う連鎖性があるようで、これがまた昨年暮れからの「探偵」熱に火を付けてしまう。
「探偵」熱に火が付くと、今度は何故か岡山辺りへ、鈍行列車にて「事件」を探しに行きたくなる衝動に駆られてしまう。かつて若かりし頃、袴に下駄履きの出立ちに襤褸トランクを抱え、アテもなく彼の地へ「事件」を探しに行った事さえある。勿論「事件」と云うのは、「十数年前の連続殺人事件と関連のある猟奇殺人事件」若しくは「犯罪美学に彩られた見立て殺人事件」等であるが、斯様なものにそう易々と出会う筈もなく、結局は所謂「山陰山陽周遊」ならぬ温泉街等の観光地を巡るだけの結果となり、「火曜サスペンス劇場」でもない限り「史跡名勝では殺人事件は起きぬ」と改めて痛感するだけであった。鄙びた商人宿に泊まろうが、そこに坂口良子(註1) が居る訳でもなく、岡山にて「県警本部から来た磯川警部(註2) 」にお目にかかる事もない。勿論斯様な事は虚構であるとは判っていようが、あの辺りを訪れれば、何かしらそれらしい空気があるのではと、大いなる幻想を抱いていたのであったが、終戦直後ではあるまいし、傷痍軍人や復員服の男の姿どころか、地方と云えども都市は矢張り近代都市の様相を呈し、横溝ワールドの淫靡且つ陰惨な猟奇事件の匂いなんぞ何処にも漂ってはおらぬ。田舎を訪れた処で、観光地でもない土地では、見慣れぬどころか珍妙な出立ちの私は、単なる不審人物でしかなく、好奇と疑心の目で見られるに終始したものである。「旅は道連れ、世は情」「旅は情、人は心」とよく云うが、この珍妙な身なりにして、「猟奇事件を求めて来ました」等と云えば最後、気味悪がられる程度ならばまだ良いが、「不謹慎な!」の一言で、当然道連れになるような奇特な物好きも居らねば、情けを感ずるような心温まるエピソードなんぞ望むべくもなし。
「横溝作品=金田一耕助」と云う図式は、「江戸川乱歩=明智小五郎」の図式が必ずしも成り立たぬと同様、映画やテレビが作り上げた影響もあろう。勿論多くの横溝作品に金田一耕助が登場する事は、紛う事なき事実であるが、テレビドラマ化された横溝作品に於いて、原作では金田一耕助が登場せぬ「真珠郎」「仮面劇場」のようなものもあり、それは即ち「横溝作品=金田一耕助」と云う図式を大衆化する事で、横溝ブームを仕掛けた角川春樹の戦略であったと云えるだろう。(註3)
原作に於いて金田一耕助の初登場は、あの有名な密室殺人事件である「本陣殺人事件」であり、その出立ちは雀の巣のようなもじゃもじゃ頭に形崩れしたお釜帽、羽織袴に下駄履き、それに確かこの当時はステッキ姿であったと記憶する。ステッキは兎も角も、終戦直後の「百日紅の下にて」に於いての復員服姿以外は、大抵このお馴染みの出立ちとして書き記されているが、一方で中尾彬が金田一耕助に扮した高林陽一監督によるATG映画「本陣殺人事件」では、時代設定が現代(製作された当時の70年代)に変更された御蔭で、袴姿ではなく何とジーンズ姿であった。そもそも金田一耕助事件簿最初の映画作品「三本指の男(原作『本陣殺人事件』)」をはじめ、「獄門島」「八つ墓村」「悪魔が来たりて笛を吹く」「犬神家の謎・悪魔は踊る(原作『犬神家の一族』)」「三つ首塔」にて片岡千恵蔵演ずる金田一耕助に至っては、ソフト帽にスーツ姿で何とピストル所持(!)であったし(これでは彼の当たり役「多羅尾伴内」と大差ないではないか!…多羅尾伴内も私にとっては小林旭の方がハマり役であったが…)、中川信夫監督作品「吸血蛾」で金田一耕助を演じる池辺良は、クールなトレンチコート姿であり、これらのダンディーな姿は所謂「活劇スタイル金田一耕助」とでも呼べばいいのか。
