12月5日、朝9時起床、遂に目覚めの悪さが目に余る程となり、昨夜遅くまで起きていたとは云え、今回のツアーで初めてメンバー中一番最後に目覚める。Beaがコーヒーと朝食を用意してくれる。彼女のお母さんに前回御会いしたのだが、その時撮影した写真を「St.Captain Freak Out & The Magic Bamboo Request」の表ジャケットに使ったと告げれば、是非お母さんに見せたいと云われ、送る約束をする。
Beaの車で駅へ送ってもらい列車を待っておれば、あのドラマーが口説き落とした女性の車で駅に現れる。どうやらここでDrew達と待ち合わせしている様子。「これでDrewらが来えへんかったら面白いのになあ」と眺めておれば、Drew一行が登場。さて彼等はこれからどうなるのやら。
12時過ぎの列車にて出発、NarbonneにてMontpelie行きに乗り継ぎ、更にMarseile行きに乗り換える。Montpelie駅での乗り換えを待つ時間に、そう云えば表にマクドナルドがあった事を思い出し、ビッグマックのセットを食す。しかし何が悲しくて、フランスでビッグマックを食わねばならぬのか。Marseile行きの列車を待つ間、津山さんと東君は駅の時計に背を向け、1分間の長さを当てる賭けをやっている。この2人ともギャンブラーにして、至る所で何でも「賭け」の対象にしてしまう。況してクラブにビリヤード台でもあった日には、時間を忘れてプレイし続ける有様。
Marseileは「海大好き」な東君のお気に入りの街である。前回訪れた際、クラブで働く綺麗な女性に好意を抱いた彼であったが、果たして今回その女性と再会出来るのか。そもそも今宵はクラブも違う故、その可能性は限り無くゼロに等しいであろう。次第にMarseileに近付き、窓から海が見えるや、東君は嬉しそうである。そして今日がこのヨーロッパ・ラウンド最終日にして、明日はいよいよ帰国である。皆口を開けば「疲れた」若しくは「帰国」についての事ばかり。
Marseileに夕方6時到着。Maryleneの携帯に電話すれば、渋滞で遅れるとの事。彼女がクラブに電話してくれ、誰かが迎えにくるだろうからと云うことで、外が見渡せる駅のバーにてワインを飲み待つ事にする。待つ事1時間、漸く迎えがやって来る。車に全員乗れぬ為、私と東君はクラブの男性スタッフと地下鉄にて向かう。彼が「何語で歌うんだ?」と聞いてきたので「オック語」と答えるや、彼は仰天。そもそもオクシタン地方でさえオック語が話せる人間は僅かである現在、まさか日本のバンドがオック語で歌うなんぞ、想像だにしておらなかったであろう。彼はオクシタン文化センターのような場所でも働いているらしく、もし時間があれば案内すると云ってくれたが、残念ながら明日は帰国、今夜は終演と同時にGrenobleへ走らねばならぬ。
今宵の会場Balthazarに到着すれど、Drew一行が到着せぬ事には機材もないので、サウンドチェックも出来ぬ。クラブの隣は楽器屋で、それもヨーロッパの民族楽器を扱っている。覗いてみれば、そこの主人が私の背負ってるブズキを見つけ「Oh Nice!」と喜んでいる。
クラブにはFractal RecordsのJeromeが遥々Parisから来ていた。これには我々一同仰天。クラブのバーで彼とビールを飲みつつ談笑。未だ機材は到着せぬので、周囲を散歩する。坂道ばかりで、橋で道が立体交差しているが、この古い町並から考えて、この橋も古いものであろう。日本では幾ら斜面に街が構成されている長崎や尾道のような所であっても、斯様に複雑な迷路じみた立体的な道は見た事がない。しばらく歩いていると中古レコード屋を発見、入ろうとすると「Closed!」と丁度閉店で、中を覗けば1ユーロ均一のカスコーナーは膨大にして、更に壁面には興味深げなサイケっぽいLPが貼られている。残念至極。
