『人声天語』 第124回「2005年総まくり」

果たして何とも長きに渡り、この「人声天語」を更新しておらなかった事か。とは云え、8月中旬よりアメリカのワークビザ取得に奔走、されど相次いで問題勃発となれば、たかがワークビザ取得に何故あれ程憔悴せねばならなかったのか。この下りは、いずれ遅ればせながら「アメリカ就労ビザ取得顛末記」として綴る心持ちなれば、今此処にては多くを語らぬ事とする。ともあれビザ取得が大幅に遅れし御蔭で、ツアー序盤のライヴ10本こそキャンセルせざればならねども、何とか残り4週間の日程は無事遂行、帰国翌日は大阪Hard Rainにて、AMT祭番外編のオールナイト・イベントを敢行、その翌々朝には成田より、3週間に渡るJapanese New Music Festival欧州ツアーに出発、帰国当日は成田より初台Doorsに直行し、Japanese New Music Festival凱旋公演を敢行、そして直ぐさま中部セントレア空港より、イギリスにて行われしAll Tomorrow’s Party出演の為フライト、帰国するや否や恒例AMT祭を迎え、更に続けて東京と横浜にて行われしGODMANのCD発売記念ライヴ2daysへ、漸く明日香の寺へと帰り着けば、寒波襲来にて大雪の憂目に遭い、いやはや何とも心身共に休まる暇もない怒濤の4ヶ月間であった事か。
ふと気が付けば、世の中では所謂クリスマス騒ぎも終わっており、是即ち年末恒例「総まくり」の時節ではなかったか。

