『人声天語』 第110回「2004年 夏 in USA ~Kinski USツアー~」

7月31日から8月14日までの2週間、Seattleのギターインスト系グループ「Kinski」のツアーに、ゲスト・ギタリストとして参加したのだが、そもそも事の発端は、AMTより2年前に2枚組1stCDをリリースしたフランスのグループ「Ueh」より、「初のUSツアーを行いたい」との依頼を受けた事に対し、Kinskiへ「ツアーの前座に据えて貰えまいか」と持ち掛けた処、リードギタリストMatthewが諸事情により、現在長期ツアーに出られぬとの事、「Kawabataが弾いてくれるなら、Uehを前座にUSツアーを組もう」と云うKinski側からの交換条件の下に、いよいよ「Kinski + Kawabata Makoto / Ueh US tour」は敢行される事となったのである。

自身が全てを取り仕切るAMTのツアーと異なり、自分の責任範疇が事務的内容に及ばぬ為か、久々に気分はお気楽極楽なツアーと相成った。勿論Kinskiの名の下に於いて行われるツアーである故、彼等の曲を演奏せねばならぬのだが、曲を覚える事が大の苦手な私は、本来ここで大いに苦悩せねばならぬのであろうが、何しろ根っからの楽天家である故、「大丈夫、大丈夫!」と余裕を伺わせておきつつも、結局ステージでは概ね即興にて乗り切る作戦に出たのである。流石に数回ライヴをこなせば、コードやら展開なんぞも体に入り、ならばと尚一層即興に突っ走るのみである。されどKinskiの面々には、この手法が大いに刺激となった様子にて、大いに満足して貰えた様子のみならず、今後の彼等のサウンドに大きく影響を及ぼすであろうとは、リーダーChrisの弁。
一方、初の海外遠征となったUehも、彼等独自の音世界を淡々と繰り広げ、大いに聴衆を魅了した様子なれば、彼等にとっても大きな自信となった事であろう。私個人としては、今まで幾度もUehのライヴを観てはおれど、夜毎変化して行く彼等の音楽的しなやかさには、大いに驚嘆させられる事頻り。これも音楽を愛する彼等の純粋さと、フランスの田舎者ならではの何処か朴訥とした彼等ならではか。後半の数公演に於いて、彼等の要請もあり数曲のみ共演したが、何とも心地良いセッションであった。

されどお気楽極楽とは云えど、勿論それなりに気苦労はあるもので、先ずは初対面のUehとKinskiの人間関係に腐心。何せアメリカ人とフランス人である。お互いに民族的文化的にあまり好印象を抱いておらぬ事は、両国を幾度も行き来すればこそ、重々心得たもの。されどお互い音楽を愛する者同士なれば、当初こそランゲージ・バリアによる些細な誤解こそあれど、結局はすっかり打ち解け意気投合、仲介人の私の使命は無事果たせたと云えようか。否、これは私の尽力と云うよりも、偶然にも勃発したアクシデントの数々によるものからか。
ツアー後半に差し掛かったDetroitからNewportへの移動中、Kinskiのバンのエンジンが不調を訴え、ライヴ前に修理工場へ預け修理を試みたにも関わらず、翌日のNewportからSt.Louiseへの大移動に於いて、再びエンジンは不調を訴え、結局St.Louiseにて廃車にせざるを得ぬ最悪の結果となった。山のような機材を抱える我々は、レンタバンにて残り2日のツアー日程の消化とSeattleまでの帰路を見い出そうとしたが、行楽シーズン故に斯様に大きなバンは全て出払っており、結局2人乗りトラックと乗用車の計2台をレンタルする事で、この窮状を何とか打破し得たが、これに費やされた経費は、我々のギャラほぼ全額に匹敵するものにして、更にKinskiはSeattleへ帰り着いた後に、新たなバンを購入せねばならず、その出費は半端な額では収まるまい。
斯様なKinskiの窮状を見て、Uehのメンバーはフランス人特有のジョークを飛ばしては、沈みがちなKinskiの面々を苦笑させ、その辺りよりお互いの立場を一層理解し合い、敬意や感謝の意を表するようになったのである。Uehのベーシストであり映像作家であるAudreyが、かつてAMTのUSツアーに同行しドキュメント・フィルム「dokonan」を製作したが、今回のツアーを撮影しておれば、フランス人とアメリカ人に関するより面白い作品が作れたのではあるまいか。

