『人声天語』 第79回「嗚呼、フィンランド…(中編)」

11月9日、Cottonが廊下から「河端さぁ~ん」と呼ぶ声で目が覚める。時計は10時を回っているではないか。と云う事は、矢張り時差はなかったのであろう。されどアラームをセットしたにも関わらず、結局寝坊した事に変わりはなし。慌てて身支度しロビーへ降りると、Annaがタクシー到着までには10分程要するだろうと云うので、慌てて食堂へ朝食を取りに出向く。結局タクシーの延着もあり、予定していた9時50分発のフェリーは逃したが、幸運にも10時15分発の次便があり、そちらに乗船する事に変更。されどチケット購入に行ったAnnaが、予めリザベーションが必要と言い張るチケット販売員と、チケットカウンターにて大揉め。遂にAnnaがブチ切れ、チケットも持たぬのに「OK, Go!」と、出国手続きの列に我々を並ばせる。結果、チケット販売員が大慌てで、チケットを届けにAnnaの元へ走って来たではないか。いやはやAnna恐るべし。

漸く無事に乗船を済ませる。昨夜は遅かった事に加え、某事件が他のメンバーの部屋で勃発した事もあり、皆乗船と同時に爆睡。私とAnnaとJyrkiの3人はビールを飲み雑談。

さてその某事件とは、夢遊病持ちの東君が、深夜トイレに立った際に突如トイレにて暴れだし、取り敢えずその場は津山さんが取り繕ったらしいのだが、その後自分の部屋ではない部屋へ入り込み、そこの床で寝ておれば「寒い」と他人の布団を剥ぎ取ったとか。東君の寝言は日常茶飯事にして、夢遊病さえも、今やツアー恒例行事のひとつにも数えられ、何も今更驚きもせぬが、矢張り本人は全く覚えておらぬらしい、何とも幸せな事だ、否、不幸せか。

朝からビールを飲む行為は、Annaにとって「ロックスターの朝食」らしく、これには思わず爆笑。3人でいろいろな話を交わしつつ、ビール数本を空けた処でHelsinkiに到着。再入国も恙無く終了、事前に作った機材のリストも不要であった。

さて今から、車で10時間の地点と云うJyrkiとAnnaの自宅へ向かう為、一気に北上する。大雪と云う悪天候にも関わらず、Jyrkiはこのロング・ディスタンスを、僅かワンストップで走り切るつもりだと云う。オフである11日はJyrki宅にて、津山さんのリクエスト「ムース(へら鹿の一種)」の肉を食わせて戴けるらしい。料理方法は、AMT料理長である私に一任されたので、コリアンBBQこと焼肉スタイルに決定。途中、スーパーマーケットにて、野菜等の必要な食材を調達。

残り200kmの地点で、Jurki御用達のビストロ、所謂フィンランド家庭料理レストランに立ち寄りディナー。バイキングスタイルである事をいい事に、兎に角「不味いものは絶対食わん」との信念の下、入念に味見をして料理を選ぶ。生魚の酢漬けが、これまた殺人的に激不味であった以外、味見は無事終了、外れを引く事なく満足のいく食事となった。一方見栄えのみで料理を選んだ東君は、あまりの激不味にしてほぼ全滅。呉々も海外での食事には気を抜くなかれ。

残す処いよいよあと20kmの地点にて、ガソリンの凍結と云う信じ難いアクシデントにより、エンジンがストップ。同じフィンランドでさえ、南のHelsinkiとここら辺りの北部とでは、ガソリンが少々異なるらしく、ここらより暖かい(と云っても-5度前後であるが)Helsinkiで給油した為、「極寒地仕様燃料」ではなかったようで、北部のこの極寒の中、見事凍結してしまったらしい。救援を電話で依頼するや、先ず1人の若い男性の運転するBMWが到着、その車にAnna、Cotton、東君、夘木君を乗せて先にJurki宅へ向かわせる。寒さには強いJyrkiと津山さん、そして私の3人は、極寒の森の中でエンジンが止まってしまった車中に残る。車中の室温は優に氷点下となり、内側からガラスが凍結していく。運良く先日Annaから貰った酒「Koskenkorva/Salmiakki」があった事を思い出し、これを回し飲みし体を幾らか温める。

