『人声天語』第6回「我が妄想」(2001/4/5)

子供の頃、将来の夢は?と云う問いに、「独裁者になって世界を征服したい」と答えていた。しかし小学生の私は、至って大真面目にそう思っていた。

ここで小学6年生当時の文集に綴られた、「ぼくの将来」なる恐ろしく長い作文を要約すると…。(『』内は原文のままの表記。)「東大へ入学、在学中に六法全書を丸暗記し、司法一次試験に首席で合格。しかし『めんどくさいので』二次試験は受けずに東大を首席卒業。大蔵省へ入るが、25歳で自民党から衆議院議員に立候補し当選。しかし新政党「新自由党」を結成し、『あっという間に』与党となり、総理大臣に就任。30歳で民主議会制を廃止し、独裁政権を築き日本を大軍事国家に。『そのころ、器量よしの妻をもらう。』35歳でアジア諸国を併合、5年がかりでアフリカも占領して統一、オーストラリアと同盟を結ぶ。『40歳で肺病と心臓病にかかりたおれる。しかし負けずに南極を占領する。』またアメリカとも軍事同盟を結び、カナダを占領後、『グリーンランドをデンマークから占領する。』45歳で(当時の)西側ヨーロッパ諸国と同盟を結ぶ。『50歳で10人目の妻をもらう。』3年後、遂にソ連を始めとする東欧諸国(当時)を連合軍で占領。その後アメリカと対立するが、勝利し占領。『しかしこちらの損害は大きく、アフリカの一部をしずめられてしまった。』53歳で遂に世界統一。『ぼくは狙撃された。たまは当ったが命はとりとめた。』『60歳で初代国際大統領兼皇帝となった。ぼくの家は王家となった。』しかし世継ぎが出来ず、68歳で政治界から引退し『王家の座はすてた。』その後、病が重くなり療養生活を送っていたが、旅行中に狙撃され死亡。(享年72歳)葬儀は国際葬となり、『ぼくが死んだあと、地球は破滅におちいったのだ。』」と、今から思えば何ともはや阿呆な事を妄想していたものだ。

子供の頃から、偉人伝や歴史小説を愛読していた影響であろう。当時、尊敬する人物は「織田信長、ナポレオン、ヒットラー」であった。漫画等の読み過ぎによる悪影響はよく取沙汰されるが、偉人伝等の読み過ぎによるこのような影響が問題になった等聞いた事はない。やはりこの頃から既に、世の中をナメきっていたのか。

しかし何故「世界征服」の野望は潰えてしまったのか。勿論いろいろ要因はあるだろうが、一つにこの翌年から音楽活動を始めた事が大きいのではないか、と容易に自己分析出来る。そう思うと、この時点で随分スケールの小さな人間になってしまったものである。世界統一する筈だった人間が、いきなり貧乏アングラ音楽家に失墜とは。 人生まさしく塞翁が馬だ。

しかし実の処、当時は将来音楽家になろう等とは微塵も思わず、中学生になると今度は「思想家」を志した。なにしろ思想家などと云うものは、ただ物を考えているだけで良いと云う「お気楽」な稼業に思えて仕方なく、それでいて、革命などと云う世の中を動かす程の影響力があるのだから、これは政治家になるよりずっと楽で、更にリスクも少ない恰好の職業と感じていた。そこで私は、古今東西あらゆる哲学書を読み漁り、自分の思想体系を構築すべく、遂に400字詰原稿用紙100枚以上に及ぶ論文「存在論」なるものを完成させた。しかし完成後、ある空しさに襲われた。こんな長い論文を一体誰が読むのか。仮に学識者に読まれた処で、一体どうやったら世界が動かせるのか。学生達がマルクス等の思想書を読み耽り、論じ合い、体制と闘争する時代は、とっくの昔に終わっていた。よくよく考えてみれば、この平穏な現代に、指導者たる思想家や哲学者の必然性すら感じられなかった。では現代に於いて、次世代を担う若者達に影響を与えるメディアは何か。そこで私は閃いた。「漫画だ!」

今でも私は、理論武装(と云うより詭弁)等によって相手を論破する事は得意中の得意であり、ディベート等でも無敗を誇るのだが、高校生になったばかりの或る日、理論武装している自分自身に嫌気がさして、「考える」と云う行為を放棄するようになった。その代わりに、私の興味は「衝動」と云うものに向けられていった。そして小学生の頃から永井豪に飽き足らずエロ劇画を愛読していた私にとって、「衝動(特にエロと暴力)」を形として表現するのに「漫画」は余りに御誂え向きのフォーマットであった。しかしその最もエネルギー溢れるクライマックスに心血を注ぐ余り、そこへ至るストーリ-を描くことが煩わしく、結果、作品は全てまるで最終回のみの異様なもので、キャラ設定等全ては、私の頭の中にあるだけだった。私が筆ならずGペンを折るのに、さして時間はかからなかった。

そして年令を重ねるごとに、「世界征服」や「革命」等の妄想は 次第に自分の中から薄れていってしまった。と言うよりも、自分の実生活の方が遥かに「衝動」的なものになってしまい、妄想する必要が無くなったのか。さてまた私の人間としてのスケールが小さくなったのか。

何はともあれ、かつての「ぼくの将来」なる誇大妄想に関して、今尚抱き続けている妄想と言えば「一夫多妻(今や結婚する事さえ煩わしいが…)」的な側面だけか。嗚呼、せめて参院選で一夫多妻制を公約していた月亭可朝が首相になっていれば…。

(2001/4/5)

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