『人声天語』 第40回「中古レコード屋と私」

月末恒例の支払いの為、久々に外出。普段は近所のスーパーと郵便局へ行く以外、全くと云っていい程外出せぬ故、支払いついでについつい中古レコード屋やら古本屋へも立ち寄ってしまう。支払い後で金が無いにも関わらず、ウルトラセブンやらキャプテンウルトラのビデオ(東映ビデオ初期の紙箱シリーズ)を安価にて発見すれば、これはもう見過ごせぬ。ついでにゲンスブール&ジェーン・バーキンの「Mad French On TV」の中古ビデオまでも衝動的に購入。更に500円均一のエサ箱にてDavid Axelrodの復刻LP2種、ハモンドオルガンをバックにした本人の朗読まで収録されている西條八十歌謡詩集の20cm盤、その他数枚の訳のわからぬサイケのブート・リイシューLP等を発見、1枚500円とあらばこれらも当然の如く購入。古本屋でも、フランス美女満載に惹かれた70年代のヌード写真集やらジャクリーン・ビセットのシネアルバムやら、更に川崎三枝子の「首狩族(原作:藤本義一)」から高橋和己の「わが解体」に至るまで、全くもって無差別に衝動買いの限りを尽くし、最後に近所のスーパーで、今夜の夕飯「粕汁」用の酒粕と鮭の切り身を買った時点で、遂に所持金は底をついた。

いつもの如く、金を手にするやその日の内に散財してしまうこの悪癖、本人の反省が皆無故、一向に直る気配もなし。もし物欲と性欲がなければ、さぞや穏やかな人生を送れるだろうに。否、それではただの屍同然か、と云うよりも斯様な生き方なんぞ全く想像出来ぬ故、何の楽しみも無いように感ずるが、斯様な人種もきっと何処かに居られる訳で、その御仁達にはまた各々の愉しみなんぞもあるのだろうから、屍同然と思い果てるのは私の都合か。

斯様な思考回路しか持ち合わせぬ私であれば、世界中何処へ行こうが立ち寄るのは、やはり中古レコード屋と古本屋、そしてがらくた屋である。旅行好きな輩から見れば、何と下らない旅先での愉しみかと思われるであろうが、そもそも名所旧跡等は興味あれども訪れる程時間の余裕もなく、食べ物はと云えば食い倒れなんぞ到底望めぬ不味さなれば、これもまた仕方あるまい。旅と中古レコード屋、今や切っても切れぬ因果律であり、「旅すれば中古レコード屋に当たる」と言わんばかりに、求める者は救われるのか、何処へ行こうが必ずや中古レコード屋が私の眼前に現れる。況して普段の暮らしの中でさえ、外出と云えば中古レコード屋か古本屋である事は前述の通り。そして中古レコード屋に於いては、まさしく無心にレコード漁りに耽るのみなのであるが、其れは其れ、たかが中古レコード屋と云えども、其所にもやはり可笑しな事やら珍妙な事等色々あるもので、故にまた様々な事を想い巡らせてみたりもする。

一概に中古レコード屋と云えども、各々国や都市も違えばレコード屋もまたこれ千差万別。各々のお国柄を匂わせる在庫ぶりに、思わず失笑苦笑することもあれば、驚嘆詠嘆することもある。されどドイツに行ってジャーマンロックやシュトック・ハウゼン、更には古楽が、若しくはフランスでオクシタン・トラッドが見つからないのは如何な所以ぞ、と手前勝手な期待を見事に裏切られ激怒するも、フランスの古本屋にてジャーマンロックを、ロンドンでシュトックハウゼンを、シスコで古楽を各々大量発見すれば、これもまた世の常と妙に納得してしまう。一方ABBAのスウェーデン原盤をノルウェーのレコード屋にてせしめた折は、「やはり此処は北の果て北欧なのだなあ」等と、妙に旅愁に駆られ、況んやトゥールーズやボルドーの古本屋辺りで、雑多に積まれた古書の山の間から、何やら1冊の本を手にするフランス美女を垣間見れば、思わず自分のレコードやら本を探す手も疎かとなり、これはもしやフランス映画の如き運命的出会いではなかろうか等と、いきなり甘い妄想渦巻く事頻り。

最近は僅かにも有名税か、ツアー先で中古レコード屋を覗けば、店主が「今晩のライヴに行くぜェ」若しくは「昨日のライヴ良かったぜェ」と、日本人でこの身なりであるから一目瞭然とは云え、これは水戸黄門が印篭も出していない傍から「先の副将軍」とバレてしまうかの如く、すっかり正体もバレては、いきなりサインだの記念撮影だのとスター紛いに求められ、落ち着いてレコードを漁りたい私としては、何とも居心地の悪い空気ではあるが、後でほとんど全品半額以下迄ディスカウントしてくれたりするので無下にも出来ず、結果引き攣った照れ笑いで記念撮影に応じたりする。ステージ上以外では至って地味な性分なれば、どうにも普段の生活に於いて斯様な状況に遭遇すると、如何様な顔をしていいものやら見当もつかぬ。