さてどれぐらいの時間待っていたのであろう、髭面の男が救援にやって来た。この男の車に、メンバー全員の今夜最低必要なものと、ツアー中に買ったレコードを抱えて移動。ここに取り敢えず今夜は放置していかざるをえぬバンの車内は、何と明け方には-30℃ぐらいまで下がるだろうとの事。されどこの救援に来た髭面の男の車にもヒーターは装備されておらず、寒い事この上なし。況して凍結した道を時速100km以上でぶっ飛ばす、一度でも路面凍結している中、車を運転した経験のある者であれば、この自殺願望でもあるのかとさえ思わざるをえぬ無謀運転の恐ろしさの程は御理解頂けよう。そんな折、窓越しに壮大なオーロラが見え、この素晴らしいショーの御陰で斯様な恐怖さえも忘れ去り、津山さんと私は猛烈に感動。

何とかあの恐怖の暴走運転で命を失う事もなく、無事にJyrkiとAnnaの家に到着。バンはガソリンが解ける明日の昼頃に、Jyrkiが取りに行く算段となったようである。

この家の台所は、ガスなんぞにあらず薪で火を起こす。使い方を教えてもらい早速自炊。空腹が満たされれば、薪ストーブの前にて、ロッキングチェアに揺られつつ酒を飲む。JyrkiはDJと化し、次々と何やらワールドミュージックの香り漂うフィンランドのバンドのレコードをプレイ。先程の救援に来てくれた髭面の男は、ここに居候しているらしく、彼も席を同じにする。

ここの家にはJyrki御自慢のサウナがある。と云う訳で、Jyrkiに連れられ、津山さん、東君、夘木君の3名は、その噂のサウナへ。こちらのサウナは、中にストーブのようなマシーンがあり、それに自分で水を掛けて蒸気を作り温度を調節する仕組みになってるのだが、夘木君がそのマシーンに一度に多量の水を掛け過ぎ、猛烈な勢いで夥しい量の熱い蒸気が、最上段に座っていた津山さんと東君を急襲。一瞬にしてサウナ内は灼熱地獄と化し、全員外へ逃げ出したらしい。津山さんと東君は、顔に軽い火傷を負う羽目となり、特に津山さんは「もう絶対、一生サウナなんか入らへん。俺、サウナなんか大っ嫌いや。」と、すっかり泣きが入る有様。東君も「一瞬何が起こったのかわからなかったけど、息も出来なくなって、もう死ぬかと思った。」と、当時の事を振り返る。その様子を、Jyrkiはただ爆笑して眺めているのみ。その湯上がりのJyrkiは、イカレたガウンにモンゴリアン・キャップと云う出立ちにて、ブランデー片手に御満悦。


ここは一日中殆ど夜みたいなものなので、一体今何時なのか、本当にさっぱりわからぬまま、飲み疲れたので就寝。

11月10日、朝8時起床、台所ではもう既に津山さんが飯を炊いている。早速私もレトルトカレーを取り出して、御相伴に与る事にする。朝からビールを飲んでいると、JyrkiのDJショー再び。朝酒が効いたのか、昼寝。午後3時、Jyrkiが放置しっぱなしのバンを取りに行く。バンが戻って来たので、機材等を下ろすが、車内に置いてあったペットボトルのお茶は未だ完全凍結状態。結露を考慮し、極寒の状況に曝された楽器群を徐々に解凍。Jyrkiは、もうしばらくの間エンジンを回しておきたいとの事で、津山さんと東君を連れて「ムース見物ドライブ」へ。結局ムースとは遭遇出来ず「ただ寒いだけだった」と、両名は昨夜のサウナ事件に続き、またしても泣かされる顛末であったが。

午後5時にOuluへ向け出発。1時間半程で今夜の会場45 Specialに到着。今日から再びCircleとツアーである。クラブのバーテンが気の良いおやじで、ビールは幾らでもくれるし、何せ笑顔が素敵である。リハを済ませ、ディナーはこのおやじの御自慢のピザ、これがまた美味なれば、全員で貪り食う。

