突如、本宮ひろ志の「男一匹ガキ大将」が無性に読みたくなり、格安にてガキの頃に読み親しんだジャンプコミックス版全20巻揃いを購入。
されど東君が最近購入した「<本宮ひろ志傑作選>男一匹ガキ大将」集英社文庫版は、何と全7巻で完結しており、全20巻が如何にして然程分厚くもない僅か7巻の文庫本に収録されているのかと思いきや、何と富士の裾野での下り「生と死の谷間の巻」(ジャンプコミックスでは第12巻の3分の1程度までに相当)以降は、作者の意向で削除されてしまっている。まあ作者自らの仕業であるから文句は言えぬが、漸く万吉一家28人衆(※1 )が揃った処で終わりでは、まるで「拡げるだけ拡げて収拾つかぬまま中途半端に連載を終える事の天才」永井豪の作品群宜しく、さぞや読後物足らぬ事であろう。そこから先の破滅的ともとれる、奇想天外出鱈目極まりないペルシャ湾の下り(※2 )や、遂には政界をも巻き込む終末的な北海道独立事件の下り(※3 )こそ、私が愛した「本宮ワールド」であり、これを削除してしまう今現在の本宮ひろ志には、やはり私を興奮させるだけの作品が描けなくなったのも当然であろう。「男一匹ガキ大将」「大ぼら一代」「群竜伝」この3作品こそが、私にとっての本宮ひろ志であったと言える。
口の中に描かれた斜線で「うぉおおおおおおおおお!」と云う叫びを表現した古き良き少年漫画の原型は、殆どがこの「男一匹ガキ大将」にあると云っても過言ではなかろう。漫画家になる以前に自衛隊入隊の経歴さえ持つ熱血漫画家本宮ひろ志、デビュー当時の彼の描く主人公は、常に社会的に虐げられた境遇から、怒濤のパワーで一気に人生を駆け抜け、最後は至って報われぬ終末的クライマックスを迎える。結局は「権力」には勝てぬ、されどそれに立ち向かう反骨精神にこそ、未だ人生の苦難も知らぬ青臭いガキだった私を、大いに共鳴させ啓蒙したものであった。
私が本宮漫画に興味を失ったのは、硬派とは名ばかりの純愛アクションホームドラマ「硬派銀次郎」、さわやかと云う名の通り全く毒気を失った青春学園漫画「さわやか万太郎」、単に性教育本としての価値しか感じなかったブルジョワ痴話漫画「俺の空」辺りからである。丁度この頃から、現本宮夫人である少女漫画家もりたじゅんが、アシスタントとして本宮漫画の女性キャラを描き始め(※4 )当然の如く急激に絵柄が変貌し、故に女性キャラのストーリーに於ける比率も一気に増加、結局当時少年サンデーを中心に次第に盛り上がりつつあった「青春ラブコメ路線 」の影響もあってか、軟弱な漫画ばかりを描くようになってしまう。主人公像も、大いなる野望は抱いておれど物欲薄く常にあばら屋に居を構える戸川万吉から、大財閥の子息にして頭脳明晰スポーツ万能おまけにハンサムな安田一平へと移り変わってしまう。戸川万吉のように「実はひとりでは何も出来ない」弱い人間像こそ、その大いなる野望実現へ向けて共感し得たが、「全てが揃ったスーパーマン」的な安田一平の苦悩なんぞ、たかが女絡みの痴話喧嘩でしかなく、まだ中学生であった私でさえそのあまりにアホらしさに、到底続編の刑事編に至っては読む気にさえならなかったのである。その後の本宮ひろ志は、政治漫画やら経済漫画やら、もうそこには「男一匹ガキ大将」に於けるペルシャ湾での一件を含めた日米決戦や日本政治経済界が結託して目論んだ北海道独立事件、「大ぼら一代」に於ける島村万次郎の時代錯誤な独裁政治体制やら(※5 )の如き馬鹿馬鹿しい程リアリティーの無い「破天荒なストーリー」が存在する筈もなく、「本宮ひろ志もえらい小さく纏まってしもたもんやなあ」と残念至極。誰もが「巨匠」なんぞに収まってしまえば、斯くの如きも仕方なしか。
