『人声天語』 第134回「2006年総まくり」

今年は厄年なればこそ、何やら災難なんぞいよいよ降り掛からんと案じておれど、幸いにして大した災い事もなく、例年と然して変わらぬ多忙な年となれり。例え災い事が降り掛からんとした処で、災い事を受け入れる程の余裕すら無い程に忙殺されておれば、御陰でこの人声天語の更新も侭成らぬうちに、今年もまた総まくりの時期と相成れり。毎年「来年こそ少々お暇を頂きたい処」なんぞと宣いては叶わぬ故、今年からは「忙しいうちがこの稼業の華なればこそ、来年はより体力気力の極限まで稼働せん!」と、ここに宣わせて頂く。何しろ我が座右の銘は「No Hope」なり。

 

「今年のAcid Mothers Temple」

先ずは何と言えども、Acid Mothers Temple & The Melting Paraiso U.F.O.(以下AMT & TMP U.F.O.)に、Cotton脱退以来切望せし女性ヴォーカリストとして北川ハヲが加入せし事か。ハヲさんについては、嘗てビスケット・ホリックなる北摂テクノポップ一派のグループにてヴォーカルを担当しておられしを御存知の方もおられるだろう。私とハヲさんの出会いやら再会やらの下りは「縁は異なもの味なもの」と云う諺にて語らるる程のものでもなければ、そこは割愛させて頂くが、2004年春のCotton脱退以後「まあ出会うべき人には出会うべくして出会うやろ」と一切のメンバー募集も行わず、あふりらんぽの2人をゲストに迎えたりこそすれど、残されしメンバーにて活動を続けし結果、漸く運命の女性ヴォーカリストに巡り会えしか。先達ての第5回AMT祭にて、急遽ハヲさんにも僅かばかりゲスト参加して頂きしども、さていよいよ2007年より本格的にライヴにも参加して頂く故、どうぞお楽しみに。ハヲさんの歌声は、秋にリリースされしAMT & TMP U.F.O.の新譜「Myth Of The Love Electrique」にて聴いて頂けます。2007年3月に、スウェーデンの重鎮サイケバンドTrad, Gras och Stenar を日本へ招聘するに際し、AMT & TMP U.F.O.が東京、名古屋、大阪の3公演をサポートする故、是非とも新生AMT & TMP U.F.O.を見届けられたし。99年2月以来8年ぶりとなる東京公演なれば、「河端のゲス野郎『AMT & TMP U.F.O.は東京ではライヴやりません』と言ってたくせに!結局は日和ったんじゃねえのか!」なんぞと2チャンあたりで罵倒されそうなれど、文句あんねやったら、私に直接言いにライヴ会場まで足をお運び下さい。
今年のAMT & TMP U.F.O.を振り返れば、1月に行われし阿闇妖子君が米子に築きしロックの聖地「水玉の部屋」閉店ライヴにて幕を開け、1ヶ月に渡る春の全米ツアーを敢行後、兄ぃこと志村さんがドラマーとして参加し、秋のUK&アイルランド・ツアーを敢行、4人編成にてのライヴもこれにて打ち止めとなれり。ステージに上りしジャンキーを津山さんがシバく一幕やら、私が放置せしギターを壊さんとするアホが現れるや、ギターを取り上げ脳天杭打ちを食らわせたりと、相変わらずハプニングは尽きねども、何にせよ大盛況なればよろしかろう。
恒例のAMT祭は、残念ながら山本精一氏が体調不良にて不参加となれど、Mani Neumier氏や栗山純さんの参加にて大いに盛り上がり、またOHPIAによるサイケデリック照明も素晴らしき雰囲気を演出してくれれば、2007年第6回AMT祭こそ山本精一氏を迎えてのより大サイケ祭と化したき処。

今年のAcid Mothers Temple & The Cosmic Inferno(以下AMT & TCI)は、またしても地獄と化せし灼熱の夏のヨーロッパ・ツアーを敢行。また国内では東京にて行われし「円盤ジャンボリー」と、山口にて行われしマカロニ・レコード主催「Macaronizm Night ver.アレ」に出演。両方共、長時間イベントにしてAMT & TCIの出番はラストでありし故、御来場頂きし皆様もさぞやお疲れになられた事でしょうが、普段と異なる客層を前にしての演奏は楽しき限りなり。大いに盛り上がれば、これぞ男子の本懐なり。AMT地獄組ことAMT & TCI、2007年7月には中国四国九州ツアーを計画中。ろくでなし親爺共の地獄漫遊と相成るか。

今年のAcid Mothers Temple SWR(以下AMT SWR)は、「Japanese New Music Festival」の一環として、春の中国ツアーと秋のアメリカ&メキシコ・ツアーを敢行。全7バンドにして演奏時間は2時間と云うショウケース・ツアーなれば、AMT SWRも精々20分程度の超濃厚なる怒濤の演奏を繰り返し、今や最狂最高速AMTとしての地位を固めしか。

今年のAcid Mothers Gong(以下AMG)は、アムステルダムに於いて3日間に渡り行われし、世界中のGongファミリーが結集する「Gong Family Unconvention」にて、初日のヘッドライナーとして演奏、嘗てロンドンのロイヤル・フェスティバル・ホールにて衝撃のデビューを果たせし際には、賛否両論を巻き起こしDaevid Allenを大いに悦ばせども、今回は「この3日間のベストアクト」とまで云わしめし程に好評を博せり。「Gong Family Unconvention」に先駆けて行われし日本国内ツアーも、Gilli Smythこそ私用にて参加出来ねども、Daevidは大いに満足されし様子にして無事に終了せり。2007年はカナダのフェスティバル「Festival International de Musique Actuelle de Victoriaville」への出演も決定しておれば、DaevidもGilliも増々元気なり。

