『人声天語』 人声天語特別編 AMT TOUR 雑記 2002

「Magical Ministry Tour」と名付けられたAMTのツアーは、2002年10月中旬から12月上旬まで、全10カ国40公演、約2ヶ月に跨がるロング・ツアーであった。

第66回から第70回に発表した「US & CANADA編」に続き、今回は「SCANDINAVIA編」「EUROPE編」をしたためようと思う。本来はもう少し記憶が鮮明な内に綴りたかったのであるが、簡略にツアー日記をしたためておいた肝心のメモ帳が行方不明となり、半ばこの2編を綴る事は諦めていたのであるが、今回Gongのレコーディングでオーストラリアへ出発するに当たり、ツアーから帰国以来放置してあったウエストポーチよりこの手帳を発見、漸くここにしたためられる事と相成った次第。されど何が悲しくて、この気温30度近い真夏のオーストラリアにて、極寒のScandinavian Tourの模様を綴らねばならぬのか。今、Daevid Allen邸の一室を当てがわれ、のんびりベッドに横になりつつこの文章をタイプしているのであるが、外の蝉の喧噪が、夏嫌いの私の気分を悪化させ、今やすっかり集中力さえ損なわれている始末。

其の弐:SCANDINAVIA編

第75回「嗚呼、ノルウェイ…(前編)」

10月29日、午後8時に東君と共に我が家から、タクシーにて名古屋駅へ向けて出発。アメリカから25日に帰宅したばかりであり、何とも慌ただしい僅か4日間、束の間の「my sweet home」であった。近鉄アーバンライナーにて難波に午後11時着、そして今晩の投宿地COTTON宅には深夜12時に到着。2人共かなりの重量の荷物を抱えての移動で既にへとへとなれど、Eclipse Recordsからのオーダー分と、ツアーでの物販分である「Live in Japan」CD600枚を袋詰めし、焼酎で晩酌。徹夜で飲み明かし朝7時の出発に備える。

10月30日、予定通り7時にCOTTON宅発。須原君が車で荷物を駅まで運んでくれる。有り難い。駅で津山さんと合流し、一路関西空港へ。空港にて夘木君と合流、これにて5日ぶりに再び全員集結。

さて初のルフトハンザ航空のチェックイン。ヨーロッパの航空会社は大抵無料で預けられる荷物が20kg1個と相場が決まっている為、いつも利用しているUAの「30kgの荷物2個、合計60kgまで無料」とは勝手が違う。一応それなりに対応策を考えて各自梱包して来た事は明らかで、特にシンセにギターとエフェクターと云う、超重量級の荷物を抱える東君に至っては、スーツケース軽量化を謀る為、巨大ギターケースにエフェクター全てを詰め込み、その形はまるで「お地蔵様」の如きで、メンバー皆から思わず手を合わされる始末。

しかし我々の努力も空しく、痛恨のウエイト・オーバーを通告され、追加料金計11万円を請求される。「ふざけんなぁ~、ボケがぁ~!」

結局各自、預ける荷物の中身を少しばかり機内持ち込みの手荷物の方へ移し、更に1人当たり15kgはサービスして貰い、取り敢えず預ける荷物の方は何とか事なきを得たが、問題はこれだけでは終わらない。対応に当たっていたANAの職員の融通の利かなさには呆れ果てるが、(それでなくとも預ける荷持の重量オーバーにて、追徴金の件でもめまくっていたにも関わらず)今度はギターも預けろと言われ、こちらが機内持ち込みを主張すれど、「長さが機内持ち込みの手荷物の規定より長い」とヌカしくさり、我々が「いつもUAやANAを利用しているが、壊れ物なので『どうぞ持ち込んで下さい』と言われる事はあっても、『預けろ』と強制された事なんぞないし、況してその大きさのせいで『ギターの為にもう1席シートを購入して下さい』と言われたためしなんぞ一度もない!」と言ってみた処で端から相手にされぬ。コントラバスやチェロではあるまいし、何故ギター如きの為に各自もう1席ずつシートを購入せねばならぬのか。押し問答の末、「ルフトハンザのクルーに訊ねてみる」事となり、丁度そこへ我々の便の乗務員が通り掛かり、これ幸いと直接ギター持ち込みの件を訊ねるや、勿論二つ返事で「Of course OK!」これにて一件落着、我々はANAの職員に「ボケがぁ~、このド素人がぁ~!」と、捨て台詞を残して無事搭乗と相成った。

