KinskiとのUSツアーに際し、先ずはツアーに先駆けてリハーサルを行う為、数日間彼等の本拠地Seattleに滞在したのだが、Seattleと云えば矢張り中古レコード屋である。何せ掘り出し物の山にして、レコード屋の軒数も多く、この地を訪れる度に大いに散財させられる有様。今やKinskiのメンバーもよく知ったもので「レコード屋へ行こうか?」と、悪魔の囁きとも思える甘い誘惑にて、毎度私を大いに苦悶させるのである。
先日もKinskiのベーシストのLucyの買い物に付き合わされた際、「じゃあ2時間後にここのカフェで待ち合わせって事で。この界隈にはレコード屋がいっぱいあるからブラブラ出来ると思うわ!」と、甘い誘惑だらけの街中へいきなり放り出され、渡航費用がかさんだ故に倹約節制を旨とする今回のツアーに於いて、況してや未だギャラさえ貰っておらぬツアー前なればこそ「絶対買わんぞ!」との固い決意を胸に、ではとものの数メートルも歩けば、何といきなり中古レコード屋に遭遇。「見るだけなら」と、自分を言い聞かせ店内へ入れば、然程アナログ盤コーナーも大きくない故、「これなら大した事ないやろ」と少々気も緩み、徒然なるままにレコード棚へと手を伸ばせば、何とまるで金脈を掘り当てたかの如き宝の山ではないか!サイケのオリジナル盤は勿論、民族音楽や現代音楽の品揃えについては目を疑いたくなる程にして、値段も信じられぬ程安価なれば「まあ100ドルぐらいまでなら使ってもええか」と、先ずはめぼしいものを抜きにかかるや、自分なりにかなり厳選しているつもりではあれど、あっと云う間に山積み状態、これは到底100ドルでは収まらぬと悟れば「まあ日本で買う事を思えば激安やし、いずれはどうせ買うんやから、それやったら今買うた方が結果的には安上がりやもんな」と自分を納得させ、こうなればもう「全部いったるわ!」と堰を切った川の如く歯止めが効かなくなり、ついぞ先程まであれ程固く決意していた筈の倹約節制なんぞすっかり彼岸の彼方と相なりて、更には絶対買わぬと決意していた反動からか、清々しき開放感とも云える恍惚感さえ感ずれば、いよいよ脳汁分泌率200%にして、完全に自分を見失ってしまう有様。ここでこのレコード屋の主人が「Hey, Kawabata!」と声を掛けて来るや、彼はAMTの大ファンにしてKinskiのChrisとも旧知の間柄とかで、これはディスカウントしてくれそうな気配なれば「勉強してくれんねやったら、もうちょいいっといたろか!」壁貼りのレア盤にも思わず手を伸ばしてしまう。結局30%オフと云う出血ディスカウントを施してもらったが、予算100ドルは軽くオーバー、さて丁度Lucyとの待ち合わせ時間とも相成り、いざカフェへと向かえば、彼女は大量のレコードを抱えた私を見て大笑い。「やっぱり買ったのね…」買うように仕向けたんはおのれやないけ!
こちらではよく電信柱にライヴのチラシ等が貼られ捲っているのだが、そんな中KinskiのギタリストChrisが「レコード売ります。在庫3万枚。Rock / R&B / Jazz / Classic / Mood music etc 全品1ドルから」なるガレージセールのチラシを目敏く発見するや、早速コンタクトしてそのお宅を訪ねる事と相成る。どうやらその御仁は何処ぞへ引っ越すらしく、さて地下倉庫に溢れ返る在庫を見せられるや、3万枚の触込みに偽りなしの物凄い量にして、況して殆どが1ドルと云う事なれば、いよいよもって脳汁は怒濤の勢いにて分泌しまくり、何はともあれ片っ端からチェックし始めれば、怪しげなカスレコードの山。脳内麻薬の効能にて今や桃源郷にいるかの如き、あれもこれも「どうせ1ドルやし…」と、片っ端から抜きまくれば、意識も完全に「8 miles high」どころか遥か別次元へまでトリップ、そもそもレコードを漁っているだけで、何故これ程発汗しているのか。無意識のまま結局は大量購入、大量のレコードを抱え車に戻る辺りで意識が次第に戻って来れば、何故斯様にしょうむないカスレコードを買い漁ったのか、全く記憶もなけれども、購入した膨大なカスレコード群と共に、セックスの後のような心地良いけだるさと恍惚感の余韻が残るのであった。