「今年のAcid Mothers Temple」

今年2005年、AMTは結成10周年を迎えし。ふと気が付けば、もう10年の歳月が経過せしか。
そもそも今を遡る事10年の1995年、須原敬三氏と「暇やし一緒に何かやれへん?」「ギター漫才?」等と冗談混じりで話せしが全ての事の始まりなり。当時Mady Gula Blue HeavenのヴォーカリストであったCottonと、Mainliner脱退後より天理の雅楽団にて修練せし小泉一との4名にて、スタジオにて初顔合わせにしていきなり初レコーディングを行い、その後「魂の共同体」と呼ばれし友人達を巻き込みバンドは巨大化、大いに試行錯誤を繰り返しつつ2年の歳月を費やし漸く1stアルバムを完成させれど、予てよりリリースを申し出てくれしヨーロッパの某レーベルは閉社、須原君より紹介されし関西の某レーベルからは、御丁寧なお断りの電話を頂戴し、折しもモダーンミュージックを訪れし際、PSFの生悦住さんより「一度聴かせてよ」とのお申し出あり、紆余曲折の末にPSFよりリリースされる運びとなりしは1997年の事。
国内では全く話題にさえされなかった1stアルバムなれど、英Wire誌上にて年間ベストアルバムの1枚に選ばれ、当初はライヴ活動を行う心算なけれども、1998年にフランスW杯の真っ只中に初めてのアメリカ&ヨーロッパ・ツアーを敢行、記念すべき初ライヴはサンフランシスコでありしか。勿論全くの無名バンドなれば収支は当然大赤字なれども、これを契機にライヴ活動を本格化。ツアー後には初めての国内ライヴを行い、その際にゲストギタリストとして参加して頂きし津山さんがベーシストとして加入、翌1999年には2ndアルバムを引提げ2度目のアメリカ&ヨーロッパ・ツアーを敢行、AMT史上最も赤貧に喘ぎしツアーとなれども、今思い返せばこれこそ最も楽しかったツアーではなかったか。2000年にはオクシタン・トラッドのカバー「La Novia」を米Eclipse Recordsの記念すべきリリース第1作として発表、PSFよりの3rdアルバムを引提げ3度目のアメリカ&ヨーロッパ・ツアーに赴かんとするや、一身上の都合にて小泉がツアー参加不可と相成り、急遽ヘルプドラマーを探し何とか事なきを得れど、相も変わらず収支は大赤字。
2001年には一楽儀光氏がドラマーとして参加、米Squealer Recordsから「New Geocentric World 」を、英ResonanceとStatic Caravanの共同出資により2枚組LP「Absolutely Freak Out」を、米Eclipse RecordsよりTerry Rileyのカバー「In C」を一挙にリリース、今や海外では「Acid Mothers style」と呼ばれるレーベルにこだわらぬリリースラッシュもここから始まりしか。日本のバンドとしてはサディスティック・ミカ・バンド以来ではないかと云われしイギリス&アイルランド・ツアーを行えば、ネット上やMijo誌上等に於けるJulian Copeの全面プッシュもあり全公演ソールドアウト。秋のアメリカ・ツアーにては同時多発テロに見事遭遇、続いて再びイギリス・ツアーを行い、Gongの前座として初めてRoyal Festival Hallにて演奏、この頃よりツアー収支も漸く赤字決算を脱却せしか。翌2002年春にはLondonのQueen Elizabeth Hallにてワンマンを行い、前売券2000枚ソールドアウト。この頃よりリリースラッシュにも拍車が掛かり、ひたすらツアーとレコーディングに明け暮れる日々、年々多忙となりそして現在に至れり。
思えば全て手探り状態にて始め、多くの失敗から学ぶ事限りなく、10年なんぞと云う歳月とは、何と一瞬で過ぎ去りしものか。人生80年とした処で、その8分の1をも費やし、果たして成し得た事とは何と僅かな事であろうか。その時間的余裕からか、未だ自分の未来に無限の可能性を抱きし20代の頃は、心の奥に抱きし野望をいつかは成し得んとの思い熱けれど、では実際に僅かひとつの些細な夢でさえいざ取り組んでみれば、高々10年なんぞでは大して何も出来ぬと知る。一体この10年間で私は何をしてきたのか。今や自らが老いて行く速度に負けじと「今しか出来ぬ事」をやり残さぬようにと思えども、気ばかり焦っては事を為損じると自戒して、「死んでしまえばそこまでよ」との諦念にも似た心持ちにて、せめて自分の余命を無駄にせぬよう出来る事からひとつづつ試みるのみか。
先日運転中に拝聴せしラジオに於いて「『自分が一生の間にやりたい事』とは各自いろいろあるだろうけれど、実際やってみれば、時間的問題だけ考えても、その10分の1を成すのが関の山」と、何処ぞの偉い先生如きが語っておられし。ならば「何を成したいか」を明確にするべきが最優先重要事項なれど、では音楽が果たして本当に私の成したい事なのであろうか。「出来る事」と云う事実と「成したい事」と云う幻想が一致せぬ場合が殆どであり、一致しておられる御仁に於いては、それ相応の多大な努力を積み重ねての結果であろう。今年四十路を迎えし私なれば、所謂「人生の転機」を図るは今を於いて他にはなかろうが、27年に及ぶ音楽活動に於いて自分なりの答も未だ得ておらねば、ここでそう易々と投げ出す訳にもいかぬ。潔く辞める事も難しいが、続ける事もまた難しい。私のようにお気楽極楽なダメ人間は、結局優柔不断に「何となく」続ける程度が関の山であろうか。否、五体満足にて続けられる事に感謝せねばならぬか。果たして五十路を迎える折、AMT結成20周年を、皆が顔を揃え祝い得るか、果たしてAMTが10年後に存在するかどうか知る術もなけれど、もしも存在しておれば是非とも斯くありたいもの。
老いとは人生に於いて夢を失いし刹那から始まるとか。希望とは根拠なき楽観的推察にして常に失望失意を生むものなれば、一切の希望を持たぬを心髄としておれど、夢とは叶うか否かは本人次第、叶えてこそ夢か。
何はともあれAMTでギターを弾く限り、せめてカッコよく年はとりたいもの。
昨年の「総まくり」にても述べし「AMT地獄組」ことAcid Mothers Temple & The Cosmic Infernoが今年より始動、結成初年度にしてアルバム5枚とシングル1枚をリリース、ヨーロッパ・ツアーとアメリカ・ツアーを敢行。そもそもAcid Mothers Temple & The Melting Paraiso U.F.O.の一時活動休止を受けて結成されし事は事実なれど、そのAcid Mothers Temple & The Melting Paraiso U.F.O.が、結成以来内包せし「気違いぶり」を今や大いに失いつつあればこそ、AMT本来のアイデンテティーを回復する意味でも、このAcid Mothers Temple & The Cosmic Infernoは、私にとっては大いに意味深きものなり。
ツインドラムによる1グルーヴでひたすら駆け抜けるその音楽性は、今やより音楽的展開を求めるAcid Mothers Temple & The Melting Paraiso U.F.O.から見れば、所謂「退行」行為に見えるかもしれぬ。されど1グルーヴにて一丸となり爆音で猪突猛進する様こそ、Acid Mothers Temple & The Melting Paraiso U.F.O.が嘗て海外にて、他の追随を許さぬ圧倒的ライヴ・パフォーマンスを展開し「世界最強のライヴバンド」と呼ばれし一因ではなかったか。Acid Mothers Temple & The Cosmic Inferno名義でツアーを行えど、殆どのオーディエンスにとっては「Acid Mothers Temple」としてその区別さえもついておらぬは当然の理、否が応でも前年ツアーを行いしAcid Mothers Temple & The Melting Paraiso U.F.Oと比較されるは必定なれど、その反応は「AMT史上最もヘヴィ且つハード」と芳しく、AMT本来の凶暴性と気違いぶりを回復し得たと云えるか。
秋のアメリカ・ツアーでは、せんせいこと岡野君がビザ取得の問題にて参加出来ず、兄ィこと志村さんの1ドラムにて敢行すれど、ツアー後半のみ元ありぢごくの気違いドラマーSam Lohmanをゲストドラマーに迎えれば、彼の気違いぶりが大炸裂、連日両手を血まみれにし叩く彼の壮絶なるパフォーマンスは、我々に多大な影響を与えた反面、AMTの怒濤のアホぶりが、今やインプロバイザーを目指さんとするSamの眠れるロック魂を再び呼び覚ませし様子にして「自分はロックドラマーだと云う事を思い出させてくれた、ありがとう」と語る彼の熱い表情が印象深い。
UCLAにて行われしTerry Rileyの70歳誕生日コンサートに招聘されし折、彼の眼前にて「In C」を約50分に渡り大爆音で演奏、行儀の良いアカデミックな風体の紳士淑女連中は殆ど中座し、若い大学生連中とヒッピー親爺共のみが居残りて、最終的に会場内は、踊り狂うヒッピーやらイカれジャンキー共の祝祭と化せり。結局Terry Rileyがどう感じたかなんぞ知る由もなけれど、今やすっかりニューエイジ化せし巨匠による自作自演「Rainbow In A Curved Air」は残念ながら退屈至極なり。
Mars Voltaに招聘されしAll Tomorrow’s Partyに於いても、ATP側の都合により出演時刻が最終日のトリに急遽変更されるハプニングこそあれど、1ステージ完全燃焼にてギターも粉砕、終わってみれば関係者やオーディエンスに「AMTがトリで正解だった」と、またMars Voltaの2人に「今回のベストパフォーマンス」と云わしめし。
Acid Mothers Temple & The Melting Paraiso U.F.O.とAcid Mothers Temple & The Cosmic Inferno、この2つのAMTは来年以降も各々のコンセプトの下、活動を続ける事は勿論の事、Acid Mothers Temple & The Melting Paraiso U.F.O.はより音楽的な展開を目指さんとし、Acid Mothers Temple & The Cosmic InfernoはよりAMT本来の凶悪なパワーを回復し増幅せんとするであろう。

