『人声天語』 第46回「物欲天国」

先日、AMTのBBSが突如吹っ飛んでしまい、多くの問い合わせを受けたが、同じ会社と契約していた他所のBBSも矢張りサーバーが吹っ飛んでおり、しかし管理会社の方からは何の音沙汰もない処から察するに、多分倒産若しくは夜逃げでもしたのであろう。幸いにもAMT電脳奉行の小泉氏の迅速な対応により、早急に新たなBBSがアップされた御蔭で事なきを得たが、IT不況の波は、遂に此処迄やって来たかと云った想い。

さて立て込んでいた録音も、結局一番手間の掛かるAMTの新譜を延期してもらえた事で、残りの3枚はツアー迄には何とか完成出来そうな雲行き。これで漸く通販業務を正常化する時間的余裕も出来、先ずは一安心。
しかし大して暇にしている訳ではないが、ついついネットオークション等覗いてしまい、連日シンセを落札、ツアー前の金が要る時に、何故斯様な愚行を繰り返しているのか。況してやストーブを置く事さえ侭ならぬ私の部屋に、斯様な事お構いなしと続々届くシンセ群、最早歩く事さえ侭ならぬ程の狭さなれば、今日明日にでも模様替えせぬ事には、日常生活にさえ支障をきたす有様。連日マゾ君とシンセ話等するうち、ネットオークション上で見掛ける常連とも言える「アナログシンセマニア」数名の入札バトル等にも話は拡がる。近頃は出品者もよく知っているのか、下手するとそこいらの中古楽器屋より高値を付ける等、掘り出し物を探すのがより困難となってきた。世の中何でも「レア」の一言で語られるのはどうかと思うが、それでも入札落札する輩が居るのであるから、これも仕方なき事か。「お前ら、そんなん買うてどないすんねん。どうせしょーむないテクノとかやってるんちゃうんか!」と文句のひとつも言いたくなる処だが、こちらもどうせ宇宙音を出しているに過ぎぬ故、決してシンセ本来兼ね備えている機能をフル活用しているとは言い難く、そもそも世の中にシンセサイザ-なるものが何たるかを、人気全盛であったYMOが広く知らしめた今から20余年前、電子音楽好きだった私は、ひたすらシンセで宇宙音なんぞばかりプレイしては、「お前シンセを嘗めてんのか!」と、ライヴハウスや対バンの人に怒られた経験もあり、矢張り他人の事には口を出さぬに越した事はないか。

しかしオークションサイトを眺めるのは、ネットサーフィンで無駄な時間を下手に浪費するよりずっと面白い。世の中本当に色んな人がいるもので、妙なものを出品しているかと思えば、当然それを落札している輩もいるのだ。今、ざっとオークションサイトを覗いただけでも「トイレ擬音装置おとひめ」「電動車椅子」「墓地霊園」「山林」「甲冑」「住職さん用法衣」「コンドーム10ダース」「包茎矯正リング」「国会議員バッヂ未使用」「アリバイに?東京タワー置き物みやげ未開封」「海外の不動産雑誌」「余った毛糸1円」「あひるちゃん小物入れ80円」「『白石』と書かれた表札未使用箱入り」等、その多種多様ぶりには恐れ入る。また「used…たばこセット」とあるから、てっきり「使用済みたばことは、はて開封済みたばこ1カートン、若しくは大量のシケモクか?」と思いきや何とただの灰皿であったりもするが、訳のわからぬ不可解なものから、当然の如く蔓延るねずみ講かマルチ商法やらの案内まで、出品者も企業や業者であったり個人であったり色々であろうが、いやはやここで手に入らぬものは無いのではなかろうか。そしてそれら出品者や落札者の履歴を覗いては、一体如何な人であるのだろう等と、特にセクシー下着やらSMグッズやらをやたら購入しつつも、一方でサンリオグッズやらポケモン等も買い漁っていたりすれば、その家族構成やら趣味嗜好やら果てはその夫婦生活までも想像してしまい、思わず他人の生活をこっそり垣間見たような背徳感さえ覚えてしまう。

かつてフリーマーケットに出店していた時も思ったのだが、売り手側が「こんなもん売れる筈がないやろ」と思って並べた「枯れ木も山の賑わい」的な品物が、以外や以外、見事に売れてしまう。底が抜ける程履き潰した私のブーツ3足なんぞ、この飽食の時代にまさか売れるとは予想もしていなかったが、その履き潰された味わいにマカロニウエスタン的空気を感じてくれたのか、あっさり売れてしまった。私が十代の頃着ていたペイズリーシャツも、擦り切れて襤褸雑巾の如きであったにも関わらず、若い女性のお目にとまり、また開封済みの金魚の餌さえ、多分金魚を飼っているのであろう小学生が買い求めていくと云った有様。得てして目玉商品と思われし、女囚さそりで梶芽衣子が纏っていたような60’s風コートなんぞが、最後まで売れ残ったりする。
かつてフリーマッケットにて3000円で入手したディープパープルの海賊盤CD10枚、しかし何故かジャケットもケースも無く、裸のディスクが10枚ビニル袋に入れられただけの物で、またこれが実は再結成パープルの、しかも数枚はリッチ-・ブラックモア脱退後の音源であり、早速これをフリーマーケットにて出品しようと思った私は、第2期のステージ写真をベースにしたジャケットをコピーで製作、10枚をプラケースに入れ、上からそのジャケットを被せてシュリンクし、「ディープパープル海賊盤10枚組ボックス6000円」と値札を付ければ、何といきなり売れてしまった。調子に乗って、ずっと売れ残っていたサザンオールスターズのシングル10枚も、まとめてボックス化すると、矢張り売れてしまった。そう云えば、CDレンタル屋の雇われ店長時代、処分に困っていた「ザッツ・ユーロビート」等のゴミCDを、vol.1から30枚以上完全コンプリートし、それを箱に入れてセット化してみると、瞬く間に売れたもので、この古本屋が単行本を売る方法で、店のゴミCDを大量処分したものである。ユーロビートのCDなんぞ30枚も買った処でどうしようもなかろうが、矢張りコンプリートセットなるものを前にすると、ついつい衝動買いなんぞしてしまうのか。