先ずは、関西空港午前10時20分発でFrankfurtへ飛び、トランジットでノルウェイのOsloを目指す。

ルフトハンザでの空の旅は、シートがUAより幾許か狭い事を除けば至って快適である。機内食もそこそこ食える程度であるし、ワインを頼めば立派なドイツワインをボトルから幾らでもグラスに注いでくれる。ヘッドホンも音が良く耳に優しい上に、流石ドイツ、クラシック・チャンネルが2つもあり、寝るには丁度よい。

徹夜明けでもあった上、調子よく赤ワインをあおったせいもあり、結局12時間のフライトの殆どを寝て過ごす。

Frankfurt空港でOslo行きにトランジット。流石ヨーロッパの空港である、喫煙スペースが至る所に設置されており、これには感謝。2時間のフライトにて午後6時にOslo着。COTTONが通関で、持参したタバコ7カートン中の2カートンを発見され、ノルウェイでは持ち込みは1カートンまでらしく、課税対象として金を払えと言われもめるが、夘木君の「これは僕のです」の機転を利かせた献身的一言で事なきを得る。

Oslo空港では、今回のScandinavian Tourの女傑オルガナイザーAnnaの夫Jyrkiが、遥々フィンランドから我々の為にバンを走らせお出迎え。以前UK/IrelandをフィンランドのバンドCircleとツアーした際、彼は彼等の運転手兼ツアー・マネージャーとして同行しており、その時に一度会っている。そのツアーの際、AMTをすっかり気に入ってくれた彼から「おめぇ達、今度北欧ツアーをやってみねえかって~の?おらの嫁さんはオルガナイザーで、Ruinsとかも世話してやったって~の。」と、強烈なフィンランド訛りの英語で捲し立てられ、今回のScandinavian tour実現の運びとなった次第。

Jyrkiと交代運転手として雇われたと云う、マイケル・シェンカー似の長髪ギタリストToppiの2人と共に、ノルウェイのオルガナイザー、Apartment Records主宰のPer宅を目指す。紆余曲折あって、僅かばかりの距離でしかないPer宅へは深夜11時に到着。時差ボケで全く眠れず朝を迎える。

10月31日、朝9時にBergenへ向けて出発。JyrkiとToppiの運転手2人にPer、そして我々5人の計8人での旅路。バンのフロントローに座る彼等3人、JyrikiとToppiはフィンランド人、Perはノルウェイ人である為、共通言語は英語しかないようで、陽気にジョークを飛ばし合う彼等の会話を盗み聞きすれども、フィンランド人の強烈に訛った英語は私のヒアリング力如きでは到底理解及ばず、さっぱり聞き取れぬ有り様。これに慣れるには数日を要しそうな気配である。

さて彼等3人のまるで「十数年来の友人同志」の如き盛り上がりとは裏腹に、時差ボケに悩まされる我々はひたすら爆睡。

10時間のドライブの末、午後7時にBergenに到着。Bergenはとても美しい街で、以前訪れた時も好印象であった。前回と同じく、今回も再びGarageと云うクラブにてワンマンで演奏。

サウンドチェックを済ませ、クラブのスタッフに連れられ近くのレストランにてディナー。「郷土料理」「ステーキ」の2種類のコースから選べるのであるが、我々5人は当然の如く「ステーキ」を選択、私は「スーパーレア」にてオーダー。フィンランド人の2人は「郷土料理」を選択したが、これは見るからに不味そうで、案の定彼等も「おら達の国にも同じような料理あるけんど、もっとうめえって~の。」と、文句爆発。一方ステーキはと云うと、これが大当たりで滅法美味。兎に角これまでの経験上「郷土料理に美味いものなし」と身に染みている我々、ステーキを選択して正解であったと、ステーキに舌鼓を打つ。

さてライヴの方は、キャパの7~8割程の入りで150人程度、前回は50人程度であったので、かなり良い方ではないだろうか。そもそもここノルウェイではAMTの作品は殆ど流通しておらぬ上、Bergenと云うこのド田舎に果たして何人のAMTファンがいるのであろうか。されどイギリスからの「Wire Magazine」「MOJO Magazine」「Record Collector」各誌の情報により、この2年程の間で知名度だけはこのド田舎でさえ随分上がったらしく、クラブのスタッフも「次回はきっとSold Outに出来るだろう」と云っていた。