この度の僅か2週間のツアーに於いて、私個人としては、壊れた物はツアーバンのみに留まらず、ギターアンプ2台と、エフェクターペダル4個、そしてギター1本に及ぶ。
今回2台のアンプを使用していたのだが、Detroit公演に於いて、1台にトラブルが発生し、急遽対バンのPaikのアンプを借りる事と相成った。その夜Paikの例の地下にバーがある邸宅に投宿した折、アンプをチェックしてみれば、何と真空管が完全に溶けてしまっているではないか。運良くPaikのメンバーより予備の真空管を譲って貰えた故、翌日よりこのアンプは再び使用出来るに至ったが、Paikの面々は「真空管がこんな風にメルトダウンしたのは見た事ない。e-bayで『AMTのKawabataのメルトダウンした真空管』として売ろう!」とジョークを飛ばす程。Chrisが「一体どんな風に演奏したらこんな風に真空管が溶けるんだ?」と訊ねれば、空かさずPaikのギタリストRobが「Kawabataみたいに超高速大爆音で演奏すればこそだろう」と答える有様。されどその翌日、今度はもう1台のアンプがお釈迦となり、こちらは全くの原因不明、拠って残りの日程は、アンプ1台に対応したセッティングへ変更し乗り切らねばならぬ顛末となった。
また今回はエフェクター博覧会とでも呼べそうなKinskiに参加する故、「Kinski仕様」と云う訳で、私もいろいろとエフェクターを持参したのであるが、ツアー中盤辺りからそのエフェクター群が壊れ捲り、結局はいつものFuzz+Waw+Reverbと云うシンプルなセットとなってしまったのである。
更にNewport公演では、思わずエキサイトし過ぎ、ついついSteinbergerにチョークスラムを食らわせれば、Steinberger特有のあのブリッジ部が木っ端微塵。確かにSteinbergerを愛用するようなギタリストは、決してギターを投げたりなんぞせぬであろうから、何とも柔な設計なのである。結局翌日中古ギターショップにて新たなギターを購入せんと赴けば、Steinbergerの方がグリッサンドや弓弾きには向いておれど、そう易々と見つかる代物ではない故、ここはとインド製のストラトキャスターを格安価格にて購入。矢張りストラトキャスターのシングルコイルと私のELK製Big Muffとの相性は素晴らしく、より一層大爆音での演奏が可能となったのであったが、御陰でChrisもLucyも「私達はAMTと並ぶSuper Loudなバンドだ」と言い始める始末なれば、果たしてKinskiの音楽性は大きく変貌してしまったような気さえすれど、自称「Loud group」とホザく、されど実はセコい音量でしょぼい演奏に終始するバンドが多い中、これは良き変化と云うべきであろうか。

今回のツアーに於いて、興味深いバンドを幾つか発見。
Galactic ZooのSteve Krakow主宰のサイケ・フェスティバル「Million Tongues Festival」に於いて、我々は初日のヘッドライナーとして出演、残念ながらその夜しか滞在出来なかった故、後日に出演したSimon Finnを見逃したのは大いに残念であった。斯様な訳で初日のみしか存ぜぬが、シカゴ・アングラ・シーンに於いて「最低にして最強の気違いトリオ」と言わしめた「Unshown」の元ドラマーTeraちゃんが率いる「Spires That In The Sunset Rise」は、以前にも対バンして存じており、既に彼女達の1st LPも所持しておれば、今回再び観られた事は嬉しい限り。まるでSlitsとFugsとC.O.B.を足して3で割ったと云えば良いか、良質の女性アシッド・フォーク・グループ。Uehの面々も、そのユニークな音楽性に、大いに感銘を受けていた様子。因みにTeraちゃんは、現在ドラマーではなくチェロ奏者にして未婚の母。実は嘗てクラシックを学んでいたとは、到底あの狂気に満ちたドラミングからは、想像だに出来ぬ処。

