『人声天語』 第116回「2004年総まくり」

さて今年もいよいよ年の瀬となれば、恒例の総まくりにて締め括りたいと思えども、寄る年波か記憶力の衰え一層酷く、1年を振り返るなんぞ今や困難至極にして、辛うじて思い出せし事を徒然に綴るのみとす。ツアーにて多忙を極めし2004年なれば、その詳細は既にツアー日記として記してある故、何卒そちらを参照されたし。

「今年のAcid Mothers Temple & The Melting Paraiso U.F.O.」

先ずは何と云ってもCottonの脱退である。私と共にオリジナルメンバーでありし彼女、寿脱退と云う訳で何ともめでたい話であれば、どうやら最新情報によると御懐妊だそうで、はてさて一体如何な子供が生まれてくるのやら。Cotton参加のAMTラスト・ライヴは3月に行われた「All Tomorrow’s Party UK」なれば、国内での最後のステージは、昨年12月の「第2回AMT祭」であったか。
さてCotton脱退によるリード.ヴォーカリスト不在のまま、やむを得ず結局津山さんをリード・ヴォーカリストに奉り上げれば、皮肉にも「第2期AMT」としてCottonのヴォーカルを全面に打ち出さんとせし私の意図とは裏腹なる「第2期AMT」がスタートしたのであった。Cotton脱退後の録音作品に関しては、あふりらんぽの2人の参加により新境地を切り開けども、矢張り求めて止まぬはツアーにも参加出来る女性ヴォーカリストの存在か。敢えてメンバー募集もせねば、いずれ自ずから出逢うべくして出逢うであろうと信じる私ではあるが、さて今後一体AMTは何処へ行くのであろうか。昨年1年間のライヴ活動休止もあればこそ、今年は春の北米ツアーに秋の欧州ツアーと、計15カ国52発のライヴを行い、再びバンドは大いに消耗摩滅寸前。されど今後AMTとして斯様に長期に渡るツアーを行う心算もなければ、最後のAMT長期海外ツアーとして、多くの人に会えた事は我々にとって大いに意味深き事なり。
1年の締めくくりの意味も兼ねた恒例「AMT祭」に関しても、あふりらんぽとの合体なるは、如何にも今年のAMTを象徴するかの如きなれば、さてこの後は如何な展開となるのやら。されどあふりらんぽとの合体は、AMT本来のカオスを蘇生させるに充分な出来事なれば、また今後も何かの機会があれば是非とも企画したいものなり。

また今年は大阪と東京にてフィルム・コンサートを行えども、大阪ではAMTのドキュメント映画「Dokonan」とRosina de Peiraとの共演ライヴ映像「Live in Toulouse 2002」の2作品の上映を予定しておれど、私が「Live in Toulouse 2002」のディスクと間違え「ウルトラファイト」を持参すると云う大失態を演じ、結局「Dokonan」のみの上映と相成った次第にして、また東京ではその「Live in Toulouse 2002」のDVDディスクがエラー連発にして内容の半分も再生出来ず、お詫びにとボーナス映像を流さんとすれども、私はすっかり泥酔状態にして延々と映像を垂れ流す大失態。フィルム・コンサートはもう懲り懲り。
「Dokonan」は来年DVDにてリリースされる事が決定済みなれば、関心のある御仁は是非DVDを購入されたし。また「Live in Toulouse 2002」も、Rosina de Peiraへのインタビューや、彼女がアカペラで歌うボーナス映像等も追加し、「Dokonan」の制作者Audrey Ginestetの手に拠り編集されDVD化する予定。

「今年のその他のAcid Mothers Temple」

AMTとは大きな傘のような代物であり、その下には数多くのAMTが存在する。世間一般にAMTと略称されているグループ「Acid Mothers Temple & The Melting Paraiso U.F.O.」もそのひとつなれば、今年は他のAMTもいろいろな活動を行った。

Acid Mothers Gong、これはAMTとGongとの合体ユニットであれば、昨秋London Royal Festival Hallにてデビュー。いろいろ誤解を招いている様子なれば、ここでもう一度述べさせて頂くが、Acid Mothers Gongと、新譜「Acid Motherhood」をリリースせし新生Gongとは、全く別のバンドである。今春には、一切の大手プロモーターを介さず、自らの力のみにより日本ツアーを企画。Daevidの来日が遅れる等のトラブルこそあれど、大阪の振り替え公演も含め、無事盛況にて終了せし事は、我々の活動方法が、決して間違えておらなかった事を証明したと云える。AMT結成当初から、海外ツアーのブッキングにせよリリースにせよ、一切大手のバックアップなしで自力にて行って来ておれば、国内のメディアに対して全閉しようが、東京でライヴを一切行わなかろうが、それは我々が思う処ある故にして、「東京でライヴやらなあかん」「雑誌に載らなあかん」なんぞと云う戯れ言は、「アホか!」実際活動するに際し、全くと云っていい程影響はないのである。AMGの国内ツアーに於いては東京公演も行えど、Acid Mothers Temple & The Melting Paraiso U.F.O.としては多分この先も東京にてライヴを行う事はなかろう。されど他のAMTに関しては東京公演の可能性がないとは云い切れぬ。

Acid Mothers Temple SWR、これは昨年行われた「Japanese New Music Festival tour」に於けるスペシャル・ユニットAcid Mothers Temple mode HHHと、某海外のレーベルからの依頼に端を発するAcid Mothers Ruinsなる企画が融合結実、勿論メンバーは、吉田達也、津山篤、河端一の3名なれば、一部から「それやったら『聖家族』と同じやんけ!」との声も聞かれそうだが、所謂同メンバー異バンドである。既に1stアルバムの録音も終了、来年にはイギリスの大手Cargo Records傘下のVery Friendly Recordsよりリリースされる予定。来春には「聖家族」の2ndもリリースされる故、現在「自分ら対バン」にて東京公演も検討中。

そしてAcid Mothers Temple & The Cosmic Inferno、これはAcid Mothers Temple & The Melting Paraiso U.F.O.に対抗すべく結成されし新たなAcid Mothers Temple、その名の通り「地獄のAMT」である。キカイダーに於けるハカイダー、ライオン丸に於けるタイガージョー、否、WWEに於ける「RAW」に対する「Smack Down」とでも云った方が判り易いか。いよいよ来年から本格的に始動する故、いずれその正体も明らかになろうと云うものか。