大阪日本橋と云えば、秋葉原に対抗する電気屋街であるが、その一番南端に位置する、丁度堺筋を下った所にある某電気屋では、今だテレビ番組のエアチェック・ヴィデオテープが、結構いい値段で堂々と売られている。この界隈を御存知なれば、斯様な事等取り立てて何の不思議でもないだろうが、結構いい値段設定である為、一体どんな客層を相手にしているのかと、至って興味深い。決してマニアックなショップでない事は、そこに漂う澱んだ空気感と売られているヴィデオテープのラインナップで一目瞭然。明らかに中年層相手、時代劇やらトレンディードラマやら、下手くそな手書きのインデックスに、客筋も想像し難くない。タイマー録画さえすれば斯様な下衆なヴィデオテープを買う必要性もなく、 否しかしそのタイマー録画なる手順が理解出来ぬ客層がターゲットとなっているのか。フリーマーケット等で見掛ける「使用済みヴィデオテープ1本100円」が売れている光景なんぞお目にかかった事はないが、矢張りドラマ全話コンプリートのセットであるが故、ニーズがあるのか。

そう云えば、古本屋の奥でよく見掛ける、矢張り下手くそな手書きインデックスのカセット群、言わずと知れたエロカセットであるが、ヴィデオがこれほど迄に普及している現在、果たしてニーズはあるのか。私も中学生の時に、道で拾ったカセットを自宅に持ち帰り聴いてみれば、何とエロカセットだった事が契機となり、その後四天王寺の朝市で、エロカセットを買い漁った経験がある。しかし所詮四天王寺で売られるような当時のエロカセットは、大抵ピンク映画の生録り(映画館で録音されたと思われる)を編集したバッタもん、若しくは笑うに笑えぬオチが待ち受けるラジオドラマ形式のものかのどちらかで、盗聴やら自らの行為の生録等と云った、生々しいものは極めて稀であった。
中でも、散々喘ぎ声を聞かされては「お願い、入れて~。」「いたぁ~い。」「もっと濡れさせて~。」等のセリフが時折交えられる某ラジオドラマ形式作品に至っては、最後の最後に「いや~ん、だからコンタクトレンズを入れるのは、濡れてないと痛いんだからぁ~。」と云うオチがついてチャンチャンで、当時中学生だった私は、この余りに人を嘗めきったオチに一瞬激怒したものの、先程迄これを聞いてギンギンに燃えていた自分が急に恥ずかしくなり、それ以後、この屈辱感を自分ひとりだけで味わうのは勿体ないと、友人達に貸しては、後日感想を求めたものだ。当時丁度登場したスネ-クマンショーのブラックな笑いなんぞより、これらエロテープの客を嘗めきったオチの方が、そもそも猛進する性欲と食欲を何かの理由で削がれた時の人間が見せる対応と云うのは、得てしてどうにも狼狽えるようで、と云うのも相手に自分の下心なり何なりをすっかり見透かされたと思うからに他ならず、その屈辱感と猛進した故の恥ずかしさに満ち溢れる中、しかし何とか体よく素知らぬふり等決め込んでは、今更至って冷静であったかのような素振りで体裁を整えようとする、この人間特に男の弱点を容赦なく突いて来る辺り、私にとっては矢張り自虐的あるいは他虐的な側面から圧倒的に面白いものであったに他ならぬ。

それにしても世の中では、本当に意味不明のものも含めて、様々なものが商品として成り立っている。それらに興味がなければただのゴミでしかなくとも、ある特定の人種には何にも代えられぬお宝であったりする。考えてみれば、昨今見掛けるお菓子のオマケのフィギアと云い、すでに対象年令は子供ではなかろう。ウルトラシリーズのオマケで友里アンヌが付いている事自体、こんなものを欲しがる子供が居ろう筈なし。かつての怪獣漫画世代が社会の担い手となった今、当時は文化としてさえ認められなかった漫画に骨董的価値が見い出される等、物事の価値観も当然の如く大きく豹変してきた。まして国民総マニア化と呼べるこの時代、重箱の隅を突つく事こそ美徳となり、本当にそれらを長らくひっそり愛してきた一握りの人間は、経済力が伴わぬ限り、如何に足を棒にして探し回った処で、容易には手に入れられなくなった反面、逆に金さえ払えば、マニアショップやネットオークションで、如何なレアなものであれ、容易に手に入れられる。
レコードであれ本であれ楽器であれ何であれ、本当に愛しているかどうかの度数で、入手優先順位を決めて戴きたいと思うのは、私だけか。矢張り世は情けならぬ、世は金か。

(2002/2/21)

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