『人声天語』 第133回「九州こそいと遠けれ」

Acid Mothers Temple & The Cosmic Infernoの欧州ツアーより7月上旬に帰国、直ぐさま円盤ジャンボリーへ出演、そのまま8月中旬までAcid Mothers Temple & The Melting Paraiso U.F.O.の新譜「Myth Of The Love Electrique」のオーバーダブとミックスに明け暮れし。この間に、遂に運命の出会いを果たせし新女性ボーカリスト加入もあれば、急遽彼女のボーカル入れも行う一方で、8月中旬より行われるMaquiladoraの国内ツアー中に愛車の車検が切れる事が発覚、2000年9月に名古屋を襲いし豪雨による洪水の際に、購入して僅か3週間の新車を失えど、運良く人生初の車両保険を掛けておればその保険金を元手にこの車を購入せしも、いよいよ走行距離も10万kmに届かん処故、あれやこれやと部品交換等もあり、さて漸く納車して頂けれど、ツアー出発の数日前に何やら不可解な振動音が発生、結局これも修理せねばならぬ羽目となり、暫くの間代車を借り受けておれば、いざ納車と云う当日に、その代車をいきなり駐車場の壁にて傷付ける有様。8月はかれこれ12年以上も私の天中殺月なれば、今年こそ万難を排さんといつもに増して慎重を期せれどこの有様、されど斯様に些細な不運なればこそ一切問題なし。そのMaquiladoraの国内ツアーも無事終了、当初は参加する予定にあらじ最終日の浜松公演にも急遽参加する運びとなれば、その3日後にはJapanese New Music Festivalアメリカ&メキシコ・ツアーに出発せねばならず、明日香まで慌ただしく取って返さねばならじ。2週間のJapanese New Music Festivalアメリカ&メキシコ・ツアーも大盛況にて終わり帰国するや、今度は今秋に行われるAMT & TMP U.F.O.のイギリス&アイルランド・ツアーの最終確認作業及び諸々の手配やら、更に来春に予定されるアメリカ・ツアーの準備作業やら、それに伴いJapanese New Music Festivalアメリカ&メキシコ・ツアー終了と同時に期限切れとなりしアメリカ就労ビザの更新手続きやら、10月に行われるAcid Mothers Gongの国内ツアーの雑務やら、秋にリリースが予定される作品群の仕上げやら、12月9日名古屋トクゾウにて行われる第5回AMT祭のプロモーションの準備やら、未だ引き続き作業中なる「History of AMT」DVDの為のマテリアル探索及び編集作業、その他溜まりに溜まりし仕事を、猛烈なる時差ぼけに任せ猛然とこなす日々。まさしく貧乏暇なしにして、果たしてこれを時給なんぞに換算してみれば、殆どタダ働き同様ならんか。

さて前述のMaquiladoraの3度目となる国内ツアーにて、全12公演のうち東京2公演を除く10公演に、東君共々フル参加、されど所詮サポートメンバーなればこそステージ隅にセットし黒子として参加せし故、客席からは全く私の姿が見えぬ事多かりしとか。村岡充君をはじめ多くの方々に「ホンマにバックに徹してますねぇ」等と感心されたりもすれど、私とてミュージシャンの端くれなれば、毎度馬鹿の一つ覚えの如くファズを爆裂させるばかりではなし。Maquiladoraとの演奏も大い楽しませて頂けれど、この多忙の中を何とかスケジュール調整してまで敢行せし国内ツアーの楽しみとは、言わずもがな道中に於いて各土地のB級グルメを堪能する事に他ならぬ。世界最強のホルモン屋なる姫路の「竜」へは勿論ライヴ当夜と翌昼の2度訪れ大いに満喫、岡山ではPepper Land付近の居酒屋にてサソリの唐揚に挑戦、山口では一楽さんに案内されし居酒屋にて特上の馬刺に舌鼓を打ち、また毎度立ち寄る山陽小野田市のドライブイン「みちしお」にて名物の貝汁を啜りて、いよいよ関門トンネルを抜け九州へ上陸。