斯くの如くAMTの名の下に増殖すれば、勿論今後も増殖し続けるであろうし、またしても世に混乱を招く事は必至なれども、されどこれら全てAcid Mothers Templeなのであり、それこそが本来のAcid Mothers Templeの姿であるのだから仕方なし。そもそも斯様な思惑が当初よりあればこそ、Acid Mothers Temple & The Melting Paraiso U.F.O.なんぞとクソ長い名前を付けたのであり、このAcid Mothers Temple &以降を変える事で、幾らでもAcid Mothers Templeなるユニットを気侭に増殖させ得ると踏んでいたのである。

「今年のその他の活動」

2月にはMandog宮下君のお誘いもあり、ダモ鈴木氏のライヴ・メンバーとして、韓国公演と名古屋公演に参加。韓国に於いて、多分ジャーマンロックの浸透度なんぞ殆ど皆無であろうが、されど大いに盛り上がれば、韓国にての美食三昧も含め、何とも楽しいひとときであった。名古屋公演は、概ねメンバーがAMTであればこそCANを全く想起させぬクレイジーな内容にして、ダモさんにも大層喜んで頂いた様子なれど、極一部のしょうむない輩から早々に「今年のワーストライヴ」との評価も頂き、何とも光栄至極なり。

PSFから新譜がリリースされた事もあり、3月にはフランスの先鋭ギタリストJ.F.Pauvrosと欧州ツアーを行えば、その期間中にも関わらずAMTの「All Tomorrow’s Party UK」出演の為に渡英せねばならず、またこのツアー終了後の翌々日である4月2日から始まりしAMGの国内ツアーもあれば、何とも殺人的スケジュールにして大いに疲れた事この上なし。
5~6月に渡るAMTのUSツアーを終えれども、7月後半には再び渡欧しJ.F.Pauvrosとのレコーディングを行った後、何と成田空港にてトランジットし今度は渡米、そのままSeattleのポストロック・バンドKinskiとフランスのグループUehの全米カップリング・ツアーに両バンドのゲスト・ギタリストとして参加。更に帰国数日後よりSan Diegoのアシッド・フォーク・トリオMaquiladoraの日本ツアーにゲスト・ギタリストとして同行、のべ1ヶ月半に及びし「死のロード」なれば流石に疲労困憊。その4日後から8週間に渡り予定されしGongのヨーロッパ・ツアーがキャンセルされたとの報には、これにて漸く自宅に暫し滞在し得ると、Daevidには悪いが大いに安堵したものであった。
そして10月下旬から1ヶ月に及ぶAMTのヨーロッパ・ツアーを終えれば、再びヨーロッパにてソロ・ライヴを行い、帰国3日後に行われし「AMT祭」も無事終わるや、今年のライヴ納めとなるMandogとの合体による東京3daysにして、結局今年は5ヶ月程しか日本に居らねども、されどその間にレコーディングもこなせば、何と多忙にして怒濤の1年であった事か。
それにしても今年のツアーは、全て台風とニアミスしておれば、出国も帰国も毎度果たして無事フライト出来るのやらと、気を揉まされし事頻り。何にせよ飛行機は時間通りに飛んで欲しいものなり。

さて来年は少々お暇を頂こうかなんぞと甘い考えでおれば、先のAMTヨーロッッパ・ツアーにて稼ぎを盗まれた事もあり今や赤貧にして、結局来年は再び稼ぎ直さねばならず、当分休みを頂く事は到底叶わず。これぞまさしく貧乏暇なし。斯様な折こそプロレタリア・プロパガンダ劇画「カムイ伝」でも読み直すか、否、斯様な暇はなかったか。

「今年のAMTレーベル」

今年も矢張り赤字決算の当レーベル、幾ら枚数は売れども海外への卸し単価は1枚$7であれば、利益率の薄さは否めない処。昨年リリースせしツアー・コンピレーションCD「Acid Mothers Temple Soul Collective Tour 2003」の余剰在庫に泣かされ、そして新たに始めたOfficial Bootleg Series第1弾「Last Concert In Tokyo」も今一の売れ行きなれば、況してや出資元が俗に云う消費者金融である哀しさ故、結局売り上げの殆どが利息消却に消え行くのみである。斯様な逆境を打破せんと、今年のAMT北米ツアーに併せ、ツアー記念CDとして「Hypnotic Liquid Machine From The Golden Utopia」をリリースしたが、Alien8よりリリースせしスタジオ録音新譜「Mantra Of Love」の前に見事轟沈、売れるには売れたがこちらの予想を下回る結果に終わった。最終的には、Eclipse Recordsが在庫全てを買い上げてくれた御陰で何とか消却出来たが、我ながら何と商才のない事か。そもそも他のレーベルよりリリースせしAMTの作品は、どれも数千枚単位で売れているにも関わらず、何故自分で出せば売れぬのか。
昨年リリースする筈であったMaquiladoraと私のコラボレーション2枚組CD「Kiss Over」も、8月に行われし彼等の日本ツアーに併せ何とか無事リリース。2枚組故にプレスコストが倍なれど、卸し単価は$10なれば、結局大きな利益を上げるに到らず。またUehのアメリカ・ツアーに併せてリリースせし彼等と私のコラボレーションCD「Pataphysical Overdrive To My Cosmos」は、本来彼等のツアーに於けるフライトチケットやレンタカー代等の損失補填に充てる為だった事もあり、こちらとしては原価消却したに留まる。
そもそもレーベルで食おうとは思っておらぬが、せめて赤字経営は脱却したい処なれば、この冬にリリースせしあふりらんぽのCD-Extra「A’」のバカ売れでも夢見るしかあるまいか。されどこれも初回1000枚プレスの海外向けリリースなれば、結局は$7卸しであり利益率は薄い上、況してや再プレスの度に動画トラックを差し換えようなんぞと提案しておれば、毎回マスターディスクから作り直す事になる故、再プレスに於けるコストダウンなんぞもあり得ぬ話にして、そもそもこれは、あふりらんぽを海外へプロモーションする為にリリースせしサンプル的発想の代物なれば、儲けなんぞ端から度外視して始めた事であった。
それにしても資金繰りがリポ払いなれば、いつまで経っても借り入れ元金が減らぬ有様にして、漸く幾らか返済したと思えども、直ぐ様次のリリースの製作コストを再び借り入れる始末。主宰者である私と東君が、レーベルから給料とは云わぬが、せめて温泉1泊旅行でも行かせて貰えるようになるのは、一体いつの日になる事やら。

