『人声天語』 第127回「Pabulic Image Limited Edition」

つい先頃、自称占い師の57歳男性が女性10人と同居なるニュースを、テレビにて知る。男からしてみれば何とまあ男冥利に尽きる事かと、嘗てはハーレム幻想さえ抱きし私なんぞからすれば羨ましい限りなれど、果たしてこの一件は斯くも大騒ぎせねばならぬような事件でありしか。同居する女性達にした処で、本人の同意の下によるものなれば、法的にも重婚を犯せし訳でもなく、嘗ての千石イエスによる「イエスの箱舟」の一件の如く、大して他人に迷惑を及ぼせし訳でもなく、各々思う処ありて千差万別人生を送っておれば、それはそれでよかろう。
それにつけても毎度毎度、事件に於いて一旦疑惑の人物なんぞ現れれば、テレビ等の各メディアは挙って、大衆の関心を引き付けるような面白いエピソードなんぞ探さんと、渦中の人物の私生活どころか過去さえも暴かんと躍起になるものなり。結果その人物が冤罪でありしと判明せし処で、仮に世間に於いて一応疑惑は晴れれども、一旦報道されしスキャンダル等については為す術もなく、失墜せし社会的信用を取り戻すは困難極まる事であろう。
嘗てオウム事件の折、私は名古屋市内の一軒家に居を構えておれど、御近所のボケ共が「あそこはオウムのアジトに違いない」なんぞとホザきくさりし御蔭で、結果その家を追い出される羽目となりし経緯あり。こちとら決して近所付き合いが良いとは云えねども、道で会えば挨拶程度はしておれば、結局御近所のボケ共は、私や訪れし友人達をそのなりから斯様な偏見の目を持って見ていたのであろう。勿論私はオウム真理教と何ら関係なければ、警察から事情聴取される事なんぞある筈もなく、またアホなメディアに騒がれる事もなければ、転居によって再び平穏な生活を手にする事が出来たのであるが、もしも僅かでさえ警察なんぞに疑われ、メディアにその旨を発表でもされておれば、一体如何な悲劇が待ち受けていたであろうか。
渦中の人物に於いて、ワイドショー番組類いのレポーター共による、本人や家族に対するモラルなき取材は云うに及ばず、近所の住民やらにあれこれ訊ねては、もしも「何か危ない感じの人でした」「薄気味悪い感じの人でした」なんぞの否定的意見を得れれば、待ってましたとばかりに視聴者を洗脳せんが如くそのVTRを延々と流し続け、仮に「挨拶もする明るい感じの人でした」「まさかあの人が…って驚いてます」なんぞの肯定的意見を得た処でさえ、本人の事なんぞ何も存ぜぬ阿呆なコメンテーターが「彼は恐ろしい2面性を持った危険な人格の持ち主なんでしょう」等と、全くもって根拠もない勝手な推論を無責任にホザきくさるのが実状か。また小学生の頃の卒業文集に寄せし作文等を入手しては、そこからあれこれと視聴者の興味を引くような記 述を探し出し、矢張り「子供の頃から既にこのような犯罪に走る猟奇性は秘めていたのです」等と、好き放題に犯人たらん危険な人格を演出するは常套手段なり。
もしも私が何らかで斯様な猟奇犯罪者に疑われでもすれば、メディアにとっては格好の吊るし上げ素材であろうか。何しろ先ずこの風貌、四十路にして社会的には無職、かなりの文句垂れにして、男なれば当然若かりし頃より暴力沙汰も幾らかあれば、所謂「すぐカッとなる暴力的性格」と謳われる事間違いなく、嘗ては脱社会的ヒッピー親爺共との付き合いもあり、また時折人種差別者紛いの発言もあれば、所謂ナショナリスト的発言も多く、何しろ小学生時代には「将来は独裁者になる」との作文さえ綴りし経緯もあればこそ、「現実を直視しない誇大妄想的危険思想の持ち主」との烙印を押される事も間違いなく、一方で猟奇文学に留まらずエロ漫画やら猟奇エロ映画ビデオ等も多く所持しておれば「残虐な変態的性倒錯者」との烙印さえも押され得るで あろう。ざっと自分で思い浮かべしのみでこの有様なれば、そもそも他人に対し印象の良い人間ではないと自覚しておれども、果たして他人の目に映る私の人間像なんぞ到底考えも及ばず。況して学生時代の通知簿には「協調性に欠ける」と必ず記されており、勿論同級生等に到っては、かれこれ20数年以上も全く付き合いさえなければ、果たして彼等が今の私の何を知っていると云うのか。