2時間のセットを終え、楽屋に用意されたビールやらワインやらをひたすら飲みまくる。結局、楽屋に押し掛けた女性ファンやらと朝4時半まで飲み明かし、ビールもワインも全て空となった。今夜はこのクラブの2階の宿舎にて眠れるので、何とも気楽である。

11月1日、朝11時にBergenを出発。出発前、クラブのバーカウンターでコーヒーを頂いていると、前回も会ったここのオーナーにして名物ロックおやじに漸く会えた。


前回開演前に「ロックスターは終演しても、すぐにステージへ戻って片付けをしてはいか~ん!」「ギターヒーローとはこうやって(と、ジミヘンばりのギターアクションをしてみせて)格好良くギターを弾かねばなら~ん!」と、世界で唯一人「ロックスターの心得」を我々に懇々と語ったロックおやじである。頭はすっかり白髪且つ禿げ上がっていようと、革ジャンとレザーパンツに身を包み、全身からロック馬鹿のオーラを常に発する、ロックド阿呆の津山さんを感動させた男である。またの再会を約束し、一路Stavangerへ向かいフィヨルドを南下する。

長い年月をかけて氷河によって削られた、ギザギザの複雑な形状を為すリアス式海岸であるフィヨルド越えの為、何度も海底有料トンネルを潜り抜け、フェリーにも2度乗船。思った程寒くはない事に安心しつつも、寒さをこよなく愛する私を除き、メンバー全員が「これでもか」と思う程の重装備なれば、この気候には少々拍子抜け。

さて漸く今夜の会場Touに到着。昨日より更にド田舎である為か、小さな可愛いクラブである。先ずホテルにてチェックインを済ませ、部屋へ通されてみれば、一見立派なホテルであるにも関わらず、コーヒーメイカーさえない、否、立派なホテルであればこそ、お客自らがコーヒーなんぞ入れる必要もないのか。同室である東君と共に、空腹を我慢出来ず、洗面台から出る湯でうがい用コップを使い、何とかチキンラーメンを作り、取り敢えず腹ごしらえ。しかしPerが訪ねて来て、今からディナーへ行くと云う。あまりの空腹に先走って失敗。

今日もレストランにてステーキを食す。1日1ステーキとは、全くもって贅沢なツアーである。初めて津山さんが参加した折の1999年のツアーにあっては、金もなく飯もなく、唯ひたすらひもじさとの苦闘を繰り返したもので、それを思い返せば、我々も随分待遇が良くなったものである。さて今夜のステーキ、お味の方はと云えば、昨夜の方が格段上であったが、そんな贅沢を言える身分ではない。今日もステーキを食えた事に感謝しつつ、また近いうちにステーキにありつける事を願ってやまぬ。

本日もワンマンなれば、10時半からライヴはスタート。1時間半のセットにて終了。我々はバーで客とビールをあおる一方で、今日1日運転して来たJyrkiは疲労困憊、楽屋にて御自慢のブーツも履いたまま爆睡。

ホテルへ戻るや、再びチキンラーメンを食らって就寝。

11月2日、今日はOslo近くのSkienまでのロングドライブであるにも関わらず、のんびりホテルで朝食を取り、午前11時に出発。今夜は何でもノルウェイの売れっ子バンドGate(ガッテ)の前座らしい。

5時にクラブParkbiografen着。これはかなり大きいクラブ、と云うよりはまるでオペラ座のようなホールであり、聞いた処によると矢張り潰れた古い劇場を改装したものだそうだ。表にはGateのポスターが貼られており、これはヴォーカルの女の子のアップがデザインされたものであるが、結構可愛い感じで、これは楽しみ。

中へ入ると、丁度Gateのサウンドチェックの最中で、見た感じメンバー全員かなり若そうである。vo、g、b、kb、drの5人編成、ヴォーカルの女の子は、実物は然程可愛くはなかった。音の方はと云えば、ノルウェイ・トラッドにパンク風、ハウス風のアレンジを施し、少しばかりプログレを加えた感じで、如何にも売れそうなポップさも備えている。津山さん曰く「これはCDで聴いたら、きっと日本のトラッド・ファンは騙されるよろうなあ。」ギターの兄ちゃんは、リハからアクション決め決めの乗りまくりで、ルックス的にはバウハウスのダニエル・アッシュと云った処。云うなれば、ノルウェイのビジュアル系か。