「今年のR.I.P.」

元Virgin Recordsのオリジナル・スタッフにしてイギリスの大手ディストリビューターHarmonia Mundi UKのボス、Paratactileなるレーベルの主宰者にしてPSF関連ミュージシャンのライヴのオルガナイザー、そして筋金入りのサイケマニアにして、何しろイギリスにて日本のアングラ音楽を最初に紹介せしキーパーソンなるTrevor Manwaring氏が、数年に及ぶ骨髄癌との闘病生活の末、2月13日夕方に逝去された。もし彼がいなければ、今現在の私もここには居らぬであろうし、もしかしたらAMTも存在していなかったかもしれぬ。
彼と初めて会ったのは、96年秋に行われしMusica Transonicのイギリス公演であった。国内では全く話題にならなかった1stアルバムがWire誌で年間ベスト10に選出され、Wire誌とHarmonia Mundi UKのバックアップにより実現せし初の海外公演であった。勿論これが私にとって初めての海外公演であった事は云うまでもなし。黒いレザージャケットにレザーパンツ、いつも全身黒に身を包み眼光鋭く不敵な微笑みを浮かべる巨漢Trevorが、かなりの曲者にして絶大なる影響力を持っているであろう事は、その全身から発せられるオーラからも一目瞭然であった。PSF作品のヨーロッパに於けるディストリビュートを一手に握っていた事もあり、彼はAMTレーベル作品のディストリビュートも申し出てくれ、私のソロ作品「Hot Rattlesnakes / Kawabata Makoto & The Mothers Of Invasion」をリリース、またイギリスに於けるAMTのライヴのオルガナイズも2000年まで行ってくれ、その他にも公私共に大いに世話になったのであった。本来ライヴのオルガナイズは彼の本職でなければ、彼は「AMTはビッグになるバンドだから、きちんとしたブッキング・エージェントと仕事をするべきだ」と、よく私に話していた事が印象深い。皮肉にも彼の言葉は翌年2001年のツアーより現実となるのだが、その年彼にブッキングを依頼出来なかった理由こそ、彼が癌との闘病生活に入ったからに他ならぬ。そしてそのツアー以来、全公演満員御礼ソールドアウトと相成れば、彼の予想は見事的中していたのであった。
彼が逝去する半年程前、ソロ公演にてLondonを訪れし折、彼から連絡があり一緒に食事する機会があった。長い闘病生活の為か、往年の威圧感はすっかり影を潜め、されど眼光の鋭さと不敵な微笑み、そして全身黒尽くめと云う点は以前と変わらぬ風体にして、随分回復した故、近々仕事に復帰すると、そして次回のAMTのLondon公演には是非とも顔も出したいと語っていたが、結局それが彼と会った最後となった。是非彼にもう一度AMTのライヴを観て欲しかった我々は、3月に「All Tomorrow’s Party UK」に出演した際、我々の友人にしてTrevorの旧友であるGlynさんにTrevorの死について観客に語って頂き、そしてその日のパフォーマンスを彼に捧げたのであった。

「今年のパイオニア」

三重県在住の高山さんが、松阪カッチョブーにて自主企画ライヴを始動され、私も正午なりやMaquiladoraとのコラボレーションにてお世話となった。1リスナーである氏の御苦労は察して余りあるが、地方都市にて勿論斯様な音楽の愛好家は数えられる程度であろうが、されど求める方々はおられるであろうし、今は斯様な音楽を知らずともいずれ興味を持って頂ける方々も潜んでおられるであろうから、これは大きな最初の一歩であったと思う。
地方都市にて自主企画を催される素人プロモーターの方々は、都市圏での相場や状況等をあまり掌握されておらぬ故、横暴なミュージシャン側からの法外なるギャラ請求に応えては、結局赤字続きで企画を打ち切られてしまう事多く、故に氏には無理せずマイペースにて続けて欲しいと思う処なり。ミュージシャン側に於いても、一度きりの高額ギャラのライヴを行うよりも、僅かなギャラでも結構故、定期的にライヴを行い何かしらの市場開拓する事の方が、長い目で見て遥かに有益であるとどうして考え及ばぬのか。昨今の政治に於ける「改革」ではないが、長期展望のないその場凌ぎの帳尻合わせでは、結局何の意味も持たぬであり、時には状況を悪化させるのみに終始する。折角何かが始まろうとしているのであるから、それをサポートして然るべきであり、いずれ何らかの成果が上がってくれば、自ずから見返りも生じようと云うものか。まして素人プロモーターによる企画とは、そもそも本人が「観たいから」と云う到ってシンプルにして純粋な動機に拠るものであろうから、斯様な純粋な心意気に付け込もうなんぞ言語道断、それよりも皆で新しい場所を築いて行く事の方が、遥かに意義も大きいのではあるまいか。
松阪なれば、矢張り松阪牛を愉しみにし得ればこそ、当面はそれで充分か。況してやキテレツなローカルバンド「De Tomaso Pantera」との出逢いや、客席から感じられる真剣さをも含め、今後も大いに興味深き場所とならん事を切に祈るのみ。

「今年の1枚」

今年最も魂を揺さぶられし1枚と云えば、Sardegna島の現地録音盤「Boches de Orune」であろう。

これはSardegna島中部に位置するNuoro内の小さな村Orune在住の男性達によるポリフォニーである。Sardegna島は現在イタリア領であるが、その歴史は南仏のOccitania同様にして、彼等は全く独自の言語や文化を持つに留まらず、その人種としてのルーツもイタリア人とは異なる。このCDに収められているポリフォニーは、現在もSardegna島の旧態依然とした生活に密着しており、例えば求婚するに際し、求婚する男性は仲間と共に愛する女性の家の前まで行き、そこでこのポリフォニーを夜毎歌い続けるのである。されどSardegna島の悪名高き風習として、家族同士の揉め事なんぞ勃発するや「うちの娘が欲しかったら、あそこの家長を撃って来い!」なんぞとマフィア顔負けの抗争劇へと発展し、先頃も人口400人の集落が僅か1年で人口40人にまで激減する等、怨恨による家族対抗殺戮劇は今だに健在とか。勿論近代化の波も押し寄せておれば、斯様な話は田舎の方のみではあろうが、何とも21世紀に於ける出来事とは到底信じられぬ。
さてこのポリフォニーであるが、通称「bimbo」と呼ばれるが如く「ビンボーバービンボーバー」なるミニマルな低音パートがドローンとなり、そこへリードボーカルたるメインのメロディーが絡む形態である。構成は何処となくグレゴリオ聖歌等にも通じる箇所も多く見受けられ、されど東欧等のポリフォニーに見受けられるドローンパートに重きを置いたハーモニーは、やはりグレゴリオ聖歌等とは大いに一線を画す。東欧のポリフォニーの多くが女性のみ若しくは男女混声の形態を取るのに対し、Sardegna島のポリフォニーは男性のみに拠る処も興味深い。
嘗てSardegna島の歌姫Elena Leddaの歌声に出逢いし折、「Rosina de Peiraは天からの声、Elena Leddaは大地からの声」と例えた事があれども、それも矢張りこのSardegna島のポリフォニーを聴けば、何故Elena Leddaの歌声が大地を感じさせるか、何となく判ったような気さえする。
それにしても世の中まだまだ私の知らぬ素晴らしき音楽に満ち溢れておれば、嗚呼、それらと出会えしは何と幸せなる事か。