今年結成されし新たなAcid Mothers Templeとして、津山さん率いるAcid Mothers Temple & The Incredible Strange Band(以下AMT & TISB)が誕生せり。津山夫妻を核とするこのグループでは、津山さんのロック番長ぶりが見事に開花、ロックやトラッド等をベースにしつつも一筋縄では行かぬ、斯様な彼の音楽的嗜好が反映されしグループと云える。私はエレクトリック・シタールやらバイオリンやらハーディーガーディーやらと、津山さんより曲毎に使用楽器を指定されておれば、ライヴに於いて各々のチューニングやセッティングのみにて既に消耗せしは仕方なしか。

更に先達て国内ツアーを行いしAcid Gurus Temple、その名前からも推察し得るようにGuru GuruのMani Neumire氏と津山さんと私とによるトリオなれど、5公演を終えてみれば、Maniさん曰く「このトリオはまさしくGuru Guruだ!」結局名前をGuru Guruとして今後も活動して行くとの事、何とも恐悦至極。ホンマですか?

 

「今年のその他の活動」

先述のAMT SWRも内包されし「Japanese New Music Festival」は、御存知の通り、吉田達也氏と津山さんとの3人による全7バンドのショウケース・ツアーなれば、今年は1月に凱旋公演と称し、東京と名古屋にてライヴを行いし。更に春は中国ツアー、秋にはアメリカ&メキシコ・ツアーを敢行。ツアー毎に、各ユニットの演奏内容は大いに進化し続けておれば、今や当初のコンセプトから逸脱変化しつつあるユニットさえあるか。昨年の総まくりにても述べれども、兎に角この3人での演奏とは、全く以て楽しい事この上なけれど、何しろ音楽のみならず、パフォーマンスやギャグに至るまで超高速の即興にて展開されておれば、ミュージシャンとしてのみならず、人間としての懐の深さまで問われる故、何とも刺激的なり。されど世界中の人達が、斯様な音楽を「日本の新音楽」と思い込み大絶賛しては、挙げ句国営テレビやらが取材に来る様は、私にとってあまりに滑稽なり。それは即ち一方で現在の世界中の先鋭的と云われし音楽が、あまりにしょうむない事の証明たらん。

昨春Mandogの宮下君と結成せしGODMANは、昨年12月に1stアルバムをAMTレーベルよりリリースせしものの、私の手に依るジャケットアートは、どうやらあまりにも音楽的内容とイメージが異なり過ぎしか、セールスは芳しくあらず、また私の中ではダンスミュージックと思っておれど、その方面からの反応もほぼ皆無なれば、世の中斯くも甘くはなし。そもそもAMTレーベル作品は、国内に於いてはディスクユニオン他僅かの店舗に卸せしに留まる故、然して流通さえしておろう筈もなく、また一切の雑誌等メディアに対し全閉姿勢を貫いておればこそ、これも当然の結果にして勿論合点も行くと云う処か。されど斯様にお寒い状況の中、大阪にて恐ろしく精力的に好イベントを企画し続けるdipdiscより出演依頼有れば、GODMAN遂に大阪へと云う訳で勿論快諾せり。ベースのみつるちゃんが鎖骨骨折の為、急遽津山さんに代打を依頼してのパフォーマンスは、爆音にて大暴走する発狂親爺ライダーサウンドと化し、果たして会場に詰め掛けし若年層の客の目には一体如何に映りしか。最近になり、GODMANのCDを購入し大層気に入ってくれし等と云う話を、漸くちらほら耳にするようになれば、2007年には2ndアルバムのリリースを予定しておればこそ、今度こそジャケット製作には幾らか注意を払わねばならぬか。嗚呼、マーケティングとはいと難し。

3度目の来日となりしMaquiladoraの日本国内ツアーに、再び東君と共に参加せり。Maquiladoraへの客演は、私個人としても楽しみのひとつとして、今回も大いに彼等の音楽を堪能しつつ、全曲心地良くギターを弾かせて頂きし。友人としてもミュージシャンとしても尊敬し得る彼等と出会えし事を改めて感謝。

フランスのギタリストJ.F.Pauvrosとの3枚目のデュオアルバム「Mars」をリリースせし故、今年も再び彼とヨーロッパをツアーせし。特にツアー最終日たるトゥールーズにてのライヴは、自分達でも大いに納得の行く内容にして、丁度取材に来られしローカルTV局「OC-TV」のディレクターも「これこそまさしく現代のトルバドールだ!」と、大いに感銘せし様子なり。私の事をよく知るフランスの女性映像作家にしてUehのベーシストAudrey Ginestetは、私とJ.F.を見比べ「フランス人と日本人と云う違いこそあれ、とても酷似した者同士」と表現しておれば、成る程確かにある部分を除き大いに酷似せしかと、当人達も同感にして、故に彼と演奏せし刹那、時折まるで独りで同時に2本のギターを演奏せしかの如き錯覚さえ覚えれり。出会うべくして出会いしか、さてまた出会ってはならぬ人間と出会いしか、それこそ神のみぞ知るか。

今年は新バンドも結成、須原敬三氏とノイズわかめのアイコちゃんとのトリオ。既にレコーディングも始めておれば、CDリリースに併せライヴ活動も行いたし。実はこのトリオは個人的にかなり愉しみ。

みつるちゃん率いるLeningrad Blues Machineにもゲストギタリストとして2度のライヴに参加、こちらは毎度ライヴ前の居酒屋にての盛り上がりが凄まじく、その勢いのままライヴに突入する故、かなり壮絶なパフォーマンスとなる始末、果たしてこれでもLeningrad Blues Machineなのかと思えども、元来Leningrad Blues Machineとは大いにフリークアウトせしバンドとして名を馳せておれば、まあこれも矢張りLeningrad Blues Machineの姿なるか。何はともあれみつるちゃんと演奏するはいと愉し。

