『人声天語』「Daevidおじさん宅での夏休み日記(2003年2月)」#1/3

#1 >> #2 >> #3

2月14日、Daevid Allenとの新バンド「youNgong」のレコーディングの為、同じくこのバンドのメンバーであるCottonと共に、オーストラリアへ出発。名古屋空港のAustralian航空チェックインカウンターにて、私のオーストラリア入国ビザの確認が出来ず、その確認を待つまでの1時間は、ここまで送ってくれた東君と安田氏と共に空港内のレストランにて生ビールをあおる事にする。御陰で出国手続きを済ませる頃には、すっかりいい調子で「ゆるく」なり、金をチェンジする事さえも忘れる有様。
午後7時55分名古屋発のフライトで一路オーストラリアへ。翌15日朝4時にCairns空港にてGold Coast行きへトランジット。ここでの気温は、早朝4時にも関わらず何と24度。忘れてはいけない、こちらは只今真夏であった。機内のオーストラリア・ガイドによれば、ここいら辺りの気候は1年を通し、「暑い」と「とても暑い」の2種類しかないらしい。夏嫌いの私には、これは過酷な日々になりそうな気配。朝8時にDaevidの待つGold Coast空港着。欧米へのフライトとは異なり、時差が1時間しかない事が、更に「ゆるい」気分を増長させる。
税関にてのチェックは予想以上に厳しく、我々2人共、否、乗客ほぼ全員が、荷物を全てチェックされる。大抵の国では「生肉や果物等の生鮮食品」の持ち込みを禁止されているが、ここでは乾燥食品であれ肉や魚の類いは駄目らしく、更に卵製品も駄目とかで、我々は大量に持参した食料の中から「マヨネーズ」を没収される。あとは見た目さえ何か判然とせねば、どうせ税関職員は日本語が読めぬので、適当に言い逃れる。

この田舎の小さな空港の外では、フレンチスリーヴTシャツに半ズボン姿ののDaevidが待っていた。彼の年期の入ったオンボロFordは、エンブレムが「Ford」ならぬ「Fuck」になっている。空港からフリーウェイを45分ぶっ飛ばせばDaevid宅へ到着。林の中の住宅街、表には川が流れ多くの子供達が遊んでいる。鳥のさえずりと蝉の鳴き声が喧しい程、まるで真夏の動物園の鳥類コーナーにでもいるかのようである。
もう1人のギタリストJosh (from Daevid Allen’s University of Errors)も、既にSan Franciscoからやって来ており、1週間前からここに滞在している。着いたばかりの我々もゲストルーム1室を与えられる。大きなリビングには、リハーサルをしていたのであろう、バンドメンバーの機材が広げられている。家中にGong関連のポスターやら写真が貼られており、いわば「Gong博物館」と云った様相か。
一服していると、Gilliをはじめ他のメンバーやらその彼女、友人、そしてDaevidの子供達がやって来た。いきなり一度に紹介された処で、到底覚えられる筈もなく、まあ追々覚えていく事にしよう。Daevidの息子でありドラマーであるOrlandは、私に興味があるのか、テラスで一緒にお茶を飲みながら、いろいろ質問してくる。ベーシストのDharmaは、インドネシア人とのハーフとかで、笑顔が絶えぬ物静かな若者。それにしてもこの「ゆるい」空気は一体何だ。AMTを「極限のハイスピードで摩滅するまで突っ走る」と表現するなら、こちらは「限り無くゆるい」「時間が止まっている」若しくは「同じ所をぐるぐる回っている」かのようである。