演奏の方は、普段私は一切のモニターを必要とせず、ただステージ内の生音のみをモニターしているのであるが、今宵はよりによって私の真横に巨大モニターが設置されており、そこからCottonのシンセが大爆音で返されている為、耳が完全に飛んでしまい、殆ど何も聴こえない状態で、とても個人的には辛いものであった。

されどここOuluはJyrkiの本拠地と云う事もあり、特別にJurkiに1曲捧げる事にしていた。このツアー中、Jyrkiの携帯電話が鳴る毎に「ユゥ~リキッ!(Jyrkiと綴って「ユリキ」と発音)」と電話に出るのが、我々にとってはそれが何やら可笑しく、また彼の着メロが「タ~ラリララリララリラララ~ッ」と、Guru Guruの「Bo Diddley」と酷似している事もあって、そのうち彼の着メロが鳴る度に、我々も一緒になって「ユゥ~リキッ!」とハモり出す始末。これをヒントに「Bo Diddley」を「Jyrki」に替えてカヴァーする事にした。津山さんのMC「フィンランドが生んだ偉大なるドラマーにして我々の良き友、Jyrkiにこの曲を捧げます」で、演奏を開始。西日本のアルバムでも「内田祐也」のタイトルでお馴染みのこの曲、ライヴの折は「御当地ソング」として、大阪では「上田正樹」岡山では「黒色エレジー」山口では「山崎まさよし」Barminghamでは「オジー・オズボーン」と、各々郷土が生んだ有名ミュージシャンの名前に差し換えられる。当然Jyrkiは我々のこの計画を知る筈もなく、このちょっとした悪戯にとても喜んでくれた。

終演後、Jyrki宅へ戻ると再び彼のDJショーが始まる。ThimoとAnnaと東君とでこのDJ Jyrkiの相手をしつつ酒盛り。結局今宵も飲み疲れて就寝。

11月11日、朝11時起床、久々に気持ち良く眠る事が出来た。今日はオフ。台所へ出向き朝食の用意。先日購入した白菜を使って簡易キムチを作る。キムチと白飯、こりゃたまらん…。そして例によって朝酒。先ずは昨夜クラブから頂いて来た大量のビールから。ビールを全て飲み干すや、今度は夘木君が日本から持参した焼酎がここで遂に登場したので、イカの塩辛や塩昆布、更にはなす辛子漬け等、各自の切り札をアテに提供し合う。JyrkiのモーングDJも絶好調、今朝は彼自身のバンドの音源ばかりをプレイ。朝酒が効いて来たのか、ベッドへ戻るやそのまま夕方まで爆睡。

今日はムース肉の料理を作る約束の日である。料理に取り掛かる前に、Jyrkiに誘われ御自慢のサウナへ、Thimoと夘木君と東君と赴く。前回の反省を下に、今回はサウナマスターJyrkiが温度調整を行っている為、安心してサウナを楽しめる。そろそろのぼせそうな頃合に、Jyrkiに誘われるまま、全裸で雪と氷の外へ出る。これは気持ち良いが髪や髭が一瞬で凍っていく。硬い岩でさえ過熱と冷却を繰り返せば壊れてしまう、斯様な行為を繰り返せば寿命が縮まるのではなかろうか、そんな思いが一瞬脳裏を過る。そもそも1年を通して汗をかく程暑くならぬこの地方なればこそ、新陳代謝を促進させる為にもサウナの必要性があるのであろう。