「今年のその他の活動」

2005年は、山本精一氏提唱のFlower Man10時間耐久ライヴにて幕開け。10時間耐久ライヴについては、かれこれ数年前、山本さんから既に打診されておれども、その折は野外にて演らんとしておれば、結局手頃な会場が見つからず断念。今回Bearsにて開演正午/終演午後10時の10時間を以って、遂に無事実現との運びとなりし。「10時間1曲」をコンセプトに、途中交代で各自休憩を入れつつも、恙無く終演を迎えるに至る。他のメンバー皆が椅子に腰掛けて演奏する中「座ってロックが演奏出来るか」と、私のみ立って演奏しておれば、流石に脚のみならず腰辺りまでダメージを喰らい大いに疲労困憊、ラスト30分の怒濤の玉砕スパートもあり、終演後の感想は「1日でもう今年1年分疲れたわ…。」されど10時間付き合ってくれしオーディエンスの皆様も、さぞや疲れた事でしょう。
今年は聖家族が7年ぶりとなる2ndアルバムを、Acid Mothers Temple SWRが1stアルバムを発表し、そのメンバーである吉田達也氏と津山さんと3人で「聖家族祭」にて国内ツアーを、また3人で7ユニットを演奏する「Japanese New Music Festival ver.4」にてヨーロッパ・ツアーを敢行。
兎に角この3人で演奏する場合、大抵各自何らかの「ネタ」を仕込んでおり、それがある時は演奏方法、ある時はアホなパフォーマンス、またある時はギャグであったりする訳なれど、いざそれらが即興演奏の中で電光石火臨機応変に披露されれば、お互いに吹き出すやら感心するやら負けじと応酬するやらで、いやはや既に音楽の域に留まらず、まるで吉本新喜劇か宝塚歌劇かWWEか、グローバル且つマルチな懐の深さと柔軟性を要求されるは必定、これ程やり甲斐有るおもろいライヴは滅多になし。これでヨーロッパでは「New Jazz」なんぞとカテゴライズされているのであるから、今のジャズシーンがどれ程しょうむないもんが溢れ返っているか、いと想像に易し。
JNMFは来年1月には大阪Bridgeと名古屋Tokuzoにて凱旋公演を、3月には中国ツアーを予定。先日初台Doorsにて行われし凱旋公演では、津山さんも吉田氏も何処となく東京仕様にて大人しめのパフォーマンスと相なれど、大阪や名古屋では海外バージョン宜しくアホパワー全開で臨むと思われる故、乞うご期待。
今年は何かとダモ鈴木氏と縁在りし。7月にはイタリアTrinoでのフェスティバルにて、イタリアのバンドZUと共に共演、またデュオのセットも行いし。またATPにてダモさんがAcid Mothers Temple & The Cosmic Infernoにゲスト参加、久々にダモさんと東君と私とによる三連獅子ヘッドバンキングも披露。更にその翌日にはLondonにて行われしDamo Suzuki & Amazing Superstarsのライヴに、私はギタリストとして、Omar A. Rodroguez-Lopez (Mars Volta)やCharles Hayward (ex.This Heat)等と共に参加。
来年3月には再び来日されるそうで、名古屋と大阪にて共演する予定。ダモさんの駄洒落も今やすっかり理解し得れども、流石に未だ切り返す域には至らぬか。
昨年12月に行われしMandogとの合体ライヴが契機となり、宮下君とGODMANを結成、12月には1stアルバムも無事リリースし、レコ発ライヴも行いし。私の中ではこれぞダンス・ミュージックなれば、来年はその手のイベントなんぞで演奏してみたい処か。

 

 