「今年のギター」

AMTの北米ツアーに於いて、お気に入りのFresherのStraiterをリペア復活させ持参すれども、ツアー初日のライヴにてネックが破損、再びリペアすれど翌日のライヴ中にネックのジョイント部のダメージが深刻化し、結局チョークスラムにて引導を渡す羽目となれば、翌日中古のFender Mexico製ストラトを購入。されどこのギターと私のElk Big Muffとの相性が芳しくなければ、結局このギターも破壊される運命となったのであった。
Kinskiとのアメリカ・ツアーに於いては、持参せしSteinbergerを叩き壊してしまった故、急遽中古のFender India製ストラトを購入。このギターは現在KinskiのギタリストChris宅にて、次のアメリカ・ツアーを睨み保管されている。
さてその壊れたSteinbergerを修理せんと、関西空港から購入先のなんばシティー地下の楽器屋へ直行すれば、1週間は要すると告げられる。されど数日後にはMaquiladoraとの国内ツアーが控えている為、仕方ないので修理を依頼しつつ更にもう1本新品のSteinbergerを購入せんと思いきや、何と在庫切れにして他の支店より取り寄せとなるとの事。ならばMaquiladoraとのツアー初日は九州小倉なれば、行き掛けの駄賃にてその楽器屋へ立ち寄り、取り敢えず新品のSteinbergerを購入する段取りとする。さてツアー前日、再びこの楽器屋へ立ち寄れば、何と定休日ではないか。急遽大阪ミナミ及びキタのめぼしい楽器屋を巡れども、Steinbergerの在庫を抱える店舗皆無にして、結局は「誰かにギター借りたらええか」と潔く諦め、一路九州を目指し国道2号線を突っ走っておれば、岡山を過ぎた辺りで1軒のリサイクルショップを発見、「安いギター売ってへんかなあ」と立ち寄れば、幸運にも左利き用ストラトが激安で売られており、勿論すかさず購入。
更にMaquiladoraと共に大阪まで戻って来るや、再びなんばシティー地下の楽器屋へ立ち戻る。壊れたSteinbergerは見事リペアされ、更に新品のSteinbergerも届いておれば、結局はスペアとしてそれも購入。
と云う訳で、今年もやむを得ぬ理由から4本のギターを購入した次第。されど私にとってギターは消耗品なれば、それも仕方なしか。

「今年の逸品」

積年の悲願でありしハーディーガーディーを購入。予てより切望しておれど、以前南仏の古楽器クラフト等を巡りし折は、「今注文してくれたら3年後には完成する」と云われ、そこまでは待てぬと諦めたのであった。知人でハーディーガーディーを所持する方々に譲って欲しいと持ち掛けた事もあれど、結局入手には到らず。そして昨年アメリカの某アコースティック楽器屋にて発見せし折は、クレジットカードで購入せんと思えども、何と残高不足で涙を飲み、今年再びその楽器屋を訪れし折、漸く有り金を叩き購入し得たのであった。遂に手にせしハーディーガーディー、丁度私の誕生日より練習し始めるや、久々に「練習」なるものに勤しめど、トラッド系のレコード等で聴き覚えのあるフレーズなんぞ容易に雰囲気コピーし得れば、 矢張り結局は我流となる有様にして、早速録音にフル活用。それと云うのも、高価な逸品なだけに早く元は取らねばとの思いからか。

ネットオークションにてサーランギも新調。長きに渡り愛用せしサーランギは、今やツアー等の移動にて随分傷んでおり、また昨年イギリスにて弓が盗まれた故、インド楽器の輸入販売を手掛ける知人に買い付けを頼んだのだが、新しい弓のクオリティーは以前のものとは比べ物にならぬ程酷いものなれば、丁度新しいサーランギを探していた処であった。オークション出品者たるや、どうやらサーランギが何たるかも存ぜぬような古道具屋の主人なれば、価格も超破格の激安ぶりにして、入札に際し幸い競合相手もおらねば、開始価格にて無事落札。さてものが届いてみれば、その状態の良さは云うまでもなく、そもそも楽器としてのクオリティーもこちらの方が格段上と云う、何とも良き買い物となった次第。この新しいサーランギを弾いて初めてサーランギ本来の音色の美しさを堪能、今までのあれは何やったんや。

「今年のうつろいゆくもの」

人生の愉しみとは矢張り美食なればこそ、そう足繁く通う訳ではないにせよ、御贔屓にしている店は数々あれど、時は過ぎ行き万物は流転しておれば、もう二度と出会えぬ逸品もあり。 フレッシュ共栄にありし吉田屋食品の「おいしいコロッケ」や絶品の漬物群が二度とお目に掛れぬようになるなんぞ、到底想像だにし得ねども(第105回「さらば我が愛しのコロッケ…」参照)これもまた栄枯盛衰の果てなるか。

奈良は天理にて「弥栄(やさか)」なる焼き鳥屋台に巡り会いしは、今を遡る事数年も前か。ここの生肝は超絶品にして、どう見ても鶏にあらず鮟鱇の肝の如きなれば、大いに美味なり。その後、屋台から立派な店舗へと移転すれば、あの屋台特有の雰囲気も失われ、自ずから足も遠退いてしまったのだが、先日久しぶりに暖簾を潜れば、何とあの絶品の生肝は普通の鶏の生肝に変わっており、何とも残念至極。居合わせし常連客の話なんぞを伺っておれば、どうやら最近代替わりしたらしく、タレの味も落ちたとか。今となっては、あの絶品の生肝が、果たして本当に鶏の生肝であったかどうかさえ知る由もなけれども、あの逸品がない限り、もう二度と訪れる事もなかろうか。