今夜は山奥のキャンプ場にある「Kohinur Hall」と云うヒッピー・コミューン・センターでライヴを行う。

これはDaevidが事前に提案して来たもので、全員揃っての初めてのセッションを、是非ライヴでやってみたいと云う考えから。我々2人を除くメンバーは、既にリハーサルを繰り返しているので、一応それに我々2人が即興で絡む展開。2部構成で、1部は我々は参加せず、2部は私とCottonのデュオからスタートする等、Daevidの頭には既に今夜の青写真が出来ているようだ。
機材を運ぶ為、我々2人を残し、皆は人足先に出発。我々はAndreaと云う女性に午後6時に迎えに来てもらう。
このキャンプ場は、70年代初頭にヒッピーが大勢引っ越して来た地域だそうで、会場に到着してみれば、PA屋も照明をセットしている連中も、どう見てもヒッピーの生き残りでしかない。軽いサウンドチェックを各パート毎に済ませ、後はビールを飲んでのんびり過ごす。
日が暮れると、何処からともなくぞろぞろと湧いてくるかの如く、大勢のヒッピーが子供も一緒に連れてやって来る。その姿は、さながらインドの導師かさてまた中世の魔女か、子供は蝶々の羽根を背中に付けており、まるで妖精か。気付いてみれば優に300人を越える入りで満員、会場の周りで皆、ビール片手に寛いでいる。ほぼ満月なれば、その月の光が「ギ~ン」と唸る程に眩しい。
さて9時に第1部がスタート、未だリハ不足は否めない演奏ではあったが、Daevidのギターリフを中心に、かなりダンサブルにアレンジされた「You can’t kill me」「Zeroid」やその他新曲等が演奏された、やや短かめの45分程度のステージ。その後、DJによるディスコタイム。踊り狂う老若男女のヒッピー、会場の外でもビール片手に大勢が寛いでいる間を、子供達が走り回る。
第2部は11時よりスタート。私とCottonによるデュオは、フィードバック+ミニマルなスペーシーギター&シンセ+ヴォーカルと云う、如何にもGongのイントロダクションとでも云うセクションを展開、そこへ先ずGilliが加わり、続いてOrlandとDharmaのリズムセクション、そしてJoshとDaevidが加わって、ここでyouNgongのラインナップが初めて揃い踏み。「OM Riff(Master Builder)」をはじめ新旧いろいろ演奏、アンコールはお決まりの「You and I」にて幕。
客も大いに盛り上がり、客からの「The best dance band in the world」との形容句に、Daevidも手応えを感じたようであった。
終演後は再びDJによるディスコナイト、まだ興奮覚めやらぬ大勢のヒッピーが踊り狂い、外の至る所でもファイアーダンスが繰り広げられている。AMTファンも結構いたようで、サインを求められたり、オーストラリアにも来てくれ云々、のんびりビールも飲ませてもらえぬ。疲れたので、Andreaを探してそそくさと送ってもらう事に。未だ会場は多くのヒッピーが踊り狂っており、一体この宴はいつまで続くのやら。午前3時、Daevid宅に到着、空腹で死にそうだったので、持参したレトルトカレーと御飯を食し就寝。Daevidは未だ会場のようで、65歳とは思えぬ元気さである。

2月16日、午前10時起床。朝飯にうどんを食し、シャワーを浴びて洗濯等済ませる。お昼過ぎにJoshが起きて来たので一緒にテラスでコーヒー片手に談笑。一体レコーディングはいつから始まるのか、具体的な事は彼も何も知らぬようだ。唯、Gilli宅(ここからすぐ近く)のスタジオで録音する事のみ知らされている。Daevidは未だ帰宅しておらぬようで、一体何処へ行ったのか、我々の知る処ではない。と、丁度Daevidが軽快に自転車で帰宅。庭にマンゴの樹があり、Daevidが収穫にいく。このマンゴが激ウマにして、Daevid曰く「special technique」なる、見事な包丁捌きも披露。

