何でもKING CRIMSONが、初期のメンバーで来日するとか。と云っても、グレッグ・レ イクとロバート・フリップ抜きである。KING CRIMSONと云う登録商標の権利を所持す るフリップが来ないのであるから、当然バンド名はKING CRIMSONではなく「21st CENTURY SCHIZOID BAND」だそうで、これでは今や海外で大ブームのトリビュート・ バンドのひとつと間違えかねない。せめてZAPPAに対してオリジナル・マザーズの面々 が結成した「GROUND MOTHERS」ぐらいの洒落っ気は欲しいものだが、如何せんKING CRIMSONと云えども初期の2枚からしか演奏しないのであるから、これも仕方ないか。 グレッグ・レイクかゴードン・ハスケルを同伴するなら僅かばかり観てみたいような 気もするが、一体肝心のリード・ヴォーカルは誰がやるのか。
しかしどう云う経緯であれ、このバンド「21st CENTURY SCHIZOID BAND」が結成され た事は、KING CRIMSON と云うバンドにとって、否、ロバート・フリップにとって、 「本来KING CRIMSONとは一体何だったのか」と云う意味も含め、とても良い事である と思う。そもそも私は10年以上も前から、往年の曲しか演奏しないフリップ抜 きKING CRIMSON結成を唱えていたのだ。私にとってフリップこそ、最も嫌いなミュー ジシャンであり、故にフリップ抜きのKING CRIMSONが観たかったのだ。あのギターさ え無ければ、KING CRIMSONは今でも好きなバンドのひとつであったかもしれぬが、あ のフリップが鬱陶しいせいで、彼がフューチャ-されていない1stと、困り果てる彼 を尻目に他の3人がカッコいいブルースを繰り広げるEarth Boundしか聴く事が出来 ない。 (勿論フリップがいなければ、KING CRIMSONはアルバム一枚で消滅していた だろうが。)
斯く云う私も二十歳頃迄は、狂信的なKING CRIMSONファンであっただけに、ある時彼 のマジックの「裏」に気付いた瞬間、「裏切られた」「騙されていた」と云う思いが 爆発し、ブートも含めて膨大なコレクションを全て売り払った。今から思えば、叩き 割ってこの世から葬り去るべきであったかもしれぬが、偏執狂的なまでにブートを憎 むフリップの為に、矢張りブートだけは残しておかねばならぬか。そもそもロック・ ミュージシャンが、金や利権の事でぐだぐだぬかすな。何より椅子に座って弾く事自 体、気に食わん。昔の曲は演らんと言っておきながら「Red」や「太陽と戦慄 pt.2」 を演った初来日もむかついたが、最近になって矢鱈と昔の曲のテイク違いばかり収め られたボックスをリリースしつつ、それをいちいち理由付けする姿勢も気に食わん。 よもや今回の事がきっかけになって、フリップまでもが加入する事はあるまいが、か つてのイエスとアンダーソン・ブラッフォード・ウェイクマン・ハウ宜しく、万一斯 様な事でこちらがKING CRIMSONにでもなった日には、自分の行動の正当性をさぞや御 都合主義的且つ利己主義的な言い訳がましい詭弁で主張する事であろう。
兎に角フリップが在籍する限りKING CRIMSONは大嫌いなバンドであり続け、81年以 降は言うに及ばず、そもそもイアン・マクドナルド脱退後の曲には何の魅力さえ感じ られぬ。だからと云って、今更「21st CENTURY SCHIZOID BAND」を観たいとも思わぬ。 物事には「旬」と云うものがあり、その機会を逃してしまえば、後は矢張りどうでも いいことであろう。
「旬」と云えば、かつて涼風真世が宝塚歌劇団に在籍していた頃は、足繁く宝塚まで 通ったものだったが、彼女の退団と共に、私の宝塚に対する想いも冷めてしまった。 そもそも宝塚歌劇は、関西圏と云う事もあってか、子供の頃からクラスに必ず1人は ファンがおり、月曜日の休み時間には必ず、過ぐる日曜日に観に行った公演のパンフ レット等を級友に自慢したりする姿をよく見受けたので、決して疎遠なものでもなく、 また関西圏では民放で劇場中継していたので、その雰囲気もよく存じていた。況して や私は「ベルばらブーム」世代である。何しろ子供の頃のあだ名が、前髪が日本人に しては珍しい縦巻の天然パーマであったと云う理由から「オスカル」であった。この 実はフランス女性名と云う屈辱的なあだ名を頂戴していたが故、私にとって「ベルば ら」は一種のトラウマとして、避け続けて来たもののひとつであった。