同じくその夜に、我々の前にメインステージに出演した東京の女性トリオ「にせんねんもんだい」、彼女達のパフォーマンスは日本で2度観た事こそあれど、今や「あふりらんぽ」と並ぶ人気を誇ると云う噂通り、堂々たる素晴らしいパフォーマンスを披露し、彼女達のライヴを初めて体験する満場のシカゴ・フリークス共を大いに驚嘆させ、興奮の坩堝に落とした。UehのドラマーFredericも、ドラマー姫野さんの大ファンだそうな。何しろ私もミーハーに今更ながら記念撮影なんぞお願いする始末。

そしてClevelandでは、前回のAMTのUSツアー時に衝撃を受けた「Flat Can Co.」が再び前座を務める。前回程の自己破滅的なクレージーさこそなかったものの、今回は紅一点のヴォーカルのお姉ちゃん、シャウトしながらズボンをずり下げてピンクのパンティーをチラチラ見せるは、挙げ句ギターを弾きながらキャミソールを捲り上げて乳首も披露するは、矢張り阿呆ぶりに変わりはなし。終演後TシャツとCDRをくれた代わりに「写真送って」と頼まれるが、結局メルアド紛失。

St. Louiseにて対バンした阿呆サイケバンド「John Walkers Booze」も、その阿呆なエンターテイメント性に、アメリカ人なりのサイケデリックに対する大いなる誤解と幻想を垣間見る事が出来る。映画「Austin Powers」にさえ共通する何とも云えぬ気色悪さと、ガレージパンクの融合とでも云えば、何となく理解して頂けるか。ファルセットで歌う小肥りのヴォーカリストは、小指を立ててクネクネと体を捩らせつつ、マイクをRoger Daltreyの如く振り回し、挙げ句はステージ上を転げ回る。久々に観た小気味良い阿呆サイケバンドであった。

されど昨今のアメリカでは、何故か「ニューウェイヴ・リバイバル」とかで、何とCureが大人気だとか。Cureとはこれまた懐かしい…と云うよりも、今だに活動し続けていたとは!大規模なロック・フェスティバルに於いても何とCureがヘッドライナーを務めており、大いに私を驚かせて余りある。確かにアメリカに於いて、今更ニューウェイヴなバンドを見掛ける事も頻繁なれば、まるで80年代初頭の日本のパンク/ニューウェイヴ・シーンさえ想起させるではないか。何処となく鬱そうなメンバーが、Joy Divisionの幻影に憑り付かれたかのような、どうしようもないお粗末な演奏を繰り広げるのであるが、これが大いに受けたりするのである。またフリーペーパー等にてライヴ情報なんぞ眺めておれば、Siouxsie SiouxやらAri UpやらPsychic TVなんぞと云う懐かしい名前も目にする故、これからアメリカ進出なんぞを目論む輩は、ニューウェイヴを演奏されたら如何か。そのうちTransやWechselbalg辺りのレコードなんぞが、アメリカで発掘再評価される時代さえ来るのではあるまいか。いやはやお先真っ暗である…が、それもこれも暗黒系であるから仕方なし…斯様なオチで勘弁して頂く。

Kinskiの面々は、兎に角メキシカン・フード好きなれば、移動中も立ち寄るのはひたすらメキシカン・レストランである。私も当初、ハンバーガーやフライドチキン等よりはマシであろうと、彼等の意見に思慮浅く同調したのがそもそも失敗なれば、以来彼等は明けても暮れてもメキシカン・フードを求め彷徨い、御陰で私はツアー中盤にして、完全な拒食症に陥ってしまう有様。空腹なれど、メキシカン・フードの匂いを嗅ぐだけで、食欲は減退するどころか、食事すると云う行為さえ疎ましく思えて来るのである。されど流石に数日間も絶食しておれば、体調頗る悪くなりにけり、運良く見つけたアジアン食材屋にて、キムチと豆腐を求め、それらを食して何とか急場を凌ぐ有様。また一方で、あれ程忌み嫌っていたマクドナルドのビッグマックでさえ、久々に食してみれば、何と救われた心持ちになった事か。まさかビッグマックに感動するなんぞ、今までの自分からは想像だに出来ぬ事であるが、メキシカン・フード地獄の中に於いては、斯様な希有な体験さえもあり得ると知った今回のツアーであった。