しかし一方で1976年に市川崑監督が、横溝ブームの火付け役となった角川映画の記念すべき第1作目にして、彼の金田一耕助シリーズ第1作目でもある「犬神家の一族」で、石坂浩二を金田一耕助役に抜擢し、原作から伺えるあの袴に下駄履きスタイルを、遂にスクリーンに登場させたのである。(註4)
翌77年、東宝が市川崑監督による「悪魔の手鞠唄」「獄門島」と2作品を放つのに対し、松竹は野村芳太郎監督作品「八つ墓村」を送り出す。 これは当時、「たたりじゃ~!」の流行語まで生む程のヒット作品となったが、時代設定は終戦直後から現代(製作された当時の70年代末)に変更され、松竹の顔である「フーテンの寅」でお馴染み渥美清が、まるで田舎のオッサンのような出立ちで、手拭い片手に「さえない私立探偵」である金田一耕助を演じており、それもその筈、本作は金田一耕助が大活躍する「探偵推理映画」と云うよりは、八つ墓村に纏わる落武者の祟りに起因した「伝奇オカルト・ミステリー映画」の色彩が濃く、金田一耕助はその物語の顛末を淡々と語る語り部にしか過ぎぬのである。この77年には、矢張り袴に下駄履き姿の古谷一行扮する金田一耕助のテレビシリーズもスタートし大人気を博した。(註5) 漸くここで「金田一耕助=袴下駄履き姿」と云うイメージ がすっかり定着したのであろう。
この後も市川崑監督・石坂浩二主演の金田一耕助シリーズは、「女王蜂」「病院坂の首縊りの家」と立て続けに製作される。これに対し、かつて金田一耕助役に高倉健(註6)を配した事さえある東映は、西田敏之扮する金田一耕助と云う「云われてみれば、実はこれこそ原作の『一見風采の上がらなさそうな』人物像にかなり近いのでは」と思わされた「悪魔が来たりて笛を吹く」、続いて今度は一転、鹿賀丈史扮する「胡散臭い」金田一耕助を擁して、何故だかBeatlesの「Let it be」をテーマ曲に「鵺の鳴く夜は恐ろしい」のコピーで話題となった「悪霊島」の2作品を放つ。そして現在に至るまで、テレビ各局でも様々な金田一耕助シリーズが製作されており、定番古谷一行を筆頭に、小野寺昭、片岡鶴太郎、中井喜一、役所広司、 似合う似合わないは別にしても、全シリーズ共に金田一耕助は、矢張り袴下駄履き姿で一貫されている。しかしこれら最近のテレビシリーズや、映画作品に於いても「悪霊島」辺りは、既に舞台が一体いつの時代なのか曖昧な感じで、金田一耕助は相も変わらず袴に下駄履きであっても、脇を固める役者の衣装や背景がどうにも斯様な時代を感じさせるものではなく、それ故に金田一耕助が、事件を求めて旅に出た当時の私とまるで大差ない「不審人物」にしか見えて来ないのは、果たして私のトラウマなのか。
事件を求めて旅に出た頃は、ひたすら「事件」を追い求めていた為、横溝正史に纏わる史跡なんぞ興味も湧かなかったが、もし今度また岡山方面へ出向く事があれば、是非映画ロケ地や横溝正史所縁の史跡等を訪れてみたいものである。時代劇を愛してやまぬ津山さんが、「『柳生十兵衛』の装束で柳生街道を歩いて、峠の茶屋で団子を食うてみたい」と言っていたが、私も矢張りこの雀の巣どころではないもじゃもじゃ頭に型崩れしたお釜帽を乗せ、袴に下駄履きで、再び岡山を訪れたいものである。とは云え、例えトヨエツが金田一耕助を務めたからと云って、斯様な出立ちでは、再び単なる不審人物と思われるのがオチであろうか。せめて今度こそ、旅館では坂口良子に出迎えて頂きたい。
さていざ旅に出るならば、旅先にて相棒の磯川警部が必要であろう。どなたか私の磯川警部になっては頂けぬものか。この際だから性別年令問わず。そんな磯川警部があるものか、斯様に文句を宣う御仁も居られるだろうが、要は「旅は道連れ」である。況してや「獄門島」のマドンナ大原麗子のような美女と恋に落ちられるならば、「八つ墓村」のロケ地である満奇洞にて「竜の顎(あぎと)」を訪ね、横溝作品の淫靡な空気よろしく、愛欲に溺れてみるのも一興か。
