『人声天語』 第83回「嗚呼、クロアチア…そしてイタリア再び…」

11月28日、午前8時起床、ちびマルコと一緒に朝食のビスケットを食し、彼のお母さんが入れてくれたエスプレッソをやる。

彼の両親は友人同伴で昨夜のライヴに来ており、果たしてどう思ったのであろうか。彼は一人っ子にして、両親が彼の音楽活動を承認し応援している様子なれば、仕事もせず、日がな音楽製作に勤しんでいるようである。また年輩者であるMarcoが全面的にバックアップしている故、未だ二十歳そこそこでアルバムを3枚リリースし、聴いてみたいCD等もレコード店経営のMarcoから「勉強」と云っては貰えるようで、当時の私が置かれていた状況から考えれば、何とも幸せ過ぎる環境であるが、きっとこの先何処かに大きな落とし穴が待ち受けている事であろう。人生とはそれ程甘く生温いものではない。「天才」なればこそこの状況を手にする事も出来たのかもしれぬが、「天才」なればこそ背負わねばならぬ「業」もある。この先、この「天才」ちびマルコはどう転がっていくのか、果たして「ロックスター」になり得るのか、とても楽しみである。

さていよいよクロアチアへ向けて出発。先日訪れたエストニア同様、更に途中でスロベニアを通り抜けねばならぬ為、出入国のチェックが厳しいとかで、荷物は機材のみ、再び機材一式のシリアル番号のリストも作成。ハイウエイの入り口にて、Alessio組と待ち合わせ、2台の乗用車にJenifer Gentle5名、我々5名、そして機材一式を積み込み出発。我々の車はキーボードプレイヤーのMassimoが運転し、ベーシストのIsaccoがナビ、後部座席には津山さんと私がちびマルコを挟む形で座る。

カーステにて「Great Rock Guitarist」やら「Great Rock」やらと書かれた、ちびマルコによって編集されたカセットを聴きながらのドライブ。津山さん曰く「俺もこんなカセットぎょうさん作ったわ。」アルビン・リーで津山さんとちびマルコは、この狭い座席にも関わらずギターを弾くアクションをして大暴れ、L.Zeppelinが流れるや大合唱、年令こそ親子程離れるこの2人、実は全くノリが同じ「ロックど阿呆」である事がここで発覚するや、津山さんもちびマルコを大いに気に入った様子で、Massimoが落ち着いたルックスとは裏腹に実はかなり面白い奴で、調子に乗ってハンドルから手を離し踊りまくってはこの2人を唆す故、「2人のビッグショー」宜しく更に盛り上がり、車内どんちゃん騒ぎのままドライブは続く。これぞまさしくイタリア人気質なのか。

スロベニアの国境へ到着、心配性のAlessioの不安ぶりはピークに達し、脳天気な我々と好対照に落ち着かぬ有様。ここの通貨の単位が「sit」と表示されていた事から、津山さんは「ここはウンコが金なんか!ほなウンコで払えるんや!」とジョークも絶好調。されどウンコは「shit」であり、「sit」は座るの意なのであるが、それはここでは言わずにおこう。

入国手続きに30分程を要しはしたが、無事国境通過。晴天であった空模様も、ここら辺りから俄に曇りだす。何ともド田舎で、まるで島根県のような印象しかないスロベニア。

エストニアの国境に到着、こちらは殆どチェックもなく入国。次第に霧が濃くなり、ついに後続車のAlessio号を見失う。携帯電話もここでは使用出来ず、クラブへのディレクションは先導車であるこちらが所持している為、路肩に停車しAlessio号を待つ。待つ事30分、漸くAlessio号を発見。心配性の彼の悲壮さたるや、その気持ちを察するに余りある。