サウナの後は、全員の協力の下、AMTクッキングタイム。ツアー中、世話になった家では時折この料理大会を開催し、そこの家主に御馳走するので、各々担当も決まっておれば段取りも素晴らしく、ムース焼肉、野菜炒め、キャベツの昆布だしポトフ、胡麻ドレッシングサラダ、キムチ、白飯が、テーブルに次々並んで行く。朝の酒盛りで酒を全て飲み干してしまったので、既にビール1本さえ残っておらぬのが残念。「世界中の酒全種類を飲んでみたい」と、酒豪ぶりな発言に、私は雪で冷やしておいた秘蔵のワンカップをプレゼント。Jyrkiは日本酒がいたく気に入ったようで、「これなら倒れるまで飲める」と豪語。更に彼は、我々が持参した日本の食品のパッケージも非常に気に入った様子で、それらを「捨てずに俺にくれ」と集めており、それを知ったAnnaは「It’s my problem, not yours…This is my life…」と、半ば諦めた様子で、新たなコレクションを眺めては嬉しそうなJyrkiを尻目に呟いていた。どうやらJurkiは何でも集める習癖があるらしく、川で拾って来た石やら、ジュースの空き瓶やら、兎に角幾ら時代を経ようが骨董的価値も付かぬようなゴミ同然のものを、別棟の倉庫にぎっしり溜め込んでいるらしい。

さて明日はHelsinki、朝早いので早々に全員就寝。されど早寝すればその分早起きしてしまう私なれば、先日購入したZoomマルチペダルのより仔細なプログラム設定なんぞをやってみては、夜明けを待つ。

11月12日、結局朝を待って、台所にて自炊しレトルトカレーを食す。漸くここがファックスのある家だと気付き、ファックスを何通か出す。今やファックスでの通信は不便で、PCは何処にでもあれど、なかなかファックスマシーンにはお目にかかれぬ。

朝9時、雪の中をHelsinkiに向けて出発。道中、先日立ち寄ったJyrki御用達のビストロにて昼食。前回の反省を下に、更なる厳選を心掛け料理を選ぶ。前回は見掛けなかった手作りハンバーグが美味、カレーもなかなかイケる故、ハンバーグカレー&サラダにて手を打つ。JyrkiやThimoらフィンランド勢は、見るも不味そうな料理を選んでおり、同じランチ・バイキングなれど、斯くも違うものを選ぶ事に改めて驚く。前回全滅した東君はコーヒーのみにて、私と津山さんが「ハンバーグうまいで」と幾ら薦めようが、負け惜しみもあるのか、頑なに食事を拒否。

午後5時過ぎに今宵の会場Tavastiaに到着。このクラブは、首都Helsinkiでも最も大きいクラブのひとつで、Anna曰く「ここからの3発のライヴ、特に今夜が重要だ。」リハ後、私はテレビの取材。15分ながらAMTの特集番組を製作するらしい。私のインタビューとライヴ映像等で構成するらしいが、どんなものになるのか、是非一度観てみたいものである。

クラブにてディナーのスパゲッティを食し、投宿先である「ユーロホステル」と云うユースホステルへ。勿論サウナもあるとかで、されどユースなれば、矢張り日本同様雰囲気は最悪、当然「館内禁酒禁煙」にして、十代のガキばかりが宿泊しており、その喧噪ぶりはまるで昼休みの中学校と云った処。まるで就職直後の研修合宿にでも来たかのような、憂鬱な気分にさせられる。

ライヴは、新調したZoomのマルチペダル導入もあり、順調に終了。アンコールでは、久々に「Lucille」こと「St.Captain Freak Out & The Magic Bamboo Request」に収録されている「Sweet Lucille or Lick My Milk Off, Baby」を演奏。

終演後、Circleのサイドギタリストにして唯一人このHelsinki在住のJanneが「僕のホームタウンで演奏してくれてありがとう!」と、熱い抱擁を交わしに来る。「後で一緒に飲みに行こう」と誘われたので快諾。しかしこれが後にとんでもない結果を招く事になろうとは、当然この時は未だ知る由もなかった。

東君と私はJanneと共に、いざバーへ繰り出さんとタクシーに乗る。だがどうもこいつ、全然金を持っておらぬ様子で、我々2人が彼の面倒も見つつ、各々ペルノーとウォッカをやっておれば、Janneは大泥酔状態。フィンランド人は大酒飲みらしく、そこいら中、酔い潰れブッ倒れているおやじや何やら喚いているおやじで溢れている。Janneがいい調子でちょっと悪戯けた拍子に、東君の眼鏡を割ってしまった。これに南国土佐の熱い血潮が流れる東君もブチ切れ、思わず私が仲裁。いやはや飲んだくれは世界中どこでも同じである。