今日はGilli宅に立ち寄り、その後ビーチへ行こうと云う事に。
Gilli宅は、古い一見廃屋のような建物、かつて日本のビートニクスとの付き合いが深かった頃に世話になった襤褸家と雰囲気が同じである。「only children and dog」と云うGilliの言葉通り、ここにはGilliと子供達、そして犬が暮らしている。驚くべき事に、何とここに現在、立派なレコーディング・スタジオを建設中で、ここで録音すると云う。「なんちゅうプランやねん!」これは本当にいつから録音が始められるのか、まあこの「ゆるい」空気では、斯様な展開さえも自然に感じてしまう。過密スケジュールに追われる自分の日常生活と比べ、何と大らかな事か。
さてGilli宅を後にして、Daevid、Josh、Cottonと私の4名は、一路ビーチへ、…の筈であったが、何故か車は急な登り坂を駆け上がっていく。「はて?海が山の上にあるとは思えぬが…。」辿り着いたのはここら一帯が展望出来る高台。何とDaevidはここで「あそこが自分の家で、あっちがGilliの家、自分の家の前を流れる川はこう続いて海へ繋がっていて、昨日のキャンプ場はあの山を越えた所で、スーパーマーケットがある市街地はこっち、ビーチはほら、ず~っと果てしなく続いて…。」と云った塩梅で説明してくれる。おいおい、地図ならぬ、展望台からの景色で我々にこの近辺の案内をするとは、この発想には流石に仰天。
ひとしきり説明が済むと、いざビーチへ。オーストラリアと云えばヌーディスト・ビーチのイメージしか持たぬ私の期待を裏切る事なく、流石にオールヌードの御婦人はおらねど、見事なバストを太陽の下に曝け出したビーチギャルにはお目にかかれた。歩くと砂が音をたてる程で、ゴミひとつ落ちていない美しさ。恐ろしい程遠浅で、泳げる程の深さまで行くには、優に100mは行かねばならぬ。水は未だ見た事もない程澄んでおり、日本のように海水浴客でごった返す事もなく、なんとも素晴らしいビーチである。Cottonを除く我々3人は海パンに着替えいざ海へ。波が結構高いので、泳ぐと云うよりは、波を選んでそれに乗ると云う感じ。Daevidは本当に元気で、この波の高さのせいで、水の中を歩くのは想像以上にかなりの運動量となるのであるが、我々3人の中で一番はしゃいでいる。確かに毎日斯様な暮らしをしていれば、至って健康的であろう。
ひと泳ぎの後は、バーでビールをあおる。未だ金をチェンジ出来ておらぬ我々、Daevidも「金がない」と笑っているだけで、結局Joshが払っている。オーストラリアはイタリア系移民が多くを占めるそうで、道理でヨーロッパ系の美女が矢鱈と目につく筈である。ビールを飲みつつ、昨夜のライヴの事、明日からのプラン等を話し合う。Daevidは一見「ゆるい」感じではあるが、こと音楽に関わる事となると、急にモードが切り替わるようで、まるで別人のようである。このはっきりした処は流石。
Daevid宅へ戻れば、泳ぎ疲れたのか、ベッドで爆睡。気持ちよく夢を見ていると、何やらチベタン・ベルの音が聞こえる。ふと目を覚ますと、Daevidがチベタン・ベルを鳴らして「Let’s go to the dinner」と歌っているではないか。それでも尚、Cottonは爆睡。Daevidが「She can choose」と云い残し部屋を出て行ったので、きっと食いそびれればCottonの残念がり具合は半端でなかろうと、「飯行くで!」と一言声を掛ければ、あれ程気持ちよさそうに寝ていた筈が「飯っ!」ともう目覚めている。
カーステでAMTを爆音で聴きながら近所のタイ料理レストランへ。当然支払いはJosh。表では若手の生バンドがスタンダードジャズを演奏している。隣の席に座るスキンヘッドのおやじは、食前の合掌に1分以上費やし、如何にも不味そうなベジタリアンメニューを食らっては、バンドの演奏に合わせて体を揺すり、拍手を送る。食事を終え、Daevid宅に帰りつくや、Daevidは徐ろに機材をセッティングし始める。明日からここでリハーサルでも始めるのか。私はビール片手にCD棚からDaevidのソロCD「Drawing a Dream」を選び、のんびりとした時間を過ごす。DaevidのCD棚は、当然Gong関連のCDがずらっと揃っており、よくよく見ればGongの70年の未発表ライヴ音源のCDRなんぞまである。Daevidが語るには、勿論アルバムによって良い思い出のものと悪い思い出のものがあるそうで、Drawing a Dreamは悪くないな…との事。
今日は泳ぎ疲れたので、12時就寝。隣の部屋ではDaevidがテレビで映画を観ていた。

2月17日、朝7時起床。シャワーを浴びて洗濯。このパターンがこれからの日課となりそうである。昨夜チェックしたGongの70年の未発表ライヴ音源を聴いてみる。既発のライヴ音源とは随分異なり、その「ゆるさ」は半端ではない。されど今だにDaevidは、この「ゆるさ」を持ち続けている辺り、全くもって恐れ入る。大抵「ゆるい」輩は、歳を重ねる毎に「ゆるみきって」駄目になっていくものであり、実際そういう人達を多く見て来たが、彼は全くそうではない。そもそも彼は、毎日朝10時までにビーチでひと泳ぎしてくるのが日課らしく、このタフさは、その辺りからも来ているのであろう。