その他、ダモ鈴木氏とのセッション、元オックスの栗山純さんとのセッションやスズキジュンゾ君との共演も、今年の活動の中では大いに印象に残りしものなり。特に「うた」との共演ほど興味深く楽しきものはなし。これも自らが歌えぬ哀しさ故か。

今や毎年恒例となりつつある2月の極寒欧州ソロツアー、今年は初めて訪れる場所が多かりし南イタリア・ツアーと相成れど、自分なりに新たなギターソロの極北を求め試行錯誤すれば、体調が絶不調たりしにも関わらず、いろいろと収穫ありしか。最近国内にてソロライヴを行う機会もなければ、なかなか御披露目とも行かぬが、長らく封印せし爆音ノイズギターソロも、思わぬ事からその封印を解くやもしれぬし、何にせよまたいずれ何かの機会にと云う事で。自分が発せし全ての音が、最終的には自分へ向け放射されるソロ演奏とは、他人との演奏機会が増えれば増える程に、自分自身を見詰め直す意味に於いても、その重要性を感ずる今日この頃なり。

「今年の『Dokonan』ふたたび」

フランスの女性映像作家Audrey GinestetとEstelle Journoudが、AMT & TMP U.F.O.のドキュメント・フィルムを撮影したいと、私にツアーの同行許可を求めしは、2002年2月に行われしアメリカ・ツアーの2ヶ月程前と記憶する。彼女達はアメリカ・ツアーの中盤、オースチンにて行われしフェスティバルSXSWから合流し、最終日のNYまで約2週間我々に同行し撮影を行いし。当時未だ現在の如くツアードライバーも抱えておらず、またブッキングエージェントの手も借りず、自らの手でブッキングも行っておれば、自分達で地図を片手にレンタカーを運転しており、当然の如く車内は彼女達とその機材や荷物で一層狭くもなり、既に英Wire誌の表紙こそ飾りておれど、何とも貧乏ツアー然とせしものなり。彼女達のテーマは「フランス人から見たアメリカ」「アメリカを旅する日本人ミュージシャン」と云う、各々の文化や価値観の相違や誤解を描く事にあり、決して単なるロックバンドのライヴツアー作品を撮る事にあらねばこそ、この貧乏ツアー然とせし方がより興味深きエピソードも多かりしに相違なからん。その後、我々の会話部分の翻訳作業を手伝う為に、Audrey宅にて未編集のフィルムを些か観せて貰いこそすれ、如何な作品に仕上がるのか、完成するまで私には全く想像さえ出来ず、先ずフランス語字幕版が完成せし際、彼女達の住むトゥールーズにて上映会を行いしと伺い知る。Audreyの話では「観終わった後、観客は皆、マコトの事を好きになった」との事なれど、あの高慢なフランス人に対し斯様な反応を引き起こすなんぞ夢にも想像だにしておらねば、いよいよ以て一体如何な作品なるかと、観る事に対し或る種の恐怖感さえ生まれし始末。漸く届けられしフランス語字幕版を観終えし際、彼女に今後何らかの形で発表する計画があるのかと問えば、彼女なりに上映する機会を模索中との返答、またTV局への売り込み等も行いしとか。されど結局彼女の売り込みは、事実上暗礁に乗り上げ、最終的にはギリシャのDVDレーベルからリリースする事に話は纏まれど、この話も結局は金銭的問題にて御破算と相成れり。一方でAMTファンからは、この幻のフィルムのDVD化を切望する声が高まり、最終的には英語字幕版DVDをAMTレーベルからリリースする運びとなりし。とは云え、何しろ赤字決算の当レーベルなれば、資金繰りも大いに厳しく、またボーナス映像の追加をリリースの条件とせし故、その作業に時間も要し、結局本編完成から3年、リリース決定から2年の歳月を経て、この度漸くリリースされしものなり。

今再び観返せば、Cottonの姿大いに懐かしく、私の彼女に関するコメントも過去の発言として既に風化せしものなれど、何にせよ漸くこの作品を世に送り出せし事、大層嬉しく思えると同時に、AudreyとEstelleがあの時期のAMT & TMP U.F.O.の姿を残してくれし事は感謝しても余りある。
1月には店頭にも並ぶ予定ですので、是非「Dokonan」DVD買って下さい。

 

「今年の1枚」

今年もレコードを買いに買ったり。歳を重ねる毎に「なんでこんなにレコード買うてんねん、俺?」と自問自答する事も増えれども、一旦レコード屋へ突入してしまえば、一気に脳汁噴出、冷静な判断力さえ失われるは仕方なし。斯様な私の選ぶ今年の1枚とは「日本の放浪芸/小沢昭一が訪ねた道の芸・街の芸」なる7枚組LPボックス。以前より随分と探し求めし逸品なれども、漸く見掛ければ法外な高額が付けられておられれば、なかなか購入までに至らず、この度某レコード店にて漸く安価にて求めけり。

元来民族音楽(特にプロの音楽家にあらず庶民による現地録音のもの)に対し大いに興味を抱いておればこそ、世界各地の現地録音のレコードを蒐集しながらも、日本の伝承音楽に関しては、その出版数の少なさからか、なかなか耳にする事難しく、嘗ては毎月CDカタログを眺めながら、その類いの録音がリリースされる度に購入してはおれど、その多くは、不自然な程の録音クオリティーの良さと、あまりにもカタログ然とせし画一的内容なれば、毎度落胆させられしものなり。子供の頃に近所の法隆寺境内にて耳にせし傷痍軍人の歌にせよ、未だ鮮明に耳の奥に残りておれど、傷痍軍人なんぞ見掛けぬ昨今、斯様な歌を二度と耳にする事叶わぬのかと、何とも残念な想い抱けり。また玄関前にて法螺貝吹きし山伏の説法なんぞも、いつからとなく懐かしくなりけり。残念ながら斯様なる個人的に感懐ある音楽は、このボックスには収録されておらねども、ラジオにて聞き慣れし小沢昭一の語り口とは異なる何ともしみじみとした語り口にて誘われる貴重な録音の数々は、カタログ然とせしこの手の録音物とは異なり、まるで眼前にて演ぜられしが如く、その状況さえ目に浮かぶ程の臨場感溢れし。

