『人声天語』 第78回「嗚呼、エストニア…」

11月8日、朝6時起床。8時起きでいいと云われておれど、相変わらず朝早く目覚めてしまう。シャワーを浴び洗濯。朝飯に、昨日キープした白飯の残り半分と、シャケ缶とイワシ缶を開けて食す。

さて9時に出発、先ずはエストニア行きのフェリー発着場所であるHelsinkiへ向かう。3時間のドライブにて到着。フェリーの出発までには2時間程時間があるので、Helsinki在住のThimoの案内で楽器屋へ。ノルウェイで破壊してしまったZoomのマルチペダルを買わねばならぬ。何しろこの後ソロもあるので必要である上、チューナーとしても使用していた為、これがないと不便極まりなし。日本で購入すれば、中古なら5000円程度で入手出来るが、こちらでは新品で125ユーロもする。日本製であるから仕方あるまい。先の同じペダルも、昨年のUKツアーでぶっ壊してしまい、パリで150ユーロも出して購入したものである。泣く泣くここで125ユーロを払って購入。一方、津山さんはフィンランドの民族楽器カンテレを購入。演奏方法を楽器屋の主人に教わる。いずれ津山さんのカンテレ・プレイもソロやZoffyで聴けるであろう。

今日のHelsinkiは雪、今回のツアーに於いて初めての雪である。(勿論、雪景色は見て来たが、天候が雪と云うのはこの日が初めて。)

バンはHelsinkiの知人のガレージに預け、楽器と機材のみを抱えて、いよいよフェリーに乗船。出国に際しいろいろ質問もされはしたが、無事手続きを済ませ、船内のバーにてビールを飲む。ところがこのフェリー、かなり揺れるので船酔い対策を講じねばならぬ。本来揺れの最も少ない筈の中央ロビーが意外にも揺れるので、船尾へ。何故か船尾は揺れが然程でもなく、船尾のロビー隅にて爆睡。

2時間の船旅にてエストニアに到着。何と大雪である。津山さんが「エストニアはもっと南やから暖かいやろ」と云っていたので、大した装備もしておらぬ故、寒さが身に凍みる、況してや寝起き。

入国審査に向かうが、旧ソ連体制の名残りか、兎に角列は出鱈目で、我々の並ぶ列は他から次々と割り込まれ全く進まぬ。更に入国への通路が野外にして、寒風を諸に受ける有様で、寒い事この上なし。漸く入国を済ませ、タクシーにて今宵の会場Von Krahl “Operation B”へ。

何でも今宵は、このクラブ内にある大小の両ステージを使ってのロック・フェスティバルらしい。我々はそのフェスのトリを務める故、出番は深夜1時半と告げられる。サウンドチェックを済ませ、地元新聞の取材も済ませ、ディナーにエストニア名物らしい魚料理を頂戴し、漸くホテルへ。しかしこのホテル、旧ソ連らしい陰気極まりない雰囲気にして、部屋の鍵の調子も悪く、難儀な事この上なし。私の部屋のテレビのみ動作するらしいが、リモコンが見当たらぬ為、チャンネルが変えられぬ。コップは置かれておれど、コーヒーもなければ、更に「呉々も生水は飲まぬように」と注意されている故、何もないのに等しい。シャワーとトイレは隣室と共同と云う変則的レイアウト。取り敢えずヤケクソで、出番まで寝る事にする。

11時半にAnnaが起こしに来た。Jyrkiは今日のドライブで疲れたらしく爆睡中らしい。我々はAnnaと共にクラブへ戻る。楽屋は多数の出演者でごった返し状態、客席も超満員、これはTallinnの若者全てが集結しているのではないかと思う程。

それにしてもエストニアのバンドは、未だロックを含めた西側の文化が流入して10年程しか経っておらぬとは云え、どれもこれも酷いものである。況して60年代から現在までのロックが、いきなり同時に流入して来ている為か、もうファッションも音楽も物凄く異様なミクスチャーぶりである。某バンドのメンバーなんぞ、ヘアスタイルが前はリーゼント、後ろはヘビメタ風の長髪、ジャケットはプレスリーの如きフリンジが施され、しかしTシャツはパンク風に穴だらけ、首にはチェーンのネックレス、両腕には鋲付きリストバンド、腰にはガンベルト、そして赤いスリムのレザーパンツにコンバース。一体このファッションを何とカテゴライズすれば良いのか、まるで「歩くロック・ファッション史」である。