目的地であるクラブKsetも近いと云うことであるが、ディレクションによれば「巨大なパラボラアンテナが見えたら左折」らしいのだが、この濃霧で全く何も見えぬ。そこらを行き交う人を捕まえては、ナビのIsaccoが「Excuse me, Kset?」と尋ねるが、どうにもはっきりした答えが得られず同じエリアをグルグルと回っている。この「Excuse me, Kset?」が繰り返されるうち、次第に可笑しくなってきた我々は、窓を開けて誰彼なしにこのフレーズを叫びまくる。車を停めた折、こちらに歩いて来たAlessioにも当然「Excuse me, Kset?」、されど何の事やら判らぬ彼、ただ呆然とするのみで、その顔に表れる悲壮さたるや筆舌に尽くせぬ程。これを見て我々は大爆笑。一体のべ何人に尋ねたやら、漸くクラブKsetに到着。

今宵のローカル・オルガナイザーは、以前「Japanese New Music Festival」をオルガナイズした事もあるようで、津山さんとの再会を喜んでいる。いきなり赤ワインが登場、嬉しいおもてなしである。クラブは然程広くはないが、バーテンダーのネエちゃんがセクシー且つキュートで結構結構。東欧である為、顔立ちの整い具合たるや目を見張るものがある。

倉庫に眠るアンプ群から良さそうなアンプを選びサウンドチェック。いきなりヘッドが壊れており、他のものとチェンジ。されど音的にはまあまあで問題もなし。

近くのホテルへ案内され、チェックイン後そのままレストランにてディナー。レストランなれば我々AMT一同は当然「ステーキ」をオーダー。味の方はまあまあと云った処か。本来なら部屋でひと眠りといく処だが、美女の予感にクラブへ戻り、バーカウンターにてビールを飲みつつ美女ウォッチング。

客は狭い店内に超満員状態。イタリア以外では初ライヴとなるGenifer Gentle、客の反応も上々にて、本人達も遥々来た甲斐あったと実感している様子。ホテルの部屋にて仮眠しているCottonと夘木君が、開演時間が迫ってきても戻って来ぬ。津山さんと東君と3人で、道にでも迷ってはおらぬかと気を揉んでいる処へ、何食わぬ顔で戻って来た2人には何も云う事叶わず。

ライヴもトラブルなく終了、終演後ボックス席にてネエちゃんとビール片手に雑談するも、昨夜同様疲れ果て口説く気力も体力もなく、さっさと皆でホテルへ戻る。私は東君と同部屋、津山さんは「ロックど阿呆」同志と云う事で、ちびマルコと同部屋。疲れたのでシャワーを浴びてさっさと就寝しようと思えば、「Sports & News」のチャンネルがエロ番組を絶賛放映中。成る程エロはスポーツなのか…等と納得しつつ、眠気も吹っ飛び朝5時の放送終了まで観てしまう。

11月29日、朝7時起床。再びテレビをつけるが、「Sports & News」のチャンネルでは、昨夜の事は夢か幻かの如く、健全にエアロビックス番組が放映されている。マッチョな黒人が、DJがプレイする音楽に合わせ「1、2、3、4!」と若い男女数名を指導しているのであるが、そのエアロビが何とも妙なのである。最初はボクシングのポーズであったせいで、東君と近頃流行りのボクササイズかと思っていたが、その後更に野球やバスケットボール、バレーボール、サッカー等、各スポーツをモチーフにしたオリジナル技を次々披露。ダンス好きの東君は、起き抜けながらテレビに合わせて踊っている。クロアチアの人達は皆、朝からこのエアロビを楽しんでいるのであろうか。

ホテル内のレストランで朝食を取り、今日はBologna目指し大移動である。我々がPadovaに残してきた荷物は、別便でBolognaまで運んでもらえるらしく、ここまま一路クラブへ直行する模様。ホテルを出れば、目の前に巨大なパラボラアンテナが聳え立つ。これぞ昨日のクラブへのディレクションに於いて最も重要なキーワードであった代物で、濃霧で全く見えなかった故に道に迷ったが、もしこれが見えておれば容易にクラブへ辿り着けたであろう。