名古屋に移り住んでからのある日、どうしても関西ローカル刑事ドラマ「部長刑事」 が観たくなり、妹に頼んで録画したビデオを何本か送ってもらった事があった。する と中の1話分が何故か宝塚歌劇、それもよりによって「ベルばら」の劇場中継ではな いか。どうやら特番だった為、部長刑事はお休みだったようなのだが、そもそも部長 刑事に全く興味があろう筈もない妹は、当然中味をチェックする訳もなく、何も知ら ずに送ってくれた次第。しかし私は何となく「恐いもの見たさ」で、そのビデオを観 始めるや、その現在のWWFをも軽く凌ぐエンターテイメントぶりと、オスカルを演じ るタカラジェンヌに痺れまくり、自分にとっての「禁断の地」が、実は「求め探して いたパラダイス」であった事を知るのにさほど時間を要さなかった。しかし「部長刑 事」は如何せん30分ドラマである。故に「ベルばら」も30分しか収録されておら ず、この続きがどうしても観たくて仕方がない私の苦悶は、半端なものではなかった。 その当時付き合っていた16歳の彼女が、実は舞台女優志望で、更に母娘揃って宝塚 ファンときたものだから、これ幸いと彼女の所持する宝塚関係のLDやらビデオやらを まとめて拝借。ここでようやく「ベルばら」を最後まで観る夢が叶い、更にこの平成 版「ベルばら」は、雪組「アンドレとオスカル編」、星組「フェルゼンとマリー・ア ントワネット編」、花組「フェルゼン編」、月組「オスカル編」の4ヴァ-ジョンが 存在する事実を知り、私が観たのはその中の月組公演であり、オスカルを演じていた タカラジェンヌが涼風真世と云うことも判明。それ以来、私はこの16歳の彼女を連 れては宝塚へ通う事となる。
宝塚のチケットを入手する事は難しい。地方巡業もあるにはあるが、基本的には総本 山の「宝塚大劇場」か、「東京宝塚劇場」でしか観られない。名古屋公演も当時は全 て通ったが、内容は「バウホール」と云う宝塚大劇場横にある小劇場での出し物等の 規模の大きくないものしか行われない。大劇場で催される出し物は、あの規模の会場 設備がないと無理であろう。なにしろフィナーレの大階段と、オーケストラボックス 前の銀橋があるかないかでは、えらい違いである。
さてチケット入手は、チケット発売日に宝塚大劇場まで赴かねばならない。その朝、 宝塚大劇場前の門からそれは一体何処まで続くのかと云う程の長蛇の列が現れる。宝 塚ではお馴染みの各タカラジェンヌ私設ファンクラブの面々が、会場整理や警備をボ ランティアで行っている。しかしこの行列は「早いもの」がチケットを入手出来るの ではなく、ただチケット購入の権利を獲得する為の「抽選」でしかない。1人1回抽 選出来る為、大抵は宝塚になんぞ全く興味のない家族も総動員される因みに1枚の 「当たり」で2枚のチケットを購入出来る。大抵の場合、母娘やら友人同士で観劇に 来る上、基本としては、挨拶の口上が披露される初日、アドリブ満載でギャグに走る 上に矢張り挨拶のある千秋楽の両日は、ファンとしては必ず押さえねばならない。更 に出来れば中日辺りでなるべく良い席でじっくり観ておきたい。となると最低「当た り」が3枚必要となり、当然の結果として「親族郎党総動員」と云う顛末になるので ある。抽選参加者は、宝塚ファミリーランドと宝塚資料館や手塚治博物館へ無料で入 場出来る為、 抽選さえ終われば用済となった親族郎党は、母娘がチケット入手する までの時間をそちらで過ごせると云う、いやはや宝塚ファミリーランドの名の由来は そこからきたのか等とも推し量った次第。「当たり」には整理番号がふられており、 抽選終了後、今度はその番号順でチケットを購入する段取りになっているのであるか ら、折角朝早くから並ぼうが、番号が終わりの方であれば、結局チケット購入は夕方 ともなってしまう。私なんぞは名古屋から高速をぶっ飛ばして行く訳であるから、万 が一の渋滞やアクシデントを避ける為に、前日の夜中に宝塚入りし、結局1泊する羽 目になりながらも抽選に通ったものである。
兎に角このシステムの御蔭で、私はチケット入手の際と観劇の際と、一公演において 最低二度は宝塚へ赴かねばならなかった。
しかしその努力も報われてか、涼風真世の最後のバウホール公演「ロストエンジェル」 では、最前列ど真ん中の席を確保。まず宝塚は9割が女性客であり、僅かな男性客も 殆どは「有馬温泉/宝塚観劇ツアー」等のツアー客、所謂ビール瓶を手にしただらし ない浴衣姿が似合いそうな中年オヤジが殆どを占める。しかしこれらは大劇場公演で あって、バウホールへは真の宝塚ファンしか集わない。故にこの日、男性客は本当に 数えられる程しか居らず、長蛇の列が出来る女性トイレを敬遠するババア共によって 男性トイレは完全に占拠される始末であった。