粗製濫造されゴミにすら値せぬ近頃の流行歌と対極に位置する、社会的背景や個人の生き様を背負いし放浪芸としての伝承音楽、斯様に貴重な記録に尽力せし小沢昭一氏に敬意を表すと共に、現代の河原乞食たる私も今一度、自分の音楽の在り方について見詰め直さねばならぬか。
ところで彼の著書にて知るストリップ劇場通いに起因せし録音物「まいど…日本の放浪芸/小沢昭一が訪ねたオールA級特出特別大興行」LPボックスも是非一聴したき処。

 

「今年の新たなる安息地」

昨秋大阪のライヴハウスHard Rainの店長の職を辞されしいとうせいこ女史が、新たに店を構えると伺い知り、開店祝いにこそ駆けつけられねども、後日漸くお邪魔する事叶いし。さてその「ムジカジャポニカ」の扉を潜れば、何とも夢心地な真っ赤な店内、カウンター内にはまるで往年のHard Rainを思わせるせいこ女史とジョンソン君の最強タッグ、初めて訪れるにも関わらず、いきなり自分がこの空間に溶解融和するこの不可思議な空気感は何ぞや。これもせいこ女史の放つオーラ所以か。大阪の都心に現れし究極のサイケデリック磁場、近くに住んでおれば、誘蛾灯に誘われる蛾の如く、毎夜訪れ果てしなく飲んだくれてしまいそうなれど、幸か不幸か明日香の地からは遠くもなけれど近くもなければ、未だ殆どその売り上げには貢献しておらぬ不義理ぶりなり。いずれライヴも行いたき処なれど、この空気感の中で果たして如何な演奏となるのやら。店内に貼られしAMTやJNMFのポスター、せいこ女史がHard Rainを去る際に壁から剥がせし代物とかで、これだけでも私には思わず感涙ものなり。ランチのカレーも是非食したき処。Hard Rainの時のように朝まで飲み明かしては迷惑を掛けぬようにと心掛ける以前に、いきなり午前様の粗相なれば、これもまた安息地なればこそか。Viva Musica Japonica!!!

「今年のがっかりさん」

国内ツアーの愉しみと云えば、勿論地方B級グルメの旅に他ならぬ。されど時折ついつい所謂有名店なんぞに浮気してみては、先ず有名店ならではの高慢振りとその居心地の悪さにうんざりし、料理の方も中途半端に高額なれど何ともお粗末極まりなき味にして、大抵がっかりし後悔するがオチなり。

つい先日も山陽道の宮島SA(下り線)にある「陳建一の担々麺ハウス」を訪れし。何しろ今や日本ではポピュラーとなりし「担々麺」とは、陳建一の実父にして「四川料理の父」として知られる陳建民が、四川料理の担々麺にスープを加え、汁麺にアレンジせし逸品なればこそ、その陳建民の直伝の味を継承せし陳建一の担々麺を食さずにおられぬは必定。店内は所謂SAにありがちな陳腐なレストラン風情と云うよりも、かなり本格的中華料理店的内装に、当然の如く陳建一の写真パネルなんぞも見受けられ、午後4時過ぎと云う閑暇時刻に訪れし故か客の姿は疎らなればこそ、逆にラーメン屋ならではの喧噪とは程遠き静けさが、店員の畏まりし雰囲気と相乗効果を生み、何とも尻の辺りがこそばゆし。流石に「担々麺ハウス」と銘打つだけあり、メニューは担々麺等麺類中心のメニューのみにして、陳建一の「四川飯店」名物のひとつ麻婆豆腐等はなし。ここは当然その担々麺を堪能せんと、焼売2個+ライス付きの担々麺セット(1000)を注文、決してラーメン好きにあらざる私は、実は担々麺なる代物を食するはこれが生まれて初めてなれば、果たして如何に美味かと独り勝手に想像しては、春に中国四川省成都を訪れし際に堪能せし本場四川料理の味なんぞが、舌の上に次々フラッシュバックせし有様にして、垂涎する事限りなし。

さていよいよお目当ての担々麺が運ばれて来るや、早速スープを頂戴せし。日本人向けにアレンジされし旨を当然考慮の上にしても、想像以上に辛みが無い事に若干落胆、それどころか随分と薄っぺらい味なれば、これが料理の鉄人陳建一の味なるか。麺は細麺なれど何となく素麺の如きでパワー不足、スープ麺共に所謂御上品な仕上がりと云えばそれまでなれど、これが陳建民直伝のオリジナル担々麺の味とするならば、個人的には些か拍子抜け、がっかりである。卓上には辛みを加える調味料の類い一切置かれておらねば、客の嗜好に合わせ辛さを調整する事も許されず、まるで「辛さを追い求める輩なんぞ、どうせ担々麺が何たるかさえ理解せず」とでも云いた気か。それならそれで良かろう。「当店の担々麺は完全無欠なればこそ、一体何が足らんと云うか」と云う料理人の誇りもあろう、されどそれでは客に対し、些か高飛車に出過ぎではあらぬか。否、巷の有名店と呼ばれるラーメン屋なんぞ、客に対し言語道断の高圧的態度なれば、これ程の些細な事なんぞ然して問題にもならざるか。