さてこの戸川万吉、連載開始当初は中学生であった筈だが、確か出席日数不足で中学留年したとの下りこそあれど、それ以降(ストーリー上の経年状況が今ひとつ把握し辛い事もあり)中学卒業もしておらねば、確か高校生になったとの下りもなかったと記憶するが、それでも常に学ランを羽織っている辺り、「番長は先ず学生でなければならぬ」と云う定義を全うしている表れか。矢張り一家を構えるような器の人間は、自分自身もさっさと身を固め、嫁を「姐さん」と呼ばせる「親分肌」でないとならぬのか、何と云っても万吉は齡17歳にして結婚し、そして一児の父でもあるのだ。(※6 )初夜に於いて薄幸の新妻友子を横にガーガー鼾をかいて眠りこけ、翌日から何かとあちこちを飛び回る多忙ぶりであったにも関わらず、結婚からかなりの短期間の内に見事孕ませている凄腕(凄チン)ぶりに、見事その「男っぷり」の凄さを垣間見れると云えよう。
そう云えば万吉は酒も飲まぬし煙草も吸わぬ(※7 )と云うよりも、実は何の趣味も持たぬ様子。本を読む姿さえ、坊屋津光五郎に株を教わる下りで、「株式入門」なんぞ山積みにして勉強していた時のみで、映画観賞や音楽鑑賞、況してや絵を描いたり音楽を奏でる等と云う、所謂文化的教養に関しては全く無関心の様子にして、一方スポーツの類いは全て「喧嘩」にて代償されており、また既に株の世界で会社乗っ取りまでやってのけた男であるから、今更博打なんぞに執心する筈もなし。勿論女遊びどころか色恋沙汰さえ「あゆみ」の一件(※8 )以来あろう筈もなし。
ところでこの万吉なる人物、実は「日本一の親分になり日本中のはんぱ学生を集めて何かデカい事やる」なんぞと云う漠然とした目的意識しか持っておらず、更に人生哲学と云った類いが「気に入らんヤツはぶっ殺す」なんぞと云う短絡的思考体系が根底に流れている故、また自分の事を「天から降ろされた大人物」と思い込む慢心ぶりなればこそ、我侭放題にしてされど大義名分を求め、一種の癇癪持ちの如き自身の喜怒哀楽に大きく左右されては、挙げ句万吉28人衆を混乱させるのであるが、されど時折妙に落ち着き払った物わかりの良さや、社会道徳や人間愛を説いてはそれを体現してみせる偽善者ぶりをも見せ「大人物」の片鱗を自ら演出、また「うぉおおおおおお!」の一言で皆を心酔出来得ると信じ、特少での「総部屋長鬼頭政次」の一件(※9 )に於いても、鬼頭が如何な人物かさえ知らず、何故他の院生達から心酔されているかさえ存ぜぬのに、「自分は鬼頭より遥かに優れた大人物(鬼頭が自分程の大人物である筈がない)→自分こそ総部屋長になるべき→それが当然皆の為になる」と何の根拠もないにも関わらず、よくもまあ斯様にお目出度い思考経路を辿れるもので、遂に鬼頭の尊大さを知るや否や、今度は「自分と同等」に位置付ける事で自分の負けをカモフラージュしてしまう姑息な人物であり、結局は「誇大妄想狂にして癇癪持ち、虚栄に満ちた嫉妬深い利己的且つ偽善的な権力亡者」でしかない。斯様な人物像の万吉に、万吉28人衆は命さえ投げ出し追従するのであるが、実は彼等も所謂「ただのはんぱもん」でしかなく(況してや坊屋津光五郎と便利屋三吉を除けば未だ全員高校生、若しくはその年齢である)、確かに万吉程の「誇大妄想狂」なれば、その見事な術中にハマり彼に心酔してしまうも仕方なしか。 結局「アホはアホを呼ぶ」と云っただけの事であろうか。