さてそんな中、最前列のど真ん中に鎮座する長髪の男性こと私(当時未だ髭をたくわ えてはおらなかった)は、フィナーレに於いて、ステージ上の涼風真世や天海祐希を 始めとするタカラジェンヌ全員から、逆に好奇の目で凝視される始末で、観客である 私の方が緊張してしまった。終演後、楽屋で「あの変な長髪の男の人見たぁ~?」 「見た見た。」等とさぞや笑われた事であろう。しかし涼風真世の代表作「ベルサイ ユのばら(*注1)」「PUCK」を見逃し、サヨナラ公演「グランドホテル」のチケッ ト入手に失敗していただけに、これが私にとって「月組トップスター涼風真世」最後 の姿であり、私と涼風真世の「お別れ」であっただけに、恥ずかしかった反面、とて も感慨深い良き思い出となった。
涼風真世が皆の驚きをよそに、あまりにも早くそして呆気なく月組トップから去って しまった後、その後任として多分宝塚史上最年少にしてトップスターとなった天海祐 希に、どうしても私は涼風真世ほどの魅力を感ずる事は出来なかった。本来、矢張り 男装の麗人なんぞ好きではないのであろうし、涼風真世の持っていた「男役っぽくな い」ところが好きだったのかもしれぬ。雪組の杜けあきや一路真輝には、実力派タカ ラジェンヌとして魅力を感じたが、安寿ミラや大浦みずきと云った、所謂「典型的宝 塚男役トップスター」には、かなり引いてしまっていた事も事実。涼風真世も去り、 宝塚ファンであった16歳の彼女も俳優修行専念を口実に私から去り、そして私は 「次なる涼風真世」を見つける事も出来ぬまま、次第に自然と宝塚から足が遠退いて いった。
宝塚が創設以来、多くの女性に支持され繁栄してきた事は大いに認めるが、故に「男 役はあくまでも男役でなければならぬ」と云う確固たるカテゴリーの下、男役トップ スターなるものは普遍的で、人こそ変われど何も変わらぬ。勿論それで良いのであろ うが、ではあの涼風真世とは一体何だったのか。宝塚に於ける新たなるチャレンジで あったのか。私にとっての宝塚初体験は涼風真世だったが為、本来の姿に軌道修正さ れた男役の姿を受け入れる事は困難を極めた。一般的に見れば、私は「宝塚ファン」 としては失格かもしれぬが、私にとっては矢張り「宝塚=涼風真世」であったのかも しれぬ。
退団後、芸能界で活躍する涼風真世を目にした処で、かつてのような熱い想いが込み 上げてくる事もなく、やはりあれは「宝塚」と云う一種の閉鎖された特殊な世界の中 であったからこその魔法だったのか。
涼風真世が宝塚を去った時、私の「かなめちゃん(*注2)」も同時に消え去った。
(2002/5/12)
*注1:涼風真世は、月組公演「オスカル編」のみならず、星組「フェルゼンとマリー ・アントワネット編」に一路真輝、大輝ゆうと交代で、花組「フェルゼン編」にも紫 苑ゆう、安寿ミラ、真矢みき達と交代でオスカルを演じている。(4組による4種類 のシリーズを通して、オスカルを3組に跨いで演じたのは宝塚史上で涼風真世のみ。 変わり種としては、雪組の杜けあきが、宝塚大劇場と東京宝塚劇場での「アンドレと オスカル編」でアンドレを、地方巡業での「オスカルとアンドレ編」ではオスカルを 演じており、今まで数多くのトップスターがベルばらに出演した中、オスカルとアン ドレの両方を演じたのは、昭和49~51年「ベルばらブーム」当時の榛名由梨と2 人だけである。如何に杜けあきが実力派であったかと云う事が伺い知れるであろう。) また平成版ベルばら最終シリーズとなった月組「オスカル編」の際、アンドレは当時 月組2番手だった天海祐希の他に、大浦みずき(花組)、日向薫(星組)、杜けあき (雪組)と云った他3組のトップスターが務めており、まさしく平成版ベルばらの集 大成と言える。一部で「あまり男役っぽくない」と不評であった涼風真世ではあるが、 彼女の代表作「PUCK」に於ける妖精PUCK役と共に、男装の麗人であるオスカルは正に ハマリ役であり、故に是非、杜けあき演ずるアンドレとの絡みを観ておきたかった。 これはビデオでもリリースされていない。
*注2:宝塚の芸名は入団時に本人が決定するが、大抵の場合、歌劇団員同士は愛称 で呼び合うのが通例であり、涼風真世の愛称「かなめちゃん」の場合は、本名の森永 佳奈女(かなめ)に由来する。また、宝塚ファンも、大抵自分の御贔屓のタカラジェ ンヌについては、愛称で呼ぶ事が通例とされている。故に横で話しているオバハン達 が、芸名(更に呼び捨て)で呼んでいる場合、九分九厘そのタカラジェンヌの悪口を 話していると云ってよいであろう。