毎度お世話になる小倉Megahertzは演奏開始時間が大抵午後10時頃と遅い故、界隈の居酒屋は既に殆ど網羅しておれど、そう云えば通りの角にある「白頭山」は訪れし事なかりしかと思い、また北九州在住のギタリスト六弦琴君より「石焼チャンポンが美味いですよ」との_めもあれば、ならばその「白頭山」へ向かいし。
予想外に明るい店内にては、居酒屋メニューよりも食事メニューの方が遥かに目を引き「ここってホンマに居酒屋かいな?」店内に大きく貼られし「石焼チャンポンは当店『白頭山2号店』のオリジナルです」なるコピーが何とも気になり、また六弦琴君のお薦めと云う事もあり、然して食事をする気分にあらざれど、Maquiladora一行が食事せんとすれば、彼等がその石焼チャンポンを食したしと云う故、思わず自分も一緒に1杯注文せし。ビールを飲みつつ待っておれば、さて充分に焼かれし石焼鍋に、大将が仕上げにと煮えたぎりし餡を注ぐや凄まじき湯気が立ち上る。可愛い女給が「熱いから器に触らないよう気をつけて」と運びたるその石焼ちゃんぽん、未だグツグツと煮えたぎっており、これはまるで地獄の釜茹でか、さてまた今まさに妖怪人間でも生まれんかと思う程、麺が見えぬ程に盛られし具の多さに圧倒されつつ、小鉢に取りいざ頂かん。嗚呼、これは大いに美味なり。普段うどんこそ日常食としておれど、所謂麺党にあらぬ私なれば、国民食たるラーメンさえもあまり好まねども、この石焼チャンポンの美味さには思わず感動、結局スープ1滴残す事なく完食。さて同席せし自称「麺好き」の東君なれど、彼のみ「九州だしここは皿うどん!」と勇み足を踏めば、我々の石焼チャンポンを横目に見ては「いや、皿うどんも美味いよ!」と云いつつも矢張り後悔せし様子か。他人の云う事も時には素直に聞きましょう。
Maquiladoraのメンバー中、食に関して最も好奇心旺盛なるBruceは、前日の山口に於いても、特上の馬刺に大いに舌鼓を打ちつつ、前々日に岡山で食せし安い馬刺との相違を熱く語っておれば、店内に貼られし「和牛霜降り上カルビの刺身」を目にするや、この逸品を是非とも彼に食わせてみんと注文、勿論私も霜降りカルビの刺身なんぞ食せし経験なければ、大いに興味深し。いよいよ運ばれし霜降りカルビの刺身、見るからに美味そうにして、さて1切れ口に入れるや、半解凍状態なるその1切れは、未だひと噛みもせぬうちから一瞬にして口の中で溶け、結局ふた噛みもすれば口の中から消え去り、唯その豊穣なる後味を残すのみ。偉大なるは和牛畜産家の皆様か。これには流石のBruceも驚愕感動、霜降り和牛の真髄を堪能せし様子なり。どうせ狂牛病で死ぬならば、斯様な至福感と引き換えにしたきものなり。アメリカ・ツアーにて散々ステーキなんぞ食い捲りし我々なれば、今更「食の安全」も糞もあったものでなし。されど牛丼なんぞにて命を危ぶまされるよりは、ステーキの方が幾らか納得もし得ると云うものか。
今まで幾度となくMegahertzを訪れておれど、何故いつも道を曲がる目印として記憶せし「白頭山」を訪れる事なかりしか。今後Megahertzを訪れる折には、また再びこの石焼ちゃんぽんと和牛霜降り上カルビの刺身を食したき処。されど如何せん九州こそいと遠けれ。