斯く云う万吉、前述のように「多分」学生である筈で、連載当初は明らかに中学生として通学している様なんぞ描かれてはいたのだが、授業を受ける姿どころか教室にいる姿さえ全く描かれておらぬ。また彼の教師たる人物もたった一度、片目の銀次が転向して来た時に登場したきりで、通常の「番長漫画」なれば多少なりとも学校が舞台となって然るべきなのである筈が、万吉についての学生としての生活臭は、連載当初のゴンや松川と喧嘩に明け暮れる学校の帰り道での姿のみである(※10 )この事からも本宮ひろ志が、万吉を単なる地域社会や学校社会に於いての「番長」として描いたのではなく、自分自身の野望や理想を具現化させ、権力に立ち向かって行く自分の分身として描いた事は明白であろう。故に万吉は西海村(※11 )に漁師の息子として生まれ、村民の為に自らの命を投じた父戸川源蔵に代わる海雲寺和尚から様々な事を教えられながらも、一方で水戸のおばばや霞の御大将に世界の大きさを知らしめられ、次第に大人へと成長し社会の成り立ちを理解していきつつも、矢張り永遠にガキ大将のままであり、敵が経済界の大物であろうが政界の大物であろうが、最後は詰まる処「うぉおおおおお、ぶっ殺したる!」と衝動的且つ短絡的な方法論により結果を出そうとする、つまりは「大人と同じ土俵で勝負した処で勝ち目なしなら自分流の方法で勝負する」身勝手でクソ生意気なケツの青いガキのままなのである。
「北海道独立計画」の策謀の舞台裏が明らかにされた際、「万吉は若の先走りを抑えるブレーキ役に過ぎない」との一言に異常なまでの憤りを露呈する万吉、ここに彼の自負心の高さ、否、慢心の深さを垣間見る事が出来る。例えそれが政府が企てた陰謀であり、その陰謀に「利用された」だけでも一民間人としては充分その慢心を満たし得るものであろうと思えるが、 結局たかが一民間人でしかないくせに、万吉は軽くその立場を忘れ去り、単に激情のみに突き動かされ、陰謀の仕掛人である総理大臣補佐にして総理の懐刀と呼ばれる大矢喜一や万吉をブレーキ役に据えた水戸屋産業グループ御曹子の若こと水戸高志らを虐殺せんとす。幸運なことに、ここでも万吉28人衆の「裏切り者」ドクター佐々木の命を捨てた献身的行動の御陰(※12 )で、万吉はその目的を見事達すると同時にこの殺人に関して「無罪」も得ているのである。ドクター佐々木のこの行動に関しては、いろいろな憶測も飛び交う為、ここでは敢えてその理由については触れぬが、兎に角「万吉の未来に賭けて」と云う、万吉を取り巻く皆と同じ思いからである事は間違いはあるまい。
ペルシャ湾での一件にした処で、日本経済界の大手である水戸屋産業グループの2代目に就任した万吉は、その経済力を駆使して、ペルシャ湾にてゲリラに化けたコックベイラー財団に対し旅客機を使った空爆を敢行、また万吉一家3万5千人を動員し2千隻の船を使っての東京湾封鎖等、到底一民間人では許されぬ範囲の軍事行動を「わいは戸川万吉じゃあ!」との一言のみで起こしてしまうし、周囲も「万吉一家」に対し至って寛容である。