昨年九州を訪れし際、小倉の旦過市場にある鉄板焼屋へと案内して頂ければ、そこの料理はどれもあまりに素晴らしく、再び小倉を訪れし折には、是非もう一度舌鼓を打ちたいものだと思っておれども、何と無情にも閉店されたとか。あれ程繁盛しておれば、何か故あって廃業なさったのであろうか。特に前回訪れし折には、人気ナンバー1の逸品が品切れにして涙を飲んだ故、是が非でもあの逸品を堪能してみたかったもの。嗚呼、残念至極なり。

「今年の道草」

国内をツアーするに際し、時間が許す限り何かしら道草したくなるもので、それが時にはレコード屋や古本屋であったり、雰囲気の良さそうなドライヴインであったり、何やら怪し気な謎の博物館であったり、安い鄙びた温泉であったり、地元のおっさんらが集いし大衆居酒屋であったり、モンドなB級旧跡名所であったり、何にせよ「脇見力」のある私なれば、運転しつつ怪し気なるものや何やらそそられるものを発見するのは、滅法得意なのである。

九州から山口へ向け国道2号を走っておれば、山陽町と下関市の境界辺りにドライブイン「みちしお」なる看板が目に入る。ここは長距離トラック運転手御用達として有名なスポットにして、食堂のみならず温泉も併設されており、以前より気になっておれば、この度漸く訪れる機会を得たのだった。表に並ぶ幟に「名物貝汁」と大きく書かれている故、当然その名物たる貝汁を注文、僅か260円にして恐るべき具の多さ。まるでお椀の中で潮干狩りをしているかの錯角さえ覚える程、ひたすら貝だらけなのである。ここまで貝を惜し気もなく使っておれば、その出汁たるや絶品である事云うまでもなし。御飯大盛りに加え、陳列ケースよりおかず各種を選ばんとすれば、刺身やらフライやら煮物やらと、どれを取っても猛烈に美味そうな気配なれば、迷う事頻りにして、結局珍し気な魚の料理をいろいろ食してみるや、どれも大いに美味にして大いに満腹満足、もう移動する事さえ面倒臭くなり、ならば隣の温泉へと思えども、悲しいかな時間に追われる身なれば、それはまた次回のお楽しみと相成る次第。

姫路より以西をドライヴすれば、「ぽぷら」なるコンビニエンス・ストアが見受けられる。さてこのぽぷらのお弁当であるが、店内のお弁当陳列棚を覗いた処で、何とおかずのみが詰められており「では御飯は何処?」と不思議に思い、お弁当を購入している他のお客の様子を観察してみれば、レジにて勘定を済ませるや、店員がカウンター内に置かれている電子ジャーから炊きたて御飯を詰めてくれるのであった。これは何とも心憎い粋なサービスにして、そもそもコンビニ弁当の不満なる処は、何に於いても「レンジでチン」で完結させるお粗末さである。如何に食材にこだわれども、所詮電子レンジで温められし御飯は、所詮ほかほか弁当等の炊きたて御飯に劣る事は明白な事実であろう。
さて「トンカツ弁当」を購入してみれば、先ずは電子レンジにておかずを温め、そして店員自ら詰めてくれる御飯の盛りは尋常ではない大盛りにして、これではおかずの量と御飯のバランスいと悪しと思えども、何と再び新たなラップにて包装し直す際に、トンカツソースに加え、フリカケも付けてくれるサービスぶり。これならばこの御飯の盛りでも、半分はおかずと、残り半分はフリカケとで頂けると云うものか。この細やかなサービスぶりは、矢張り大資本を背景に持つ全国チェーンとは一線を画するローカル・チェーンならではの対抗策か。姫路以西に於いては、矢張り立ち寄るべきコンビニは「ぽぷら」しかあるまい。

東君と関西から名古屋方面へ移動する際、時間が許す限り、仏像研究会の面々でもある我々は、奈良の古寺なんぞを巡ってみるのである。さて興福寺を訪れし際、昼食を取らんと「もちいどの通」を徘徊。サラリーマン時代を奈良にて過ごせし東君と、高校通学に際し乗り換えの為に国鉄奈良駅と近鉄奈良駅の間を歩いていた私なれば、奈良の街並には幾らかの懐かしさもあり、その街並の変貌ぶりに驚きつつも、いざ安くて旨そうな飯屋を探索しておれば、古き奈良町の路地にて、ある喫茶店の前にて思わず足を止める。「うなぎ丼500円」何とうな丼が500円、斯様な値段でうな丼が出せるのか、どうせ安物の中国産うなぎが申し訳程度に乗せられているに違いないと思えども、ならばその真相を追究せんと暖簾を潜る。初老の品の良さそうな女将さんにカウンター内より「いらっしゃいませ」と迎えて頂ければ、店内に大きく貼られし「生ビール」の4文字を見つけるや、喉が乾いていた事もあり、先ずは生ビールをオーダー。さて問題のうな丼を注文しようと思いきや、「自家製カレーライス」の文字が目に入る。それを察知せしか女将さん曰く「うちのカレーは亭主が趣味で作ってるんですよ。でも辛くて普通のお客さんは食べられないって言わはるんですけど…」激辛愛好家にしてカレー中毒、何しろ人生で辛いと感ぜし事僅か3度しかない私なれば、迷う事なくその自家製カレーライスを注文、女将の口上に乗せられたか東君も同じくカレーライスを注文。
出されしカレーライスは、骨付きチキンが煮崩れる程までじっくり煮込まれし、本格派インドカレーにして、さて口へ運んでみれば、確かに通常見受けられるインドカレーよりは幾分辛めであるが、その豊穣な味わいは辛ささえ感じさせぬ程大いに美味なり。カレーライスを頬張っておれば、奥から亭主が満を持して登場、最初に「辛くないですか?」と尋ねるや、我々「めっちゃ旨いですよ!」その一言に気を良くされたか、彼はこのカレーライスに対するこだわりと情熱を懇々と語り始め、御陰でこの味に至るまでの苦労話なんぞも拝聴し得た。本来女将さんが独りで切り盛りしていた純喫茶店でありしこの店にて、脱サラせし亭主が趣味で作るカレーライスを出し始めるや、辛くて一般客向きでない通好みの味である事もあり、常連客よりの「安いランチメニューを出してくれ」とのリクエストに応え、ならばと亭主の大好物である鮪をランチに出さんと、今度は毎朝魚市場まで自ら出向き、旨くて安い鮪を買い付け始めれば、遂には鰻にまで到達したらしく、されどその価格破壊ぶりの御陰で、近隣の鰻屋連中からかなりのパッシング等も受けたそうだが、「安くて美味しいものを食べて頂きたい」との亭主の熱い想いから、利益を最低限にまで抑えてでもこの値段にて出しているとか。よくよくメニューを眺めれば、まぐろ丼も500円にして、自家製焼きプリンに到っては100円ではないか。夜はバーとしても営業しているそうで、鮪の刺身なんぞがメニューに並ぶ喫茶店なんぞ、先ずお目に掛かった事なし。こだわりのオヤジによる趣味の店なれば、次回は是非とも、自慢のうな丼やマグロ丼も食してみたい処なり。