クラブに戻るや、Drew一行が到着、皆で機材を下ろす。今日も時間がない事をいい事に、サウンドチェックはせずに済ます。Maryleneのお母さんが遥々Grenobleから車でやって来た。と云うのも、今夜終演後、我々は車で一路Grenobleを目指し、朝5時15分発のParis C.D.G.空港行きのTGVに乗らねば、帰国便の飛行機に間に合わないのだ。その為に、わざわざMaryleneのお母さんに御足労願った次第である。
Maryleneのお母さんやJeromeも一緒にクラブでディナー、メニューはまたしてもパスタ。今回はイタリアは当然としても、何かとパスタに遭遇する事が多く、更に日本から「かさ張らぬ」「麺は何処ででも買える」と云う2つの理由から「まぜりゃんせ」等の和風パスタソースを大量に持参しており、ここまで散々パスタを食ってきた故、もううんざりである。されど空腹なれば仕方なく、取り敢えず食っておく。片や「パスタ好き」の東君は「うまいよ」と平然と平らげている。
開演予定時間の10時半になっても、未だDrewのバンドPsychic Paramountの演奏は始まらぬどころか、その気配さえなし。Maryleneのお母さんがここまで来るのに2時間半を要したと云う、ならば我々は遅くとも2時にはここを出発せねばならぬ。片付けや積み込みの時間を考慮すれば、1時半には絶対終演せねばならぬ故、1時間演奏するとしても12時半には演奏を始めたい処である。否、出来れば12時に始めて1時過ぎに終了しておきたい。
そんな我々の気の焦りも彼等には通じておらぬのか、そもそもこのMarseile公演については、当初Maryleneから話が来た折、私は自宅にあるヨーロッパの鉄道時刻表で調べた結果、MarseileからParis C.D.G.空港へは始発のTGVに乗っても帰国便の飛行機には間に合わぬだろうと、一度は断ったのだが、彼女がGrenoble発の列車なら間に合う事を調べ、終演後Grenobleまで車で送ると云うので、仕方なく了承したものである。
されどそのMarylene本人も脳天気にビールを飲んで騒いでおり、本当に我々を5時15分Grenoble発の列車に乗せてくれるつもりなのか、こちらの不安は募るばかり。我々のただならぬ気配を察知したJeromeが事の仔細を知り、彼女に掛け合うが「心配しないで」と足蹴にされた模様。Psychic Paramountは45分で演奏を切り上げるらしいが、それにしても既に11時を回っておれど、未だ演奏が始まる気配はなし。
結局11時半からPsychic Paramountの演奏は開始された。Maryleneは絶対大丈夫と云っているが、まだ二十歳過ぎの彼女なれば、先日金を盗まれた経緯もあり、絶対的に信頼出来ると云う訳でもなし。我々は兎に角何が何でも1時に演奏を終える事を決定。金を払って来てくれている客には申し訳ないが、我々とて帰国便に乗り遅れる訳にはいかぬ。我々の焦りは募る一方で、普段なら乗り遅れた処で「まあええか、フランスでツアーの疲れを癒すのも悪くはあるまい」等と笑っている状況ではあるやもしれぬが、今回ばかりは勝手が違う。帰国翌日には名古屋トクゾウにてワンマン・ライヴをブッキングしている。何としてもトクゾウにてのツアー千秋楽だけは行いたい。そして何より「日本へ帰りたい」と云う想いは、ここまでの長旅を気力のみで乗り切って来ただけに、いつも以上に強い。今やバンド内の合言葉は「帰国」の一語のみに集約されている。