ジャズフェスティバル出演の為、シカゴに数日間滞在していた折、Reckless Recordsと云う中古レコード屋を訪れ、戦利品を抱えてレジへ行くと、徐に店員が「天井を見ろ」と言う。はて一体天井に何があるのかと見上げれば、そこにはジミヘンを筆頭に様々なミュージシャンの肖像画が描かれている。すると店員がニヤニヤして指差すので再度その方向を見上げると、何とそこには紛れもなく私の仏頂面があるではないか。これは流石に恥ずかしい事極まりなく、確かに前回のツアーの際に、此処でインストアライヴなるものを行いはしたが、何も天井画にする事はなかろうに。有名ミュージシャンと並び称されるのは恐悦至極なれど、これでは今後、この店には来たくても来れぬではないか。されどこの店、値段の安さは言うに及ばず、品揃えも豊富なれば、何しろこの日もキム・フォーリーやらマイク・ウィルヘルムを、1枚5ドルそこそこで入手しており、是非ともシカゴを訪れた曉には立ち寄りたい1軒なのである。まだせめてもの救いは、中古レコード屋にて、天井を見上げる不届き者なんぞ稀なれば、取立てて誰も気付くまいと云う事か。

最近知り合った女性が、 いつもエサ箱で「カスレコード」を漁る行きつけの中古レコード屋の店員と友人である事実が発覚。彼女の話に因れば、その御仁は、勿論私の事等よく御存じであるばかりか、どんな阿呆なレコードを購入しているか、いつも興味津々で観察しておられた様子。本当に一体何処で何を見られているかわからぬもの。更にその御仁は、さながら私が大のムード音楽ファンとでも思い込んでおられるらしく、御蔭でこの女性にいきなり「河端さんて、見かけに寄らず(!)いやらしいのがお好きなんですよねェ?」等と詰問されてしまう様である。レコード屋で何を買おうが私の勝手ではあるが、一体どんなレコードを購入したか等と云う些細事なんぞで、私が果たして本当に「いやらしい」かどうかも知りもせぬ内から、手前勝手に「いやらしい」と決めつけられる等心外も甚だしい。これではもし私が下着泥棒等として誤認逮捕でもされた曉には、何と噂されるか判ったものではない。況んやそれは隣近所にも当て嵌まるであろうが、「いつもきちんと挨拶する、見かけに寄らぬ好青年でしたから、まさかあんな事件を…」ならまだいいが、「普段からブラブラしてたみたいでしたから、何だか薄気味悪かったですよ、やっぱりねぇ…」さてまた「楽団とかやってたみたいですけど、いつかこういう事件起こすんじゃないかと…」等、他人の憶測ほど空恐ろしいものはない。されどこれもまた憶測か。

AMTのツアーに行くようになって以来、すっかり往年のレコードジャンキー魂に火がついた津山さん、彼の口癖は「Where is the secondhand record shop?」であり、最近漸く一人前になるつつある私の中古レコード屋を嗅ぎ当てる嗅覚共々、その飽くなき物欲は、まさしく海外のオルガナイザーに唖然とされる事頻り。2人して店内に突入すれば、先ずはエサ箱へ一目散に走り寄り、まるで餓鬼の如く漁りまくる。この時点で2人共、既に脳汁分泌量はピークに達し、溢れ出る脳内麻薬の効果からか、ほとんど悦楽のトリップ状態に突入する。2人して可笑しなジャケットやら滑稽な雰囲気のもの等見つけようものなら、お互いそれを見せ合っては、時には爆笑し、時には何であろうかと色々類推し、レア盤を安価にて発見すれば大いにどよめき、脳汁分泌量は愈々レッドゾーンにまで達し、しかしとどの詰まりは店内にて子供の如く大騒ぎしており、いい歳の大人2人して、他の客の迷惑さえも省みれぬ有様。先日も津山さんに 「レコードを探してる時の姿が面白い」と指摘され、何でも私はレコードを漁りつつ、「おお~っ!」「これはぁ~っ!」「ふぅ~むむむっ!」等と独り声を上げては、突如辺りをキョロキョロ見回す等、 知らず知らず斯様な奇行醜態を曝していたそうな。かつて泥酔した時の様を後日ビデオで観せられた時、そのあまりの醜態ぶりに自己嫌悪に陥り、金輪際酒をやめようかと思った事等あれば、まさしくレコード屋での姿も然して変わらぬ体たらくぶりであろう。間違えても想いを寄せる美女とは、決して中古レコード屋等に行ってはならぬと、よくよく胆に命じておかねば、とんだ醜態を曝しては、愛想を尽かされた挙げ句、成就し得たやもしれぬ恋も、結局は御破算になりかねぬ。

津山さんとは、国内に於いても、暇さえあれば必ず中古レコード屋を探す。そして2人して、大量の戦利品を手にすっかり上機嫌となり、上機嫌序でに必ずや寿司屋へ直行する。中古レコード屋と寿司、これこそ2人共通の至上の悦びであり、この2つさえあれば至って上機嫌であるのだから、 一体何と幸せな人種であろうか。あの大嫌いな東京に於いてさえ、ライヴの翌日は、先ず軽く寿司屋で朝食を取り、中古レコード屋の開店と同時にレコードを漁り始め、腹が減れば再び寿司屋で昼食を取り、そして再び中古レコード屋を巡り、もう持てぬ程の戦利品を抱える夕方に、再び寿司屋で今日一日の戦果を語りつつ一杯やり、すっかり中古レコード屋巡りと寿司を満喫すれば、もう東京には用は無しと、そそくさと新幹線に乗り込む。大量のレコードを手に、列車の中でビール等飲みながら、決まって出る最後の一言。「わしら阿呆ですな。」

(2002/1/21)

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