さてMegahertzでのライヴも終了すれば、出演者や関係者連れ立ち近くの台湾中国料理屋「梅子」へ。名古屋に20年住みし私にとって、台湾料理とは即ち名古屋では知らぬ者おらぬ「台湾料理の味仙」なり。今やあまりに有名になりし台湾ラーメンを擁する味仙とは、名古屋にてチェーン展開する台湾料理店にして、そもそもは店の主人が、台湾へ旅行せし際に食せし「タンツウ麺」の美味さに感動し、それを激辛にアレンジせしが名物台湾ラーメンの由来とか。気がつけば名古屋では、ラーメン屋の殆どが「台湾ラーメン」をメニューに並べるのみならず、数多くの所謂中華料理店ならぬ「台湾料理店」が軒を連ねるまでに至る。されど総本山なる味仙も含め、どうやら「台湾料理」と云う名称こそ掲げてはおれど、実は本場の台湾料理とは大いに異なるのが実状の様子、されど斯様な事はイタリア料理であれフランス料理であれ韓国料理であれ中華料理であれ然して珍しくもなければ、また海外でお目に掛る奇妙奇天烈なる日本料理を想起すれば、この味仙発祥の台湾料理、大いに美味なる事間違いなく些かも問題なかろう。さて名古屋より遥か彼方なるこの小倉にて「台湾料理」の4文字を目にすれど「名古屋からよりは台湾に近いし、きっと本格的な台湾料理なんやろ」と思う矢先、先ず地元の皆が注文せしは、何ィ?味仙でもお馴染み「青菜炒め」にして、是まさしく味仙のそれとほぼ同一なり。
そもそも餡を好まぬ故に中華料理を好まず、故に普通の中華料理店にても通常「餃子」「麻婆豆腐」「鶏の唐揚」「炒飯」「酢豚」程度しか選択肢を持たず、またラーメン等の麺類もあまり好まぬ私なれば、私にとって異端派中華料理店たる味仙の激辛料理こそ大いに美味なる中華料理なり。
六弦琴君曰く「ここの酢豚、ちょっと変わってて美味いですよ」との事故、その酢豚を注文せり。すると運ばれし酢豚は、玉葱、人参、ピーマン、筍、時にはパイナップル等が入りし所謂「酢豚(古老肉)」にあらじ、豚バラ肉の唐揚げが唐辛子とニンニクの微塵切り入り甘酢にて絡められ、葱がまぶされし逸品。味仙の酢豚とは、豚バラ肉の唐揚げが葱と唐辛子とニンニクの微塵切り入り甘酢に絡められ、皿の隅に薄切り胡瓜が添えられしのみの逸品なれば、この梅子の酢豚は若干の相違点こそあれど大同小異、所謂「酢豚」と異なるは明白なり。さて食してみれば、味仙の酢豚ほどの辛さや酸っぱさはなく、よりマイルドな味わいと云えば想像に易いか。

更にこの梅子に味仙の名物たる「台湾ラーメン」もあれば、麺の上に挽肉とニンニクとニラと唐辛子を炒め合わせし具が盛られる処と云い、小ぶりの丼にて出される処と云い、矢張り味仙のそれと大凡相違なし。まさか名古屋以外で、それも遥か遠く離れし九州小倉にて、今や名古屋名物とまで云われ全国的知名度も上がりつつある台湾ラーメンを食し得るとは、是如何なる経緯たるや。どうやら一説には岡山にも「あじ仙」なる味仙と類似せし台湾料理店があるとか。これは店名から察しても、その店の主人が名古屋旅行の際に味仙にて台湾ラーメン等を食し真似せしものか、さてまた嘗て味仙にて修行せし主人が営むのか、まあその類いである事間違いなかろう。果たして全国に如何程までこの味仙の味が拡散せしか、如何にして伝道されしかなんぞ知る由もなけれども、勿論小倉の方々もこれが実は名古屋をルーツにするものにして、決して本場の台湾料理にあらざる事なんぞ知る由もなかろうか。矢張り九州こそいと遠けれ。

