『人声天語』 第129回「実録・南イタリア残酷美食地獄地帯(後編)」

昨夜飲まされし下痢止めの特効薬たるレモンの煮汁canarinoの御蔭か、何やら快方に向かいし手応えならぬ腹応えあり、良薬口に苦からず酸っぱし。これぞ「お婆ちゃんの知恵 in イタリア」か。Davideの彼女の母親が医者だとかで、もし未だ下痢が止まらぬようならば診察して頂けるとの旨なれど、オレンジジュースを飲んでみてもどうやら大丈夫の様子なれば、その有り難きお申し出は丁重にお断り申し上げる。
調子が良くなるや調子づくはお調子者の哀しき性なるか、昨日中途にて断念せしレコード屋巡りに再び出陣。イタリアにて70sイタリアン・ロックのオリジナル盤を探すは困難にして、漸くお目に掛かりし処で滅法高額なれば、日本で買うた方が絶対安いと殆ど買わず終い。イタリアにて70sイタリアン・ロックの需要は皆無らしく、またその殆どは日本人ディーラーによって買い漁られしとか。世界中何処へ行こうがレコード屋にて聞くは日本人ディーラーの浅ましさか。兎に角その買い方は半端にあらず、彼等が通りし後にはカスしか残らぬと云う、まるでイナゴの大群の如し。勿論その恩恵に肖るは我々日本人リスナーなれど、矢張りレコード屋が世界で最も多い都市は帝都東京である事疑う余地さえなく、金さえ払えば如何なるレコードも入手し得るとは、全くもって日本人の飽くなき好奇心と貪欲さ、いと恐ろし。さて戦果はと云えば然して収穫なく、Franco Battiato「Fetus」1枚にて終了。
下痢も快方に向かいし様子なれば、ここらでプチ断食も終焉として何か消化の良さそうなものを食らわんとす。本来ならば粥なんぞ啜りたき処なれど、此処はイタリア、あのオリーブオイル責めを想起するや思わず食欲も失せると云うものか。せめて海鮮リゾット程度なら食し得るかと思えば、適当に入りしレストランには生憎リゾットは見当たらず、されどふと鹿肉のカルパッチョやら鴨肉の生ハムを発見、体調万全にあらぬ事百も承知なれど、飽くなき食への好奇心には勝てず、結局この2品を注文。鹿肉のカルパッチョは案の定オリーブオイルが振り掛けられておれば、オイルを皿の縁にて絞りつつ頂かねばならぬ始末、お味の方は然して美味にあらず、鴨の生ハムは塩っぱ過ぎて涙さえ誘う程。生肉ならば生姜醤油なんぞにて頂けばさぞ美味であろうに、折角の鹿肉や鴨肉が泣いてんど。

 

 

 

 

 

食後の運動も兼ね、Bari旧市街地を散策すれば、徐ろに目に飛び込みしはI Poohの結成40周年記念コンサートのポスター、今やプログレの重鎮と云うよりはポップスの重鎮となりし彼等、しかし結成40周年とは驚きなり。そう云えば昨年訪れし折にはNew TrollsやPFMのポスターなんぞも見掛けれど、今やイタリアでは単なるオヤジ向け懐メロか、日本で云うならミッキー・カーチスや平尾昌昭の如しか。