さてその翌日に、安い日本食レストランにてLucyとKinskiのもう1人のギタリストMatthewと会食した際、そのすぐ近所にまたしても中古レコード屋を発見すれど、Matthew曰く「あの店は駄目だよ」しかし皆が云う駄目な店に限り凄い掘り出し物なんぞも眠っている故、大した期待もせずに取り敢えず中を覗いてみれば、何とサイケのオリジナル盤の山にして、現代音楽やら意味不明の瞑想系珍品レコードなんぞも豊富に揃っている上、何しろカントリーなんぞの戦前の貴重な録音等がずらり並んでいるではないか。これはシアトル・ゴールドラッシュ勃発か。未だツアーさえ始まっておらぬ故、ギャラが入って来ぬ為に懐具合はかなり寂しいとは云え、ここでこの金脈を前に、おめおめと手を出さずに引き下がるなんぞと云う事は、所詮到底無理と云うもの。店の親爺が「今なら全品20%オフにしてやる」と云うので、ならばここは破産覚悟玉砕体勢でお宝を抜きまくれば、再び脳汁分泌全開状態にして、何とも云えぬ恍惚感が訪れれば「嗚呼、快感…。」今や完全に重度の「Vinyl Junky」状態なり。
更にその翌日、今度はLucyが美容室に行く間、またしても中古レコード屋密集地帯に放り出され、当然の如くその中の1軒へと赴く。以前にも幾度か訪れた事のある店なれば、ここの親爺もこちらの顔を覚えているのか「久しぶりだな!」と、声を掛けられる。この店は、「99セントコーナー」「4枚10ドルコーナー」「5ドル均一コーナー」と、カスコーナーの充実ぶりには目を見張るものがあるのだが、これら決して単なるカスではなく、Grateful DeadのブートやらFrank Zappaのオリジナル盤レベルならば、何と5ドル均一コーナーに容赦なく入れられているのであるから、当然の如くここぞとばかりに抜き捲るしかあるまい。況して通常在庫のコーナーでさえ、サイケのオリジナル盤やらジャズの珍品等が10ドル程度で売られているのであるから、ここ数日の中古レコード・ハンティングにて最早すっかり枯渇したかと思われていた脳汁が再び大量分泌にて、またしても恍惚状態と化す。完全に見境をなくし、極限に近い興奮状態の下、結局30枚程購入すれば、漸くこの覚醒状態も少々鎮静して来たか。ふと我に帰ってみれば、果たしてツアーも始まっておらぬ内から合計80枚ものレコードを購入した処で、今やすっかり懐は破産状態、これからどうしろと云うのであろうか。仕方ない故、梱包し日本へ送る次第と相成った訳であるが、果たして斯様にレコードを買った処で、既に我が家には置くスペースさえなかったのではなかったか。
そう云えば津山さんも、暫くレコードを買わぬと禁断症状が発症し、兎に角レコード屋の事しか考えられなっては、いてもたってもおれぬ様となりて、結局闇雲にしょうむないレコードなんぞあれこれ買い漁れば、漸く気持ちは落ち着けども「何でこんなレコード買うたんや?」と自問自答してしまうと、その素晴らしき「Vinyl Junky」ぶりを語っておられた。津山さん曰く「勿論買うたら聴くけど、やっぱりレコード買うんが好きやねん。」この境地こそ、立派な「Vinyl Junky」の発言であろう。中古CDには斯様な中毒症状は見受けられぬ故、きっとレコード盤の原材料である塩ビやらジャケットの紙等が経年劣化する事により、そこで何らかの中毒性物質を生み出し、それが指先若しくは空気感染等により、斯様な中毒患者を生み出すのではあるまいか。兎に角中古レコードが醸し出すあの特有の匂いが、まるでアロマテラピーの如く「心地良い」と感じられ始めれば、既に危険信号は点滅していると云っていいであろう。