個人的には無類の麻婆豆腐好き故に、死ぬまでに一度は陳建一の麻婆豆腐を是非とも食してみたいと思っておればこそ、今度は「四川飯店」へ出向きたき処なれど、何でも平均予算1万円の高級店なれば、平均予算1050円たる「陳建一麻婆豆腐店」へ伺うしか術もなしか。四川省成都にある自称麻婆豆腐発祥の店「陳麻婆豆腐店」本店にて食せし麻婆豆腐は中国山椒が効いており大層美味なれど、陳建民は山椒抜きの所謂日本の麻婆豆腐の開祖なれば、「陳建一麻婆豆腐店」の方も果たして如何なものなるか。

 

「今年の激不味料理No.1」

先の項にて陳建一の料理に些か不満を洩らせども、それは飽くまでも料理の鉄人として名を馳せし四川料理の巨人陳建一の名を冠せし料理なればこそ、決して激不味料理にあらず、くれぐれも誤解なきように。真の激不味料理とは、口に入れる事さえ憚られる、斯様な代物を指すのであり「払った金返せ!」と文句を付ける事さえ思わず放棄させる程の究極に不味き料理なり。日本国内に於いても極稀にお目に掛る事もあれど、矢張り殆どは海外ツアー中に遭遇するが常なるか。
アメリカ・ツアーの際に地名さえ存ぜぬ小さな田舎町にて訪れし、ドライブイン形式の某中華&アメリカ料理店、所謂ダイナーの類いなれど、我々一同何としても米を食したければこそ、この「Chinese & American Restaurant」の看板に惹かれしが、私の不幸の始まりなり。一見通常のダイナーなれど、厨房では中国人らしきアジア人男性が中華鍋を振っており、取り敢えずは「中国人が料理してんねやったら大丈夫やろ」と安堵、あまりの空腹故に一切の思考回路はほぼ停止寸前にして、メニューを眺むるに当たり、ツアー時の心構えとしての料理に対する警戒心と不信感を完全に失いておれば、ついつい日本の中華料理店に居るかの如く「酢豚」アメリカで呼ぶ処の「sweet and sour pork」を注文せり。私は酢豚好きなれば、今までも幾度かこのsweet and sour porkを食せし経緯あれど、日本の酢豚とは若干異なるにせよ、ハズレと云う事はなく、何しろ以前ポーランドの中華料理店にて麻婆豆腐を注文せし際、何と厚揚入り野菜炒めを出され「あのう…麻婆豆腐頼んだんやけど…これ何?」「これがその麻婆豆腐です」と、驚愕の麻婆豆腐を食せし経験もあれば、まあ酢豚は比較的安全な料理たらん。何しろsweet and sour(甘酸っぱい)と味の傾向が名前として既に明記されている故、多少甘過ぎた処で私のツアー時に於ける万能調味料タバスコにて充分修正し得る筈と確信せり。

さていよいよ運ばれし逸品は、語るもおぞましき姿にして、一見私の知り得る如何なる酢豚、況んやsweet and sour porkとも異なれば、思わず言葉さえも失う有様。普段ならば大いに嘲笑するであろう津山さんも東君も、笑うに笑えぬ困惑ぶりなり。まるで静物画にて果物等を盛り付けんとする脚付きの大皿に盛られし豚肉のフライに、毒々しき血糊の如きソースがたっぷり施されしのみのこの代物、これを果たしてsweet and sour porkと呼び得るや。されど何しろ大いに空腹なれば、斯様にグロテスクな姿こそしておれど、味の方は何とか食し得るかと、いざ箸を付けてみるや、この毒々しきソースはまさしくクランベリーソースの如きではなかったか。その甘みが口に広がりし直後、豚肉の味とソースの甘みが融合するや、えも言われぬ不味さが口いっぱいに充満、慌てて飲み込みし処で、クソ不味い衣の味が後味として舌の上に広がれば、これはまさしく激不味3段ロケット、到底食し得る代物にあらず。されど何とか食し得る方法はなかろうかと、遂に必殺の万能調味料タバスコを大量投入すれども、この激不味さを修復するは不可能どころか全く以て蟷螂の斧、空腹に任せ何とか半分を食せどもここで遂に気持ち悪くなり全面降伏。私のあまりの惨状に、津山さんも東君も暫くは言葉を失いて、漸く発せし第一声が「大丈夫?」「取り敢えずちょっと食うてみる?」「えっ!ほなら…」2人共、私の不幸を多少なりとも共有し慰めてくれんとせしか、不味いもの食いたさの好奇心からか、一切れずつ口に入れるや「ぐじゅぎゅぼげぼぶじょびゃりゃば~っ!おええええええぇ~っ!不味ぅううううううう~っ!あかん、死ぬぅうううう~っ!ようこんなもんここまで食うたなあ…。」

所変われば料理も変わる、忘れかかりしツアーに於ける教訓を、今再び身銭を切り身を以て復習せり。

 

