慌ただしく出立せし4週間に及ぶヨーロッパ・ツアーも無事終了し、帰国直後に行われし「聖家族祭」3公演も盛況にて終了。御来場頂いた皆様、どうも有難う御座いました。
今回のヨーロッパ・ツアーは、折しもヨーロッパ全土を襲いし大寒波と見事に鉢合わせすると云う憂き目に遭い、異例の大雪に見舞われ陸路空路共にダイヤは大いに乱れに乱れ、いやはやまともに列車に乗り継げる事もなく(イラチの津山さんが同行していたならば2万回は激怒していた事であろう)また日中の最高気温が精々0度とは(寒がりの東君が同行していたならば20回は風邪をこじらせた事であろう)全くもって久々に過酷な旅路となりし。更に今回は出発直前までAnla Curtisと国内ツアーを行っていた御陰で、事前に旅の準備もロクに出来ず、是即ち恒例の日本食材の調達も出来ぬと云う意味なれば、ならば敢えて今回は現地の料理にて4週間を過ごさんと決意せしものなり。と云う訳で、またしてもヨーロッパ・ツアーに於ける食生活について、徒然なるままに書き連ねてみる事とす。
先ずは関空からFrankfult経由にてParis CDGへ。今回のツアー日程は、フランスの先鋭ギタリストJ.F.Pauvrosとのデュオにて、スイス~オランダ~フランスと回り、ソロにてイタリアを回り、最後にフランス在住の日本人ドラマー村山政二朗氏とフランスにて2公演と云うものであった。
Parisにての滞在先はGare d’Est近くのアパートなれば、されど住人が何でも現在渡米中にて留守とかで、まるで自分の部屋の如きに使わせて頂き、便利な場所である上、この界隈は移民街である故に雑多な人種で溢れ返っておれば、アフリカ系移民やらインド系移民やらに紛れて何とも居心地良く、ツアー初日のLyon公演が、会場の防災施設不備の為にライヴ前日に営業不可となるハプニングによってキャンセルとなれば、Parisにて思いがけぬオフを過ごす事と相成る。その夜、J.F.からディナーの誘いを受け、2人で「Hipo」なるレストランへと繰り出せば、私のお目当ては、当然昨夏に訪れし際に食い損ねしSteak Tartarである。(第108回「地獄の季節」参照)Steak Tartarとは、日本でも「タルタルステーキ」の名前で知られているが、要するに生肉ミンチに卵黄が乗せられ、ケイパー等の薬味をお好みで混ぜ合わせ頂くと云う逸品。
フランスに於ける数少ないお気に入り料理の一品なれば、生肉と薬味が醸し出す微妙な味わいに舌鼓を打つ。Steak Tartarを大いに堪能せし後は、当然デザートと相成る訳であるが、この「Hipo」御自慢の逸品「Hipo Banana」を2人してオーダー、これがバナナ丸ごと1本にクリームを塗りたくりし代物にして、想像を絶するボリューム、激辛甘味両刀使いの私でさえ完食こそし得れど大いに苦悶、同じく完食せしJ.F.は案の定翌日腹を壊し、その後のツアー中も頗る調子悪そうであった。
オランダと云えば、チューリップか風車かコーヒーショップかコロッケであろう。日本のコロッケの語源は、フランスのCroquette(クロケット)が明治時代に日本に伝わりし事に由来するらしいが、日本の如くフランスの街角でそのCroquetteなる代物が気軽に売られている様なんぞ見た事なけれども、オランダなればKroket(クロケット)の類は、駅のスナック・コーナー等にて何処でも売られており、多くの人が気軽に頬張っているのである。Kroketは大抵ガラスケースの自販機にて販売されており、自分の所望する品の入れられたガラスケース横のコイン投入口にコインを投入し、ケースの蓋を開けて中身を取り出すシステムであるが、ケースが空になるや、即座に裏側から商品がオランダ人のオババンによって補充される仕組みである。
そのKroketであるが、その外見は、平たい楕円形の物から俵形の物まである辺り、日本のコロッケとほぼ相違なし。