「今年の失われし安息地」

梅田のライヴハウスHard Rainを初めて訪れしは、ギタリストとして参加せし羽野さんのZukankuのライヴでありしか。その後「ギター祭り」に招聘され、それを機にスタッフ皆と懇意となりしと記憶する。Hard Rainは店長いとうせいこ女史の人柄もあってか、何故か妙に居心地良く、また「河端スペシャル」と名付けられし焼酎の烏龍茶割りならぬ烏龍茶の焼酎割りの御蔭で、大抵ステージでは酩酊状態、演奏もせずついつい延々としょうむないMCに明け暮れた事もあれば、アホぶり爆裂のライヴを繰り広げた事も る。されど他の如何なるライヴハウスとも異なる怪しくも家庭的な雰囲気は、せいこ女史による流し素麺やらカレーパーティーやらお好み焼きやらのサービス等もあり、ライヴハウスと云うよりはライヴスナックとでも云うべき様相を呈し、良い意味で出演者と観客との間に緊張感を生み出さぬ稀な場所でもありし。終演後ともなれば、グラス片手にスタッフやら友人やら初めて会う方々やらと、すっかり打ち上げ状態と化しては、気が付けば床にて見事轟沈、斯様な醜態ぶりも数え切れずか。されどここで初めて出会いし友人達は多く、またここHard Rainでしか出来ない演奏と云うものもあれば、私にとっては矢張り格別にして特別な場所であったと断言し得る。Japanese New Music Festivalのヨーロッパ・ツアー中、急遽凱旋公演のブッキングを依頼せし折、無理矢理日程を調整して下さり、またAMTフィルムコンサートに於いては、私がAMTドキュメントフィルム「DOKONAN」のDVDディスクと間違えて「ウルトラファイト」のDVDを持参する大失態を演ずる等、いやはや御迷惑掛けし事数知れず。されどいつも笑顔にて迎えてくれしせいこ女史やスタッフ一同の御蔭で、何とも楽しく心地良く演奏出来たのである。また毎度店側がチラシを作って下さるに留まらず、他の店にて行うライヴに於いても、わざわざチラシを配布しに来て下さる等、その誠意と努力には誠に頭の下がるばかりなり。そのHard Rainを、10月末日にて店長いとうせいこ女史をはじめスタッフ皆が辞めるとの報を聞きつけるや、我等が最後の御奉公とばかりに、急遽Acid Mothers Templeとして出演を打診、結果AMTによるオールナイト・イベントと相成りし。夕凪のボーカリストでもあるいとうせいこ女史に、ゲスト参加を依頼しておれば「Soleil de Cristal et Lune d’Argent」を、彼女の即興歌による「愛のHard Rain」として演奏、彼女が歌いし「Hard Rain / ここはHard Rain / 夢のHard Rain / 愛のHard Rain」とのリフレインは、あの夜あの場所に居合わせしHard Rainを愛する皆の心に、各々が抱きしHard Rainにまつわる記憶を、更に深く刻み込んだに違いない。 今年のAMT祭には、「店がなくなったからやっと観に来れた」と云ういとうせいこ女史はじめスタッフ皆が顔を揃えてくれれば、これは何とも嬉しい限りにして、何故か同時に妙な懐かしささえ覚えしか。いとうせいこさん、ソニック・ユースケ君、ジョンソン君並びにスタッフの皆様、ブッキングで毎回お世話になった早坂さん、そしてHard Rainに足を運んで下さった皆様、どうもありがとうございました。

 

「今年の失われる聖地」

阿闇妖子君が自らの手で作り上げしロックの聖地「水玉の部屋」が、来たる1月末日を以て閉店する事と相成りし。閉店の経緯は敢えてここでは記さぬが、何とも理不尽な理由なれど、嘗て名古屋に在りし「聖家族」同様、居心地の良い場所が閉店の憂目に遇う際は、必ずと云っていい程、その理由は理不尽極まりなきものなり。
仕事の合間を縫い、阿闇君が独りで内装工事さえも施工せし、彼の想いがそのまま具現化されし空間なればこそ、自らをも含め出演者には常に「本気」たる厳しさを求め、それ故にこの「水玉の部屋」にて演奏する際は、一層の覚悟をもって臨みしものであったか。阿闇君の無念さは察して余りあるものなれど、法律上の問題の前では、我々の如き弱者にして素人は、泣き寝入りするしか術もなしと云うのが現実か。当の阿闇君は「何年先かわかんないけど、またカナヅチ、ノコギリ片手に創るもんね!」と不屈のロック魂を見せておられる。されど阿闇君が米子に灯せしロックの火を消さぬよう、これからは「水玉の部屋」を愛せし米子の皆が、何か出来る事を見つけて頑張って欲しいと切に願う限り。水玉の部屋消えても水玉の魂は死なず!
1月27日は、阿闇君と私によるソロ対決、1月29日は、Acid Mothers Temple & The Melting Paraiso U.F.O.として「水玉の部屋」にて燃え尽きる所存。