今日は月曜日、漸く金をチェンジ出来そうだ。これでJoshにも迷惑掛けずに済みそうである。
Daevidが11時から歯医者に行くと云うので、皆で街まで外出。車で山を越え谷を越え、漸く小さな街らしき所に到着。銀行で金をチェンジし、JoshとCottonと共に、カフェでDaevidが戻ってくるのを待つ事1時間半。Daevidと合流してスーパーマーケットにて買い物。昨夜、私がかつてシェフだったと云う話から、今夜Daevidのリクエストでタイ料理を作らされる羽目となったので、その材料の買い出し、そして大量のビールも忘れる筈もなし。
今日のミーティングについて、Gilliは3時、Orlandは3時半にやって来ると云っていたらしいが、Daevidは、彼等は4時に来るだろうと云っている。JoshはDaevid説に金を賭けようと笑っている。既に3時を回っており、Gilli説はここでアウト。まあ全てがこの調子で、ゆるやかに時間が流れる。御陰でCottonは日がな眠気に襲われており、既に春眠状態。Daevidは、先日のライヴで自分のヴォーカル用スペシャル・マイクを失くしたらしく、あちこちに電話してみるが結局見つからず、何故かJoshが新しいマイクを購入する下りとなった模様。
結局Gilli御一行がやって来たのは4時半。皆でビール片手にこれからのレコーディング・スケジュールの打ち合わせ。何とスタジオはもう完成したらしく、OrlandとDharmaのリズム隊は、早速今夜から録音を開始するらしい。Classical Gongの曲もやろうと云う事で、既に先日演奏した「You can’t kill me」や「OM Riff」以外に何かリクエストはあるか、とのDaevidの問いに「Flying Teapot」と答えた処、そのアイデアは即採用された。その他結構細々と計画を立てたが、果たしてこの「ゆるさ」で本当に実行出来るのか、幾許かの不安も残る。打ち合わせも終了し、Gilli御一行は帰宅、我々4名は、私とCottonの合作「タイ風煮込み」でディナー。Daevidは、今夜サッカーのビッグマッチがあるとかで、食後は自室でテレビ観戦。Cottonはゲームボーイでポケモンと格闘中、Joshはメールチェック。虫の声が晩夏の香りを漂わせる、まるで夏休みの後半のような雰囲気。今にも何処からか花火の音でもしそうである。

サッカー観戦を終えたDaevidが「夜のビーチに散歩に行こう」と提案、我々4名は、真っ暗な林の中をDaevidの持参した懐中電灯を頼りにビーチまで散歩。何とDaevid宅の裏の林を抜ければ、そこはもうビーチであった。夜に聞こえていた列車の音のようなものの正体は、なんとこの波の音であったか。生憎の曇り空ではあったが、雲越しのうっすらとした僅かな月明かりに波が微かに光る様は、何とも幻想的である。と、丁度ほんの僅かな雲の切れ目から、素晴らしく大きな満月が姿を現した。先程までのうっすらとした波の輝きとはうって変わり、ムーンリバーどころか、うねる波が月光に照らし出され、その光の様はまるで天使降臨の如きで、これには「太古の地球でも、きっとこの光景は見られたのであろう」なんぞと、何やら自分の遥か遠い記憶が呼び覚まされたような錯角さえ引き起こす。
月が再び雲に隠れ、再び辺りは暗くなる。「The show is over」と云うDaevidの一言が、この夢のような気持ちから我々を現実に呼び戻す。

さて帰宅すると、Daevidは先日のライヴ・レポートをウェブにアップせんと、PCに向かってパチパチとタイピング。私はJoshとハーブティーを飲みつつ雑談後、のんびりギターを爪弾く。Cottonは既に寝ているのか。午前3時、さてそろそろ寝ようかなんぞと思い、部屋へ戻ってみれば、Cottonが暑くて眠れぬと苦悶しており、更に「腹減った。」確かに云われてみれば空腹である。2人で台所へ行き、冷蔵庫を漁ってサラダと冷えたタイ風煮込みを食す。食卓テーブルで2人してビールを飲みつつ雑談していると、Daevidが時々陽気に鼻歌なんぞ歌いながらちょっとやって来ては、また再び自室へ戻りPCと格闘を再開。Joshはベッドに横になり読書。4時半、少々涼しくなってきたので就寝。結局今日も録音はせず。予定では、私の出番は、先ずリハ済みの曲のリズム隊+Josh & Daevidのバッキングの録音が済んでからと云う事で、20日からとなっている。Cottonに至っては22日から。さて明日は何をしようか。