私は大抵東京へは新幹線を利用するのであるが、車にて上京する場合、冬場を除き、東名よりも空いている中央道を使う事にしている。中央道下り「諏訪SA」には温泉が設営されておれば、旅の疲れを癒すには恰好のスポットなり。入浴料は575円にして、タオルと貸しバスタオルは各210円、シャンプーやボディーソープは無料なれば、何ともお手頃な値段であろう。浴槽は小ぶりなれども、私と東君が訪れし折は他に客もおらず、のんびり諏訪湖を見下ろしつつ、旅の垢を流せたのであった。丁度あがろうかと云う頃合に入れ違いで入って来られしは、全身に見事な彫物を纏いし強面のお兄さんなれば、なるほど一般の温泉等からは「刺青者お断り」なんぞと閉め出されている故、斯様なスポットこそ穴場なのであろう。因みに上りの「諏訪SA」にも温泉はあれど、こちらは諏訪市に所在する故に入湯税が20円高いとか。

「今年の六本木無理心中!」

六本木にSuper Deluxなるライヴスポットが誕生して以来、今まで全く無縁であった六本木なる場所に赴く機会も増えた。六本木ヒルズなんぞと云う、鬱陶しさの権化が聳えるロクでもない場所であれば、居酒屋なんぞも付近に見当たらず、徒歩にて徘徊しておれば、漸く居酒屋を発見。されど流石は六本木なれば、その価格の法外さにド肝を抜かれ、私と東君の予算では、悲しいかなビール1杯と漬物程度しか注文出来ぬ有様。メニューの中で一番安い漬物でさえ350円ってどう云う事やねん!刺身なんぞ殆どが800円超級なれば、到底我々の財力にして及ぶ筈もなし。
されど隣に座りしアベックが、そのテーブルに並びし皿を殆どを平らげし頃合に、突如猛烈な痴話喧嘩を始めるや、店のスタッフも我々も一瞬呆然と相成り、女性の方が怒って表へ出て行けば、男性の方が「おい、待てよ!」と追掛けて行き、気付いてみれば見事食い逃げではないか。なるほど物価が高い六本木なればこそ斯様な生き方もあるものかと、感心する事頻り。かと云って私と東君で、仮にホモの痴話喧嘩を演じた処で、今更その魂胆は見え見えなれば、我々ただ質素に飲むしか道はなし。懐具合を心配しつつ飲む酒の不味い事云うまでもなければ、況して何処からともなく聞こえて来る東京弁も無性に腹立たしく、大いに気分を害し、ならば斯様な居酒屋に来るのではなかったと思えども、さりとて他に居酒屋も見当たらず、貧乏人は来んな云う事か。なに値打こいとんねん!

「今年の御贔屓さん」

天下茶屋駅前に「たゆたゆ」なる居酒屋がある。ここは若い大将「川端さん」が切り盛りする焼きとん屋にして、焼き鳥や生ものも絶品、焼酎も巻物となりしメニューにずらりと並んでおれば、何かと立ち寄る事多し。小綺麗な内装こそ所謂西成の飲み屋のイメージではあらねども、それ故に女性客も多く、いつも大いに賑わっている様相。料理は何れも甲乙つけられぬ程絶品なれど、先ずは「おまかせ串」や「五大串」辺りのお薦め串盛り合わせにて、その美味ぶりを大いに堪能されたし。更に「つくね」を注文すれば、濃厚なタレのつくねに生玉子が添えられており、この玉子とタレの絡み具合が絶妙、このつくねを食せば、他のつくねはつくねにあらずと云った処か。また生ものも絶品にして、特に付けダレに於ける細やかな工夫は、プロのこだわりを感じさせるに充分過ぎる。そして今やメニューから消えし珠玉の逸品もあるのだが、先日大将に尋ねてみれば「注文してくれれば出す」との事。
ここの料理のあまりの旨さに関しては、私如きの文才にては到底筆舌に尽くせぬ故、兎に角先ず一度食される事をお薦めする。姫路の「竜」に天下茶屋の「たゆたゆ」と云った処か。旨い料理とは人生に於ける限りなき歓びか、斯様な事も海外に赴く事多ければこそ、いよいよもって身に沁みるのであろうか。

「今年の花マル君」

15ヶ月に渡る家賃不払いにて、立派な一軒家を追い出されし東君は、以前もお世話になっていた貧乏人の巣窟「藤井寮」に再び居を構えていたのであるが、この春めでたく彼女とマンションへ引っ越しが叶ったのであった。さて近所の飲み屋は全て網羅せねば気が済まぬ彼なればこそ、この度引っ越せし地下鉄鶴舞線の植田駅から原駅界隈の飲み屋を網羅すれども、なかなかお気に入りにの一軒を見つける事容易ならぬ有様にして、されど先日漸く御贔屓の焼き鳥屋を見つけたそうで、ならばと私も連れて行って貰う。
「鶏厨房」なるその焼き鳥屋は、カウンターと僅かなボックス席のみのこじんまりした店舗。大将は薬丸裕英似の好青年にして、その接客態度と云い、焼き鳥の焼き具合と云い、全く申し分なしなれば、私からも「名古屋で一番旨い焼き鳥屋」の御墨付きを差し上げたい程。そもそも名古屋に引っ越して来て以来、どうにも焼き鳥が好きでなくなった理由は、単なる「焼き過ぎ」と云う一点に絞られると云えようか。それ故に前述の天下茶屋にある「たゆたゆ」の焼き鳥と出会いし刹那、実は自分が焼き鳥嫌いだったのではなく、単に名古屋の焼き鳥が不味かっただけであった事に気付いたのである。
さて斯様に今や私の御贔屓ともなりし「鶏厨房」であるが、ここで薬丸似の大将と共に働く美人女性アルバイト「すみさん(多分「鷲見さん」であろうと思われる)」の好感度も猛烈に高得点なれば、この大将の接客に対する店員教育の徹底ぶりも伺い知れると云うものか。そもそも焼き鳥屋の大将と云えばオヤジなる印象なれば、若い大将が切り盛りする焼き鳥屋なんぞ、どうにも信用置けぬと長きに渡り思い込んでおれども、「たゆたゆ」にせよ「鶏厨房」にせよ、旨い焼き鳥屋に於いて、ニュージェネレーションの台頭は認めざるを得ぬ事実であれば、この薬丸似の大将の仕事に対する熱意や真剣さは、アルバイトの鷲見さんからでさえ充分感じられる程にして、またこの2人の息の合い具合の妙味も見ていて微笑ましい事限りなし。まるで長年連れ添いし夫婦善哉の風情なれば、是非とも2人で末永く店を切り盛りして頂きたいなんぞと、こちらで勝手に思い巡らせる始末にして、挙げ句は何とか大将が鷲見さんにその想いを告白せぬものかと、2人の一挙手一投足にさえ目を配りて、酒の肴替わりに2人の純愛ストーリーなんぞを想像しては、東君と焼酎を呷り焼き鳥に舌鼓を打てば、一層長居もしてしまうと云うものか。
果たして2人の恋はいつ実を結ぶのであろうか。それを見極める為にも、また来年も「鶏厨房」へ通わねばならぬのである。されどそもそも大将と鷲見さんの恋、果たして斯様なものは本当に存在するのやら。