「今年の天中殺」

今年から厄年に突入せしものなれど、斯様な迷信伝承なんぞ一切信じる筈もなく「厄に在
りては大人しく身を潜め、新たに何事も始めるなかれ」と云われようがお構いなしにして、Acid Mothers Temple & The Cosmic Infernoを筆頭に幾つかの新グループを結成しては、作品も次々リリースすれば頻繁にツアーも行いし。そもそも前厄後厄含め3年もの間、大人しく身を潜めておられる程経済的余裕ある筈もなければ、況してや何か行動を起こし失敗しても納得し得るが、何もせずに後日後悔するなんぞ納得しかねるは当然、果たして厄なんぞに臆し、今しか出来ぬ事やら今為さねばならぬ事をせずして、一体何の為の人生ぞ。
とは云え、私の人生に於いて、どうやら8月27日こそ最も運気が下がる天中殺らしく、ここ12年間全くもってろくな事なし。そもそも12年前の8月27日に婚約破棄されしをその始まりとして、大病して入院せし年もあれば、反則切符を切られるやら、浮気が発覚するやらと毎年散々なれば、今年こそ12年目と云う事で、この呪わしき星の巡りもいよいよおさらばかと、何の根拠もなしに楽天的に思っておれど、矢張り8月に入るや否や運気が下降し始め、iBookがクラッシュ、車がバーストと相次ぐ不吉な予兆。されどこれを機にiBookからPower Book G4に買い換えバージョンアップ、またバーストに関した処で、その前日は東京から奈良へと高速をぶっ飛ばしておれば、よくもまあ高速道路上にてバーストしなかったものだと、況してやバースト現場は丁度我が居たる寺がある山へ上る直前にして、もしも山道にてバーストなんぞしておれば、より悲惨な結果になりしは確実なれば、つくづく我が悪運の強さに思わず手を合わせる始末。
さていよいよ8月27日当日となれば、この日はアメリカのワーキング・ビザ申請に於ける面接日にして、早朝より大阪のアメリカ領事館へ赴かねばならねども、高速が大渋滞にて途中で車を捨て、地下鉄&全力疾走にて何とか間に合いし。この時点では「今日は悪夢の8月27日やけど、もしかしたら天中殺は抜けたんか?否、油断は禁物…」結局面接にて、ビザ発給の為に無犯罪証明なる証明書を各自最寄りの警察署にて取得せよとのお達し、その証明書取得の為の書類を頂戴し面接は終了。この夜はHard Rainにて、レニングラード・ブルース・マシーンとみみのことのライヴがあれば、田畑君と兄ィが出演する故、私と東君も遊びに行くと云う運びとなり、せんせいを除く我々4名は、リハまでの4時間、居酒屋にて「今から警察証明取って、それをまた領事館に送ってってやってたら、ビザ発給はツアー出発ギリギリやなあ」「まあ領事館もこっちのツアー日程知ってる訳やし、大丈夫ちゃう?」なんぞと何ともお気楽極楽に飲み倒す。さてHard Rainに赴けば、更に景気良く飲み倒し当然の如く泥酔状態、挙げ句は例によって東君共々Hard Rainに投宿。
さて翌朝目覚め駐車場へと赴けば、後部座席に置いてある筈のバックパックが見当たらぬ。はて、店内へと持参せしか、否、邪魔になる故と後部座席に置いてドアを閉め施錠せし事記憶しておれば、一体私のバックパックは何処へ。中には新調したばかりのPower Book G4と昨日アメリカ領事館より頂きし警察証明を取得する為の書類が入っており、もし紛失ともなれば、ビザ取得はどうなるのやら。東君と店内を隈無く探せども見当たらず。ならばこれは車上荒らしの仕業か、兎も角曾根崎警察へ盗難届を提出すれど、現金やカード等が入っておらねば手配対象にならぬとの事、即ち警察は全くアテにならぬと云う事か。されど車上荒らしならば、大抵窓ガラス等割り、車内も引っ掻き回すものなれど、斯様な痕跡全くなければ、果たしてこれは大いなる謎か。久々に本業たる探偵に立ち返り独自に捜査を進めれど、結局Power Book G4は今も行方不明にして、結果的にこの事件が元でビザの取得は大幅に遅れ、ツアー序盤10本のライヴをキャンセル。幸いにもクラッシュせしiBookが保証期間内であった為、修理に出しており、御蔭でPower Book G4を使用せし2週間分の新規データを除けば、データは全てiBookに残っており仕事には然して支障を来たさず。またパスポートも当初は領事館からの書類と共にクリアファイルに入れられておれど、居酒屋にてパスポートの見せ合いなんぞせし御蔭で、ついつい別の鞄に仕舞っており、一緒に盗まれなかった事も不幸中の幸いか。何しろアメリカ・ツアーも残り日程4週間は無事遂行し得たのであるから、被害は最小限に留められしと云った処か。
ノストラダムスの大予言さえ当たらず無事に迎えしこの21世紀に於いて、悪夢の8月27日、果たして来年こそ何事も起こらぬ事を祈るのみ。されど今尚Power Book G4の消息は知れず、我が探偵としての手腕もすっかり失墜。誰か知らんけど、返してくれぇ!