翌日小倉を発ち大分へ向かえば、県境を越えし辺りより道中にて「唐揚屋」なる看板を矢鱈見受けし。「天婦羅屋」「串揚屋」「串カツ屋」「焼鳥屋」なるは存じておれど「唐揚屋」って何やねん?何でも唐揚にしてくれる店って云うことか?天婦羅や串カツに比べ衣が諄そうにして、唐揚とは大抵衣にも味付けが施されておれば、具材どれを選びし処で食感以外味は然して変わらぬのではなかろうか。以前New Orleansにてシーフードのミックスフライを注文せし際、中身はナマズや牡蠣やら海老やらなれど、衣の味付けが濃厚にしてどれを食せし処で食感以外大差なく、結局素材の味なんぞ毛唐にとってはどうでもええって云う事か…結局は全部フライドチキンと同じ味やんけ!と、折角のシーフードを満喫し損ないしを思い出せり。
さて大分Athallに到着しサウンドチェックも済ませれば、矢張り関アジ関サバを所望したけれど、今は季節にあらじとの助言ありて、また金欠なれば斯様な贅沢が許される筈もなく、取り敢えず界隈の居酒屋の暖簾を潜るや、夫婦で営むこじんまりした店構えにして、メニューを眺むれば鶏料理が目白押し。嘗てPhilがプライベートにて来日せし折、名古屋KD Japonにて行われし私のライヴに足を運んでくれ、ライヴ後に隣接する居酒屋へ共に赴きし際、鶏の唐揚を食せし刹那「こんな美味しいフライドチキン食べた事がない!これは世界一のフライドチキンだ!」と、大いに感激せり。私にすれば到って普通の何処にでもありそうな鶏の唐揚なれど、揚げ物に対し圧倒的ポテンシャル・パフォーマンスを誇るアメリカ人のPhilにしてみれば、私には到底理解しかねる「何か」を感じ得しか。今回のツアーに於いても、Philはいつも鶏の唐揚を注文しており、毎度「オイシイネ!」と日本語でその喜びを語りけり。確かに、油っぽく諄き揚げ物なんぞ然程も食えぬ我々日本人にしてみれば、揚げ具合こそ揚げ物の命にしてサクッと揚げるは必定なれど、揚げ物ならば底なしに食い続け得る西洋人なればこそ、揚げ具合がイギリスのFish & Chipsの如く衣にラードが極限まで染込みベタベタであろうとも、それは然程問題にならぬどころか、イギリス人やスコットランド人に到っては、ベタつく程に美味なりとまで宣う有様。フライドチキンやフライドポテトが食文化たるアメリカ人も同様にして、嘗てアメリカのポストロックバンドKinskiを我が家で持て成せし際、メンバー4人で天婦羅を大皿6皿軽く平らげしを思い出せり。Philにした処で矢張り揚げ物は無類の好物らしく、あの濃厚なる味付けにして大いに諄きフライドチキンに比べれば、日本の鶏の唐揚のサクサク感は正に「揚げ物の奇跡」と云えるやもしれぬ。
さて斯様なPhilの為にと鶏の唐揚を注文、BruceもEricも矢張りアメリカ人なればPhil同様故、その他にも鶏天婦羅やらモモ焼きやらと鶏料理を片っ端から注文すれば、流石アメリカ人「美味しい!これこそ世界で一番美味しいフライドチキンだ!」と貪るや、一瞬にして平らげる始末。既にこれ程の量の鶏料理を眺むるのみにて胸いっぱいになりし私と東君は、唯々彼等が貪る様を傍観するのみにして、されど六弦琴君が「大分は鶏料理美味いですよ」と教示してくれしを思い出せば、さてはPhilの感激ぶりも至極当然なるかと、名物と書かれし鶏天婦羅を1切れ頬張りし。嗚呼、何たる事か!ひと噛みするや、あまりに柔らかな肉から肉汁が噴出、三噛みもせぬうちに肉は口に中で溶けてなくなり、衣のみが僅かに残されるのみ。通常どちらかと云えば衣の方が先に口の中から消え、肉が残る事こそあれども、これはまさしく逆なり。これ程ジューシーにして柔らかな鶏天婦羅を食らいし事ありしか。続けて鶏唐揚を食せば驚愕、これまた同じ、げに恐ろしきは大分の揚げ物技術、伊達に唐揚屋が軒を連ねる訳あらざりしか。
翌日はオフなれば、別府は鉄輪温泉に投宿、当然地獄巡りに始まり、途中秘宝館を挟みて、地獄巡りに終わる観光三昧。猛烈なる灼熱の真夏日にこれまた何が悲しくて地獄巡りか、斯様な酷暑の下で地獄巡りするこの愚行こそまさに地獄なり。唯一の救いは矢張り秘宝館、シマウマ和合の像には思わず心も癒されしか。

