9月11日朝に事件は起こった。
その朝、全員がテレビに釘付けとなった。国際貿易センタービルにハイジャックされた飛行機が突っ込んだと説明されたが、生中継で観るその映像にリアリティーは全くなく、まるで映画でも観ているような気さえした。カレンは「とても悲しい出来事だ」と泣いていたが、私はあまりの実感の無さに、いかなる類いの感情も湧かず、ましてこの事件が、今後我々にどういう影響を与えるかさえ、全く考え及ばなかった。
脳天気な我々は、ニューヨークでの事件など何処吹く風で、車2台に分乗し、一路デトロイトへ向かう。
先導はスティーヴ号で、我々はカレンの運転するバンに。ここでカレンのプリンセスぶりが爆裂。ナビに座る私に、兎に角気に入った曲が流れるまで、ラジオの選局をやらせる。で、やっと気に入った曲が流れても、次の曲が気に入らねば再び選局させる。ましてアメリカのFM局の数は数知れず。加えてテロ事件のせいで、音楽を流さずニュースを報じている局が多い為、私に課せられた使命は困難を極める。そもそも彼女がどういった類いの音楽を好むか等知る筈もなし。後部座席で津山さん、COTTON、東君は転寝してようが、私にそんな事は許されぬ。一方、スティーヴ号に分乗した一楽さんも、スティーヴが爆音でカーステをならす上、直射日光が脳天に当り眠れなかったらしい。
ようやくデトロイトに辿り着き、私はひとまず使命から解放された。
そしてここで、また事件が起こる。
あまりの空腹からもう意識も薄らぎそうな折、オルガナイザーが店屋物を取ってくれると言う。メニューを見れば多種多様、べジタリアンミールからイタリアン、中華、インド料理まで。そこで我々はカレーをオーダー。
しかしこのインドカレーが、全くカレーなどと呼べる代物ではなく、内陸部に入ると斯様にも情報とは彎曲して伝わる物なのか、と目を、否これを料理した人間の舌をも疑いたくなる奇妙キテレツな物体であった。イギリス同様、アメリカ内陸部では迂闊にインド料理さえも信用出来ぬ。
対バンの地元デトロイトのローカル・サイケバンド「OUTRAGEOUS CHERRY」は、なかなかいい感じのアシッドサイケ。特にドラマ-Debちゃんは、ステイシー・キーブラ系の長身ブロンド美女。この日は60年代風ライトショウもあって、グニョグニョと動く照明の中に映し出される彼女の姿 に、私はすっかりシビレてしまい、思わず終演後に「Good Show!」と声を掛け、彼女のバンドのCD2枚を見事にせしめた。
宿泊先でメールをチェック。AMT御留守居役の小泉氏からテロ事件の詳細が届く。アメリカ国内の空港閉鎖の事実に驚愕。今回ブッキングの折、ボストンの翌日のシアトルのライヴについて、オルガナイザーからの「もし飛行機が遅れたりすればキャンセルせざるを得ないので、1日移動日を作ってはどうか」との御丁寧な御注進を、そんな事は起きないと高を括って強硬に押し切ったが、此処に来てそれが大きく裏目に出そうな予感。そもそもシアトルに辿り着けねば、その後の帰国便にさえ搭乗出来ぬではないか。
しかしお気楽極楽な我々は、あと1週間あるから大丈夫だろうと、再び高を括ってそんな事はさっさと忘れてしまった。心配したところで飛ばぬものは飛ばぬのだし。
翌12日、我々一行はシンシナティへ。早朝の意外な冷え込みで少々体調不良。ツアー中の体調不良は辛い。まして連日のビールの飲み過ぎ。ツアー前からの過労と相重なって、厳しい状況。救いは、機材が決して満足いく状況でない中、演奏は充分満足のいくものが出来ていると云う事か。
シンシナティの会場は廃教会のような建物の中にあるクラブ。こんな田舎街に、なんと「Blue Velvet Blues」を数カ月もの間聴き続け、ひたすら我々の来るのを楽しみにしていたと云うファンの存在を知る。というわけでこの日、今回のツアーで最初で最後の「Blue Velvet Blues」を披露。しかし今や「歌わないリードヴォーカリスト」となったCOTTONは、やはり1番のみしか歌わず。何しろ今や海外では、カリスマとしての存在感を認められているCOTTONである。もはやステージで「歌う」必然性すら彼女の中には無いのかも知れぬ。世界に1人ぐらい「歌わないリードヴォーカリスト」がいてもいいだろう。
宿泊先で再びメールをチェック。やはり今回のツアーのハイライトCMJミュージックマラソンが、テロ事件の影響で延期に。今年の開催地はニューヨークであるから当然の事とは言え、我々はこの大イベントの今年の大トリだっただけに、これはとても残念な事だ。延期された日程では、我々はUKツアーの最中で、出演はどう考えても不可能。我々が出演する筈だったKNITTING FACTORYは、事件現場に近い事から閉鎖、それどころか立ち入り禁止地区内であると言う。これでは次回に乞う御期待と云った処か。ここで初めてテロ事件が、具体的にツアーに影響を及ぼしてきた。