挙げ句は「薬物中毒患者」やら「国家転覆を目論むテロリスト」なんぞと事実無根の報道さえされかねぬ。なれば如何なる犯罪事件に於いても、その犯人像としての適性を兼ね備えているとも云え、何とも空恐ろしき事この上なし。
特にテレビと云うメディアについて、その及ぼす影響力の大きさとは裏腹に、実際の番組制作者サイドの意識の低さこそ、最も大きな危険性を孕む問題なのではなかったか。嘗て自分が率いるバンドにて時折テレビ出演せし経緯あれど、インタビューに於いては毎度ディレクター達に面白可笑しく編集され、こちらの主旨とは全く異なる内容となりて放送されしは云うに及ばず、バンドのイメージさえも、編集にて好き勝手に脚色演出され、こちらの思惑と大いに異なれば、真面目に応対せし自分達が如何にアホでありしか思い知らされる結果となりし。以後私はテレビの出演依頼を全て断り、メディアに依存せず完全なる独力にて活動せん事を決心するに至る。(勿論テレビ局側が誠意を持って取り上げてくれると云うのであれば、それはまた別の話にして、故 に嘗てフィンランドに於いてAMT特集番組が制作されたり、欧米のテレビに時折出演せし例外もある。)利用するつもりが実は利用されているなんぞ世の常なれど、意識の低いアホ共に利用されし自分の愚かさとは、そのアホ共以下の何ものでもなく、況してや喜び勇んで斯様な渦中に飛び込みては、挙げ句有頂天になりし輩共とは、自らの愚かさにさえ気付いておらぬのであるから、何とも御目出度き話であり、勿論後日全てを失う日が来ようなんぞとは想像だにせぬのであろう。
此処「人声天語」にて、自らが思う事等徒然なるままに綴りておれば、さて御愛読頂く諸氏諸兄に於いて、筆者たる私を如何な人物として思い描いておられるのであろうか。インターネットと云う発信者と受信者をダイレクトに結ぶメディア上なれば、また匿名の下に於けるフィクションや脚色等も皆無なれば、より私と云う人間の何らかを的確に捉えておられる御仁もおられるやもしれぬが、大いなる誤解を抱いておられる方々も相当数に上る事相違なし。
果たしていつの日か、私が何らかの理由にて三面記事なんぞ賑わせる事にでもなれば、果たして周囲や世間から如何なコメントを頂けるのか。風評なんぞ全く気にはせぬ質なれど、情報に煽動され冤罪を着せられる事だけは御免被りたき処。先日も成田空港の税関にて「麻薬犬がお客様の鞄に非常に興味を示しましたので、御足労ですがこちらまで御一緒下さい」と別室送りにされる始末、勿論御禁制の品なんぞ所持せし筈もなく、無事に放免されはすれど、何しろ海外での僅かな収入こそ我が食い扶持の今現在、軽率に斯様にアホな犯罪を犯し出国出来ぬようにでもなれば、全くもって死活問題なり。私もそこまでアホにあらず。されど冤罪なんぞいつ何処で降り掛かってくるやも解らねば、げに恐ろしきは風評なるか。いつぞやも「Acid Mothers Templeって宗教だと思ってました」なんぞと云われれば、いやはや何とも勘弁して頂きたい処なり。

(2006 / 2 / 8)

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