 

「今年のリニューアル」

愛知県日進市に「宗教レジャーランド五色園」なるカルトスポットが存在する。親鸞上人の一生を、その広大な敷地内にコンクリート製彫像にて展示、されどその出来栄たるや有難さ皆無にして、俗悪さたるやまるでタイガーバーム・ガーデンの如し。知人が名古屋を訪れし際、観光案内を依頼されれば、私は常にこの五色園へ連れて行く事にしているのだが、さて今年1月に久々に訪れてみれば、何と全ての彫像に於いて、ペンキが塗り直されているではないか。花見の名所故、春に訪れる輩は多かれど、それ以外の季節は観光客なんぞ殆ど見受けられる筈もなく、彫像が色褪せておれば一層その鄙びた哀しさを助長していたものであったが、今再び斯様に極彩色にて飾られた処で、また一段と鄙びた哀しさを、その安っぽい俗悪な華やかさが彩っているとしか云えぬ有様。そもそも宗教レジャーランドなる呼称、一体何の意味があるのか。されど人知れぬ斯様なカルトスポットにて、さり気なく斯様なリニューアルを為し得る辺り、矢張り宗教法人ならではの財力たるか。今やすっかり荒廃せし伊勢の「元祖国際秘宝館」も、せめて備品の修理程度は行える財力が欲しい処か。

 

「今年のイラチ男」

私も津山さんも大概イラチである。兎に角待たされる事が嫌いにして、況して鈍臭い様を見てイライラする事なんぞは耐え難き苦痛なり。故に私の車の運転たるや、俗に云う「無謀運転」だそうで、況してや津山さんも同乗しておられれば、他の車や歩行者に「死ねっ、ボケ~ッ!」なんぞと文句を垂れる事は当然にして、前の車が右左折するだけでさえも「何曲がってんねん、このボケが~!自殺せえ!」なんぞと不条理な文句を垂れる始末、況して私は赤信号で停止する行為さえ嫌いなれば「横の信号が青やから」と云う理由にて平然と突破してしまう、所謂「交通法規を守れぬ男」なのである。
さてイタリア人も相当なイラチである事は、前回のAMT欧州ツアー日記にて記したが、中でもMilano在住Qbico Recordsを主宰するEmanuele Pinottiもまた、どうしようもないイラチ男である。好きなものはレコードとサッカーと美女と云う、何処となく我々と共通する全くもってどうしようもない馬鹿野郎であるが、富豪の娘である奥さんの財力に物言わせ、自分はレーベル経営のみで遊び暮らす真のろくでなし野郎でもある。奥さんの財力にて生計を立てているにも関わらず、紛う事なき亭主関白にしてその亭主関白ぶりも圧巻、いやはや人生斯様に送りたいもの。
このEmanueleの運転ぶりはと云えば、流石フェラーリの故郷イタリアなれば、まるでアクション映画に於けるカーチェイスの如し、出鱈目極まりなく同乗する奥さんが毎度悲鳴を上げる始末、何しろ対抗車線であれ路面電車の線路であれお構いなしに突入し、前から対向車や路面電車が来ようとも文句垂れては強引にかわして行く有様。勿論赤信号なんぞで停止する筈もなければ、「人生で赤信号で止まっている時間ほど無駄なものはない。人生に於いて、間違いなく数カ月間に相当する時間を赤信号で費やしている筈だ」されど赤信号で突っ込んで事故死なんぞしてしまえば、元も子もなし…この言葉はそのまま自分にも返って来るか。

「今年のWWE」

ここ数年、ツアー等によるあまりの多忙続き故、ビデオ録画し続けている「RAW」や「Smack Down」どころか特番さえも観る事叶わず、遂には1年半の遅れを取る始末となる有様。ケーブルテレビにて両番組をリアルタイムで観賞する津山さんからの「ネタバレ」さえも、既にその結末へ辿り着く過程さえ存じておらぬ故、ネタバレにさえならず。されどWWE観賞の愉しみとは、リアルタイムに展開を追っては、その先の展開の予想なんぞを皆で飲みながら話す事なれば、今一度ビギナーに戻りて現段階よりリアルタイムにて観賞せんと一大決心、そして溜まりまくった録画テープは当面封印、再びリアルタイムで観始めしは今年1月の事であったか。知らぬ間に馴染みのレスラーも半分以上は姿を消しており、また新たな若きスーパースター予備軍が犇めき合う展開に、当初はかなり戸惑えども、そこは流石「娯楽スポーツ」たるWWEである、一瞬にしてその時点の展開を把握し得れば、今再びWWEの面白さを堪能し得る状況と相成った次第。