されど今回のツアーに於いて、救われた事と云えば、異常気象による冷夏であった事か。カナダからの寒波襲来により、8月にも関わらず、行く先々気温22度程度と到って涼しく、夜ともなれば肌寒い程なれば、されどアメリカ東海岸から中東部の真夏の暑さを知っておればこそ、当然長袖なんぞ持参しておらず、運良くツアー途中で拾った長袖パーカーを大変重宝したものである。
Seattleと云う涼しい場所に住むKinskiなればこそ、彼等のバンにはクーラーと云う文明の利器が搭載されておらず、暑さに滅法弱い私を大いに不安にさせたのだが、結果的にクーラーは全く必要なし。メール等で日本は酷暑なんぞと伺い知れば、ツアーに出て正解であったと自らを納得させる。されど酷暑とは云え、クーラーの効いた部屋にて塩サバや味噌汁を食す生活と、涼しい気候の中でメキシカン・フードに魘される生活、果たしてどちらが幸せなのであろうか。

そもそもこの度のツアー、思い起こせば始まりより苦難続きではなかったか。それはSeattleへ到着した日に遡る。ParisのCDG空港よりMilano経由にて成田へ、そして成田にてトランジットしSeattle空港へと、約33時間にも及ぶ空の旅の末、Seattle空港にてChrisへ電話すれども留守番電話なれば「きっと迎えに来てくれている道中なのであろう」と、脳天気に待つ事何と13時間!何しろ私は、少々怒りっぽいが、その反面気が長い事にかけては定評がある。幾度電話すれども留守番電話なれば、兎に角待つしか術もなし。もしやChrisが私の到着時間である午前10時を午後10時と勘違いしているのではと思い、ならば午後11時までは待とうと決心。朝10時より延々と待ち続ける間、一体どれ程多くの人達が、迎えに来た家族や恋人、若しくは友人達と熱い抱擁を交わし、車に乗り込み去って行った事か。今や私は空港に何時間も居座る珍妙なアジア人なれば、当然の如く警察官に職務質問され、一応事情を説明するや、それ以来その警官は、巡回の度に私を見ては「早く迎えが来るといいな、Good Luck!」と声を掛けてくれるのだが、何とも情けない気分である。
さてそろそろ午後11時になろうかと云う頃、「Kawabata!」と呼ぶ声に振り返れば、そこにはKinskiのドラマーBarrettの姿があった。何でもChrisとLucyは、休暇中なれば今宵までLAに遊びに行ってるとの事。ヨーロッパから日本を経由してアメリカへフライトした為、日付けが混乱してしまったのか、どうやら私が到着日を1日間違えて彼等に伝えていたらしく、さて彼等がいざSeattleへ戻ろうかと云う折、LAの空港にてメールチェックやら留守電のチェックをしているうちに、私が朝10時からSeattle空港にて待ち惚けを食らっている事を察したとかで、大慌てでBarrettに電話して来たそうな。1時間もすればChrisとLucyもLAよりSeattle空港に到着するとかで、結局彼等がLAで海水浴を楽しんでいた頃、私は警官に職務質問されたりなんぞしつつ、ひたすらボケーっと待ち惚けを食らっていたと云う、何とも間抜けな話である。結局Barrettとバーでビールを引っ掛けた後、Chris宅に漸く到着したのは、ParisのCDG空港を飛び立ってから約46時間後の事であった。

さてそのKinskiのUSツアーから帰国し、僅か3日後には再びMaquiladoraのJapan tourに合流するべく九州へ向かわねばならなかった。猛烈な時差ぼけに苦しみながらの国内ツアーであったが、そちらも恙無く終了した今、本来ならこの5日後に、Gongのヨーロッパ・ツアーの為、再びヨーロッパへ飛ばねばならなかったのだが、幸か不幸か突如のキャンセルとなった故、当面日本に滞在出来る運びと相成った。残暑が厳しいとの噂だが、それでもしばらくは家に滞在出来る有り難みの方が、涼しいヨーロッパにてツアーに明け暮れるより遥かに勝ると知る。「神様がくれた時間」なればこそ、さて何をしようか、斯様な事を思っているうちに、結局10月下旬よりのAMTのヨーロッパ・ツアーと相成ってしまうのがオチか。

何せ時間はあれど、斯様な時に限って金がないと来る。世の中なかなか上手くいかぬもの。

(2004/8/31)

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