されど中身の具はと云えば、所謂ポテトコロッケの如き物から、まるで豚まんの具のような物まで、それこそ日本のコロッケ以上に多種多様にして、ともすれば「これがコロッケ?」と疑いたくなるような奇天烈な代物まである始末。衣は日本のコロッケに比べ分厚く硬いので、薄手の衣を好む私とすれば、到底及第点は差し上げられぬと云った処が本音か。オランダはその所在からしてもイギリスとドイツに挟まれているせいか、オランダ語も英語とドイツ語の交配によって生まれたと思われる成り立ちをしているが、料理の方も不味いもん天国のイギリスとドイツに大きく影響されており、それは皆Patatと呼ばれる所謂日本で云う処のフライドポテト(ヨーロッパでは「Flitter」イギリスでは「Chips」)を矢鱈と貪り食う辺りからも伺い知れようか、何にせよ兎に角揚げ物好きなのである。されど日本の揚げ物の如き「サクッと揚げる」と云う美意識が完全に欠落しているのか、それともイギリス人の如く「グリーシーな方が美味い」との常軌を逸した価値観を持っておられるのか、その真意は知らねども、このKroket、食えば食う程に日本のコロッケが懐かしくなるばかりなのである。
さてそのオランダはRotterdamでのライヴは、港近くの寂れた通りDelistraatにあるクラブにて行われたが、このクラブのオーナーはその隣にアートギャラリーも所有しており、そこで開催されている「Origami Exhibition」とのタイアップ企画でもあった。このエキジビションは、その名の通り折紙の展示なれど、オランダ人共が見様見真似どころか大いなる誤解、若しくはオリジナルな発想にて試みし折紙作品群なれば、何とも珍妙な作品目白押しにして、されどオランダ人ギャラリー達は大いに興味深げな様子。
またこのギャラリーにては、日本のサイバーパンク映画やらアニメ作品等が上映されており、如何にもヨーロッパに於ける「この手のイベント」なれば、バーカウンターにて振る舞われし日本酒片手に皆熱心に観入っておられる。私も久々に日本酒に舌鼓を打たんとバーカウンターを訪れれば、何と日本酒を鍋に移し直火で熱燗にしているではないか。これでは折角の日本酒も台無し、杜氏も泣こうと云うものか。所詮オランダの田舎街Rotterdamのこれまた寂れた港町である、日本に対しての認知度や知識なんぞこれぐらいのものであろう事は致方なし。取り敢えず熱燗とは何たるかを彼らに教示せし後、当然冷やで日本酒を呷りし事云うまでもなし。
ライヴ会場へ戻れば、スタッフがキッチンにて日本食らしき代物を作っている様子。多分まともな日本食なんぞ食した経験がないであろうオランダ人共は、大いにそれを堪能している様子なれど、私には到底日本食には見えず、されど不味いもん食いたさから箸を付けてみれば、「なんじゃこりゃ~っ!」
米の炊き具合は軟らか過ぎにして、御握りは塩を入れるのを知らぬのか忘れたのか味はなく、巻寿司の中身は河童&鉄火の同居にしてシャリは当然酢飯にあらず、出汁巻は黄色の紙テープを巻いたかの如しで、当然出汁の味なんぞする筈もなく、胡瓜の漬物はヨーロッパの激太胡瓜を使用している為、何とも大味で胡瓜ならではの心地よき歯応えもなく、法蓮草は湯掻き具合が明らかにオーバーボイルなれば、法蓮草本来の旨みも何もあったものではなく、鶏肉は単にボイルしただけ、椎茸は何と干し椎茸を戻しただけ、そこに何故か中国産おこしとおつまみの空豆が添えられ、いやはやこれを日本食と思って食べられた暁には、1.3億の日本人が泣くど!
オランダからフランス北部Lilleへと移動すれば、この地Lilleこそ1999年のAMTツアーに於いて、あの悪夢の「ブレックワースト事件」勃発の地である。北フランスは南フランスと大いに異なり、北ヨーロッパ特有の不味い物ゾーンに属しておれば、全くもって油断出来ぬのである。
クラブで用意されしディナーは、リンゴ盛り沢山のサラダとリゾット。私は子供の頃より果物の入ったサラダは絶対許容出来ぬ質にして、このリンゴサラダは完全拒否、そもそも何故果物がおかずになるのやら、全くもって理解不能。リゾットはと云えば、不気味な程大きい米粒が気持ち悪けれど、空腹なれば塩やら胡椒やらで誤魔化し何とか少々は口に運び得れども、イタリア人は常々口を揃えて「フランス人の作るイタリア料理ほど不味いものはない」と、フランス人の手によるイタリア料理を誹謗するが、このリゾットの不味さから考慮すれば、そもそもリゾットなんぞ普段は全く口にせぬ私でさえ、イタリア人の意見に大いに共感。そう云えば今回、南イタリアの観光地にて英語メニューが用意されし雰囲気の良さ気なこぢんまりせしTrattoriaにて海鮮リゾットをオーダーすれば、何と味がなく不味い事この上なし。同行したイタリア人曰く「英語メニューがあるって事は、イギリス人観光客御用達って事。味も当然イギリス人に合わせてあるから不味い!」との事。イギリス人の味覚は一体どないなってんねん!お前らホンマに美味いもん知らずやのう。美味いもんをわざわざ不味くさせんな!こっちが迷惑やねん!