「Vinyl Junky」は伝染性がある事は勿論、中毒患者同士が出会ってしまえば、どうやら相乗効果を生み出す事もほぼ確認済みである。Seattleにてレコードを買い捲っている私の姿が、同じく「Vinyl Junky」であるChrisを大いに発奮させてしまったらしく、彼は「俺もツアーに出たらレコード屋に行き捲って買い捲るぞ~!」っと大いに意気込む始末。SeattleからMinneapolisへの超長距離ドライヴも、彼の「Minneapolisの中古レコード屋は素晴らしい!絶対行くぞ~!」っと云う猛烈に熱い想いから、何と2日弱で完走(通常は2日半から3日を要す)し、御陰で私もMinneapolisのレコード屋にて大いに散財する結果となる。MInneapolisのレコード屋は、Chrisの云うが如く素晴らしく、フォークやトラッドの充実ぶりも素晴らしけれど、何しろ壁一面全てが「50セントコーナー」なれば、梯子までを駆使し、途中トイレ休憩も挟んでさえ、私は果敢にもこのカスコーナー全チェックに挑めど、縦7列横5列の計35棚(1棚約150枚)の合計約5250枚の壁はあまりに高く、結局時間切れゲームオーバーと相成った。時間的理由にて在庫を全部チェックし得ぬ時の無念さとは、これ一体何であろうや。もしかしたらとんでもない逸品が眠っておるやもしれぬと思えばこそ、店を後にする時の未練たるや計り知れぬなり。未だ軽度の「Vinyl Junky」Chrisは、流石にこのカスコーナーには手を出さず、まだまだ初ヤツよのう。されど彼も相当量のレコードを購入し、大いに満足げなり。
「Vinyl Junky」が二人揃えば、当然の如く、その戦利品を見せ合う事は恒例行事にして、「おお~っ、そんなもん見つけたんか!」「それ何や?」「これはなあ…へっへっへっ…」等と、今度はレコード蘊蓄大会が繰り広げられるのは必定なり。
更にツアーも中盤に差し掛かるBostonからPhiladelphiaへの移動に際し、「Philadelphiaには良いレコード屋があるから、あそこは絶対に行く!」と、Chrisは猛烈なスピードでフリーウェイをぶっ飛ばせば、その彼の瞳には、既にレコードを求めてやまぬ熱い炎が大いに燃え盛っておれど、生憎の土曜日なれば、途中でNew Yorkへ向かう大渋滞に見事遭遇、漸くPhiladelphiaに到着すれど既に午後7時、彼の目指すレコード屋は残念ながら時既に遅く閉店。大いに悔やしがるChrisを、私は取り敢えずその夜のライヴ会場Khyberの近所にあるレコード屋へと案内、これにてお茶を濁す事と相成れど、何とここでも掘り出し物がザクザクと、期待しておらなかった故か、通常よりも脳汁迸る勢い激しければ、これにて二人とも再び恍惚状態へ。「Vinyl Junky」は、お互いに「これ持ってる?」「これええで!」なんぞと薦め合ったりもすれば、御陰でより一層相乗的に散財させ合う羽目となれど、相手がいろいろと抜いてレコードを抱えている様を眺める事もひとつの幸せなり。これは大いなる散財に対しての共犯幻想なのか、矢張り良い音楽は共有すべきであると云う啓蒙的博愛精神なのか、その真相は私にも判らぬ処。
結局このツアーにて、私は150枚以上のレコードを購入する処となり、遂には一晩に7発以上もセックスすれば陥るが如くの無常感にも似た境地に到達、Seattleにて既に1箱発送しているとは云えど、さてこの大量のレコードを持って帰らねばならぬと云う現実問題に直面、新しいスーツケースをレコード箱の為に新調するに至れど、今やレコードのその重量たるを知って余りあれば、それを運ぶ辛さを思えばこその無常感なるや。「レコードをなめるなかれ」とは、前回のUSツアーに於いて、私が東君へ放った言葉であるが、この苦しみがあってこそ、レコードを買う喜びがあるのやもしれぬ。額に汗して持ち帰りしレコードなればこそ、その有り難みやら想いの丈も深くなりければ、それを電蓄に乗せる時の感慨もまた一入ならん。
されど斯様にレコードを買った処で、その収納場所にも困れば、さて自分の全余生を通し、全てをもう一度聴く事はあるのであろうか。以前その疑念について具体的に検証した事さえあれば(第11回「C’est la vie…(それが人生さ…)」参照)何と空しい行為であろうか。一度しか聴かぬものさえ買わねばならぬその性とは、未だ触れた事のない音楽への飽くまで尽きぬ好奇心の為せる技か、さてまた「聴きたい時に手の届く処になければならぬ」と云う、ある種の脅迫観念に起因するものなのか、否、結局は単に「レコードが買いたい」と云う、至って不毛な中毒的悪癖によるものなのであろうか。果たして私はいつまでレコードを買い続けるのであろうか。
哀しきかな「Vinyl Junky」…その道は、甘美にして厳しく、そして空しい。
(2004/8/18)