「今年の男気」

人声天語第122回「まほろばロック」にて記せしように、今年4月に名古屋より明日香村の山奥に建つ寺へ引っ越しせり。家賃1万円なれど寺の管理も担わねばならず、毎日曜日は本堂や庭の掃除と決め、まるで小坊主の如き。周囲は山に囲まれておれば、レコーディングで耳が疲れるや、野鳥や虫の鳴声やら風に吹かれる樹々の音等に耳を傾け、レコーディングする環境としては頗る快適なり。四季各々の変化も、庭に咲く桜や藤の開花やら、さえずる野鳥や夜通し鳴き続ける虫の種類やら、周囲に咲く蓮花や彼岸花やら、栗無花果やら柿の実り等、様々な事から伺い知れ、まるで気分は兼好法師か、いとをかし。
先日の寒波の折、ここ明日香では稀なる大雪に見舞われ、寺への山道は大雪で塞がれ、近所の御仁曰く「12月にこんだけ積もったなんて記憶にないわ、こりゃ下山は当分無理やなぁ」御蔭で1週間近く軟禁される羽目となる。更に油断しておったか午後4時にして水道凍結、夜間は水を出しっ放しにする等気をつけておれど、まさか日没前に凍結するなんぞ夢にも思わず。日中気温でさえ氷点下なれば、翌日となれども復旧せず、山男たる津山さん曰く「地下の水道管が凍るって事滅多にないから、雪解かして湯作って蛇口に掛けてみぃ」されど矢張り復旧せず。水がなければ料理も出来ぬ故、雪を解かし湯を沸かしては備蓄のうどんを啜れども、雪には木の葉なんぞも混じっておれば、湯を湧かす時点にて木の葉も一緒に煎じる結果となり、何処となく青っぽい味と香りにて、これぞ真の木の葉うどんか。灯油が尽きるのが先か、雪解けが先か、灯油が尽きれば暖房さえも確保出来ぬ。
水道凍結3日目早朝、ユープタワーの萱澤君が突然の来訪。何と彼は私の窮状を知り、灯油18Lと、ペットボトルに詰められし水数本、エコー10箱あまり、そして米をはじめ食糧いろいろを差し入れに来て下さりし。この通行止となりし山道を如何にして上って来られしかと訊ねれば、何と麓にて車を捨て徒歩にて上って来られしとか。津山さんからも「いざとなったら食糧背負って歩いて行ったるわ」と心強いお言葉頂いておれど、山男たる山のプロフェッショナル津山さんならいざ知らず、毎年津山さんの山小屋を訪れしとは云え素人の萱澤君が、荷物を背負い、況して灯油18Lのみでも相当な重量にして、この大雪の山道を徒歩でとなれば、その難渋さは想像を絶する。「ほなら今から仕事ですので失礼します」それも自分の仕事の前に立ち寄りて下さりしとか、この御厚意には幾ら感謝しても感謝し切れぬ程にして、その男気には只々頭が下がるばかり。御蔭で久々に美味しくうどんも作れ、ぜんまいとお揚げの炊いたんも作り得れば、嗚呼、水の有り難みを、そして人の心の暖かみを痛感。
その午後、ふと外に水道蛇口ありしを思い出し、その根元のコンクリート部分に熱湯を掛け続ければ、漸く僅かばかりなれど水がチョロチョロと出始め、急いでやかんにて貯水体勢に入れど、何とかやかん1杯分貯水せし折、無情にも再び凍結、更にまたもや降雪。されどこれにて漸く米を炊く事も叶い、備蓄食糧の塩サバやらサンマの干物等も食し得る運びと相成りし。翌日は数日ぶりに陽が差せば、正午過ぎに漸く水道は完全復旧、同じ過ちは2度と繰り返すまいと、日がな水を出しっ放しとす。
蛇口を捻れば水が出る事の有り難みを噛み締めつつ、萱澤君の男気溢れる御厚意は一生忘れぬであろうし、私自身も彼の如き思い遣る心を持つ男でありたいと思う処、否、到底無理な話か。

「今年の1枚」

昨年出会いしSardegna島のポリフォニー、今年もSardegna島を訪れ、最も保守的と云われる島中部にて行われし地元の伝承音楽フェスへ赴きし。初めて目の当たりにするポリフォニーの圧倒的迫力と音の深さに、思わず絶句せし私なれど、さて終演ともなるや、そこいらで酔っぱらいの親爺共が即興にてそのポリフォニーを歌い始め、それに合わせて他の客は踊り始める。これこそ後生大事に保存されし天然記念物的伝承音楽にあらず、まさしく庶民の生活と共に根付き生き続ける真の伝承音楽の姿ではなかったか。
兎に角物騒な事で有名なSardegna島中部なれば、道路標識なんぞどれも散弾銃でぶち抜かれ、そこら中に弾痕が見受けられる有様、そもそもフェスへ赴く前にも「あの辺りは保守的で他所者を嫌うから、兎に角酒を勧められたら絶対に断るな!断ったら撃たれるかもしれないから」と多くのイタリア人から忠告されておれば、親し気に次々と酒を勧めて来る親爺共に対し「Grazie!」と、ひたすら笑顔でそのグラスを飲み干すのみ。その親爺共が「お前日本から来たのか?ワシは日本製ロケットランチャーが買いたいんじゃが、売ってくれんか?」と、とんでもない依頼をしてくれば勿論答えは「No!」ならば今度は「じゃあ日本製マシンガンなら?」お前ら今の日本がどんな国かわかってへんやろ。大体ロケットランチャーなんぞ購入して一体何に使おうと云うのか。されど斯様な親爺共でさえ、即興にてポリフォニーを歌い始めるのである。
さて斯様に生活に密着するSardegna島のポリフォニーの録音物は、いろいろリリースされておれど、中でもBittiと云う集落のポリフォニー・グループTenores di Bittiによる「Intonos」なるCDこそ、私が今年最も衝撃を受け愛聴せし1枚。そもそもこのSardegna島のポリフォニーは通常男性4名にて歌われ、1人がリードパートを、残りの3名が高中低3パートにて構成されるドローン部を担当するのであるが、3声による筈のドローン部が4声に聞こえる、即ち3声が共鳴し倍音を生み出す事が特徴である。特にこのTenores di Bittiによるポリフォニーは、まさに人間の声の奇跡としか云えぬ響きなり。私如きでは到底筆舌に尽くせぬ故、先ずは是非とも一聴される事をお薦めする。