さてLilleのホテルの朝食は、典型的フレンチ・ブレックファースト。
クロワッサンとバケット、コーヒーとオレンジジュース、以上。ビタミンはオレンジジュースとバターで摂取するとかで、斯様に単調な朝食を、よくもまあ毎朝飽きずに食っておられるものである、阿呆としか云いようあるまい。それでもイタリアの典型的朝食であるコーヒー(エスプレッソ)とビスケットよりはマシか。朝飯をしっかり食わぬと力が出ぬ私なんぞにしてみれば、これは殆ど地獄である。嘗てイタリアにて、AMTの面々が朝からスパゲッティーを大量に茹でて食らっておれば、そこの住人が「お前ら朝からスパゲッティー食うのか?」と、驚嘆し好奇の目で見ていた事さえ思い出される。
Lilleから再びParisへと戻り、J.F.とのツアー最終日も終了すれば、終演後はFractal RecordsのJeromeとParis在住の日本人タダオ君と共に、深夜にも関わらずBistroにて食事。赤ワインを飲みつつ私がオーダーせし代物は、Jeromeお薦めのホルモンの詰まったソーセージである。
Jerome曰く「これぞフランス!もしもこれが好きならマコト、君は完全にフランス人だ!」生憎フランス人になりたいなんぞ、斯様な虚け言一度たりとも思い描きし事さえなければ、単に「フランス名物」を食ってみたいと云う好奇心のみである。ホルモンの臭みとくどさと歯応えを楽しみたいならば、格好の逸品ではあろうが、私としてみればホルモンは矢張り焼くかモツ鍋にした方が美味いと思える。この名前も失念せし珍妙なソーセージより、甲子園の味こてっちゃんの方が断然美味い事は明白である。Jeromeは赤身のステーキをオーダーしており「これぞ世界最高のステーキだ!日本でどんなに大枚を払おうとも絶対食べられない!」と、フランス人特有のお国自慢大会が自己開催されていたが、そもそも日本人は赤身の硬いステーキなんぞ食わぬと云う事を知らぬらしい。日本の特上国産牛ステーキの美味さなんぞ、多分フランス人の彼には永遠に理解出来ぬやもしれぬ。されどそれでいいのだ。私がこの生臭い珍妙なソーセージや硬い赤身のステーキの美味さが理解出来ぬように、彼もまた日本の超絶美味な高級国産牛の美味さは理解出来ぬのであろう。所詮彼等は元来狩猟民族なのである、牛をぶち殺して皮を剥ぎその肉を食らう野蛮さと、その肉や乳を食糧として保存する工夫のみが、その食文化のルーツとなっているのである。植民地として占領せし場所から新たな食材を略奪すれど、結局は現地人を連れて来て料理させているのであるから、料理に対する自らの創意工夫なんぞ大いに乏しく、それ故にまともな料理さえ作れぬし、味の善し悪しさえも解らぬのも当然であろう。そもそも熱いものを熱いうちに食すと云う価値観が欠落している事からも、その料理本来の美味さが何たるかさえ理解出来ておらぬのであり、ソースこそが味の決め手とは、食材本来の美味さとは何たるかさえ気付いておらぬお粗末ぶりにして、一体何が料理と云えるのか。
今度はParisからNice経由にてイタリアはGenovaへ。されどGenovaを目前にした処にて、何と機関車のエンジンが焼き切れたとかで立ち往生、何とか後から来た鈍行列車に乗せて貰い無事Genovaに到着、Trenitaliaのこの体質は何とかならぬものか。列車が遅れる事自体イタリアに於いては普通なのであるから、たまに列車が定刻通りに運行しておれば、車内放送にて「この列車は定刻通り運行しております」とアナウンスが入る有様にして、それを聞いた乗客も「今日はロボットが運転している」とジョークを飛ばす始末である。
Genovaはイタリアの中でも比較的裕福な階層が居を構える港町であり、イタリア人でさえ「Genovaは特別」とよく口にする。Genovaに於いて如何なるBar(イタリア語ではバーを「バル」と発音)であれ、何かしら酒をオーダーすれば、到底食い切れぬ程の軽食がサービスで出される故に、貧乏学生なんぞは、Barにて酒を1杯オーダーすれば満腹になる算段で、巧く食費を節約する事も可能だとか。