Psychic Paramountの演奏は、Maryleneの言葉通り45分で終了。彼等の演奏中に、我々は「La Nòvia~Speed Guru」1曲のみを演奏する事に決定し、東君は既に不要なエフェクターをエフェクターボードから外している。飛行機に預ける荷物の重量制限の為、通常なら彼のスーツケースには、エフェクターボードも収納出来る処を、今回はシンセのみしか収納する事が許されず、このツアーのフライトに限り、エフェクター類は、全てあの「お地蔵様」と呼ばれる巨大ギターケースに収納される手筈となっている。それ故、エフェクターボードの分解、パッキングのやり直し等、終演後最も時間を要する彼なれば、既にエフェクターボードの分解も兼ねて、今日のライヴ用セッティングの準備を進めていたのであった。
ステージにてセッティングの入れ替えの際、Drewから「Please believe me.」と声を掛けられる。「2時間でGrenobleに到着出来るから、安心して1時間演奏してくれ」と云われるが、既に「La Nòvia~Speed Guru」1曲のみと決めている我々、私は「Thank you!」とだけ返事をしてセッティングを急ぐ。
15分でセッティング完了、我々の演奏は12時半きっかりにスタート。津山さんが時計を持っているのでタイムキーパーを務める。ライヴに於いて「本気モード」の時は絶対眼鏡を外す津山さん、普段AMTのライヴに於いて眼鏡をかけたままステージに上がる事は皆無であるが、今日は眼鏡をかけたままである。「眼鏡かけて冷静さを保つ」所存らしく、東君にも「眼鏡してライヴやれ」と云ったそうだが、私と同じ、否、それ以上に「客に対し不義理は許されん」タイプなれば、「1曲と云うのは理解出来るが、最初から30分と時間を切って『営業的に』やることは出来ん!」と息巻いていた故、矢張り眼鏡を外してステージに上がっている。こういう夜は何か嫌な予感がするもので、特に東君のシンセのレバーのひとつのポットが外れており、鋭利な芯が剥き出しになっているのが、私には妙に気に掛かる。
さて演奏の方は、ここまでの焦燥感から来る憤りと、「30分で燃え尽きるべし」と云う使命感から、終演後にJeromeが「凄まじかった」と興奮する程の鬼気迫るハードコアな演奏にして、1曲でAMTファンを納得させねばならぬと云う想いから、いつも以上に即興部分は展開に富み且つ強烈にエッジの効いた演奏を繰り広げた。エンディングの「Speed Guru」では、「世界最強にして最凶のバンド」らしく、何かが憑衣したかの如く大暴れ。私がギターに特大のチョークスラムを敢行、それを合図に終演するパターン。
楽屋に戻って時計を見れば1時半きっかりである。全てここまでは予定通りであり、この後のステージの片付けから機材の撤収と積み込みの段取りに到るまでの青写真も、私と津山さんの間で既に出来上がっている。順番にメンバーが楽屋に戻って来る、先ず津山さん、そして東君…。その時津山さんが「東君、それどないしたんや、大丈夫か?」と何やら叫んでいるので振り返れば、東君の右手の手の平から大出血。傷口を見れば骨さえ剥き出しになっている。どうやらシンセを振り回し投げた時に、例の芯が剥き出しになっていたレバーで怪我したと思われる。山男にしてレスキューも行う津山さんが即、応急手当てを施す。心配掛けまいとする東君は「大丈夫です。大した事ないですから」と云うや、津山さんに一喝される。パニックを引き起こさぬ為にも、この場は各々自分が何をすべきか判断する事が重要であり、津山さんの「楽屋に誰も入れるな」の一言もあり、東君の事は津山さんに任せ、私は他のメンバーに機材の撤収とパッキングを指示。されどライヴの興奮覚めやらずに楽屋を覗きに来たJeromeが、血だらけのこの惨状を見てパニックとなりおろおろするや邪魔なだけで、彼にもパッキングを手伝うように指示。されど彼は相変わらずおろおろするばかりで足手纏いな事この上なし。