2月18日、外の鳥の鳴き声が喧しく、朝7時半起床。日課となったシャワーと洗濯を済ませ、GongのCDを聴きながら持参した味噌煮込みうどんを食す。昨日購入した葱と鶏肉の残りを入れたなかなかの豪華バージョン。昼過ぎにDaevidに連れられ小さなショッピングモールへ。Cottonは「ライトが点滅するグラサン」を購入して御満悦。ビールやら食材やらトイレットペーパーやらを購入し帰宅。「This is my heroin」と云う程、Daevidの大好物であるすいかを皆で食す。突如物凄い豪雨となり、御陰で昨日からの蒸し暑さが嘘のように、一気に涼しくなった。

Joshは腰痛らしく、Daevidがマッサージ&サウナに連れて行く。相変わらず雨は止まず、Daevidが「コケコケエエ~と鳴く鳥が朝から喧しい日は雨」と教えてくれるが、そう云えば今朝はその鳥の鳴き声で目が覚めたのだった。雨を喜んでいるかの如く蛙の大合唱が響き渡る。その音はまるでシンセの電子音のようでもある。一方、雨のせいで今日は波が静からしく、いつも程波の音が聞こえて来ぬ。ここにいると、波の音、虫や鳥や蛙の鳴き声、これらをずっと聴いているだけで充分であり、別段何か音楽を必要とする訳でもなし。Daevidも鳥の鳴き声にはかなりインスパイアされると語っている。
Cottonは日がなゲームボーイでポケモンと奮闘。何か食べているか、ゲームをやっているか、寝ているか。彼女なりに幸せな時間を過ごしている様子。

夜、Daevidが物置きから何やらビデオテープの入った箱を出して来た。何と70年代のGongのビデオ、この頃のGongのビデオは観た事がない。当時、フランスのテレビ局が製作したGongの30分ドキュメント番組の一部、僅か10分のみではあるが、それがここに保存されていた。Gong houseの映像から始まり、メンバー全員が整列してのジャケット写真撮影の様子、キッチンにてのDaevidとDidieのインタビュー、当時のレコーディング風景等々、貴重映像である事に間違いなかろう。Joshと2人して、Captain Beefheartのドキュメント番組のビデオも観賞。何と1966年のライヴ映像や、70年代の今までブートレグでも観た事のないライヴ映像満載、更にライ・クーダーからジミー・カール・ブラックに至るまで、大勢のMagic Bandの元メンバー達によるインタビュー、ラストにはデヴィッド・リンチが撮影したビーフハートのインタビュー映像まで収録されている。良いものを観せて頂いた。

Daevidが彼の本「gong dreaming #1」を見せてくれた。これは彼の自伝的なもののようで、見せてもらった本作はvol.1と銘打たれている通り、先ずは60年代初期のビートニクス関連からGong結成前夜までの事が、多くの資料と共にここで明らかにされており、非常に興味深い逸品。考えてみれば、シド・バレットやジミへンと同じ時代に同じ場所で同じ空気を吸って生きて来ているのであり、今現在あまりに近い存在となって忘れてしまっていたが、Soft MachineでありGongなのである。十代の頃から愛し尊敬していたミュージシャンであり、私にとっては音楽のみならず人生にも大きく影響を与えた1人なのである。この本を眺めているうちに、彼の今まで送って来た人生の濃さを感じる。彼こそ「やりたい事はなんとしてもやるが、なりたくない事は絶対やらぬ」と云うAMTのスローガンを、そのまま体現している存在ではなかったか。
午前3時半、 今こうしてこのオーストラリア日記を書いている私と同じ食卓テーブルに座り、今宵もDeavidはPCに向かって、この続編を執筆中。されどそう云えば「昔のGongの写真を失くしてしまった」と嘆いている様子なれば、是非とも何とか資料を揃えて、続編のvol.2が無事完成する事を切望してやまぬ。

#1 >> #2 >> #3

Share on Facebook

Comments are closed.