さてAMTであるが、フェスティバルの主催者の1人であるマルゴシック(と聞き取ったのだが、定かではないし、勿論綴りも不明)がビールを用意してくれた辺りから御機嫌になる。我々は、何とも現金且つ単純な人種である。そもそもエストニアの通貨EEKなんぞ1EEKも持ち合わせておらぬ故、バーでビールを飲む事も叶わず、Annaに強請って取り敢えずビール1本ずつ奢って貰いはしたものの、それっぽっちで我々が納得する筈もなく、この用意されたビールを飲むや、漸く本調子となって来た次第。

「ロックが流入してきた当時の何も判っていなかった日本のロックファンに初めて接した時のL.ZeppelinやD.Purpleの心持ち」となり、未だ本物のロックを知らぬエストニア人達に、真のロック魂を見せてやろうと燃える我々。幸いにも、今夜用意されたマーシャルアンプのコンディションがとんでもなく素晴らしく、今回のツアーで借りているマーシャルとは雲泥の差。久々の超大爆音ぶりに、自分自身でもMind Blowされてしまい、結果極限まで盛り上がってしまう。ロックの聖地であるアメリカやイギリスに於いてでさえ「こんなクレイジーなバンドは初めてだ!」と、驚かれるのであるから、ロック後進国エストニアでは尚更ショックを与えたであろう。

終演後、唖然とする客や他の出演者を尻目に、エストニアのビール「ロック☆(スター)」を気分良く次々空ける。

文化事業に貢献したかのような、何やらひとつ使命を全うしたかのような、何とも爽快な気持ちである。

ホテルへ戻ろうと拾ったタクシーは、偶然にも往路と同じ運転手。しかし復路は楽器や機材も積み込んだ為、地獄のすし詰め状態にして、全員車内では身動きさえ取れぬ有様。先程までのロック伝道師の如き気分は、これにて見事消沈、自分達の置かれた厳しくも哀しい現実を、嫌と云う程に直視させられる。

何とかホテルに帰り着けば、私の部屋の隣人も、どうやら今夜の出演バンドの様子で、こいつらの殺人的悪臭を放つ靴が共同トイレの前に並べられており、もう共同エントランスにこの悪臭が充満し切っているではないか。シャワーを使おうとすると、こいつらが丁度顔を出し「水しか出ないよ、Good Luck!」私の経験上、大抵こういうケースは、ここは4階である事から推察して、湯が上がって来るまでに時間を要するだけであり、30分程の間、蛇口を開いたまま放置し、無事快適にシャワーを浴びる事に成功。されど出発前に、確か1ロール半はあった筈のトイレットペーパーが、知らぬ間に残り僅かとなっている事に気付く。あいつら一体どれだけ浪費しているのか、それとも強烈な下痢なのか。このホテルの空気から察するに、トイレットペーパーが無くなったと云った処で、速やかに補充されるとも思えず、ともかく明朝にトイレットペーパーがエンプティーでは困るので、この残りをロールから外しキープする。これであいつらは糞も出来まい。

部屋に戻れば、放送終了で砂の嵐を映し出していたテレビが、突然「5:20」と時刻を告げたかと思えば、引き続きニュースが始まった。定かではないが、どう見てもこれはロシアのテレビ番組ではないのだろうか。私の時計はまだ4時20分を指しており、フィンランドとの間に時差があるとは聞いていなかったが、万全を期して時計を5時20分に合わせ、アラームを7時にセット。明日のフェリーが午前9時50分発なれば、遅くとも9時にはホテルを発たねばなるまい。況してやここTallinnは大雪である。クラブより持ち帰ったロック☆を1本空けて就寝。

(2003/2/17)

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