「今年の最強居酒屋」

私の知る東京の居酒屋たるや、店員の愛想いと悪く、料理も今ひとつなれど割高感ありと、大凡納得し得し事なけれども、小岩駅前の鮮魚居酒屋「八丈島源八船頭」に於いては、大いに満足し得し。訪れしが週末とは云え、夕方5時半にして既にほぼ満席、運良く満席以前に暖簾を潜りておれば、カウンターに案内されれども、午後6時ともなれば外まで待つ客が行列を成し、何も存ぜぬ一見さんの我々は只々驚くばかり。斯くも繁盛しておるは、即ち優良店の証たらんと推察し得れども、此処は矢張り東京なれば、本日の刺身と書かれし黒板には値段が記されておらず、思わず注文も躊躇されんと云うものか。津山さん曰く「鰯やったら安いやろ」と先ず鰯の刺身を注文しつつ「シマアジってなんぼですか?」「800円です」「えっ!安ぅ~!ほな頼むか!」これより先は値段を憂慮する事なく次々と注文すれば、我々の何ともお気楽な性分たるや。シマアジにした処で、通常の800円相当よりも遥かに大盛りにして、その美味さも筆舌に尽くし難し。八丈島名物あしたばのおひたしやら天婦羅も大いに満喫、更にはあん肝豆腐なる逸品に思わず感涙、流石に究極の居酒屋たる米子の「かば」には及ばぬとしても、この美味さにしてこの値段なれば、大満足して尚余りある。更には隣に座せり御婦人方2人、泡盛をボトルにて頂きつつ、兜煮やら何やら豪華豪快に楽しまれておる様子なれど「私達もう帰るので、よろしければこれどうぞ」と、残されし泡盛ボトル半分と、半分程箸を付けし豪華料理2品を進呈下されば、何とも有り難き幸せなり。斯様な振る舞い許されぬ居酒屋こそ常なれど、店の方も黙認して下さりし寛容ぶりなれば、流石は繁盛店の心意気か、それとも何よりも料理を粗末にせぬ心遣いか、成る程斯様に大盛況なるも頷けると云うものか。姫路の「竜」の大将も「なんぼ金遣うていろいろ頼んでくれても、残されたらガッカリやで…残すんやったら頼むなって言いたいわ!」とこぼせしを、ふと思い出せり。料理を愛し客を持て成さんとする心あればこそ、商売は金云々にあらずとは、全く以て料理人の鏡なり。

是非ともこの「八丈島源八船頭」を再び訪れたければこそ、小岩エムセブンの方、またライヴをブッキングして下さい。

「今年の明日香村観光」

折角明日香村に居を構えている故、矢張り明日香の旧跡なんぞ巡らんと思い立つ。小学生や中学生時分には、斑鳩の実家より自転車にて明日香の旧跡等を巡りし事度々あれど、あれから既に30年も経ておれば、感ずるものもまた異なれり。石舞台古墳や高松塚古墳に始まり飛鳥寺から蘇我入鹿の首塚等、巡り始めれば大小無数の寺社旧跡が散在するこの地にて、徒然なるままに観光するには事困らぬ。また季節毎に景色も大きく変貌すれば、彼岸花咲き乱れる棚田を眺むるのみにて心も洗われし。勿論祭事や催し物等も多ければ、告知のポスターやらチラシさえも村中のあちらこちらで見掛ける故、時折足を運んでみんとすれども、如何せん海外ツアー等にて旅多き暮らしぶりなればこそ、なかなかお目当ての祭事に居合わせるも容易ならず残念至極。

されど今年は、あふりらんぽの2人より明日香巫(あすかにいます)神社にて行われる天下の奇祭「おんだ祭」を見に行きたいと云われ、ならばと案内人を務めし、とは云え私もこの奇祭を見るは初めてなれば、大いに興味深けり。おんだ祭とは、豊作祈願の祭事なれど、1年の農作業のみならず夫婦和合の様までを、「天狗」「牛」「翁」「お多福」が滑稽に再現し、豊作と子孫繁栄家庭円満を祈願する事で有名にして、特に「天狗」と「お多福」に依る夫婦和合の様から、一部ではセックス祭との俗称にて呼ばれるに至る。

さて明日香巫神社に到着するや、流石は天下の奇祭なるか既に境内は満員御礼、「天狗」と「翁」の面を付けし男性2人が、そこいらの参拝客の尻をササラ(先を割きし青竹)にて容赦なく叩いて回れば、泣いて逃げ回る子供さえおり(女性には撫でるように優しく叩く場合もあり)当然あふりらんぽの2人は自ら「お願いしま~す!」と志願、志願者なればたとえ女性でも容赦なしと、ササラの猛烈なる一撃にて「穢れを落として」頂けば、その「翁」が、全身真っ赤な装いの女性2人を連れる髭長髪にして黒尽くめの親爺こと私を見逃す筈もなく「こっちへ来い」のジェスチャーにて私も続けて呼ばれれば、あふりらんぽの2人よりも更に激烈なる一撃にて「穢れを落として」頂けり。何て痛い祭やねん。

先ずは明日香太鼓による奉納太鼓にて祭事が始まるや、ピカチュウ曰く「かっこええわ!私等もここで演りたい!」続けて「翁」と「天狗」に牽かれし「牛」の3名(2人と1頭?)が登場、「牛」は前足に見立てし棒を持っての腰の曲がりし二足歩行の如き四足歩行擬きなれば、その姿何とも滑稽にして、また祭式が行われし間、舞台後方の椅子に3名並びて腰掛けし際も、四足歩行を想定して牛の頭部が作られておれば、丁度牛の頭部が天を仰ぎ、まるで奇妙な帽子の如きにして、これまた何とも滑稽なり。宮司の祝詞や五穀奏上等の祭式に続き、いよいよ「天狗」「牛」「翁」による農作業の再現が始まれど、矢張り「牛」は作業をさぼってみせる等ギャグもかませ、大いに滑稽なり。そこへ宮司が現れ「種付け」を行いて第1部終了。

