ツアー出発前のこのクソ忙しい時期は、本当に「猫の手も借りたい」のだが、よりによってそんな折、我家に巣食う猫の一匹「新クロ(♀)」が子猫を出産。こいつは今年これで二度目の出産で、猫世界におけるヤリマンなのか。しかし我家に於いて、子猫が生き残るのは至難の技である。これは、人間がエイリアンや物体Xと戦って生き残るより難しいであろう。と言うのも我家には「チビ(♂)」と名付けられた猫がいるのであるが、こいつが子猫が生まれるや否や、片っ端から食い殺してしまうのである。以前は、当然の如く増殖を繰り返す様に完全にお手上げだったが、「チビ」の誕生以後、この問題はほぼ解消された。何故「チビ」が子猫を食うようになったのか、果たして悪魔にでもに魅入られたのか等と云う事は、全くもって知る由も無い。兎に角子猫が生まれるや否や、まず1匹くわえては、頭からバリバリ音をたてて齧っていく。その様は、例え猫だと割り切れたにしても、おぞましい事この上なし。「ミーミ-」と云う子猫の断末魔の悲鳴が、悲しくも途絶えた時、子猫の姿はただ夥しい血痕を残すのみとなっている。しかしこれもまた猫の社会での問題であり、我々人間が無闇に干渉していいものでもないと思い、ただその阿鼻叫喚地獄の様を傍観するに留めている。
「チビ」は、何故か顔だけは美形揃いの我家の猫の家系にしては珍しく不細工な上、憶病者で甘えん坊、生まれた当初は体も小さく虚弱体質的で、多分長生きは出来ぬであろうと思われたが、気がつくと体だけは人一倍、いや猫一倍一番大きくなり、しかし憶病者で不細工な面構えなところは相も変わらずでもある。しかしそんな「チビ」の面構えが豹変する時期が、食猫鬼に変貌する時であり、その面構えたるや、到底猫とは思えぬ、ましてあの憶病者の「チビ」と同じ猫とは思えぬ程の、極悪人面ならぬ「極悪猫面」になるのである。元来「猫相」の悪さは感じていたが、人間で言えば、完全に凶悪殺人鬼の面相であろう。
今から遡る事8年、一匹の牝猫が我家へやってきた。類い稀な美形ぶりと人間を手玉に取る見事な甘えっぷりで、この猫は「猫」と名付けられ、知らぬ間に我家の居候の仲間入りを果たす。そして現在繰広げられている惨劇は、全てここから始まった。「猫」は翌年、4匹の子猫を出産。しかし本来野良猫であった為、野生の本能か、子猫をくわえて裏の空家へ引っ越してしまったが、それでも尚、食事と昼寝は我家でとるという図々しさ。然して子猫が少し大きくなった頃、4匹の子猫を携えて再び我家へ帰ってきた。子猫が我々にも慣れ、数々の粗相を繰り返すも、母親譲りの甘えっぷりで我々を見事に翻弄していた或る日、「猫」はその4匹の子猫を引き連れ再び何処かへ失踪。翌々日「猫」のみが何事も無かったかの如く帰還、更に続いて数日後に「トラ(♂)」が、更に数日後「ビビ(♀)」が帰還。しかし残りの2匹「ジジジ(♂)」と「タレちゃん(♀)」は帰って来なかった。2匹とも甘え上手の美形子猫であったから、きっと何処かで飼われている事を切に願いつつ、「猫」の意外なスパルタ教育ぶりに少々驚いていた。しかし数カ月後の正月に「ジジジ」は丸々と肥って突如の帰還。きっと飼われていた家が帰省でもして、ひもじくなったのであろう。そしてここから我家に我々とは別の「猫社会」が形成されたのである。
折しも巷でオウム事件が話題となり、我家はオウムのアジトと間違われると云う何とも不条理なとばっちりに因り、転居を余儀無くされる。そして猫一家も我々と共にトラックに乗って新居へ。「犬は人につき、猫は家につく」と云われるが、その通り「猫」は転居後暫くして、新たな子猫3匹を残し失踪。残ったのは以前からの2匹の牡「トラ」「ジジジ」と1匹の牝「ビビ」、更に新しく生まれた「十兵衛(♂)」。残りの新たな子猫2匹は里子に。その後「ビビ」は母となり、我家では子猫の死亡率が高く、なかなか生まれた子猫全部が生き残らない中、「クロスケ(♂)」「アンポン(♀)」が新たに加わる。その後更なる増殖を繰り広げるが、「十兵衛」の事故死、牡猫全てが謎の大量死を遂げる等で、一時は牝猫「ビビ」と「アンポン」の2匹だけとなる。しかしそれも束の間、一瞬にして再び増殖。そして「ビビ」の子供「ダンゴ(♂)」「新クロ(♀)」と、「アンポン」の子供「チビ」が生まれる。粗相を繰り返す「アンポン」と、「チビ」を除くその子猫らは、我々人間の逆鱗に触れて我家から追放され、そして遂に現在のラインナップと相成った。(現在はこれら4匹に加え、今年5月に生まれ「チビ」の毒牙を生き抜いた、未だに名前も付けられておらぬ「新クロ」の子猫4匹もいる。)しかしこの間、「チビ」に食われた子猫は数知れず、また庭に立つ墓標も数知れず。
以上が我家の猫一家のあらましである。兎に角、猫如きに馬鹿高い医療費を費やす程、動物愛護主義者でもペット愛好家でもないので、病死、事故死、行方不明等も多く、世代交代も激しかった為、一番の古株「ビビ」以外には今やさほど情も無い。増え過ぎれば、何かの拍子に自然淘汰され、血が絶えそうになると再び繁殖する。ここに、自然に於ける「種の存続」と云う一大命題を垣間見る事ができる。人類もまた然り。例えば戦後のベビーブーム等は、やはりそう云った本能的な側面に起因しているのではなかろうか。一方、種の保存の為の性行為が媒体となり伝染すると云われたエイズの蔓延等、今度は知らぬ間に何かの力で自然淘汰され始めているのかもしれぬ。また、戦争による大量死がなくなった今の日本に於いて、若い世代による凶悪犯罪が横行し始めたのも、こう云う事に関連してはいないのか。と云う事は即ち、いずれ人間に於ける「チビ」が出てくる可能性も無きにしもあらず。しかし常日頃から生命の危機を感じている方が、「生きている」事を実感出来て良いのではなかろうか。猫は日がな寝てるか飯を食ってるか、我々には御気楽極楽そうな暮らしぶりに映るが、その実、余程人間なんぞより「生きている」事を実感し、考えているように思えてならぬ。そして人間に対し、都合の悪い事は知らぬふりを決め込み、都合のいい時だけ甘えてくる。我々にとって猫はペットであるが、猫にとって人間は下僕なのかもしれぬ。お互いの思惑等知る由もなし。
ついぞ先程、「チビ」が最後の1匹を見事に仕留めたが、私の姿を見て、食いかけの子猫を放置し一目散に逃走。嗚呼悲しいかな、その後には、食い散らかされた子猫の残骸を自ら貪ることで供養していると思われる母「新クロ」の姿があった。
(2001/9/06)