再びスロベニアを通り抜けイタリアへ戻る。集合場所であったハイウエイの入り口で、直接Bolgnaへ向かう組と機材運搬組の2組に分かれ私とCottonは機材運搬組へ。一旦ちびマルコ宅へ立ち寄り私の荷物をピックアップし、未だ蕁麻疹に苦しむ東君の為にちびマルコのお母さんから薬を貰い、アンプ等の機材が積まれているリヤカーみたいな車を牽引し、一路Bolognaを目指す。

BolognaのクラブLinkに午後7時前に到着。人足先に到着している面々と機材を下ろし、手早くサウンドチェックを済ませる。Jenifer Gentleから共演を依頼され、東君と共に1曲参加する事にする。今夜のオルガナイザーRicoやBlow Up magazineのGinoと再会。楽屋にはビールやらワインが用意されており、赤ワインを飲むや急に睡魔に襲われ少々仮眠。蕁麻疹に苦しむ東君は、きっと原因は赤ワインであろうと、ビールのみに限定している様子。

Jenifer Gentleの演奏が始まるが、 客入りはイマイチか。最後の曲で、ゲスト参加するべくステージに上がったが、モニターの音が強烈に喧しく耳が飛びそうである。こいつらアンプの生音も小さければ外音も小さい癖に、何故モニターのみ斯様に爆音なのか。AMTは爆音で演奏はすれど、モニターに頼る事が少なければ、斯様な具合になならぬ。そもそもモニターなんぞ、余程の大ホールでない限り然程必要もなく、況してギターやらベースやらを返してもらうなんぞ、それならばアンプの生音を上げろよな。モニターから返される音は、アンプの生音と異なりPAから発せられる音質なれば、何とも耳に痛い類いの音で、あんなもんの中にずっとおれば難聴になりそうである。この酷い状況下でも何とか共演を済ませ、いよいよAMTのセットへ。

終演し片付けを済ませれば既に午前2時を回っている。AMTの面々は楽屋にて仮眠。何しろ早朝4時50分発の列車に乗って、Parisへ向かわねばならぬ。Genifer Gentleの面々は、今からPadovaへ戻る。別れを惜しみつつ、またの再会を誓う。私は荷物のパッキングをやり直す。ここしばらく車で移動したり、機材のみで移動していた為、レイアウトがかなり崩れており、再び明日から始まる連日の列車移動に向けて、対策は打っておかねばならぬ。

パッキング終了とほぼ同時に、Ricoが「4時半だ、出発!」と、眠っているメンバーを起こしに来る。車3台に分乗しBologna駅へ。未だ人陰も疎らで店も全て閉まっている。そもそも最初のプランでは5時半頃発の列車に乗る予定であったが、Jeromeが既に、我々の携えている時刻表には掲載されておらぬ4時50分発の列車のチケットを購入しており、我々も彼と同行する意味もありそちらに変更したのである。更に5時半発の列車では、Milanoでの乗り換えが僅か10分程しかなく、こちらの列車なら乗り換え時間に余裕もある。何せこちらでの乗り換えは、平気で15分は到着が遅れる為、常に最低15分の余裕は見ておきたい処である。今日はここMilanoにて、目指すParis行きに万が一乗り遅れる事にでもなれば、もう絶対ライヴには間に合わぬ為、何としてでもこの列車に乗らねばならぬのである。

何とか全員寝呆けながらも無事乗車、列車に間に合った安堵感からか全員爆睡。

ふと目覚めれば列車は停車しており、車内に人の気配もなし。窓の外を眺めれば、ここはどうやらMilanoの様子。同じコンパートメントを占拠していた東君を叩き起こし、大慌てで下車。丁度違う車両から津山さん達も下車しているのが目に入る。どうやら全員Milanoに到着した事にも気付かず眠り続けていたらしい。これがもし5時半発の列車に乗っていたのであれば、見事にParisへの乗り継ぎに失敗していたであろう。少々時間があるので、駅のキオスクにて食料と赤ワインのボトル1本を購入。無事にParis行きのTGVに乗り込み、いよいよフランスを目指す。

(2003/2/21)

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