『人声天語』 第117回「現代性生活考」

年も明けて2005年、そもそも盆も正月も関係ない生活なれば、正月早々より勿論仕事始めにして通販業務や2月のヨーロッパ・ツアーの詳細確認等にて幕を開け、そして今年初ライヴは、Bearsにて行われし山本精一氏提唱「サイケショウ/ フラワーマン~10時間大サイケ・大麻耐久レース」なるたった1曲を10時間演奏すると云う空前絶後の企画にほぼフル参戦、これが既に1年分の疲労量に匹敵する程の疲労困憊を招くや、されど3日後には再びBearsにて「Acid Mothers Of Invasion」改め「Acid Mothers Temple & The Cosmic Inferno」のデビューライヴ、 そして翌日から名古屋にてそのAcid Mothers Temple & The Cosmic Infernoのレコーディングに突入、当然夜毎朝まで飲み明かせば体調も悪化、更に6月に予定しているヨーロッパ・ツアーのブッキングやら国内のブッキングやらで追われつつも、昨年録音せしUP-TIGHTとのセッションのミックスもこなせば、続いてAcid Mothers Temple & The Cosmic Infernoのオーバーダブに突入、兎や角しておればReynolsのギタリストAnla Courtisとの西日本ツアーであったかと約2週間留守にすれば、寒波襲来に伴う大雪にて帰宅予定もずれ込みて、結局僅か1日半となりし自宅滞在中にも今春リリース予定作品の編集作業やらブッキング業務等をこなし、そして大慌てで再びヨーロッパへ飛び立たねばならぬとは、今年もいきなりの忙殺状態なれど、昨秋より多忙に託つけウェブサイトの更新も長きに渡り怠っておれば、若干のリニューアルも兼ね一挙に更新を謀らんとす。何度も云うが、ウェブサイトの更新程面倒臭き事はなし。大抵の個人ウェブサイトが、立ち上げ以来あまり更新されず、事実上BBSやブログのみが機能している様からも、殆どのウェブサイト管理人が同様に思っているであろう事は、容易に推察出来る。されどAMTウェブサイトに関すれば、単なるホームページとしての役割に加え、ツアーのブッキング等に際しプロモシートたる意味も持っておれば、そう蔑ろに放置しておく訳にもいかぬのである。

斯様な下りからiBookの前に座る時間も長ければ、気分転換にとあちらこちらのサイトを覗いてみたりもする。そんな中で発見せしは「大人の日記」なるリンク(http://town.cgiboy.com/adiary/)にして、要するに自ずからの性生活を赤裸々に綴りし代物なり。他人の暮らしぶりには興味なけれども、夜の生活ともなれば話は別であろう。知人友人どころか肉親でさえ、一体如何な性生活を送っているかなんぞ勿論知る由もなければ、況して見ず知らずの他人の性生活が如何なるかなんぞ到底知るに及ばず。否、誰か知らぬからこそ想像力逞しく妄想もし得ると云うもので、某女史の日記にて下着の色を知らされたからと云って、迷惑千万でこそあれ狂喜する事なき例もあり。
デジカメやビデオカメラの普及にて、ネット上にもセルフヌードやら自分達の行為中の局部アップ等の画像も多く見受けられ、いやはや日本の性生活のあり方も随分変貌した様子である。デジカメ登場以前は、セルフヌードやらを撮影した処で、現像に出す事大いに憚られたであろうし、セルフラボなる自分で現像可能な個室ラボなんぞでも利用せぬ事には、余程のカメラマニアかその業界の人でなければ、容易に写真として拝む事は困難であった筈である。デジカメならば現像に出す手間もなければ、何ともお気楽にセルフヌードなんぞも撮影し得る故、まるで雨上がりの筍の如く、その類いの写真を撮影する愛好家が急増している様子。セルフヌードを撮影したがる女性の気持ちたるや「綺麗な頃の自分の姿を残しておきたい」との思惑からであろうと想像に易く、また顔や素性を伏せて自分のセルフヌードをネット上に公開せんとする心持ちも、「撮ったからには誰かに見て欲しい」との承認の欲求からであろうと、これまたその思惑想像に易い。
さて一方自分達の行為中の写真やビデオ撮影であるが、これもAVに於ける「ハメ撮り」の手法の影響であろうか、嘗てラブホテルにビデオカメラを設置したらば大ブレイクを巻き起こした例もあれば、矢張り自分達の行為を第三者の目で見たいと思うのか、さてまた記録として残しておきたいのか、それとも他人に見せたいとの思いからなのか、その真意たるや知る由もなけれども、今や現代の性生活スタイルの新たな潮流として浸透しつつある様子である。ティーンエイジャーを対象とせし素人投稿雑誌等の影響もあってか、特に若年層の写真等に於いては、中年層のそれらから感ぜられるいやらしさなんぞ微塵もなく、何ともあっけらかんとした爽快感や開放感さえ伺える。官能小説や精々ビニ本なんぞで妄想逞しくした世代と異なり、AVにて視覚による直接的な性衝動しか養えなかった世代は、何とも斯様な情報から妙な耳年増ならぬ目年増に陥った挙げ句、何ともステレオタイプな行為にしか及べぬ様子なれば、いきなり顔射は当たり前らしくして、バイブやローター使用さえも常識となりつつあるとか。お前らそんな事よりも先ず知るべき事あるやろ!されどそれ故に自分達の行為を撮影する事も疑問もなければ然程抵抗ない様子にして、だからこそあっけらかんとした印象をも抱かせるのであろう。

