『人声天語』 第48回「ツアーを終えて徒然なるままに」

1ヶ月に渡るAMTのツアーも無事終了、すっかり時差ボケなのか、いきなり昼夜逆転 にして、未だに自分の所在も明らかでない心持ち。

ツアーレポ等書いてみようかとも思ってはみたが、わざわざ書き記す程の面白い出来 事があった訳でもなく、毎日唯ひたすら演奏と移動に明け暮れただけである。そもそ もツアー等と云うものが面白可笑しかったのは、まだ英語もロクに解せず、酷いブッ キングの下、僅かなギャラを貰いつつ、されど毎日の食事にも困り果て、故に色んな 人の世話になりつつ、「せめて演奏だけは」と猛烈に気を吐いていた頃なればこそ、 語り草ともなる珍道中であった訳で、今やスケジュールのドタキャンも無ければ、チ ケットはソールドアウト、固定ギャラで、ホテルに宿泊し、食うに困る事等ある筈も 無く、至って「仕事」らしい体裁を装っている。勿論「仕事」なのであるから、こう でなくてはならぬのであろうが、しかし一方で、何か大切なものを少しずつ失くして いるような気もしてならない。元々「どさ回り」から叩き上げた我々は、唯ひたすら 「来てくれた客の為に良い演奏をしたい」と云う事のみに執心してきた。今もって何 も大きなバックアップを持っていないにも関わらず、「仕事」としての状況が良い方 向へ激変した理由は、この一点に集約されると自負出来る。
しかし矢張り人間の欲目なのか、状況が良くなれば当然それ以上を求め、また次第に 見栄やら虚勢やらエゴやらに執らわれ、今やAMTは、本来私が求めていた筈のものと は、明らかに違う方向へ向おうとしているようにも思えてならない。されどこれもま た仕方あるまい。体制側に仕組まれた資本主義の甘い罠如き、いずれ通り抜けられる 些細な障壁に過ぎぬと信じたい。

今回のツアーでは、かつて日本ツアーをアレンジした事もあるSub Arachnoid Space やKinski、AMTからCDを1枚リリースしたMaquiladora、コラボレーション・アルバム を製作したRichard Youngs等の旧友との共演、USツアーの後半をサポートしてくれ たMajor Stars、そしてAMTのドキュメントフィルム製作の為に、仏Toulouseから機材 一式を担いで同行してくれたAudreyとEstelle、その他多くの友人達との再会する事 が出来た。矢張りツアーでの愉しみは、人との出会いに尽きる。
また来年2003年は、AMTとしてはツアーを行わない事が既に決定している為、多 くのファンからの「早く帰ってきて欲しい」と云う声は、嬉しい事この上なし。

しかしそれと同時に、行く先々で貰うデモテープやCDやらLPの多さには閉口せざるを 得ない。今回も100枚近いデモやらサンプルやらを受け取る羽目となり、これを一 通り聴くだけでも大変な労力である上、既に一体誰から貰ったか等憶えている筈もな し。レーベル設立以来、自宅にも連日デモテープの山が送りつけられているが、何故 斯様な弱小レーベルに送ってくるのか。
とは言え、かつて自分もコンサートに出向いては、終演後に自分の作品を何とか御贔 屓のミュージシャンに渡したものである。されど一度たりとも連絡があった試し等な く、当時は随分腹を立てたものであったが、今にして思えばその理由も納得出来るか。

また一方、ラジオ局の名刺片手に「オンエアしたいのでCDを貰えないか」等と云う図々 しい輩にも閉口してしまう。KFJCもWFMUも、その他世話になっているFM局でさえ、皆 金を出して買ってくれる。また斯様な風であればこちらも何枚かプレゼントしたくな るものだが、見も知らぬ奴に、いきなり「CDくれ」と云われて一体どこの誰が「どう ぞ」とやるものか。日本の雑誌社等に至っては、突然電話をよこして「取り上げてや るからサンプルよこせ」と云う横柄極まりない態度で、その度に「何も取り上げてい らんから、うっとぉしい電話してくな、このボケ!」と応対せねばならぬ。そもそも 記事が載ったところでリアクションがあった試しはないし、インタビューにしても何 にしても、ライター自身は原稿料が貰えて、肝心のインタビューに答えた本人に何の 実入りもない等、全く呆れた話。兎に角「ただ」で手に入れたCDに対して、ラジオで あれ雑誌であれ、メディアが真面目に向き合ってくれるとは思えぬ。「金を出してで も」取り上げたいと思ってくれる輩の熱意なればこそ、こちらも信じられようもので、 信用は金で買うものではないが、金で推し量る事は出来よう。