16日の1公演のキャンセルが決定したものの、その他の日程については何の問題もない為、一路コロンバスへ。 その前にシンシナティの中古レコード屋巡り、と云っても聞く処によると、たった1軒しか良い店は無いらしい。しかし1軒とはいえなかなかの充実度で、結構いい買い物が出来た。
コロンバスには予定よりかなり早く到着したので、やはり中古レコード屋へ。数件が軒を並べて建っており、中でも1軒はかなりの掘り出し物の山。しかもほとんど$1以下なので、もう根こそぎ買い漁る。津山さんに至っては、段ボール1箱分ものLPをこの店で購入。前回のUSツアーで、お互い150枚以上のLPを持って帰った自負から、まだまだ余裕をかましていた。結局ライヴ前にして、レコード漁りでかなり体力を消耗。更に私はデトロイトへの道程以来、すっかりプリンセスに下僕と思われてしまったようで、シンシナティでの滞在先のシャワーが壊れて使えずお冠の彼女の愚痴を延々聞く羽目に。
左右にギリシャ神殿風の柱が2本聳え建つ広いステージ上、大爆音と大暴れでライヴは終了。宿泊先で突如のクレージー・パーティタイム。毎回ツアーの間、必ず1回はこういう狂った夜がある。家主はひたすら自慢のラウンジ系や70sディスコをターンテーブルに次々乗せディスコDJに徹し、奥方は庭で炎のついた2本の鎖を振り回すファイヤ-ダンスを披露。一緒について来たクラブの受け付けの中国系の女の子は、兎に角ミュージシャンと寝たいらしく、我々に猛烈に迫り来る。更にリビングに鎮座するトロピカルなバーカウンターで急遽、東君の「トロピカルバー・ヒロシ」がオープン。「トロピカル・ドライヴァ-」と名付けられた、75度のテキーラをベースにしたインプロバイズド・カクテルが人気を博し、もう全員何が何やらさっぱり判らぬ状況に。極め付けは、東君の夢遊病が深夜に炸裂。翌朝何も覚えていない彼に、皆が口を揃えて「unbelievable!」
翌14日朝、昨夜ファイヤーダンスを披露してくれた奥さんと、ダイナーで食事。街角で売られている新聞には、大きくテロ事件の事が取り上げられているが、人々の様子は至って普通だ。本当にこの国内でこんな事が起こっているのかと疑いたくなる程、全くもって普通だ。勿論、車や庭先に星条旗を掲げているのを時折見かけるが、ただそれだけである。日本人の我々の方が、余程関心が高いようにさえ見える。
奥さんの案内で、体育館よりも広い巨大リサイクルショップへ。津山さんは、当然ここでもレコードやらミュージックカセットを探す。東君は得体の知れぬ紐の固まりを、私はAUSTIN 3:16のフォトパネルを購入。プリンセスは流石に女性らしく、コートやらパンツやらサンタクロースの袋分ぐらいの衣料を購入。
そして一路ピッツバーグへ。
途中に山越えがあり、ここ数日間ひたすら見飽きていた退屈な景色から一時解放。最後のトンネルを越えると、突然ピッツバーグの夜景が眼前に開けた。
この夜、何故か私はプリンセスの写真係に任命され、彼女のカメラで彼女のステージを撮影せねばならぬことに。ふと隣を見るとCOTTONが、やはり彼等のカメラ係に任命されている。仕方がないので2人して任務を全う。
この日も熱いオーディエンスに向かい、大爆音&大暴れで応酬。一楽さんはドラムセットを完全破壊。そして挙げ句の果てに、私もギターを完全粉砕。ネックは木っ端微塵に砕け散った。
ギターのトラブルはいつもの事で、様々なパーツを持ち歩いてはいるが、流石にスペアのネックは持っている筈がない。 終演後、自分のギターを$100で売ってくれると云う少年が現れたので、彼からギターを買う事で一応一件落着。
翌15日朝、メールをチェック。未だボストンの空港は閉鎖されているらしい。果たして我々はフライト出来るのか。もし出来ぬのなら、帰国便の出発地サンフランシスコへ、フライト予定日20日までに、何としてでも辿り着かねばならぬ。我々の持つディスカウントチケットは変更がきかぬ為、仮にシスコからの国際線も止まっていれば、何らかの処置で振り替えてもらえるだろうが、ニューヨークから遥か彼方の西海岸で、更に国際線が止まってるとは思えない。我々は帰国に向かって最善の道を選ばねばならぬ。しかし不確かな情報が交錯し、且つツアー先でメールのチェックさえままならぬ状況で、一体何を基準に判断すればいいのか。
結局、ニューヨークまで行ってから考えようと云う、我々得意の「出たこと勝負」「何とかなるやろ」で軽く問題先送り。 そしていよいよニューヨークへ。
(つづく)
(2001/9/24)