万吉は殆どの場合に於いて「大衆」を味方につけており、また例外であったペルシャ湾の事件の際であっても、自ら市民に「おれと…おれの仲間はとにかく…今度のことに命をかけている…それなのにきさまらは今…なにをやってる…『たま』のとどかん安全な所で…高見の見物か…高見の見物なら…見物人らしくおとなしくみとらんけ…(中略)…見物人ども、わいは…きさまらにへつらうことも…だますこともせん…そして…今回は…きさまらがどのようにとめようと、わいはわいのやり方でやる…しかし…どうしても…わいのやり方がまずいと思う者は…わいを殺せ…そして…わいのかわりに今度の石油のことを解決しろ、今わいがもっとる金、力、すべてかしてやる、えんりょはいらん、わいのかわりにやる気があったらやってみさらせえいっ、わいを殺してみい、おんどれらーっ!!どうした…やらんのか、ならば…ここを通ってもいいんだな…」と問い掛け、そして無理矢理でも黙らせてしまうのである。この「無鉄砲と云うよりは無自覚極まりないド阿呆こそが男の中の男」なんぞと描いてしまえる本宮ひろ志こそ、真のド阿呆であっただろう。
常に銀次を同伴している事に対し「こんなカラッポじゃなく…じぶんより上の人間をみることだ…」と忠告される下りがあるのだが、確かに斯様な銀次をいつまでも連れている事はストーリー途中でも万吉にとって問題となり、銀次との関係が悪化する事もあったのだが、結局万吉が「うぉおおおおおおお!」と衝動のみで突っ走る事が社会的に唯一認められる「ガキ大将」であるメリットを自身が誰よりも知っているが故、その「ガキ大将」であり続けるには、この「情に厚い悪たれ小僧」銀次の存在が絶対に必要なのである。(※13 )銀次の精神的成長を阻む事により、彼はいつまでも万吉から自立する事さえなく、よって万吉は永遠に「ガキ大将」であり、自分達は社会から爪弾きにされた「はんぱもん」である事を矢鱈と主張する。これは何かをやらかした処で責任回避し得る口実となり、矢張りなかなか姑息な奴なのである。しかし万吉は云う。「わいらのようなスカタンでもこうして集まればなにかできる」それはそのまま本宮ひろ志の言葉であろう。万吉に託した彼自身の理想や野望は、結局この「男一匹ガキ大将」と云う彼自身が作り上げた世界の中でも儚く散って行く。そして万吉は「旅に出る」と云って皆を残して消えてしまい、この長篇漫画は幕を閉じるのである。この無責任さと切り替わりの早さこそ「アホ」の証であり、それ故にこのアホに惹かれるアホ共が集結し、再び皆を騒動に巻き込んで行くのであろう。
「アホ」は何をしでかせども「アホ」故に認められる。当時の若かりし本宮ひろ志は、万吉に自分の人生に於ける夢や野望や理想を重ね合わせ描いたのであろうが、それは本宮ひろ志自身が結局「ただのアホ」である事を露呈したに過ぎず、されど私はこの漫画「男一匹ガキ大将」に於いて、その「アホ」ぶりを堪能する事こそが醍醐味であり、そもそも今現在これ程「アホ」な漫画が他にあるか。
「アホ」は何よりも偉大である。何をやらかそうが「アホやからなあ」の一言で許されてしまう。これこそ「実はアホこそ大人物なのではないか」と思わせるに充分な一節であり、故にこの時点で既に「アホは偉大」であると云える。
サウイウアホニ
ワタシハナリタイ
では最後に戸川万吉語録を添える事で、この「アホ」話も幕。
「人間ちゅうのんは生きてこそ価値があるもんじゃ…」
「わいの命がとまった時…そこがわいの限界なんじゃ、わいの命がとまるまでわいの限界などないっ!!」
「ほしいと思ったら、ほしいものがあったらがまんなぞすな、それを手にいれるために、ふんばったるんじゃ」
「生きてる以上…どんなにめためたになろうと目的にむかって進んで行くしかあれへんやないけ~…おんどれらあ~…ようみさらすんじゃあ~っ、この血のしたたりをよぉ~っ…、そして…さがすんじゃあ~、おんどれらみんなその目的をよ~…」