ツアー中の一日とは、普段の日常生活に於けるそれより、一層長く感じられるが、や はり一日一日、想像を絶する様々な出来事があるからなのか。されど毎日異なる土地 へ移動するとは言え、実は至って規則的な毎日を送っている事も事実である。
朝一番に起きるのは、空腹で目を覚ます津山さんと私の二人で、キッチンがあれば、 徐ろに朝飯の仕度をする事から一日は始まる。その日の移動距離にも因るが、まず午 前中に出発し、道中で昼食を済ませ、夕方にはクラブ着、さて先ずは一杯やらねばな るまい。AMTは、酒がないと不機嫌な東洋之と、酒さえあれば御機嫌なCOTTONを抱え ている為、しこたまビールなりワインなりを楽屋に用意しておかねばならぬ事は、何 にも況してオルガナイザーの義務であり使命である。軽くサウンドチェックを済ませ て漸く夕飯、その間も当然ひたすら飲み続ける。出番は大抵深夜近くである為、結局 クラブで6時間は飲み続ける事になる。終演後は、宿泊先にてシャワーを浴びて再び 飲み直し。徐ろにキッチンで夜食を貪る事もあるが、結局はライヴでの疲労に加えて 飲み疲れ、明け方前に漸く就寝。そしてこれの繰り返し。オプションとして、時折時 間を見つけては、中古レコード屋を巡る程度か。飯食って酒飲んで演奏して寝て、ま た飯食って酒飲んで演奏して寝て、また飯食って時々レコード買って酒飲んで演奏し て寝て、また飯食って酒飲んで演奏して寝て、また飯食って酒飲んで演奏して出来れ ば紅毛碧眼の美女と寝て、また飯食って酒飲んで演奏して寝て、嗚呼、何と幸せな毎 日なのだろうか。
故に、ツアーもいよいよ後半に差し掛かり、そろそろ終わりも見えてくる辺り、再び 日本での退屈な日常生活に戻らねばならぬのかと云う空虚感から、いっそツアー終了 後に何処かへ失踪してしまいたい等と云う衝動にさえ駆られる。

しかし関西空港到着後、その足で難波辺りにて居酒屋の暖簾をくぐれば、久々の焼酎 の旨さに涙し、刺身やら豆腐に舌鼓を打つ、この刹那こそ「自分が日本人でよかった」 としみじみ思う瞬間である。さて懐かしの味をすっかり堪能し、ふと一歩表に出てみ れば、そこには鬱陶しい日本人が蟻の巣を突ついたかの如く犇めき合う雑踏にして、 いきなりまた旅に出たくなる。
されど何処へ行くにしろ、先ずは飛行機に乗らねばならぬと思うと、それもまた鬱陶 しい事この上なし。
と言う訳で、仕方なく名古屋へ戻る心持ちとなる。さりとて漸く自宅に帰り着けば矢 張り安堵し、さて一旦帰宅してしまえば、今度は逆に外へ出る事が鬱陶しい事この上 なくなる。そして次のツアー迄の間、自宅に引き蘢ってしまうのである。

時差ボケのせいもあろうが、帰国してこの数日間、全く何もしていないにも関わらず、 恐るべきスピードで日数だけが経過している。ツアーに出ていた1ヶ月間は、まるで 5年間ぐらいの時間に感じたものだが、この帰国してからの数日間は、まるでまだ6 時間ぐらいしか経過していないように感じている。もしこのまま引き蘢っていれば、 一瞬にして余命は燃え尽きてしまうのか。光陰矢の如し。惰眠を貪っている時の方が、 時間を消費するスピードが早いと云う事か。
逆にずっとツアーに出ておれば、1ヶ月が5年ぐらいに感じられるのであるから、単 純計算で1年は60年に感じられる事となる。もし2年間も出ておれば、いきなり1 20年となり、普通の人の人生以上の時間を謳歌することとなる。
一体どちらがいいのだろうか。そんな事をぼーっと考えている間にも、既に1時間が 経過している。

(2002/4/13)

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