旧市街には中世の街並みがそのまま残されており、されど現在もその古い石造りの建物群にて庶民の生活は営まれている故か、その建物から生命の息吹の如き気配を感ずるのである。その旧市街を抜ければ、眼前に広がるは、限りなく青きアドリア海なり。
さて調子も良さげなれば、ここは早速一杯呷らんと旧市街にある一軒のバーの扉を潜れば、偶然にも昨夜演奏せしクラブのオーナーが経営するバー&レストランとは、何とも数奇な巡り合わせ。オーナーは、私がDavideからこのバーの事を伺い知り訪れしと思っておれど、実は全くの偶然であると告げれば、何でもDavideが彼の車を借りて今夜Salernoまで運転してくれるとかで、結局ここで彼と待ち合わせとなりし経緯を伝え聞く。彼の秘蔵のルッコラのリキュール「ruccolino(ルッコリーノ)」なんぞ御相伴に預かっておれば、そこへDavide登場。オーナーの車を借り受け、Davideの彼女同伴にて、いざSalernoへと向かう。
約3時間のドライヴにてSalernoへ到着、会場入口にてオルガナイザーのPaoloと再会。今宵はギタリストのみによるフェスティバル、その名も「Guitar Festival」とかで、アメリカのドローン系サイケ・バンドPeltのJack Roseも来ておれば、楽屋にて再会を喜びつつ談笑。晩飯にトマトソースのパスタが用意されておれど、矢張り体調に未だ不安を抱いておれば、ここは遠慮させて頂き、代わりにウォッカを呷る。Jack Roseのアコギ・ソロが大いに聴衆を湧かせし後、ヘッドライナーとして私の演奏となる。かなり現代音楽の弦楽アンサンブル曲的な展開となれども、大いにウケた様子にして、持参せしCDもこれにて完売。Paoloとウォッカなんぞ呷りつつ談笑後、午前3時、Davideの運転にて再びBariへ向け出発。午前5時過ぎにDavide宅着、云うまでもなく即寝成仏。
昼前に目覚めれば、遂に本復の手応え充分にして、猛烈なる食欲を抑え切れぬ程なり。近所を散策、巨大なる市場にて魚介類なんぞ眺むれば、つい先日の忌まわし事も忘れがちとなりしか。結局パン屋のお惣菜コーナーにて、ラザニアと肉団子のトマトソース煮を購入、体調本復せし証か一気に食すれど、さりとて決して美味い代物でもなければ、精々長きに渡りしプチ断食明け故の「腹の足し」程度。されど胃が極端に収縮しておれば、結局半分も食えぬ有様にして、ここは無理すべからじ、勿体ないなんぞと云うてる場合でもなき故、残りはゴミ箱へ直行。
午後2時、PierpaoloとPasqualeもやって来れば、Davideや彼女と共に「じゃあ昼飯を食いに行こう」「凄く美味しいシーフードを海まで行って食べよう」こちとら先程クソ不味いラザニアと肉団子のトマトソース煮を食らうておれば、これは少々先んじたか。車2台に分乗し、ハイウエイをぶっ飛ばしBariよりアドリア海沿いに南下する事1時間。広大なるオリーブ樹園を抜け、漸く辿り着きしは、まるで浜茶屋の如き海辺のレストランなり。店の入口では、おばちゃんがひたすらウニを割り続けておられる。

さて店内へと通され他の客を眺むれば、何とテーブル横に置かれしゴミ箱のバケツには、溢れんばかりのウニやら貝やら海老やらの残骸が。なんやねん、そのとんでもない贅沢ぶりは!こいつらバケツ1杯分のウニやら貝やら海老やらを食ろうた云う事か…等と想いを巡らせし間に、PierpaoloとPasqualeが既にオーダーを済ませし様子、先ずは大量の生ウニが運ばれてくるや、いきなり「ウニは別腹」と貪り食うが、何しろデカいトレイに山盛りのウニ、これにて2人分なり。彼等はパンを千切ってはそれでウニを掬いて食ろうておられれど、日本男児たる私には、ウニとパンの組み合わせなんぞ許される筈もなければ、フォークの柄の先にてウニを掬い取り啜るのみ。日本のウニに比べ小振りなれば、確かにこれならば何個でも無限に食えそうな勢いにして、白ワイン片手に、贅沢極まりなき無限ウニ地獄へ我身を投げ入れん。ゴミ箱のバケツがウニの残骸にていっぱいとなるや、蛸のカルパッチョ、鰯のマリネ、ムール貝のフライ、鰯フライ、イカフライ、蛸フライと続けて運ばれて来る。白ワイン片手にこれらも調子良くつまんでおれば、最後の仕上げにとウニスパゲッティーが登場。先日のReggio Calabriaにての海鮮地獄を想起すれば、思わず箸も止まりそうになれど、やはりウニが豪華に混ぜられしこの代物に食指が動かされぬ筈もなく、据え膳食わぬは武士の恥と、結局1皿ペロリと平らげれば、嗚呼、何と美味なる事か。すっかり満足、大満足、たとえ明日より再び下痢地獄が待ち受けておろうが、これ程大量のウニを食ろうたのであれば、自業自得男子の本懐と納得も出来ようか。