楽屋から津山さんが私を呼ぶ声がし、楽屋に戻れば「応急処置はしたけど、これは今すぐ医者に見せなあかんな。すぐに救急車呼んでくれ!」バーにいたDrewを捕まえ事のあらましを説明、クラブのスタッフに救急車を呼んでもらう一方で、機材車をクラブの前に回して積み込みを開始するよう依頼。驚異的迅速さで救急車は到着、救急隊員数名がクラブに入って来るや、まだ興奮覚めやらぬ客はざわめく。津山さんからの質問「彼はこの後Grenobleまで車で行く予定だが、果たしてそれは可能か」「それは無理でも、この後日本へフライト出来るのか」を、私がJeromeに英語で伝え、彼が救急隊員にフランス語で伝える。結果「即、縫合手術が必要」と云う診断で、東君は今夜我々と共にGrenobleへ行く事は不可能となった。その後の事柄については、手術する医師の判断によるものとされ、果たして彼が今後いつ動けるのかはここでは判りかねるとの事。兎に角、東君は帰国出来ぬかもしれぬが、せめて残りの4名は何としても帰国せねばならぬ。フランス語が判ると云う意味で、Jeromeに付き添いとして救急車に乗ってもらう。Jeromeは大役を任せられたからか、それともアドレナリン全開なのか、「Wowwwwww! Rock’n’Roll!!!」と叫び拳を突き上げ、東君と共に救急車に乗り込んで病院へ。一方でDrewに任せた積み込みも迅速に終了。忘れ物がないかと、再度確認に楽屋へ入れば、床には夥しい量の血の跡が生々しく残る。
ほぼ予定通りの2時に機材車とMaryleneのお母さんの車の2台は、東君のスーツケースとギターも積んで出発。私と津山さんは、Drewと共にMaryleneのお母さんの車に乗る。後部座席にて津山さんと「なんか今の騒ぎでアドレナリンが出まくったかして疲れも吹っ飛んだ」と話す。2人共、東君の心配をしつつ、妙にギンギンと冴え渡り眠気も吹っ飛んでしまっている。2人で「如何にも東君らしいなあ」「あまりにもAMTらしい幕切れ」と云いつつ「結局最後は東君に全部持って行かれてもうたなあ…今回はToulouseでのRosinaとの共演で、俺がもらったと思てたんやけどなあ…」とは津山さんの弁。「手術代払えるかな?」「レーベルの売り上げも持ってるから大丈夫でしょう(これは結局無料であったらしい)」「いつ帰国出来るかな?」「トクゾウでの打ち上げを誰よりも楽しみにしてたからねえ」「酒飲んでたから今はええかもしれへんけど、酒が抜けたら痛い筈やで」「でも手術済んだら酒飲んでるかも…」「やっぱり皆揃って一緒に帰れるといいけどねえ…」等と話しているうちに、Drewが云っていたように2時間でGrenobleのDrewとMeryleneのアパートに到着。時刻は午前4時。
Drewのアパートにてコーヒーをよばれ、東君の荷物を少しでも持って帰ろうとスーツケースを開けようとすれば、何と施錠されている。夘木君が東君の機材の殆どを取り敢えずスーツケースに放り込んで施錠し、そのまま鍵を東君に渡したらしく、仕方なくギターケースに入っていたエフェクター1点のみを持って帰る事にする。スーツケースとギターは、取り敢えずDrew宅に預けるしか術もなし。
そう云えば空腹である事に気付くや、Cottonはここで虎の子の「どん兵衛」を取り出す。ここまで温存していた事に驚きつつも、皆でこれを分かち合う。矢張りうどんは美味い。残ったつゆをCottonが捨てるや、津山さんが「勿体無い。言うてくれたら俺が飲んだのに…。」
12月6日、朝5時にGrenoble駅へ送ってもらう。お見送りはDrew、Marylene、そしてPsychic Paramountのベーシスト(名前は失念)の3名、問題のドラマーは頑張って運転してくれたので只今就寝中。このベーシストもイカれた野郎で、見送りに際し突如金髪のカツラを被って来たので、一瞬誰だかわからぬ。駅にて名残りを惜しみつつも皆とお別れ。