兎に角酒をお代わりすれば、これら軽食は再び追加される故、いつまで経ってもなくなる事はなく、また少々高めのBarに於いては、何と無料バイキングスタイルとなっており、自由に軽食を何度でも取って来れるシステムとなっている。日本の居酒屋事情からは到底想像出来ぬ話ではあるが、これこそGenovaスタイルだとか。されど斯様な軽食を眺めた処で、私としては食したい代物がある筈もなく、それより金を払ってでも、煮物や和え物の小鉢でも並べてくれた方がどれ程嬉しいことか。
されどRomaから更に南下した処にあるTerrancinaのとあるBarに於いて、鰯のマリネやらキャビアやらと云った海鮮系のつまみが出された折には、大いに舌鼓を打ったものである。
イタリアも矢張り南の方が北に比べ、圧倒的に料理は美味いのである。
Bolognaのクラブで出されたディナーは、Polenta(ポレンタ)と云う、とうもろこし粉に水やスープを掛け練り上げし北イタリア特有の料理にして、所謂オートミールとマッシュポテトの折衷の如き激不味料理であった。
これに野菜の炒め煮とセロリの水煮の如き代物が付け合わせで盛られていたのであるが、どれもこれも驚異的に不味く、テーブルに置かれし唐辛子を大量に打掛け何とか口にし得た次第。これならば未だピザやパスタ、否、それどころかフランス人の作る激不味パスタやリゾットを食す方がどれ程マシか。このPolenta、今回のイタリア滞在中に於いて、最も不味い料理として鮮烈な印象を残せし代物にして、これで今後イタリアにてブッキングする際、コンディションとして「No Penne, No Polenta」と明記せねばならぬか。
Bolognaと云えば、駅近くの軽食レストランを訪れた際、メニューにHamburgerの文字を見つけ、既にイタリアのサンドウィッチPanino(パニーノ)に辟易しておれば、思わずオーダー。されど出されしそのHamburger(アンブルゲル)なるは、俗に云うハンバーガーならぬ、パサパサしたイタリア特有のパンにまるで激安魚肉ハンバーグの如きが挟まれたのみにして、レタスやトマトどころかピクルスさえも添えられておらず、味のないフランス風マヨネーズが申し訳程度に塗られし、シンプル極まりなき代物にして不味い事この上なく大いに失望。これならば野菜等も挟まれし普通のサンドウィッチPaninoをオーダーすればよかったと後悔すれど、時既に遅し。日本のハンバーガーも随分本家アメリカのそれからアレンジされ、テリヤキバーガーやらロースカツバーガーやらチキン竜田バーガー等から月見バーガーやらエビカツバーガー、挙げ句はライスバーガーに至るまで、アメリカ人からすれば奇妙奇天烈なハンバーガーが目白押しなれども、厳しいハンバーガー新商品戦線での生き残りを賭け、取り敢えず味的には及第点をクリアしていると思われるが、このイタリアのHamburgerの不味さと云えば、イギリスの激不味サンドよりは勿論マシではあるが、多分世界で最も不味いハンバーガーのひとつであろう事間違いなし。
それに引き替え南イタリアは、家庭料理でさえ大いに凝っており、「食」に関する意識も北に比べ遙かに高い。
Napoliより更に南に位置するSalernoのクラブにて出されしスナックは、パンをオリーブオイルに浸し、トマト、玉葱、ツナ等を和えた物なれば、一見見栄えは良くなけれども、味の方は何ともさっぱりしており意外や美味なり。
またCalzone(カルツォーネ)なる詰め物せしピザ(ピザ生地の中にピザの具が入っている)も、勿論毎日斯様な代物を食う気には到底ならぬが、なかなか美味なれば、そもそもピザはNapoliが発祥ではなかったか。あの日本のイタリアン・レストランで時折見受けられるピザ職人が生地を伸ばす為にクルクル回しては上に投げ上げるスタイルも、イタリアに於いてはNapoliでしかお目に掛かれぬのである。
されど私は本来ピザが好きな訳でもなく、況してや2週間に及びし今回のイタリア滞在中、ピザを10回近くも食らわせられし羽目となれば、流石に辟易しており、当面ピザなんぞ見るもおぞましや。(ピザを愛して止まぬ東君ならば、きっと「未だ食い足らん!」と云う処であろう。)