食後に少々腹ごなしも兼ね浜辺を散策、ホスト役のPierpaoloとPasqualeも、私が大いに満足せしと知るや嬉しそう、さればと急に彼等のレーベルよりのリリース話なんぞ持ち掛けられ、この状況では断る訳に行く筈もなく快諾。非英語圏たるここらでは珍しくかなり流暢な英語を話すPierpaoloは、と同時にかなり博学の様子でもあれば、ここら辺りの歴史や文化なんぞいろいろ語り聞かせてくれれども、こちとら満腹にて全身の血液が胃に集中しており、それら興味深い話もまるで上の空なり。
Bariへ戻るDavideと彼女と別れ、PierpaoloとPasqualeと共に今宵ライヴを行うSquinzanoを目指し更に南下。博学のPierpaoloがどうやら通称「骸骨教会」へ案内してくれるとかで、先ずはその教会のある街へ、されど2時間のドライブの末に辿り着けば、残念ながら閉まっており中は見られず、ではまた次の機会にと云う事で、一路Squinzanoを目指す。Squinzanoへ到着するや、未だサウンドチェックまで時間があるからと、今度はPasqualeの案内で市内のローマ時代から中世やバロック時代の旧跡観光。その権力を誇示せんとせしムッソリーニ時代のファシズム建築は大いに古代ローマ様式より影響を受け模倣しておれば、古代ローマ遺跡と近代ファシズム建築が相並ぶその様こそが正にイタリアなり。
さて今宵の会場Istanbul Cafeへと赴けば、その何ともイカれた内装に少々感動、ステージはまるで安キャバレー、まるでツインピークスの赤いカーテンの部屋の如し。

サウンドチェックを手早く済ませ、未だ満腹故に晩飯を丁重にお断りしてビールを呷っておれば、客席の隅にてアベック達が殆ど事に及ばんとする程に絡み合っており、これは必然的に今夜のライヴ、大いにテンション高くなるか。
午後11時開演、客入りは満員御礼、まるでこの田舎町の若者全てが押し掛けたが如き騒ぎなれば、ヒッピー親爺の姿もチラホラ見受けられれども、殆どが少々時代遅れなパンクファッションやらグランジファッションやらの所謂田舎っぽい若者達にして、果たしてこいつら斯様な音楽を理解し楽しみ得るのやら。されど斯様な心配は無用、結局「東洋の神秘」とか何とか勝手に思い込みしか、大いに喜んで頂けし様子なり。この際、何はともあれ客が喜んでくれたのであらば、こちとら別に何でもよろしい。終演後はBariに近いTraniと云う街までPierpaoloが運転、午前5時にホテルに到着すれども、PierpaoloとPasqualeと共に朝のコーヒーなんぞ飲みつつ歓談、結局午前8時に漸く就寝。
午後2時起床、PierpaoloとPasqualeと共に朝飯ならぬ昼飯を食いに出掛けれど、然程空腹と云うわけでもなく、結局蛸のカルパッチョと、3種類の魚のカルパッチョ(鮭と鮪と白身魚)を頂く。オリーブオイルさえ掛かっておらねばより一層美味いだろうに、況してやわさび醤油なんぞで頂ければ最高であろうが、残念ながら此処はイタリアなり。

 

 

 

 

 

食後は再びPierpaoloの案内にてここら辺りのバロック建築なんぞ巡り歩く。巨大なバロック建築の教会入口前に於いて、昼間にも関わらず若いアベックが殆ど半裸状態にて一心不乱に熱く絡み合っておれば、Pierpaoloは指笛を鳴らし冷やかして爆笑。
今度はPierpaoloとPasqualeが住むAndreaへ移動、「Castel Del Monte(山の城)」と呼ばれる八角形の中庭を持つ幾何学的外観の要塞の如き城へ赴かん。この驚異的に幾何学的なデザインには、何やら宇宙科学的な理論の背景がある云々と、Pierpaoloはここでも博識ぶりをもって説明してくれれども。私はこの圧倒的な幾何学的美しさに大いに感動すると同時に、何やらこの建造物と共鳴共振し合一すると云う不思議な感覚さえ覚えれば、結局またしても彼の有り難い蘊蓄は上の空なり。そしてナチスにも用いられし鍵十字を、ここの某一室の天井中心部にて発見す。これぞ謎への入口か、我が飽くなき好奇心大いに刺激されれば、これもTwin PeaksやらX-Fileの観過ぎに他ならぬか。