さてファン歴13年以上となるジ・アンダーテイカーが、そのデビュー当時からの怪奇派路線より「アメリカン・バッドアス」なる不良中年と云う生身の人間に転身し数年が経過、漸くその姿にも違和感を感じなくなって来た矢先、昨年の「サバイバー・シリーズ」にてビンス・マクマホンと懐かしの「生き埋めマッチ」を行えば、弟ケインの造反により生き埋めにされ敗退、そして表舞台から姿を消してしまい、何とも寂しかったものである。そのジ・アンダーテイカーが、今年の「レッスルマニア」にて、遂に再び「墓掘り人」キャラにて復活。以前「怪奇派キャラはもうやりたくない」と訴え、ハーレーに跨がる不良中年へと転身した経緯を知っておればこそ、二度と怪奇派キャラのジ・アンダーテイカーを拝める事はなかろうと諦めていた故、私は大いに狂喜乱舞。勿論事前の展開にて、怪奇派キャラにての復活は当然ストーリー上で匂わされていたのであるが、まさか盟友ポール・ベアラー同伴とは、私も全く予想していなかったと云えば嘘になるが、 ジ・アンダーテイカー登場に際し、先ずあのベアラーの甲高い声が会場内に響き渡りし刹那、鳥肌が立ってしまった程。ベアラーの声に導かれるが如く、ジ・アンダーテイカーの入場には不可欠なあの鐘の音が、そして葬送行進曲をパクりし懐かしのテーマ曲が流されれば、もう思わず感涙。更にベアラーの手には、おお~っ!金の骨壷が!と云う事は、勿論怪奇派キャラ時代末期の「暗黒の帝王」スタイルにあらず、懐かしの「墓掘り人」スタイルなれば、例の帽子を目深に冠っており、その帽子を取る仕種も全て往年のスタイルを踏襲。帽子を取ればそこで目にしたものは、嘗て2000年5月の「ジャッジメント・デー」にて不良中年キャラとして転身復活せし折に披露したのが最後となりし、往年のトレードマークとも云える「白眼剥き」ではないか!「おおおおおおお~っ、俺は今猛烈に感動してるぜぇえええええ~っ!」試合内容も一変、幾らやられても無気味に蘇生する「シット・アップ」に始まり、従来のスマックダウン技「チョークスラム」のみならず、不良中年キャラ時代に於ける新スマックダウン技「ラストライド」さえも試合半ばで繰り出されれば、「ほな一体何で決めるねん?まさか封印されたあの技か?」その予想通り、長きに渡り封印されし「ツームストーン・パイルドライバー」にて対戦相手のケインを粉砕、そして何と嗚呼…懐かしや「埋葬フォール」にて勝利。ベアラーが掲げる骨壷に向けて懐かしのポーズも披露すれば、私の興奮状態も遂にはピークに達し、感極まれば涙も止まる事を知らず。この感慨たるや、84年にDeep Purpleの再結成ライヴを観た時に匹敵するか。犬猿の仲と云われしリッチー・ブラックモアとイアン・ギランが同じステージに立つなんぞ到底想像しかねればこそ、第2期のメンバー5人がステージに揃い踏みするなんぞ、既に諦め切っていた事であったが、現実に眼前にて繰り広げられしライヴは紛う事なく第2期の5人に拠るものなれば、その感慨たるや筆舌に尽くせぬ程にして、涙が止まらなかったものである。
確かに墓掘り人コートを脱ぎ去れば、レスリング・コスチュームは、懐かしの袖が千切れし黒シャツ+ネクタイにあらず、黒タンクトップであったり、往年のトレードマークのひとつであった手袋も、オープンフィンガー・グローブであったりと、不良中年キャラ時代との折衷スタイルではあれども、されどもう二度と墓掘り人としてのジ・アンダーテイカーを拝める事はないであろうと思っておればこそ、その感慨はひとしおであった。昨年の「サバイバー・シリーズ」以来姿を消していたのは、怪奇派キャラとして復活するにあたり、短く刈りし髪を再び長髪にせんとの思いからであろうとは、事前の私の勝手な憶測であれども、今や額が大きく後退せしジ・アンダーテイカーが、生え際への負担が大きい長髪に再び戻してくれるのだろうかとの懸念もあれど、流石に往年の長髪ぶりまでは及ばずとも黒に染められし長髪を靡かせておれば、矢張り長髪のジ・アンダーテイカーこそが、私の好きなジ・アンダーテイカーなのである事を再確認。
その後、再びベアラーはストーリー上から抹消され、ジ・アンダーテイカーも「Dead Man」として21世紀の怪奇派としての新たな道を進んでいる。何はともあれ怪奇派としてのジ・アンダーテイカーの復活は、WWEを長きに渡り観続けて良かったと思える出来事であった。そしてこれを契機に、近頃めっきり「アホなキャラクター」が激減せしWWEに、再び異形レスラーが百花繚乱となる日を夢見て。

「今年の鍋」

さて恒例の新作鍋である。毎年新作鍋を考案しては、東君と共に焼酎を呷りつつ堪能するのが、我々の冬の愉しみなり。
今年の鍋は「カスちゃんこ」と命名。昨年に引き続きちゃんこ鍋なれば、最初に全ての具を放り込んでおけば後はひたすら食うのみ故、何かと面倒臭くもなく、兎に角ゆっくりつまんでのんびり飲めると云う優れものなり。ではそのレシピをここに紹介。

  • 1. 先ず昆布出汁を土鍋に用意し、豚バラ肉スライスを放り込み、ひと煮立ちしたら灰汁を掬う。
  • 2. 続けて練り物(ゴボウ天、野菜天、うずら巻等お好みで)と鶏団子(鶏肉ミンチ+葱みじん切り少々+胡麻を混ぜ合わせたもの)をぶち込む。 お好みで海鮮系の具(蛤、エビ、鮭等)を入れるも可。
  • 3. 練り物や肉から出汁が出れば、豆腐、椎茸、白菜、葱等お好みでぶち込む。
  • 4. 白味噌少々を溶く。味の目安は味噌汁より少々薄め。続けて酒粕を溶く。大きめの土鍋であれば200g程、あまりドロっとならない程度が目安。
  • 5. 春菊を入れひと煮立ちすれば、出来上がり。牡蠣を入れる場合はこの最後の行程にて。刻み葱や七味を添えお出汁と共に頂きましょう。
  • 6. 最後にうどんを入れて、「カスうどん」にするも良し。その際に天カスを入れて「Wカス」状態にすれば一層美味なり。また途中でコチュジャンを少々入れ「カスちゃんこチゲ」に変貌させれば、また異なる味も楽しめ飽きる事もなし。

特に粕汁好きの関西人には堪らぬ繊細な味にして、兎に角暖まる事請け合いなれば、是非一度お試しあれ。

「今年の流行語」

「バババーグ」「結婚して」「Sex、Sex、Sex…」等、ノミネートは数々あれど、何れも今一つパンチ不足にして、パンチのあるものは何れも公共道徳上到底発表出来ぬ代物なれば、今年は該当なしですから…残念!

(2004/12/31)

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