「おのれらあ~っ、腹に力いれろ…そして腹から声だせえいっ、こういう声をなあ、うりゃあああーっ、こんちくしょー!!」
(2003/8/24)
(※1)日本全国のはんぱ野郎を掌握した万吉を中心に、その主だった各地の番長等、万吉の為に命を投げ出す覚悟のつわもの28人により構成された。
最古参の「ラッパ」を筆頭に、自称一番の子分「片目の銀次(久保銀次)」、万吉の故郷西海の元番長にして村長の息子「林山ゴン造」、同じく故郷西海第三中学の番長「村田」、隣町にある東栄中学の番長「松川幸太郎」、九州の総元じめ「菊村大助」、菊村の懐刀でありペルシャ湾の一件で玉砕する「炎三兄弟(岡村一郎・次郎・三郎)」、同じくペルシャ湾にて玉砕した土佐の大番長「土佐の源蔵(荒井源蔵)」、土佐の一匹狼「まんじゅう屋藤助」、自称勇気あるさすらい人「どんごろすのジェンマ」、山陰の死神こと「山崎」、特等少年院時代万吉と一緒だった「ヘルス(須永博)」と特少三室部屋長「島田鉄造」、ペルシャ湾で非業の死を遂げる北海道の「ジャコ万の健」、同じくペルシャ湾で爆死する名古屋の「川畑善明」、北陸のきちがい「神島虎八」、中部の「熊坂玉樹」、義理と人情を重んずる関東の「大島光克」、東北の三羽がらすこと青森の「水津良」、新潟の「水島佐吉」、仙台の「加賀正吾」、東北の実力者「堀田石松」、天才的頭脳を持つ双生児の弟「ドクター佐々木(佐々木雄二)」、日本経済界の生き字引「便利屋三吉」、相場の世界から忽然と消え乞食の頭になった軍師「坊谷津光五郎(坊屋津光五郎)」、そして万吉を守り身替わりとなって死んだ「綱村鉄次」の計28人。しかし北海道独立事件の際、久々にペルシャ湾の一件以来集結した28人衆は「ずいぶんへったな。今ここにいるのは十八人。」と描かれており、ペルシャ湾で死んだ6人、裏切ったドクター佐々木、失踪した坊谷津光五郎と三吉、28人が揃った時に既に死んでいた綱村の計8名を差し引くと確かに18名であるが、北海道独立事件の最中、新たに特少総部屋長鬼頭政次の弟「鬼頭(弟)」が加わったと思われる。(戻る※1)
(※2)アメリカのコックベイラー財団が、日本の経済界を牛耳る企みから、先ずその足掛かりとして、万吉が2代目に就任したばかりの水戸屋産業グループの乗っ取りを計画。コックベイラー財団がゲリラに扮し、ペルシャ湾を通る日本の石油タンカーを連続爆破し、日本への石油供給を完全に封じる事で日本経済界に大きな打撃を与え、一方でコックベイラー財団のタンカーで自社の所有する石油を日本へ供給する事を条件に、見返りとして水戸屋産業グループの株券を日本政府に要求。これを万吉が拒否し、石油を積載したまま中東に放置されている水戸屋産業グループのタンカー17隻を、菊村、片目の銀次、ジャコ万の健、熊坂、川畑、土佐の源蔵、炎三兄弟に日本まで航行させるように指令。更に爆弾と旅客機5機をタンカー援護の空爆に使用する為に購入。残る万吉一家3万5千人には、2千隻の船により東京湾を海上封鎖し、コックベイラー財団のタンカー船団を日本へ入れさせぬよう指示。このペルシャ湾の戦闘にて川畑善明、炎三兄弟、ジャコ万の健、土佐の源蔵が死亡。されどドクター佐々木率いる5機の旅客機によってゲリラを空爆し、10隻が無事ペルシャ湾を突破し日本へ。更にコックベイラー財団による狂言であった事を裏付ける証拠写真の撮影に成功。一方その頃、日本政府はコックベイラー財団の申し入れを受理し、万吉一家による東京湾沖の海上封鎖を機動隊船80隻によって強制排除する事を決定。しかし鬼頭(弟)の尽力により日本財界の大物白川宇太郎が霞の御大将から得た数万人の乞食軍団を動員しこれを阻止。コックベイラー財団の陰謀を暴いた万吉は「正義」を片手に東京湾にて日米決戦を敢行、結果はコックベアラー財団の撤退で決着を迎える。(戻る※2)