お城見学も終えればAndreaの市街へ、PierpaoloとPasqualeに連れられ某カフェを訪れれば、ここはチョコレートが名物とかで、limoncelloとgrappa入りのチョコレート2種を頂くや、これが激烈に美味なり。されど中身は40度超級のアルコールなれば、くれぐれも食べ過ぎには注意が必要とか。

そのままAndrea郊外にて大型猟犬と暮らすPierpaoloの自宅へと赴けば、猟師たりし彼の父の遺品の数々、猟銃やら剥製が所狭しと飾られし中世よりの古い建物なり。何やら童話か御伽話にでも出て来そうな雰囲気にして、何とも素敵な家なれど、彼は今春にAndrea市街に引っ越すらしく、もし私が望むならこの家を貸そうか等と持ち掛けられれども、流石にイタリアには住めぬからと丁重にお断り申し上ぐる。
さてここでDavideと待ち合わせしておれば、彼の運転にて今宵ライヴを行うAltamuraへ移動、会場Feverに到着すれば、ここは多分このド田舎町に1軒しかないクラブであろうか、通常はピアノ・バーでもあり、またカラオケやDJイベントも行っておれば、既にまたしてもこのド田舎町の若者全員が集いしかと思われる程の満員御礼なり。前座のローカルバンド(Pasquale曰くこの田舎町唯一のサイケ系バンド)の演奏が始まるや、まるでPere UbuがBlack Sabbathを演奏するが如し、おもろいのかおもろないのか紙一重な感じなれど、流石に日がな観光に連れ回されれば疲労困憊、更には未だに時差ぼけもあるのか、猛烈な睡魔に襲われ客席後ろのソファーにて仮眠。午後11時、目覚めのウォッカ1杯を呷り、ステージに上がれば、今宵は久々に爆音ドローンからミニマルな展開へ、そして今回のツアーでは初披露となる「Pink Lady Lemonade」も演奏、最後はアンプが悲鳴を上げる大爆音ドローンにて幕。果たしてこのド田舎町の若者達は如何に思いしかと思えば、終演後の反応頗る芳しく、葉っぱ等が日用嗜好品と化せしヨーロッパやアメリカ等に於いて、矢張りこの爆音催眠ドローンは強烈に彼等の感性に作用するらしいと確信しておれば、このド田舎町さえも例外にあらずか。また何とも矢鱈に記念撮影を依頼されし夜にして、これもド田舎町ならではか。
Davideの運転にて再び昨夜と同じホテルへ、どうやらツアー最終日までこのホテルに滞在し、ここを基点に移動するとか。キッチン、台所用品一式、冷蔵庫等も完備しており、何ともお気楽にして快適なり。土曜日の夜故に通りは飲み歩く人でごった返し、ホテルの階下もバーなれば、表の人々の喧噪を聞きつつ、午前3時過ぎに就寝。
起床した処で全く空腹感を感じず、そう云えば体調が復活して以来、一度たりとも空腹感を感じた事がなかったのではあるまいか。胃の中の物が多少熟れて来た辺りで、再び食事と相成るイタリアでの日常生活では、私の胃が再び引導を渡される日もそう遠くあるまい。本復せしと云った処で、完全液状化による脱水症状から所謂普通の下痢状態になったと云う程度なれば、矢張りこのヘヴィー極まりなきイタリア料理はあまりに過酷、されどPasquale曰く、本日はPierpaolo宅にて海鮮バーベキューパーティーだとか。Reggio Calabriaの悪夢が再び脳裏を過る。
Pasqualeが彼女と共に迎えに参上、彼の車にてPierpaolo宅へと向かう。途中、彼の自宅へ立ち寄り、漁師だと云う彼の父親が今朝水揚げせし魚介類を車に積み込めど、到底「誰がそんなに食うねん!」と云う程の膨大な量なり。
さてPierpaolo宅へ到着すれば、Davideと彼女も既に来ており、Pierpaoloの彼女も既にバーベキューの下準備を手伝っておられる。サイケ系レコード・コレクターでもあるPasqualeは、ポータブル・レコードプレーヤーと自慢のコレクション十数枚を持参、BGM係を担当。PierpaoloとPasqualeの彼女はキッチンにて魚介類の下拵えなんぞしておられる様子、Pierpaoloは庭でバーベキューの準備に明け暮れ、能天気なDavideと彼女はそれを尻目にいちゃつくのみ、私はPasqualeが持参せしAMT関係のLPやらCDやらにサインさせられし有様。
先ずテーブルに、生牡蠣やら生ムール貝やら生蛤やら生イカが並べられる。生牡蠣も僅かなれば美味なれど、斯様に多くては有り難みも失せるどころか、次第に気持ち悪くなってくる始末、生ムール貝は生レバーの如き味にて至って美味なれど、これもまた斯様に多量には食えぬ代物なり。兎に角野菜類が皆無なれば、箸休めも侭ならず、刺身にツマが添えられる有り難み、ここで改めて再認識す。漁師の息子のくせにPasqualeは生ものを殆ど口にせぬとかで、またPasqualeも生の貝はあまり好きではないとか、結果大凡を大食漢Davideと私と2人して食わねばならぬ有様なれど、私も自分の体調を考慮すれば暴飲暴食は避けんとす。我々日本人特有の「勿体ない」と云う価値観とは異なり、ヨーロッパのみ限らず殆どの外国に於いて、食べ物を残す事は失礼に当たらぬ故、ここは適当に箸を置く。