さて我々のリハであるが、私の立ち位置には、Gateのギタリストの巨大エフェクターボードが3枚並んでおり、壊すかもしれないので撤去するように云うのだが、Gateのマネージャーのハゲ野郎が拒否。「万が一壊しても一切の責任は負えぬ」と云っても撤去せぬので口論となる。取り敢えずスタッフが、1枚のボードを撤去し、残り2枚のボード上に巨大なラックの蓋を被せガード。私も立ち位置を少々移動したのだが、何せライヴ中は何が起こるか判りかねる。今まで如何に大きな会場でのコンサートでさえ、私の立ち位置にある機材は撤収して貰っていた為、今回も譲る訳にはいかぬ。リハが始まり、私がそのガードしている蓋に足を乗せて演奏している姿を見て、ハゲ野郎もこれではまずいと思ったのか、もう1枚のボードも撤収し、残った1枚を鉄柵を設置しガード。しかしこの脆そうな鉄柵、突撃すればひとたまりもなさそうである。2枚のボードを撤去し、結線も既に電源以外全て外しているのであるから、もう3枚共撤収すればよいと思うのであるが、本当に阿呆である。メンバー全員このトラブルのせいで「今夜はおもろなりそうや」と、ワクワクモードに。

リハも終了し、レストランへディナーへ出向くが、よりによって私の嫌いなクスクスと不味そうなローストビーフである。私は結局、サラダのみしか食せず、後はビールで空腹を癒す。

我々の前に、アメリカから来たMicrophonesと云うもうひとつの前座があるらしい。楽屋へ戻ってみれば、Microphonesのメンバーから1曲共演して貰えないかと依頼され、快く承諾。Seattleの近くOlympiaから来たそうで、Kinskiとも友人であるらしい。さてこのMicrophones、バンドかと思いきや実は男性1人の弾き語りソロであったのだが、何しろ「うたもの」嫌いな私と津山さんにも好印象を与えた程で、これがなかなか良い。ラストの曲で呼ばれ、私と津山さんと夘木君が参加。これが結構楽しく、客にも大いにウケた。

この時点で私は、楽屋に用意されていた赤ワインのボトル3本を空にしており、4本目を携えて再度ステージへ。AMTのセッティングを済ませ、いよいよ本番であるが、既にかなりの泥酔状態。1曲目を難無くこなし2曲目「Pink Lady Lemonade」へ。既に立っている事さえ侭ならぬ状態をいい事に、ハゲ野郎が設置した鉄柵に数回アタック。問題の鉄柵は、何としてもGateのボードを死守せんと、剛健なセキュリティー4名に支えられており、壮絶な凌ぎ合いを展開。今夜は45分の持ち時間と知らされていた故、かなりダイジェストにて「Pink Lady Lemonade」を終え、「La Nòvia」に入ろうと思うと、客電をつけられ強制的に終了させられた。ステージ前に陣取る多くのAMTファンの猛烈なブーイングに対し、ハゲ野郎が「time over!」と通達。頭に来た私は、ギターを振り回しそこいら一帯を破壊、そのままギターを客席に投げ捨てて退場。Perが云うには、我々は30分しか演奏していなかったらしいが、開演前のPAトラブルで押したようだとか。そんなもん、こっちの知った事ではない。

終演後、Toppiと2人で人が出払ったGateの楽屋へ侵入。そこに用意されていたビールとワインを全部頂いていく。「あいつらどうせガキやから、酒はいらんやろ。コーラ飲んどけ、ボケ!」と2人で大笑いしつつ、コーラのみを残し逃走。

クラブのスタッフ連中からは、今夜のパフォーマンスは大ウケ、何でもあのハゲ野郎は皆に鬱陶しがられているらしく、中でもジョン・ロード似のおやじスタッフに至っては「so great! so beautiful!」とキスまでされる程。「次回は是非、AMTとMotor Psycho(ノルウェイのハード・サイケ・グループ)でやろう!」と云われる。まあ店のスタッフが喜んでくれる事が一番。

我々はそそくさとホテルへ。私とPerの部屋に、Toppiと東君がやって来て、先程の戦利品のビールをワインを飲みまくる。アテにしたノルウェイ製「かにかま」は美味であった。明日は朝7時出発であるにも関わらず、朝5時まで宴は続いた。

(2003/2/16)

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