(※3)総理大臣補佐にして総理の懐刀と呼ばれる大矢喜一らによって仕組まれた、北海道全土を新たに大工業地区にし本土から分離する計画。水戸のおばばの孫にして万吉を失脚させ新たに水戸屋産業グループのトップに座した通称「若」こと水戸高志を使い、先ず水戸屋産業改め大平洋産業等の大工場を全て北海道へ移転させ、北海道をユートピアとして新しい思想の独立国家にすると市民を革命へ扇動し、しかし最後に日本政府が独立計画を却下転覆する手筈で、万吉はその政策のカモフラージュの為に、若と共々利用されるが、実はこの若は偽者であり、その偽者の動きをコントロールする為のブレーキとして利用される。万吉は北海道独立計画の裏のからくりも知らず、家族も自分の未来も全てを捨てて、全国の万吉一家を次第に侵食する偽者の若と抗争を繰り広げるが、軍師であるドクター佐々木の裏切りと坊谷津光五郎の失踪により、苦戦を余儀無くされる。偽者の若との決戦にて、その偽者の若が誤って射殺され、また便利屋三吉の情報もあって、漸く万吉は全てのからくりを知り、大矢ら首謀者の抹殺に向かうが、裏切り者ドクター佐々木が万吉への最後の奉公として、万吉の代わりに首謀者全員を射殺、御陰で万吉は殺人罪に問われる事を免れ、自身の未来に希望を繋ぎ留めた。(戻る※3)
(※4)いしかわじゅんが嘗て何処かで斯く語っていたと記憶する。本宮ひろ志は「絵が下手でありながら大成した漫画家」とも云われており、それもアシスタントの報酬を歩合制にし、描いた分だけギャラが貰えると云う因習を打破したシステムを築いた事で、有望なれど食えない「一発屋」若手漫画家をアシスタントで雇う等で、自身の作品のクオリティーを上げる事に成功したと云われている。(戻る※4)
(※5)主人公「丹波太郎字」の宿敵。鳥取の島村財閥の末弟にして、万吉宜しく日本全国のはんぱ学生を纏め上げた伝説の男。太郎字の父である岡山の丹波三郎と共に「日本改造」を訴え、与党自由党より衆議院選挙に出馬、新興宗教ハレホレ教団の巨大な組織票により当選、姫路の大物剛田の令嬢亜矢子と結婚し、丹波三郎以上の力を得、同じ理念を持つ新人議員70数名のグループ「菊星会」の長となる。「菊星会」は体制改革を唱え、新法案を立てては巨大企業を吊るし上げて莫大な金を吸い上げ、それを資金に大々的な福祉政策を敢行するが、当然企業の弱体化と無謀な福祉政策の御陰で日本経済は完全に破綻。されど国民の圧倒的支持をバックに、「菊星会」は遂に200名に及ぶ大派閥へと発展。されど重税を強いられた企業が軒並み倒産し、失業者が溢れ、物資が不足する中、漸く国民は島村万次郎の失政に気付く。そんな中、国際的な石油ショックが勃発、島村は外交政策に於いて人種差別問題等を利用し、日本の石油利権を個人的に独占する事に成功、これにより政財界は島村に逆らう事は不可能となり、事実上日本の独裁者となる。更に全企業の国有化(事実上の島村個人による私有化)、そして更には全ての個人財産の国有化をも掲げ、民衆に対し絶対服従を誓わせる為に言論弾圧、報道管制、軍隊や警察機構の強化を訴え断行する。それに抵抗する太郎字は、偶然にも海底油田発掘に成功、この利権を某大国に売却しその資金で武装、日本中の反島村勢力を岡山に結集しゲリラ戦を展開。太郎字のゲリラ勢力は数万人の巨大組織となり、遂に島村はこの壊滅作戦を開始…そして…。