さて温泉にてのんびり旅の垢を落とせば、夜は勿論居酒屋へ。宿の近くの居酒屋の暖簾を潜れば、お品書きはこれまた鶏料理三昧。流石に2夜続けての揚げ物責めは勘弁して頂きたい処なれど、Maquiladora一行は2夜連続の鶏料理三昧にも大いに狂喜、注文せしは昨夜とほぼ同じ品々にして、されど今宵Philがお気に召したるは鶏天南蛮、鶏天婦羅の上に特性ソースとマヨネーズが施されし逸品、いきなりお替わりを注文する始末なり。鶏料理以外殆どアテもなければ、空腹にして口寂しき故、鶏唐揚を頬張るや、これまた昨夜同様奇跡の如き揚げ具合なり。一体この大分の揚げ物文化の高次元ぶりは何たるや。それと云うのも宛らアメリカ人宜しく大分県民の揚げ物好きならん事に起因するのではあるまいか。そう云えば大分にて車を運転せし際、追越車線たる右レーンよりも走行車線たる左レーンの方が流れが早く、これではまるで右側走行のアメリカやヨーロッパの如しと思いしも、これもまた宛らアメリカ人宜しく大分県民の揚げ物好きならん事に起因するのではあるまいか。道中にて見掛けるラブホテルにした処で、本州に於いては、旧くは城郭の如きから昨今はファッションビルの如きまで外装こそ多種多様にして、兎に角マンションの如き独立する1棟建の建造物なれど、九州に於いては、アメリカのモーテル様式の影響色濃く、同じデザインの平屋1戸建が敷地内に建ち並ぶが一般的の様子なり。狭い日本なればこそ、そもそも僅かな敷地にても効率的に利益を上げんとするが故、マンションの如き1棟建の建造物にせざるを得ぬが主流なれど、九州のラブホテルは全くもってその逆、敷地内に平屋1戸建を建ち並べるとは非効率的な事この上なく、限りなく土地が有り余るアメリカなればこそのスタイルを取り入れるとは、これも矢張り宛らアメリカ人宜しく大分県民の揚げ物好きならん事も一因ではあるまいか。即ち「大分県民≒アメリカ人」斯様な推論さえ立て得らん。成る程九州こそいと遠けれ。