結局Janneのあまりの泥酔ぶりに、我々はバーを追い出され、タクシーでユースへ戻る事にするや、彼も同行すると聞かぬ。仕方がないので一緒にユースへ戻るや、東君が自分のベッドを提供し寝かしつけようとすれど、駄々を捏ねまくり、挙げ句はAnnaの一喝「シャラップ!」にて、廊下へ放り出され、結局共同シャワールームにてダウン。これ以上為す術もなく、そのまま放置して就寝。

11月13日、朝8時起床。ユースの共同キッチンには鍋釜の類いが一切用意されておらず、唯一置かれていた電子レンジで「サトウの御飯」とレトルトカレーを温め食す。Janneの姿は見当たらぬ。自宅に無事帰れたのだろうか。

Tampereへ移動の為、正午にユーロホステルをチェックアウト。昼食は、Helsinkiのフィンランド家庭料理の定食屋にて魚フライを食す。JyrkiとThimo推薦の店だけあって結構美味い。否しかし、先日のバイキングでの彼等のチョイスを見れば、決して信用出来ぬかも…まあ兎に角「Don’t trust any foods」である。

その後、近くの教会を見学。洞窟の中に作られたような雰囲気であるが、結構モダーンな佇まい。Cottonはパイプオルガンを見るや「これ欲しい」と駄々を捏ね、津山さんは置いてあるピアノを触って怒られる。

夕方にはTampereへ到着。

今宵の会場Klubiは、NYのKnitting Factoryのような佇まいで、お洒落なカフェバーも併設されている。

リハの際、Janneの姿を発見、どうやら無事にTampereまで来れたと云う事は、即ち無事に自宅にも帰り着けたと云う事であろう。リハ後、Janneが昨夜の件に関して詫びを入れに来る。どうやら全く何も覚えておらぬらしい。「昨日は昨日、今日は今日、明日は明日。」と云うと、漸く安心した様子。酒の席でのトラブルは、しょっちゅう勃発する事なので、いちいち気にせぬし、気にしても仕方ない事。

今夜もラジオや雑誌の取材を幾つかこなす。そう云えば、今回のフィンランド・ツアーでは、ほぼ毎日何かしらのインタビューに応じているような気がする。質問が大抵同じような事柄である為、答えるのが楽で良いが退屈でもある。今後の為と云うAnnaの手前、面倒臭いが全て応じるしか道もなし。

投宿先であるクラブ所有のゲストハウスへ案内されるが、キッチンとシャワーがない。クラブの楽屋にサウナとシャワーがあるのでその点に関しては問題ないが、キッチンがないのは我々にとっては辛い処。

今宵のライヴは、「Speed Guru」にてギターを振り回している際、もう疲れて殆ど握力も無くなっていたせいか、ギターが手からすっぽ抜けてドラムキットへ目掛けて飛んで行き、シンバルやらマイクスタンドを薙倒しドラムキットに直撃すると云うハプニング有り。これには流石に夘木君も驚いた様子。

連日連夜、社長津山さんと共にAMT Shopzoneを切り盛りする東君であるが、その毎日の苦労が報われたのか、この夜は1人の可愛い女性から電話番号を渡される。翌日電話する事を約束したらしいのだが、結局「面倒臭い」とおざなりに。Janneが云う処によれば「フィンランドの女性が電話番号を渡すって事は…××××…、お前判ってるのか?」と、呆れ果てていた。勿体無い話である。恋はマメさこそ命と知れ。

終演後、夘木君と東君、そして「一生サウナには入らへん」と云っていた筈の津山さんは、楽屋のサウナへ突入。宿泊先のゲストハウスへ戻り、JyrkiとThimoと東君とでビールを飲みつつ談笑。ビールが尽きた挙げ句コーラまで飲んで就寝。Annaは、今夜と同じKlubiにて明日は他のバンドのライヴをオルガナイズしている為、今宵から明日にかけてそちらのバンドと合流。

(2003/2/18)

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