島村万次郎は「万吉のその後のひとつの可能性」と読む事が出来る。銀次そっくりの子分との決別の下りなんぞからも、もしも万吉が権力への野望に燃える独善的な人間となれば、将来きっと島村万次郎のようになるであろう。そういう意味でも「男一匹ガキ大将」に続いて発表された「大ぼら一代」は、とても興味深い作品であると云える。(戻る※5)
(※6)結婚の前に、万吉一家28人衆勢揃いした事で3万5千人の子分共々と東京へ大行進した際、「わいも十七じゃ…」と云う下りがあり、また結婚後、妻友子の父の会社であった岡野建設を水戸のおばばこと水戸正江から取返した際、「わいは今年でやっと十七」と云う下りもあることより推察される。後日離婚危機の際、離婚届に云々と云う下りがあるが、と云う事は「法律的」にも正式に夫婦となっていたのであろうが、17歳の万吉が如何にして結婚し得たのか。それとも18歳になってから改めて婚姻届は出されたのか。(戻る※6)
(※7)万吉が本編内で酒を飲むシーンは、未だ15歳にして相場の世界で1億8千万円を稼ぎ、故郷西海へ凱旋した夜、網元に「あの大酒のみの源さんのむすこじゃ」と飲まされ泥酔した時のみである。(戻る※7)
(※8)水戸産業屋グループ会長水戸のおばばの孫娘水戸あゆみが、万吉をその色香で腑抜けにする間に、万吉に奪われた「昭和ハウス」を水戸のおばばが乗っ取る計画。この計画は見事成功し、あゆみに腑抜けにされた万吉は、万吉一家を捨ててあゆみと共に駆け落ちを謀ったが、台風で崩落した鉄橋にブレーキの故障した列車が暴走し向かっていると云う事件が勃発、その危機を救う為、万吉はあゆみを捨てて、再び万吉一家の元へ帰ってしまう。
ここの万吉があゆみを捨てる下りこそ、この漫画に於ける私のベスト3に入るお気に入りの箇所である。その暴走列車の報を、崩落した鉄橋の手前で停車している、あゆみと駆け落ちせんと乗り込んだ汽車の中で聞き、万吉は頭を抱え込み唸る。「限界じゃ…これが…わいの…限界じゃ~っ」すかさず万吉の心中を察したあゆみは涙ながらに訴える。「いやよ~いやよ万吉さん…なぜ…なぜあなたがそんなことしなければいけないの…あなたはわたしのものよ…わたしだけのものよーっ」そこに万吉をそっと見送るつもりでこっそりその汽車に乗っていた一番の子分ラッパ登場。「この仕事、親分以外にできる人間はいまへんでっ!!」万吉はラッパの手を取った後、本来の姿の万吉が蘇生、口の中を例の斜線でいっぱいにして十八番の雄叫びを発する。「うおおおおぉおー!!野郎ーっ、矢でも鉄砲でももってきさらせーっ」ラッパの子分ボサとカッパが嬉し涙を流し抱き合いつつ叫ぶ。「うわあーっ、でたあ、でよったあーっ、万吉親分のうおおおおーがでよったでえーっ」必死で制止するあゆみに万吉はいきなり鉄拳制裁。「すっこんどれえーいっ!!」そして車窓から飛び下り万吉一家の元へ走るのである。(戻る※8)