それにしても「大人の日記」なるリンクを見れば、世の中如何に多くの輩が他人の性生活に興味を抱いているのか、毎日のアクセスランキングなるものが発表されているが、1位は何と24時間で5万ヒット、10位でさえ1万5000ヒットはある事からも伺い知れようと云うもの。そもそも他人の日記を読むと云う行為自体、何やら他人の私生活を覗いていると云う背徳感が少なからず感じられ、故に何やらそそられるのであろうが、更に性生活日記ともなれば、それこそ他人の日記を盗み読む醍醐味の極みであろう。日記の執筆者は高校生から四十路までの男女と幅広く、よって世代や性別の違い等から、性に関する意識や価値観も大いに異なっており、十人十色な性生活のあり方と云うものを改めて知る事となった。勿論捏造疑惑ありと物議を醸している日記もあれども、斯様な場所に事の真偽を問う行為自体、愚の骨頂ではなかろうか。そもそも日記なんぞ「徒然なるままに日々思う事など書き綴る事」であろうから、実際にあった事であれなかった事であれ、その本人がその日に思いし事であればそれで良かろう。もとよりネット上に於ける匿名性程質の悪いものはなく、匿名だかこそ自分の発言に対する責任感なんぞ持ち合わせる筈もなく、その誹謗中傷ぶりも容赦なきものと化せば、またそれを面白がって挑発せし輩もおり、結局退屈な泥沼罵倒試合なるお粗末な顛末を向かえる事多し。これら大人の日記について、たとえそれが実体験を綴ったものであれ、自分の妄想や願望を綴ったものであれ、官能小説作家気取りなる全くの想像の産物であれ、そこには現代日本の性生活の実態がレポートされている事に間違いなく、ではそれが如何なるものかも容易に拝読出来るとは、何と素晴らしい事であろうか。嘗て夫婦の性生活投稿雑誌の類いはいろいろ出版されておれど、仮にそれら掲載文章全てが真の投稿にて成り立っていたとしても、その文体の統一感より編集作業にて多少脚色校正されている事伺えれば、たとえ稚拙な文章であれ、文章構成力と云うプロの技術の下にて編集校正されぬからこそ、そこに生々しさを感じられると云うもので、だからこそそこに他人の性生活を覗いていると云う醍醐味をも感じられるのであり、それ故にこの類いの雑誌には今一つ興味が湧かなかったのである。それにひきかえ大人の日記に於いては、女子学生の手によると思しき稚拙極まりない文章力のなさが伺い知れる文章であったり、官能小説の読み過ぎではなかろうかと思しき在り来たりの凡庸なる性表現を駆使せし駄文であったりこそすれど、そこから嗅ぎとれる生々しさこそが「大人の日記」の醍醐味であると云える。

インターネットやデジカメの普及が、性生活のあり方に大きな影響を及ぼしている事は明白なれど、これもそもそも斯様な欲求を誰しもが何処かに抱いていたのであろうし、性生活に於ける飽くなき好奇心とは、性活動が既に単なる生殖活動ではなくなり、快楽を追究する為の手段と捉えている「人間の性」に起因すると云えよう。ネット上で伺える他人の性生活の意外さや滑稽さに驚嘆し触発されては、それを肴に妄想を膨らませる輩もおれば、実践してみんと思う輩もおるであろうし、何しろ今まで隠されてきた「他人の性生活」の全貌が除々に明らかにされればされる程、「なんや、こんな変態行為かて皆やってるんやんけ」的な共犯的安堵感から、「他人の振り見て我が振り直せ」ならぬ「他人の腰振り見て我が腰振り直せ」とでも云わんばかりに、性生活様式は今後更に急激に変化して行く事であろう。そうなれば旧態依然の性生活様式を何の疑問も抱かず踏襲し続ける淡白な保守派なんぞは、お粗末極まりないアナクロな営みしか行えぬと、何かの折に嘲笑される憂き目にさえ遭いかねぬ勢いか。別に性生活なんぞ、お互いが納得し得れば他人が介在する筈もなき事柄であろうが、人類の歴史を振り返った処で、往々にして飽くなき快楽の探究は何時の世にても為されておれば、この個人秘密情報の公開とも云えるネット上での赤裸々な告白行為は、人類の性生活に対する閉塞性を打破すると云う革命的事件として、長きに渡りて人類の飽くなき性衝動に対する抑止力としての役割を担ってきた性道徳さえも、完全に破壊し得るやもしれぬ。