続いてはイタリア料理に於ける前菜たるパスタ、またしてもトマトソースのスパゲッティーなれど、これまたこれで充分1食分に匹敵する量なれば、予め少なめに盛って貰えど、いやはやこの後にいよいよ海鮮バーベキューが控えると思えば、既に胸一杯腹一杯なり。

Pierpaoloが庭で甘鯛と鱸とイカを焼き始めれど、何でも魚を焼くのは初めてとかで何ともぎこちない手付きにして、何しろ2枚や3枚に下ろす事なく丸ごと網に乗せておれば、当然そう簡単には身に火が通らぬ有様故、矢鱈とひっくり返すは押さえ付けるはで、皮のみが網に焦げ付きボロボロと剥がれ落ち、折角の新鮮な魚も台無しか。更に風味漬けの意味のみならず、焦げ付くからとオリーブオイルをダバダバと打っ掛けておれば、添えられし香草の風味もあって、最早魚本来の風味も損なわれし事間違いなし。やっとの事で焼き上がれば、見栄え大いに悪けれど、まあ思ったよりは魚本来の味もしておれど、矢張り何ともオリーブオイル臭く、折角の新鮮な魚であればこそ、刺身か塩焼きなんぞで美味しく頂きたかった処か。外国に於けるバーベキューとは、以前人声天語第123回「文句垂之助の欧州地獄旅」#12にても述べた通り、屋外で調理する意にして、決して日本で云う処の所謂アウトドアクッキングとは異なる。故に焼き上がれば、屋内へ運び食卓テーブルに座して食するが常にして「ほんなんやったらキッチンで調理したらええやんけ」と思うのが我々日本人なれど、どうやら炭火等で調理する事、そして家中に煙が立ち籠めない事、この2つの理由からバーベキューなる調理方法があるのであろうと推察される。

 

 

 

 

何とか甘鯛2匹と鱸1匹、イカも1切れを平らげ、もう本当に腹一杯と苦悶しておれば、ここでムール貝のオーブン焼きや蛸とイカのフライが登場、これ以上食らいては再び胃に引導を渡す羽目となろうから、ここで打ち止めとさせて頂く。Davideは流石イタリア人、揚げ物に対し圧倒的ポテンシャルを発揮し、食うは食うはであっと云う間に殆どを平らげる大食漢ぶり。
ここらでタバコ休憩と庭にて皆で一服しておれば、Pasqualeがお待たせしましたとイタリア名物ジェラートを持参、これは相当に美味そうなれば、誰が云ったか「甘い物は別腹」と2個頂き大いに満足。イタリアにて最も美味なるはジェラートとespressoに相違なし。更に続けてチョコレートケーキも取り出されれば、これもまた美味と2切れを軽く平らげ甘い至福感に浸れり。当然最後を締め括るはammazza caffeのlimoncelloなり。limoncelloを呷りつつ皆で歓談。