焼酎のメッカ大分の居酒屋にて、所謂「烏龍ハイ」を注文すれば、一口飲むや何やら甘酸っぱく、空かさず店主に苦言を呈せし。「すみませ~ん、烏龍ハイ頼んでんけど、これ烏龍ハイちゃいますよ!これってチューハイの烏龍茶割りちゃいます?」「?」「いやだから…これって出来合のチューハイかなんかの烏龍茶割りでしょ?俺が頼んだんは烏龍ハイやねんけど…!」「はあ…?」嘗て姫路Mushroomに隣接する居酒屋にて、烏龍ハイとは何たるかを存ぜぬ新入りのアルバイト君の御陰で、焼酎の代わりにカクテル用出来合のチューハイを烏龍茶で割りし代物を飲まされし経緯あればこそ、また同様のミスと推察せし。「あんな…しゃあから俺が頼んだんは烏龍ハイやねん!こんな甘ったるいチューハイの烏龍茶割りちゃうねん!焼酎の烏龍茶割りや!」「ああ…だから烏龍ハイですよ、それ…」「えっ…?」「だからお客さんが頼んだのは烏龍ハイでしょ?それが烏龍ハイですよ」「えっ…?」「何?お客さんが飲みたかったのは焼酎の烏龍茶割り?それなら『焼酎の烏龍割り』って言ってもらわないと…」「えっ…?????」所変われば名も変わる。ここ大分にて「烏龍ハイ」とはチューハイの烏龍茶割りを指すらしく、我々が普段呼称する「烏龍ハイ」は「焼酎の烏龍割り」と云わねばならぬらしい。
その後、東君と名古屋の某居酒屋へ赴きし際、ここは名古屋にして大分にあらざれば景気よく「烏龍ハイ2杯!」と注文するや、女給が「烏龍チューハイ2杯ですね?」と復唱せり。2人とも思わず大分での一件を想起させられ「えっ…?いや…頼んだんは烏龍ハイやで!焼酎の烏龍茶割りや!チューハイの烏龍茶割りとちゃうで!」「だから烏龍チューハイですね?」「えっ?いや、しゃあから烏龍ハイやで!焼酎の烏龍茶割りや!」「だからそれが烏龍チューハイです」「えっ…?あ、ホンマ…兎に角焼酎を烏龍茶で割ったやつやで!」烏龍チューハイとは何とも紛らわしき名称なり。況してや「烏龍チュー」なんぞと呼称する店も時折あれば、これこそより一層紛らわしき事この上なし。されど思い起こせばまた「コークハイ」「カルピスハイ」なんぞの焼酎カクテルもありて、即ち「ハイ」は「ハイボール」に起因せしと推察され、ならば「ソーダ等のジュース割り」の意味として用いられる事こそ正しきかな。さすれば所謂「烏龍ハイ」とは焼酎の烏龍茶割りにならず、また勿論チューハイの烏龍茶割りにもあらざりて、烏龍茶のソーダ若しくはジュース割りでなければならぬか。更にカルピスハイはカルピスソーダやカルピスオレンジの総称にならねばならず、コークハイもコーラのソーダ割り(味は薄くなり炭酸2倍!)を指さねばならぬか。結局焼酎のソーダ割りたるチューハイのみ名称としては間違えておらず、そこから派生転用し作られし焼酎カクテルの名称は全て誤りと云えるか。斯くなる上は、大分に於ける「焼酎の烏龍割り」なる名称こそ正しいと云わねばならず、これも流石焼酎のメッカたる所以か。改めて九州こそいと遠けれ。