「今年の徒労の果て」

6月上旬、アメリカのDVDレーベルPink House Entertainmentよりメールあり。彼等は池玲子主演の5作品のアメリカでの版権を所持、DVDボックスとしてリリースする予定なれど、私が池玲子の唯一のアルバム「恍惚の世界」を所持していると聞き付け、その音源をボーナスCDとしてボックスセットに加えたい、更に何と彼等はAMTファンらしく、私の手によるリミックスも1曲入れて欲しいとの事。報酬はDVDボックス現物支給と云う事なれば、ツアーに明け暮れ忙殺される中、何とかアルバム「恍惚の世界」とシングル「変身」に加え、リミックスも1曲制作し、漸く1枚のマスターCDRを発送。
されど私の旧友にして日本の音楽マニア且つTiliquaなるレーベルを主宰するJohan Wellensが、何とこのリリース情報を知るや、Pink House Entertainmentにリリース中止を要請、実はアメリカのPink House Entertainmentは映像作品の版権は所持しておれど、録音作品の版権を所持しておらず、このDVD+CDのボックスセットのリリースはお蔵入り、当然私のリミックスも陽の目を見る事は無し。因みに「恍惚の世界」はJohanの主宰するTiliquaから世界初CD化され来年1月20日に発売される。結局報酬として期待せしDVDボックスも身銭を切りて買わねばならぬか。

「今年のええ話」

Acid Mothers Temple & The Cosmic Infernoのアメリカ・ツアーでの稼ぎにて、兄ィは何と結婚指輪を購入されしとか。何でも結婚当時、結婚指輪を買えなかったとかで、嗚呼、何たる愛妻家。私の如く借金返済の為に即座に消却さるるとは、天と地程の違いたるか。更に男性用の指輪は女性用に比べ大きい分高価故、敢えて自らの指輪は購入せず、その予算にて御両親にマッサージチェアをプレゼントせしとか。嗚呼、何たる孝行息子。ええ話やなぁ。

「今年の美食スポット」

大阪は今里筋にある韓国家庭料理店「我が家」は、所謂焼肉屋にあらず、正真正銘の韓国家庭料理店にして、鍋料理やご飯ものに汁物、勿論鉄板焼き等大いに充実しておれど、カルビやホルモン等の所謂焼肉屋的なメニューは皆無。韓国の食堂に於けるサービス同様、キムチから何から無料にてテーブル上に並べられれば、このサービスこそ韓国独自のおもてなしの心得か。「豚バラ3段」は2人前1000円なれど、これは即ち「サムギョプル」なる豚の三枚肉(バラ肉)の鉄板焼きにして、当然サービスで並べられし野菜やらキムチやらで包み、マッコリー飲みつつ頬張るや、嗚呼、懐かしきは嘗ての韓国美食三昧ツアー。勿論大好物「豆腐チゲ」にも舌鼓、これにて既に満腹大満足状態。普段は地元の常連客にて賑わうのであろう、決して世間で云う処の有名店ではなかろうが、格安な値段設定にして大いに美味。店内に響き渡る女将さんと小学生であろう息子との会話からも、まるで何処ぞのお宅にお邪魔しているが如き、何とも云えぬ家庭的生活臭をも感じられ、「我が家」なる看板に嘘はなし。