(2003/1/25)
(註1)金田一耕助が宿泊する旅館で坂口良子扮する仲居が働いているのは、「病院坂の首縊りの家」「犬神家の一族」の2作品であり、この両作品とも岡山が舞台ではないが、矢張り鄙びた旅館に咲く一輪の花として、そしてひとり旅する寂しい心持ちなればこそ、敢えてここは坂口良子であって欲しい。[戻る註1]
(註2)市川崑監督作品では、岡山県警の磯川警部と警視庁の等々力警部、更に那須署の橘署長の3役全てを、加藤武が演じており、混同混乱を招きがちであるが、岡山を舞台とする「獄門島」「悪魔の手鞠唄」「八つ墓村」では岡山県警の磯川警部が、東京が舞台の「病院坂の首縊りの家」や京都と伊豆が事件現場となった「女王蜂」では警視庁の等々力警部が、信州が舞台の「犬神家の一族」では那須署の橘署長が登場している。因みに等々力警部は、横溝作品上のもうひとりの名探偵である由利麟太郎とも仕事をしている。しかし流石に横溝作品の3大キャラである人形佐七とは、時代が違い過ぎて無理であったか。(註:由利事件簿と金田一事件簿に登場する等々力警部は、各々別人とする説も有り。)[戻る註2]
(註3)しかし逆に金田一耕助が原作では登場しているにも関わらず、テレビでは登場しないと云う「火曜日の女」シリーズなるものもある。「蒼いけものたち(原作『犬神家の一族』)」「おんな友だち(『悪魔の手鞠唄』)」「いとこ同志(『三つ首塔』)の3作品であり、これらは舞台を現代に移したからこその、大胆なアレンジが施されている。先日CSで放送された折に初めて観たが、一見まるで普通のサスペンスやホームドラマのような作りの御蔭で、番組案内を見るまで、馴染み深い横溝正史の代表作品であることさえ気付かなかった。[戻る註3]
(註4)「金田一さん、事件ですよ!」のコピーがCMでお茶の間に流されるや、例えこの作品を知らなくても、「金田一耕助」なる探偵の名前だけは、誰もが知る処となった。勿論御多分に洩れずこの私も、これを契機に横溝作品へハマって行ったのである。本作以来、金田一耕助の映画作品は、市川崑監督作品であるにも関わらず駄作の烙印を押されたトヨエツ主演「八つ墓村」を除いて、全てリアルタイムで観ているクチである。特に本作は、その映像美としての衝撃に纏わる話題性もあり、当時プールで両足をV字に水面から出しては「青沼静馬!」とギャグにしたのも、思い返せば誰もが思い当たる事だろう。[戻る註4]
(註5)この77年には、何と愛川欽也が金田一耕助に扮した土曜ワイド劇場版「吸血蛾」も存在するのだが、幽かに当時観たような記憶があるのみで、ここでは敢えて触れない。確か袴に下駄履き姿だったような気がするのであるが、何せ25年も前の事であるから定かではない。それでなくとも近頃自分の記憶にかなりの間違いがあった事が、CSでの数々の古いドラマの再放送で明らかになってきているのだから。[戻る註5]
(註6)1961年に東映が製作した「悪魔の手鞠唄」は、何と高倉健が金田一耕助を演じているとか。高倉健の「ゴルゴ13」は「あり」と思ったが、果たして金田一耕助となるとどうだろうか。61年と云う時代から考えて、高倉健がもじゃもじゃ頭に袴下駄履きと云う事は多分ないであろうが、兎に角何としても是非観てみたいものである。否、私にとっては、「これを観ずには死ねん」1本である。(かつてCSの東映チャンネルで放送していたにも関わらず、迂闊にもチェックし忘れたと云う経緯あり。)[戻る註6]