九州と云えば「リョーユーパン」と「ポプラ」なり。私にとってはヤマザキパン、シキシマパン、神戸屋パンこそ馴染み深けれど、九州にて矢鱈見掛けるはリョーユーパンなり。そのリョーユーパンとは福岡に本社を構えるパンメーカーにして、超ロングヒット商品「マンハッタン」を抱える事は西日本に於いて誰もが知る処か。
そして私が史上最強のコンビニと呼ぶポプラである。以前にも人声天語第116回「2004年総まくり」にて紹介しておれば、ここでは重複を避けあまり多くは語らねど、コンビニ弁当にも関わらず、炊きたて御飯を山盛り詰めてくれるサービスは、その手間を考慮すれば到底他のコンビニチェーンでは不可能ならん。以前「ポプラは姫路より以西にある」と記せども、その後大阪府下の2号線沿いにても2店、堺筋にて1店発見、矢張り本社のある広島より繋がる2号線沿いを中心にチェーン展開せりか。確か東京にても目撃せし記憶あり。さて折角大阪府下まで進出して頂きしならばと、東大阪にある店舗にて早速トンカツ弁当を購入すれども、矢張りメッカたる中国九州地方と異なり御飯の盛りも少なければ、おまけのふりかけ1袋も添付されておらず、何とも残念至極。それでなくとも他のコンビニチェーンに比べ店内照明が暗ければ外観よりの印象頗る芳しからず、これでは他のコンビニチェーンとの熾烈な競争にも勝ち目いと薄し。今回は経費節約の為、往路は大凡国道2号線を用いし故、暇つぶしも兼ね東君と「Mission」として、ツアー中に何軒のポプラを目撃するか不毛にも数え始めれば、思いの外、セブンイレブンが圧倒的に多く、一方ポプラは残念ながら全行程にて僅か17店に留まれり。昨年の記憶を辿れば、中国九州地方一帯に於いて、ポプラは圧倒的なシェア率を誇りしと記憶しておれども、この僅か1年半にてセブンイレブンの進出著しく、ポプラのチェーン店の幾らかも大手コンビニチェーンに転向せしか。ここは何としても関西関東方面への進出なんぞより、中国九州地方一帯に於ける一層のシェア率回復を図って欲しい処。
されど今回大分にて、ポプラさえも凌駕せんとする究極の最終形体コンビニチェーン「every one(エブリワン)」を発見、何しろ店舗内には厨房が設営され、弁当類は勿論の事、何とパンまでその店舗内にて焼いているのである。南九州を中心に九州7県にてチェーン展開しているらしく、斯くなれば最早炊きたて御飯サービスどころの次元にあらず。全国区展開する大手コンビニチェーンも、売り上げの大半を占める弁当類の新製品開発や質の向上に常々勤しんでおられれど、店舗内手作り弁当に手焼きパンにて対抗されれば、如何に料理自慢の有名芸人やテレビでお馴染みの有名シェフがプロデュースしようが、所詮は電子レンジでチンする出来合弁当のレベルに留まるは必定、到底太刀打ち出来る筈もなし。朝なんぞハムエッグ弁当なんぞと云う到って質素なる格安弁当も売られておれば、朝寝坊なぐうたら嫁に憎まれ口叩かれつつ出される質素な朝飯を食らうよりは、こちらの方が遥かによろしかろう。また流石に大分、お惣菜コーナーには鶏天婦羅を筆頭に鶏料理がずらりと並び、これも恐らくは揚げ物好きなる大分県民の声を反映せしものか。私は朝飯として九州特産の高菜と明太子が惜し気もなく盛られし「わっぱ飯」を購入、シンプルなれどシンプル故に美味、価格的にはほぼ同額たる大手コンビニチェーンの所謂「おにぎりセット」なんぞより有り難き逸品なり。

 

されどポプラの炊きたて御飯サービスにした処で、お昼時等の繁忙な時間帯にはそれでなくともレジが列らく有様なれば、況してレンジにてチンせし後、いちいちパックを剥がし御飯をよそい再びパックなんぞと云う手間ひまを掛けねばならず、レジに並ぶ列は一層長くもなろうや。経費削減と効率化を目指す大手コンビニチェーンならば、当然斯様な非効率的サービスを行える筈もなく、況してや店舗内にて調理ともなれば最早言語道断か。何にせよ斯様に素晴らしいサービスが罷り通るも、これまた九州と云う土地柄なればこそか。いやはや九州こそいと遠けれ。

翌朝、東京公演の為、列車にて東京へ向かうMaquiladora一行と別府駅にて別れ、私と東君は一路名古屋へ向かいし。走行距離約1000km、所要時間約13時間、消費燃料約70L。まさしく九州こそいと遠けれ。

(2006/9/28)

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