(※9)日本財界の大物白川宇太郎の計略に騙された警察は、赤姫山に1千人の子分と籠城した万吉を逮捕せんとするが、自身の正義を信じる万吉一家の抵抗に遇い苦戦、されど潮時を察した万吉は、軍師坊谷津光五郎の演出で8万人の大行進にて下山し自首。結果「暴徒扇動」の罪で特等少年院送りとなる。ここで万吉は、特少の大ボスである総部屋長「鬼頭政次」の存在を知り、その配下である十人の部屋長と抗争を始めたが、一向にその鬼頭は姿を現さない事、そして彼等十人が語る鬼頭の「人間的な大きさ」とその心酔ぶりに次第に苛立ちを感じ始める。さてその鬼頭政次の正体とは、嘗て特少で看守による院生のリンチ殺人が横行していた折、たった独りで看守らに立ち向かい、そして遂には極悪所長と看守20数人を殺し自分もまた射殺されてしまったひとりの受刑者であり、他の院生はその鬼頭を見殺しにした事の懺悔の念から、鬼頭政次の名を永遠に残す為に彼を総部屋長に奉り上げ、恰も鬼頭が生きているかのように細工していたのであった。これは万吉が唯一人間的に「負け」を認めた事件であり、されど結局は「鬼頭政次と戸川万吉の名は特少に永久に残る」と云う顛末へ。(戻る※9)
(※10)教室にて万吉が座っている姿は、海雲寺和尚に剃髪された折、級友達に嘲笑されるシーンと、片目の銀次が転校して来たシーン程度であろうか。友子を訪ねて初めて上京した折、西海中学から友子の通う東京の「第一中学」へ銀次と共に転校した姿も僅かに描かれてはいるが、その直後に友子の父の会社岡野建設が水戸のおばばに乗っ取られた事により、万吉は軍師坊谷津光五郎と共に相場の世界へ進出、以後は「アホ…わいら学生や、学校に行くのはあったりまえやんけ…」と久しぶりに登校するシーンが一度だけ出て来るが、これは単に友子に会いたかったからである。それ以降万吉は全く登校していない。(相場にて「昭和ハウス」で1億8千万円稼いだ後、白川宇太郎の策謀から西海の赤姫山籠城、そして特少入所と辿り、その特少入所中に友子が高校生になり万吉の留年が話題に出ている事からも、万吉の学籍は東京の「第一中学」にあり、そのまま「中学中退」になったと思われる。)
因みに万吉一家28人衆らは一応学校へ登校しているらしく、万吉と友子の結婚式翌日、万吉が「あれ…それよりみんなどうしたんや…」と訊ねると、友子が「えっ…ええ…学校があるからって…帰ったわ…」と答えている。(戻る※10)
(※11)西海とは、海に面した小さな漁村として描かれているが、この漫画に於いてこの西海以外の地名は全て実在する為、より一層「西海とは何処か?」と云う興味は募る。大阪を含め関西圏の具体的地名が登場せぬ辺り、また中国地方を牛耳っていた山崎が西海を狙っていた辺りから、そして何より万吉の「関西訛り」から関西地方の海に面した何処かであろうと思われる。雰囲気的には神戸なんぞよりも堺の辺りではなかろうかとも思うのだが。(戻る※11)
(※12)万吉を裏切り、若(偽者)の参謀として働いていたドクター佐々木は、若グループの幹部が万吉を拳銃で撃とうとするや、自らの命を捨てて万吉をかばい凶弾に倒れるが、大矢喜一を絞殺せんとする万吉に代わり「ここで人を殺しちまったらあんたはもう二度とたちあがることはできん、せっ…せめてもの…わっ…わたしのおわびのしるしだっ…」と、策謀を巡らせた一同を射殺し、遂には自分も絶命する。(戻る※12)
(※13)銀次自身「万吉親分のいない銀次なんてコーヒーのないクリープみたいなもんよ」と発言している。また銀次が鬼頭(弟)に唆されて万吉一家の切り崩しを謀った折、「親分にとっておれたち二十七人よりきさまひとりのほうがだいじなんだ…」とドクター佐々木に諭されている。(戻る※13)