午後2時から食らい始め午後8時に漸く食らい終えると云う、何と6時間にも及ぶこの地獄の長期戦も、これにて終宴。Reggio Calabriaの悪夢とまでは行かずとも、我が胃に充分なるダメージを与えし事疑いの余地なく、折角の御持て成しなれば無下には出来ぬとの義理とは云え、我ながら何故ここ程まで無分別に食ろうてしまいしか、後悔先に立たず。
さて今夜はTraniにて最後のライヴ、会場はCaffe Adegli Artistiと云うバーにして、私が滞在するホテルの隣なり。Pierpaoloの運転にて午後9時へ到着、軽くサウンドチェックを済ませ、一旦ホテルの自室へ。流石にあまりの満腹ぶりに身動きも取れぬ状態、とてもバーにてビールでも呷ろうかなんぞと云う気にもならぬ。近所への騒音問題と、PierpaoloとPasqualeのリクエストもあり、今夜は静寂且つメロウに演奏せんと思っておれば、Davide曰く「今夜は最後の夜だから大爆音でドカーンと演ってくれ!録音機材も持参しているのでバッチリ録音するぜぇ!」
今宵も満員御礼にして、午後11時より演奏開始。騒音問題もあるらしいので、メロウな旋律のループを徐々に重ねて行き、その上にグリッサンドと弓弾き、最後は倍音による静かなフィードバックのみをループにして重ね、強烈な音の揺れのみを追究、そして音の揺れが重なり合い鼓膜に突き刺さる強烈なクラスターとなりし刹那に終演。これにて南イタリア・ソロツアーも幕。
終演後、世話になりしPierpaolo、Pasquale、Davideの3名と各々の彼女達の計6名にてビールで打ち上げ。コンサートのみならず、食事や観光等も含め、非の打ち所なき素晴らしいオルガナイズなれど、矢張りイタリア料理はもう結構、最早一生イタリア料理なんぞ口にしたくもなし。パスタの食感やらオリーブオイルの風味を想起するのみにて食欲減退どころか消滅すると云う末期症状なり。何しろ日本のイタリア料理の方が遥かに美味にして胃にも優しい事は、もしイタリアにてこの美食地獄を味わえば、多分誰も異論を唱えぬのではあるまいか。
打ち上げ後、ホテルへ戻り荷造りを済ませ就寝せんと思えども、未だ胃が気持ち悪くなかなか寝付けぬ有様。
翌朝9時、PierpaoloとPasqualeがホテルへ迎えに来てくれ、Bari空港まで送って頂く。
彼等曰く「また是非ツアーに来て欲しい、否、休日を過ごしに来るだけでも大歓迎。特に夏は海もあるし最高だよ。また新鮮な魚介類で御持て成しするから!」いやはや、もう勘弁して下さい。今回のツアーにて、私は到底イタリアに1週間以上滞在し得る体質にあらざる事を痛感、もし滞在せねばならぬならば、絶対に完全自炊せぬ事には、再びこの地獄巡りの憂き目に遭おうと云うものか。げに恐ろしきはイタリア美食地獄かな。まだ不味いもの天国たるイギリスやドイツにて「ぐげっ!不味う~!」と文句を垂れては苦悶せし挙げ句、日本料理店にて大枚を叩いたり、細々と自炊する方が救いもあろうか。
因みに帰国後も下痢続きにして絶不調、帰国直後に行われしZoffy@円盤のライヴに於いては、未だ到底何も口にする事出来ぬ状態なれば「ウォッカで胃を洗浄する!」と、ウォッカをストレートでがぶ飲みせし挙げ句、翌日は人生初体験となる胃の膨満感に苛まされ、折角帰国すれども何も食えぬとは、されどこれも自業自得か。それもこれもイタリアの美食地獄に起因せしかと責任転嫁してみた処で、哀しいかな体調が本復する訳でもなし。帰国直後に体重を測ってみれば2kg減、更に帰国後の下痢続きにて1kg減、あれ程食らいて減量せしとは、何とも辛く厳しきダイエットたるか。嘗て美食天国と称される香港を訪れし折も、激烈なる下痢状態続きにして一切何も食えず、どうやら所謂美食天国と呼ばれる土地と、我が貧乏性の消化器は相性が悪いのか、嗚呼、矢張り和食が一番。ホンマ外国なんてもうどこも行きたないわ。されどまた3月末より中国へ行かねばならぬこの身の上、これも稼業なれば仕方なしか。今回の南イタリア・ツアーに於いて最も恋しきは粕汁でありし事、この最後に記し、これにてイタリア美食地獄紀行も幕とす。

(2006/3/20)

Share on Facebook

Comments are closed.