SalernoのオルガナイザーPaolo宅にて、彼の奥さんの手料理を御馳走になれば、Paoloも1本500ユーロはすると云われる1962年ものやら1964年ものやらの高級ワインを惜しげもなく次々抜いては、それならばその分ギャラに上乗せして欲しいとさえ思えども、夫婦で何とも過剰な程のお持て成しをしてくれたのである。
料理自慢の奥さんの料理たるや、まるでレストランの如きなれば、昼から当然フルコースである。玉子が練り込まれたフィットチーネに、茸とサラミをメインに数々のハーブを加えて作ったソースを絡め、仕上げにチーズや胡桃の粉末を施した逸品が前菜、メインはステーキのハーブソース添え。
されどこれら美味なれど強烈にヘビースタッフなれば、既に長きに渡るピザ&パスタ責めにて、すっかりくたばりかかっている私の胃に、見事引導を渡す結果となり、この夕方より体調はいよいよ絶不調に陥る顛末。イタリア人は斯様にヘビーな代物を連日食い続けているのかと思えば、一体如何に強靱な胃の構造をしているのやら。普段純和食を基調とした質素な食生活を送る私なんぞにしてみれば、斯様にヘビーな食生活は断食以上に過酷にして、況してや深夜にスパゲッティーを食すなんぞ、深夜にラーメンさえ食さぬ私にしてみれば、殆ど地獄の責め苦であろう。されど折角の好意とお持て成しを断る訳にもいかず、結局斯様な心遣いが自分を苦しめる結果となるのである。
SalernoのPaolo宅を後にし、漸くピザ&パスタ地獄から解放されたと思いきや、先頃Sub Popから新譜をリリースせしイタリア期待の新星Jenifer GentleのRoma公演にゲスト・ギタリストとして参加する為、さて彼等と合流してみれば、何と再びPizzeliaにて食事と相成る次第。更に翌昼は大量のスパゲッティーを食わされる羽目となり、イタリア・ツアー終盤に於いて、私の胃は完全にFucked Up。連日の大雪の御陰で、朝一番のMilano発Paris行きTGVに乗り継ぎ出来ず、その夜に予定されし村山政二朗氏とのBordeaux公演はキャンセルせざるを得ぬ顛末を迎え、さて気を取り直しMilano発Paris行き夜行列車に振り替えようとすれども満席なれば、仕方なくTorino発Paris行きの夜行列車に乗車し、翌朝何とかParisへ到着、そのままその夜の公演の為Toulouseへ向かう。この約24時間以上に及ぶ大迷走の間、水以外一切口にする事なく、御陰で漸く私の胃も十分な休息を取る事が出来たのか、Toulouseに着いた頃には、随分調子も回復したかの様子なれど、矢張り食欲は湧かず、それも即ち頭の中では日本食しか受け付けぬ非常事態宣言が既に発令されており、一時的な拒食症状態に陥っていたのである。
Toulouseに1日半滞在した後、夜行列車にてParisへ戻り、そのままCDG空港へ。大雪で空のダイヤは大いに乱れておれど、1便前のFrankfilt行きが遅れておれば、私もそちらに振り替えて頂ける事と相成り、御陰で無事にFrankfultにて関空行きにトランジットし得たのである。関空へ向かう機内にて出された機内食は、蕎麦とカツカレーなれば、普段ならば「もうどうせあと10時間もすれば日本に帰り着くから」と見向きもせぬ処であろうが、今回は兎に角日本食に対し飢餓的危機感さえ抱いている状態なれば、この然して美味くもない蕎麦とカツカレーを貪り食い、その郷愁を誘う味に感動、味が全身の全細胞に行き渡る様さえ感じ得る程にして、その悦びの如何程なるかなんぞ、到底筆舌に尽くせぬ。たかが機内食に、これ程感動したのは初めてではなかろうか。
日本に帰り着くや、何としても真っ先に食わんと思い描きし逸品はうどんであり、JR天王寺駅構内の立ち食いうどん屋にてうどんを啜れば、このうどん実は然程美味くなけれども、されど大いに日本人で良かったとの思いが溢れ返ると同時に、今再びうどんを食し得た悦びに打ち震える次第、これぞまさしくエクスタシーにさえ近い感覚か。
そして難波に建ち並ぶイタリア料理屋やらを眺めては、しみじみ思う。
「折角日本に住んでるのに、こんなとこ行く奴アホやで!」
(2005/3/20)