無事TGVに乗車すれど、ここまでずっと5人で旅して来た故、1人欠けている事が妙に違和感を感じさせる。誰からともなく「今頃どうしているかなあ?」と東君の話題となり、「ひょこっと空港に現れたりして…。」この可能性はなくもないのである。Jeromeが購入していたParisへの電車の切符は、Marseileを早朝6時過ぎに出発し、Paris-Lyon駅に9時過ぎに到着する。もしこの列車に乗り、Paris-Lyon駅からタクシーでぶっ飛ばせば、搭乗にはギリギリ間に合うかもしれぬのだ。勿論これは怪我の具合にもよるものであり、下手すれば今日1日、若しくは数日間はMarseileの病院に留まらねばならぬかもしれぬ。何にせよ空港からJerome宅へ電話してみる事にする。もしも彼が自宅にいれば、東君はMarseileに留まっているにしても、彼の様子を聞く事は出来るであろうし、不在なれば東君と共に空港に向かっているか、兎に角留守電にメッセージを入れる事は出来る。東君が空港に来れぬ場合は、最終的に彼の家に泊まると推測されるから、きっと我々のメッセージを聞く事も出来る筈である。
C.D.G.空港駅は終着駅ではないので、うっかり寝過ごす事は許されぬ故、兎に角眠い目を擦りつつ何とか眠らぬように努める。津山さんに至っては目覚ましをもセット済み。
8時50分、TGVは遅れる事もなく無事C.D.G.空港駅に到着。我々も寝過ごす事なく無事下車。早速チェックインを済ませる。心配していた荷物の重量は計りもせぬ。荷物も預け身軽となったので、朝飯を食おうと思い空港内をうろうろするや、一旦チェックインカウンターのある1階から搭乗ゲートのある2階に上がってしまうと、下りのエスカレータどころか階段さえも存在せず、どうしても地下のレストラン街へ下りる事が出来ぬ。挙げ句の果てには何故か入国審査のゲートへ辿り着いてしまい、何が悲しくて今から出国する人間が入国審査されねばならぬのかと、やりきれぬ思いで空港職員に事情を話し、何とか入国審査をワープしてエレベータへ辿り着いた。これだけですっかり草臥れた我々、潔く朝飯は諦めて素直に搭乗ゲートへ向かう。
搭乗ゲートでタバコが吸える幸せがここC.D.G.空港にはある。Jerome宅に電話すれど不在なれば、一応メッセージを英語と日本語で入れておく。さてJeromeが単に未だ帰り着いておらぬだけなのか、それとも東君と一緒に空港へ向かっているのか。我々の帰国便は10時50分発であり、もし東君がJeromeと一緒に列車に乗っておれば、9時過ぎにParis-Lyon駅着であるから、そこからタクシーにて市内のラッシュを抜けてフリーウェイをぶっ飛ばせば10時頃には空港に到着出来るであろう。荷物は持っておらぬ為、チェックインはすぐ終わるであろうから、何とか間に合う筈である。
東君が現れるかどうか、そんな話をしておれば自ずから「手術したばっかりやっていうのに酒瓶持って、人が心配してる云うのに、平然と現れたりしてな…」と津山さんが冗談混じりで話しているまさにその時、ふと搭乗ゲートへ続くエスカレータに目をやれば、右手を包帯でぐるぐる巻きにした東君が手を振っている姿が! 「来た!」
案の定彼は、手術後にJeromeとバーへ繰り出し酒を飲んでいたらしく、手術を済ませたばかりの怪我人をバーへ誘うJeromeもJeromeであるが、更にバーをハシゴしているうちに肝心の列車に乗り遅れかかり、Marseile駅までJeromeと2人で猛然とダッシュしたと云う。これぞ本当に「人の心配をよそに」と云わずして何と云う。