果たして斯様な環境で育まれし次世代の性生活とは、一体如何な風潮になって行くのやら、挙げ句はあっけらかんと処女膜貫通記念局部アップ撮影なんぞもしかねぬか。今や国民総芸能人化しつつある世相なればこそ、いよいよもって単に「見せる為の性行為」ともなりかねず、それもまた本末転倒した話となろうか。されど自らの性生活を映像や文章にて記録する事で、単なる一人称的な記憶とは異なる方式でリプレイ可能となる事に拠り、自らの性体験を第三者的見地から愉しむ事も出来ようし、更に「大人の日記」の如きブログにてネット上に公開する事で、読者からのコメントにて共感羨望若しくは反感誹謗等を受ければ、それがまた斯様な行為を助長邁進させるエネルギーとして昇華されるのではあるまいか。嘗て印刷技術や映像記録技術の発達が、矢張り性生活に多少なりとも影響を与えて来たが如く、常に文明の発展は性生活のあり方に大きく影響を与えていたのではなかったか。そしてインターネットの登場により、今再び大きな変革期に差し掛かっているのではなかろうか。

嘗て「性の解放」が声高に叫ばれた時代もあったが、今や「純潔」やら「貞節」やらが完全に死語となりし 現代日本に於いて、性の解放は結局変質した挙げ句性の無法地帯となれば、次は「性生活の解放」やら「ヴァーチャル・セックス共同幻想」なんぞが叫ばれるのであろうか。されど背徳性や隠匿性があればこそエロティシズムを感ずる事もまた事実にして、飽くなき好奇心こそが営みの源にして、性生活の美学でもある。
何とも安易な結論ではあれど、 ジェリー・ガルシアではないが「楽しむことだ」結局はその一言に尽きるか。

最後に「大人の日記」から幾つか紹介させて頂く事とす。

http://diary4.cgiboy.com/0/asakiyumemishi/
これぞ「大人の日記」の真打ちか。このとんでもない文体こそ、あの宇能鴻一郎ワールドを継承していると云ってもよいのではなかろうか。女性サイドからのエロ文学の金字塔と云っても憚らぬ秀逸の出来。特に「Yさん」との下りは、そこいら凡百の官能小説に比べても余りにエロティックにしてリアル、そしてその語り口から伺える「時間」、一見稚拙な語り口なれども、実は緻密にして個性的な文章構築力によって裏付けられしその表現力の豊かさたるや恐るべし。いやはや是非とも単行本化して頂きたい。

http://blog.livedoor.jp/slavemako/
ここは本文の内容は元より、読者からのコメントも興味深い。これもまたインターネットならではか。「御主人さま」なる人物像が書き切れておらぬ為(勿論日記である限り、それは当然でこそあれ文句は云えぬ)、何処か胡散臭くも朴訥にして大いに退屈、安っぽい三流純愛告白日記の様相さえも呈しているが、これぞ素人による駄文エロの醍醐味であろう。

http://diary8.cgiboy.com/1/25805963/
ここは単純に「こんな奴おるんや!」的好奇心から、果たして彼女の行く末を辿る愉しみか。エンドレスにして果てしなくミニマルな長期連載でも拝読している気分にさせられる。「ご主人様」なる人物像が書き切れておらぬどころか、何とも驚異的に稚拙な文章なれば、余程頭の悪い女であろうと思わしくも、その阿呆さ加減があまりに見事なれば、御陰で読者のコメントも賛否両論支離滅裂。これぞ「他人の不幸(かどうかの判断は本人次第である為、ここでは今の処「不幸」と云う語には当て嵌まらぬであろうが、何れ起こり得るであろう「不幸」)ほど面白いものはない」たるものの極みなるか。

(2004/2/8)

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