第2部は、「天狗」に連れられ「お多福」が恥ずかしそうな仕草にて登場、宮司による婚儀を済ませれば、いよいよクライマックスへと突入せん。「天狗」は手に持つ竹筒を股間に当てグルグルと旋回させる「汁かけ」を行えば、これは明らかに射精を模せし行為なるか、更に供えられし御飯にも掛けておれば、これぞ汁かけ飯なるか。続いて夫婦和合、所謂初夜の場面、恥ずかしそうに振る舞う「お多福」に「天狗」が覆い被さり、更に「翁」が「天狗」の腰をジャンプしながら押せば、「天狗」は見掛けによらぬ早漏なるか、兎に角無事に「種付け」終了と相成れり。「お多福」「天狗」共々懐紙を取り出すや後始末も済ませ、その懐紙(拭くの神にして福の神)を境内の参拝者に向け投げれば、何とこの懐紙を受け取りし人は子宝が授かるとかで、ならばこの懐紙だけは絶対に受け取れぬと思いし矢先、隣のオニが幸運にも見事にゲット。その後、舞台上から餅が投げられ始めれば、満場の境内はまるでバーゲン会場の如き浅ましき様相を呈し、バイクのヘルメットを駆使するガメツいおばはんもいる始末。

あふりらんぽの2人は、宮司の講話に甚く感動せし様子なれば、宮司の元へ挨拶に訪れし。祭事が終われども「天狗」と「翁」更に「牛」と「お多福」まで加わりて、ササラで参拝者の尻を叩き回りておれば、我々も散々「穢れを落として」頂き有り難き事この上なけれど、もう尻がめっちゃ痛いやんけ…。

 

 

 

「今年のサルデーニャ探訪」

昨年に続き、今年もサルデーニャ島へ赴く機会あり。毎度私が訪れるは島の内陸部の町ボロレ(Borore)なれば、所謂観光地として有名な北部や、またサルデーニャ州都カリアリ(Cagliari)とも大きく異なり、古くからの生活習慣が今尚残る保守的な田舎町なり。

この町に於いては、住民の大半がお互いに知人や友人と云う狭さ故、一歩外へ出るや、知人に出会す事は当然にして、その度に「Ciao!」と挨拶する習慣の様子なれば、皆四六時中「Ciao!」と云わねばならず、この「Ciao!」の御陰にて皆何とも忙しき有様。お互いに車ですれ違う際にも「Ciao!」と挨拶しておれば、路傍に座し酒を飲んでおろうが、通り掛かる車に向かい「Ciao!」を連呼、幾ら挨拶した処で相手には聞こえる筈なかろうから意味がないのではと訊ねるや、何でもわざわざお互いの口元を見るらしく、もしも挨拶しておらねば、それが契機となり人間関係も悪化するとか、となれば車を運転する際も、常々すれ違う車の運転手や歩行者、更には路傍に座する人に至るまでいちいち誰か見ておらねばならず、何とも面倒臭い習慣なれど、これにて人間関係を良好に維持し得るなら、意外にお気楽な習慣かもしれぬ。私なんぞ誰が誰かいちいち覚えておられぬ故、手当り次第闇雲に「Ciao!」を連発するが無難なり。

ボロレにある遺跡ドス・ヌラーゲ(Dos Nuraghe:2つのヌラーゲ)の正面に構えられしピッツェリア「ドス・ヌラーゲ・ピッツァ(Dos Nuraghe Pizza)」は、ボロレに数店しかないピッツェリアの中でも最も古くからある1軒らしく、一度連れて行かれれども、何とこのレストランではピザを注文してから運ばれて来るまで途方もなく時間を要するらしく、以前4時間も待たされしとの話さえ伺えば、一体どないやったらピザ焼くのにそんなに時間かかるねんな。宛ら混雑が原因にあらじ、何しろ私が訪れし際も、既に僅か2組計4名の客が座しておれど、最初のテーブルにピザが運ばれし後、次のテーブルにピザが運ばれるまでの所要時間は何と約45分、私もピザを注文してから2時間以上も待たされし有様。幾ら古くからの薪オーブンを使用せしと云えども、2時間はかかり過ぎやで。されど客の誰もが僅かばかりさえも怒る様子なく、皆のんびりサルデーニャのローカルビール「イクヌーザ(Ichnusa)」やコーラ片手に話し込んでおり、斯様な状況は日本人からすれば到底信じ難し。況してやイラチな大阪人には耐え難き状況なれど、今やサルデーニャの習慣を多少なりとも心得ておれば、たとえ幾ら怒れども結局何の打開策にはならぬと知ればこそ、ここは郷に入れば郷に従えの習いの通り、気長に待つしか術もなし。