「今年のツール・ド・フランス」

20年来のF-1ファンなる私なれど、今年からの新レギュレーションにて、タイヤ交換禁止と云うのは如何なものかと、思わず首を傾げたくなる。ピット作業に於いてタイヤ交換の風景が見られぬとは、何とも妙な具合にして、各ドライバーも1セットのタイヤをレース終了まで温存せねばならぬ故、タイヤに負担の掛かる熾烈なサイド・バイ・サイド等のデッドヒートもすっかり見受けられず、何とも面白みに欠ける展開に成り下がりし。
斯様な折、ツール・ド・フランスに魅了されし。ツール・ド・フランスとは御存知の通り、自転車ロードレースの世界最高峰なれば、特にヨーロッパに於いて大層な人気を博する由緒正しき大会なり。昨夏ヨーロッパに滞在せし折、丁度大会開催期間中なれば、何かとテレビにて観戦する機会多く、当初はルールも出場者も何も存じておらねども、同席の友人達からいろいろと説明解説なんぞして頂くうちに、その面白さと空気感に魅了されし。 選手の実力は勿論の事、F-1同様チームプレーである事が勝利への重要なキーワードにして、その戦略如何なんぞ知り得れば、尚の事楽しめる事間違いなし。連日ランチタイムが終わりし頃より生中継が始まる故、食後の酒なんぞ呷りつつボーッとテレビ観戦する事こそ、真の愉しみ方らしい。確かに画面から一瞬たりとも目が離せぬと云うような緊迫せしシーンは、大会を通し然して多くはない故、周囲に広がる美しい景色なんぞも含め、のんびり観戦する事こそテレビ観戦の真髄の様子。特にイタリア語放送に於いては、何でも解説者達がレースと全く無関係なゴシップばかり延々と喋り続け(「この辺りのワインは美味らしい」「昨夜食べた***地方の郷土料理は美味かった」「**選手の妹は美人だ」「昔活躍した**選手は今や凄いデブだ」「**選手の契約金はバカ安だ」「ドイツの放送局は金があるから自社カメラを持ち込んでいるが、イタリアの放送局はインタビュー用自社カメラさえない」等々)その実況中継からレースの緊迫感は全く感じられぬとの事。日本でも最近はCSにて全日程ノーカット放送されているらしく、ビギナーの為に解説陣がかなり丁寧な解説をしていると聞けば、詳しい解説にてよりレースを楽しみたいとも思う一方、矢張り現地ヨーロッパにて、のんびり酒を呷りつつ観戦するも捨て難し。ビール片手のナイター観戦同様、結局はその雰囲気を楽しむ事こそスポーツ観戦の極意か。
今年も昨年に続き、運良くヨーロッパにて最終戦までテレビ観戦し得れば、来年も是非ともヨーロッパにてのんびり観戦したき処。出来る事なら一番の見所ピレネー辺りまで出向いては、キャンプ気分にて生であの空気を体感してみたい…と云えばあまりに贅沢か。

「今年の流行語」

いよいよ四十路となれども、相も変わらず「大人の酒の嗜み方」を知らず、ついつい飲み過ぎ泥酔しては、さぞや多くの方々に迷惑をお掛けしているであろうと大いに反省し、思わず酒を止めようかとも思えども、泥酔しておれば記憶も吹っ飛びて、実は大して懲りてもおらず、喉元過ぎれば何とやらで、また飲んでは泥酔する羽目になるが定石か。一方で健康に留意する気持ちもありて、先ず食べ物等にも気を配り、テレビやラジオ、また新聞や雑誌等にて健康蘊蓄の類いなんぞ語られておれば、チェックせずにはおられぬ有様。
先日脳梗塞についてのテレビ番組を観賞、「あなたの脳梗塞度チェック」全20項目をチェックすれば、なんと「ストレスが溜まり易い」以外の19項目に該当、それ以来、特に脳梗塞に関する情報には目を光らせ、気が付けば「脳梗塞防止の為の体操」まで会得。そもそも40歳以上ならば、誰でも多少の梗塞は抱えているらしく、要は如何に進行させぬかが肝心との事。年を重ねるに伴い記憶力が悪くなるは、単なる老化にあらず、これぞ梗塞に依るものとして、実は厳粛に受け止めねばならぬ明らかなる事実なり。さて嘗ては暗記王の異名さえ取りし私も、近頃めっきり記憶力が急降下、当然覚えている筈の如き事柄、挙げ句は自宅の住所や電話番号でさえ時折忘却する始末。流石にこれは深刻かと思えど、どうやら斯様な症状は私のみに留まらぬ様子。Acid Mothers Temple & The cosmic Infernoのツアーに於いて、同年代の我々メンバー皆、記憶力が極端に低下せし事実を相互確認、それ以来我々の合言葉は「脳梗塞ちゃうか…?」
寺山修司の「さらば箱舟」に於ける山崎努演ずる捨吉の如く、いずれは自分の愛する女性の名前や自分の名前さえ忘却してしまうのではあるまいかと思えば、ありとあらゆる物に名札を付けておかねばならぬか。否、死に方に希望なんぞなけれども、ボケて他人から哀れみを受けてまで醜態を晒し、周囲に迷惑を掛けてまで生き長らえたいと思わぬ。生き長らえし処で、自分が何者で何を為すべきかさえ判らねば、既に生きている意味さえあるのやら。今や生活習慣病病やら更年期障害やらなんぞが気になる年齢となれど、それでも過酷なツアーに出ねばならぬ生活なれば、病いにて倒るる暇なんぞある筈もなし、何しろこの稼業は「体在っての物種」なり。
都合悪き状況に際し、ロッキード裁判以来「記憶にございません」こそ言い逃れの有名なフレーズなれど、四十路ともなれば「脳梗塞やから」と言い逃れん。何しろ自然の摂理にて脳細胞が死滅せし状況なのであるから仕方なかろう、何とも都合の良い言い訳を見つけしもの。されど本当に脳梗塞にて倒れれば、斯様な言い逃れはジョークにもならず、これも自分が五体満足であると自覚せし上での悪しきジョークなり。
来年はいよいよ本厄なれば、斯様な事気にせぬとは云え、せめて健康管理ぐらいせねばならぬか。されどストレスなく気侭に享楽的に生きる事こそ、不老長寿の秘訣と聞けば、矢張り今まで通り刹那的享楽主義を貫き通すに越した事はなし。これ即ちAMTのスローガンなり。「やりたい事は如何にしてもやるが、やりたくない事は絶対やらん!」

(2005/12/31)

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