何はともあれ「全員揃って帰国」出来ると云う事は、本当に嬉しい事である。この2ヶ月間この5人で苦楽を共にし、いろいろな出来事はあったにせよ、皆で笑って無事(とも云えぬが…)帰国出来ると云う感慨は、もう殆ど戦友会のようなノリとでも例えればよいのか。まるで試合終了後のアストロ超人の如く、既に全員が疲労困憊、すっかり襤褸襤褸の姿にはなっておれど、何とかツアーを無事成功の下に終了出来た事、本当にこのメンバー全員に感謝して余りある。ステージでのホタえぶりは勿論の事、ツアー中はShopzoneを切り盛りしてくれた津山さん、今や世界のカリスマとなりつつあるCotton、今年1年ツアードラマーを務めてくれた夘木君、そして常にライヴで体を張って遂には病院送りにまでなった東君、本当にお疲れ様。されど帰国の翌日には、名古屋トクゾウにて千秋楽が待っている。残念ながら夘木くんはスケジュール上の問題で参加出来ぬが、ホームでのお祭り騒ぎで幕を閉じる事が出来ると云うのも初めてなれば、果たして如何な事になるのやら。何せ東君がギター弾けぬので、私と津山さんで何とか埋め合わせるしかあるまいが、皆が揃ってトクゾウのステージに立てると云う事だけでも有り難いと思わねばならぬ。
2003年は一切のライヴ活動を休止する予定のAMTなれば、次にAMTでツアーに出るのは2004年となろう。果たしてその時は一体何が起こるのやら。ツアー中は「早く帰りたい」「もうこんな辛い思いは沢山」と思えども、日本におればおったで「早くツアーに行きたい」とこの辛さが恋しくなる。何にせよ旅することは楽しいし、多くの友人と会う事は他の何にも代えられぬ。旅する事で学ぶ事は多く、築かれる絆もある。
Frankfurt空港でのトランジットは、Parisでの離陸が随分遅れた為、とても慌ただしいものとなり、タバコ1本吸う事さえ叶わず。長時間のフライトの前にニコチンの充填に失敗した我々の苦しみを察してか、日本への帰国便の機内にて、津山さんが禁煙グッズを配給。何でも「腕に張る」ものだと云うので張り付けるてみるのだが、一向に張り付かぬ。仕方なくガムテープで張り付けた処、東君も私も矢張り効果があったのか、いつも程タバコを吸いたいと思わぬ。されど後日、この代物を我々の為にと津山さんに託した津山さんの彼女の話では「阿呆やな、あれ張るんと違って噛むんやで。腕に張って効果あるわけないやん。」これぞ日々常に体験と学習であるよい一例か。
さて無事関空に到着。預けた荷物を待っておれば、我々一同を呼び出すアナウンス。はて、まさか荷物も手にせぬうちから別室行きを勧告されるのか、なんぞと思いつつ呼び出されたカウンターへ出向いてみれば「おかえりなさい」と見覚えのある女性に出迎えられる。
何と出発の際にチェックイン・カウンターで散々揉めて悪態を突いたANAの女性職員ではないか。どうやらトランジットの際積み替え時間が足りず、我々の荷物は未だFrankfurt空港に置き去りにされたままだと云う。おいおい明日はトクゾウでライヴがある故、絶対明日中には手にしておらぬと何しろ演奏が出来ぬ。今回はこの女性達に責任がある訳ではないが、何としても明日のライヴを行う為には荷物を届けてもらわねばならぬ。結局名古屋在住の私はトクゾウに直接荷物を送って貰う事にし、転送の手続きを済ませる。
空港にて解散後、私と東君は難波にて勿論一杯引っ掛ける事に。
久々に飲む焼酎の美味、到底筆舌に尽くせぬ。刺身やら煮物やら、兎に角ツアー中に食べたいと思い焦がれていた品々を注文。無事一緒に帰国出来た喜びを分かち合いつつ「おつかれさま」の乾杯。この瞬間こそ「帰国」した実感を漸く感じられる至福の時間である。カキ酢や白子に舌鼓を打ち、焼酎をやる。「嗚呼、矢張り日本人に生まれてよかった…。」そしてこのツアー雑記もこれにて幕。
(2002/2/24)