サルデーニャに滞在せし間、昼から夜中まで、時には明け方まで、連日連夜飲み続けねばならぬは酒豪たるサルデーニャ人と付き合う最低必須条件なり。人口の4倍以上の羊が飼育されるこの島に於いて、特に殆どの住民が牧畜業を生業とするこの島内陸部では、牧童と云う最も怠け者に適した仕事に従事する故、兎に角「する事がないから飲む」と云う論理の下、昼から飲み続けるはひとつの生活習慣らしく、故に1日の中でバル(Bar:コーヒーとアルコール各種を扱う)へ赴く事度々にして、その都度コーヒーを呷りて後、酒を呷るは当然の理なり。ボロレにはバルも数件しか存在せぬ故、自ずから1日に幾度となく同じバルを訪れる事となれば、これはもう常連なんぞと云うレベルさえ超越せしか。また各家庭にて自家製ワインを作りておれば、酒蔵を改造し簡易キッチンとテーブル等を設営し、自宅ワインバーの如きスペースを備える家も多数にして、夜毎斯様な場所に集いては朝までワインを飲み明かす始末なり。何にせよサルデーニャ人は大酒飲みにして、もしも酒を勧められ断りでもすれば、その場にて射殺される事も稀ならぬとかで、以前もサルデーニャへ渡るとイタリア人の知人に告げるや「絶対に勧められた酒は断るな!撃たれるぞ!」と警告されし経緯幾度もあり、また実際に道路標識なんぞは散弾銃等で散々打ち抜かれ見るも無惨なれば、これらも毎年新調されるとか、況してや未だに家族間抗争なんぞで両家が撃ち合う事もあるらしく、一般人の拳銃所持が認められるアメリカよりも遥かに危険ならん。
斯様な状況と知りつつも、既にかなり酩酊状態にて辿り着きし数件目のバルにての事、バーテンダーがPFMとDeep Purpleの大ファンとかで、店内はPFMが爆音にて流れる中、地元の酔いどれのおっさんが、飲み比べをせんと私を挑発せり。何しろ此処ボロレを訪れる観光客なんぞほぼ皆無なれば、日本人どころかアジア人が訪れる事さえ希有の田舎町に、奇妙な身成の日本人がバルにて酩酊するなんぞ未曾有の出来事ならん。これも当然の理と周囲の心配を他所に、日本男児としてこの挑戦を受けて立てば、サンブッカ(Sambuca:度数40度のアニスのリキュール)をサンブッカ・コン・ラ・モスカ(Sambuca con la mosca:サンブッカにコーヒー豆数粒を落とした飲み方。moscaは蠅の意で、グラスに蠅が入っているように見える事からとか)にて5杯ずつ並べ、1杯ずつ乾杯し一気に空けては次のグラスへ。2杯目を飲み干せし刹那、ふと私が目にせしは、このおっさんの肩から吊り下げられる散弾銃にして、成る程周囲が矢鱈心配せしは是なるか、されど今更後にも引けず、斯くなる上は勝利こそ命を繋ぐ唯一の道なりと思えばこそ、流石に自らの生命の危機を察するや、酔いも急激に冷めると云うものなれど、意識は覚醒すれども体の方は斯様に都合良くは出来ておらぬらしく、4杯目を空けし後「あかん、あと3杯飲んだら絶対吐く…」と、我が胃からのSOSメッセージを受信。5杯目を空けし刹那、このおっさんが遂にダウン、これにて最終ラウンドのゴング寸前にて見事勝利、勿論おっさんの連れ合いに勘定全て任せ、即座に帰路につきしは云うまでもなし。翌日この狭い田舎町では、この飲み比べの噂で持ち切りとなれりとか、されど斯様な勝負は二度と御免被りたい処なれば、翌日は地元ボロレのチームのサッカー試合観戦に誘われておれど、猛烈な二日酔いもありキャンセル、当然昨夜のおっさんはスタジアムでも大酒を食らっていたらしく、御陰で再戦も避けられれば、結果として二日酔いすらも不幸中の幸いと云った処か。

「今年のナイスガイ」

今年大いにお世話になりしは、スズキジュンゾ君。云わずと知れた今や東京アンダーグランド新世代の重鎮と云って差し支えなかろう、不潔感漂うドレッドヘアに似合わぬ澄み渡る美声のブルース・シンガーなり。ろくでもない輩が犇めくこの世界の中に於いて、何とも優しき心の持ち主なればこそ、その交友関係は多岐に渡り、自らの企画「Plunk’s Plan」をはじめ、その精力的な活動ぶりは御承知の通り。

東京にてライヴを行いし度、必ず「じゃあジュンゾ君、飲みに行こか!」と誘いては、少なくとも朝まで、時には昼まで付き合わせてしまう私は、間違いなく彼にとって迷惑千万な輩たらん。されど「じゃあ***なら未だ開いてますから!」と、全く東京不案内にして文句垂れの私を連れ、嫌な顔ひとつせず次の店へと向かうが常なれば、何と心優しき男なるか、もしや底抜けのお人好しか、さては単なる大酒飲みか。

彼もまた所謂レコードジャンキーなれば、先達てのAMT & TMP U.F.O.のイギリス&アイルランド・ツアーに「イギリスでレコードを買いたい!」と同行、ライヴ会場にて自分のCDを売っては、その上がり全額をレコードに投入するレコードジャンキーぶりを発揮しつつ、一方でケータリングのビールを飲む飲む飲む、連日ギネスを一体何リットル飲みしか判然とせぬ程にして、更にライヴ後も私に付き合い朝まで飲み明かせば、思わず最上級の感謝の意を込めて一言送らせて頂きし。

ジュンゾ君、毎度朝まで付き合ってくれてありがとう。でも自分もホンマもんのアホやなぁ…。

 

「今年の人声天語」

今年は、2月下旬~3月上旬のソロ南イタリア・ツアー、3月下旬~4月上旬のJNMF中国ツアー、4月中旬~5月中旬のAMT & TMP U.F.O.全米ツアー、6月のAMT & TCI欧州ツアー、8月のMaquiladora国内ツアー、9月上旬~中旬のJNMFアメリカ&メキシコ・ツアー、10月上旬のAMG国内ツアー、11月のAMT & TMP U.F.O.イギリス&アイルランド・ツアー、11月下旬~12月上旬のJ.F.Pauvrosとの欧州ツアー、12月中旬のAcid Gurus Temple国内ツアーと、例年以上にツアーに明け暮れれば、レコーディングに充てる時間の確保さえ困難にして、また事実上AMTウェブサイト管理人不在と云う窮場もあり、更新もなかなか侭ならねば、人声天語を執筆する暇もなく、殆どツアー日記にてお茶を濁す結果となりし。ツアー日記なんぞにしても「もうええやろ」と、既にツアー毎の執筆しておらねども、時折「海外旅行へ行く時のガイドにさせてもらいました」なんぞと云われれば、矢張り書き続けねばならぬか。巷はブログやらMixiやらの新サービスが注目されておれば、斯様に便利なサービスへ転向せんとの甘き誘惑もあれど、矢張り此処は頑なに我が牙城を死守せん事に拘るが故、執筆更新共に疎隔にこそなりけれど、御愛読頂きし方々には御礼申し上げたき次第。来年も徒然なるままに書き綴る所存故、どうぞお付き合い下さい。

 

 

(2006/12/30)

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