『人声天語』 第82回「嗚呼、イタリア…」

11月24日、朝5時40分起床、早々に準備を整え出発。駅まで徒歩20分と云うので歩く事にしたが生憎の雨模様、途中で運良くタクシーを拾い、私以外の4名を先に駅へ向かわせる。私は道案内役のJeromeと、列車発車まで残り10分を切ったので、雨の中をギター2本抱えて猛然とダッシュ。久々の全力疾走、これは流石にキツかった。しかしダッシュの御陰でギリギリ列車に間に合ったのだから、文句も言えぬ。

4人掛けの座席を1人で占拠し、Berneまでの2時間爆睡。午前8時30分、Berne着。次は10時22分発のMilano行きに乗らねばならぬが、この2時間弱の間に、クラブDachstock Reitschuleに行って置いておいた荷物と合わせてパッキングし直し、全ての荷物を取って来なければならぬ。宿泊していた2階にて全員でパッキング、ついでにシャワーも浴びる。再び膨大な荷物を抱えて駅へ戻る。駅にてSandoroとさよなら、彼の笑顔を見に、是非再びこの地を訪れたいものだ。

Milano行きのICに乗れば、アルプスが一望出来るコースを辿るので、赤ワインを飲みつつ窓からの景色を楽しむ。荷物が多いので、我々は5人なれど12人分の座席を占拠している有様、これは数少ない1stクラスの喫煙席を80%程度占拠している状態である。迷惑な話であるが仕方あるまい。

漸くイタリアに入り、Milanoにて今度はVenezia行きに乗り換え。Berne駅にて弁当にと購入したサラダを車中にて食す。Venezia S.L.駅に午後5時半着。今宵のライヴはイタリアの東端の田舎街Goliziaにてであるが、今回のイタリアのオルガナイザーであるSillyboy RecordsのMarcoとは、Golizia駅にて午後5時に待ち合わせの約束であったが、これはもう既にタイムオーバー。彼の携帯電話に電話してみるが繋がらず、まあ後はなるようにしかならぬ。Golizia行きの列車に乗り換え、午後7時55分に漸くGoliziaに到着。チビチビやってきた赤ワインのボトルも既に空となり、約11時間の列車の旅もこれにて終了。

駅ではMarcoをはじめ、ローカル・オルガナイザー達も迎えに来てくれていた。車3台に分乗、一路今宵の会場Sala Bergamasを目指す。

今夜の会場Sala Bergamasは、普段は劇場として使用されているスペースで、現在サイケデリック・フェスティバルが開催されており、会場内の壁にはサイケアートが展示されており、昨日はサイケフィルムの上映が行われていたらしい。今宵のライヴが、このフェスティバルの千秋楽に当たるとか。

今回のイタリアでの全日程は、Marcoが主宰するSillyboy Recordsから2作品を、更に先日私とのコラボをリリースしたイタリアの若手サイケ・バンドJenifer Gentleと一緒に回る。Jenifer Gentleのメンバーと再会を喜び、先ずは皆でレストランへ。ピザとパスタを戴きつつ赤ワインを飲む。イタリアに憧れていた東君は、初めてのイタリアに大はしゃぎ、「ピザならどれだけでも食える」と豪語し、酒好きなだけに当然の如くオーダーした強烈なイタリアの酒Granitaを調子良くぐいぐいと飲む様に、Marcoは「死ぬぞ!」と忠告。

クラブに戻ると、人足先に戻っていたJenifer Gentleが演奏中。そこへ地元のドラマーと名乗るおやじが「ワインを飲みに行こう」と一緒に、イタリアでも有数のワインの産地、ここGoliziaでも有名なワインバーへ。バーテンダー推薦の白ワインを戴けば、このおやじから「ミュージシャンならイタリアン・ガールフレンドを作るらにゃいかん!」と云われてしまう。勿論それは願う処である。イタリアは美女天国、私にとっては至福の楽園になり得る土地である。機会があれば、是非ともイタリア女性を口説いてみたいもの。

クラブへ戻ると丁度出番である。我々は到着が遅れた為、サウンドチェックをする事が出来なかったので、ここで初めてアンプをチェックしたのだが、これは酷過ぎる。イタリアでは、マーシャル等のビッグアンプは殆ど使われないらしく(そう云えば、かつてモーターヘッドがイタリアをツアーする際、用意されたアンプが小さいと云う理由で全日程キャンセルした、と云うエピソードを聞いた事がある)されど機材はこれしか用意されておらぬ故、なんとか演奏を始めたものの、いきなり東君のアンプが吹っ飛ぶハプニング。大抵の場合、アンプを吹っ飛ばすのは、私か津山さんであり、サイドギタリストの彼がアンプを吹っ飛ばしてしまうと云う事自体、如何に機材がショボいかと云う事を、如実に物語っていると云えるであろう。取り敢えず即興で他のメンバーに繋いで貰い、その間に私は楽屋にてMarcoに、「何とかならぬか」と交渉。されど結局他のアンプの手配も、吹っ飛んだアンプの修理も叶わず、「取り敢えず明日からこんなアンプでは演奏出来ぬ」とだけ伝え、ステージへ戻る。即興でスペーシーなブルースを演奏した後、強引に「Electric Love Machine」「La Nòvia ~ Speed Guru」を演奏し、アンコールはイタリアン・バージョン「God Bless AMT」で締める。何にせよアンプの音が酷すぎて演奏に集中出来ず、怒り狂った挙げ句に右手を負傷。

終演後、メンバーお互いに今夜の苦労を労いつつ、「マグロ女とセックスした後のような疲れ方」と云う私の例えに、一同頷きながらも大爆笑。

今夜の投宿先は徒歩1分の場所にあるホテル。しかし会場にビールもワインもなかった上、ホテルにも何もないので、昨日のクラブから盗んで来たワインを皆で分かち合う。皆が寝静まった後も、夘木君は東君のフェリーにて購入したテキーラのボトルの残りを、私もフェリーで購入した「Salmiakki」のポケットボトルの残りを片手に飲み明かす。午前4時就寝。兎に角今日は疲れた。

11月25日、朝9時起床。シャワーを浴び、何とかもう少しコンパクトにならぬものかと、荷物のパッキングをやり直す。10時になったので、Jenifer Gentleのメンバーが朝飯に誘いに来てくれる。1階のカフェにて軽い朝食を取る。エスプレッソが美味くて幸せである。

Goliziaの駅まで車で送ってもらい、Venezia Maestro駅にて乗り換え、MarcoやJenifer Gentleの本拠地Padovaへ。今日はこの街にて、このツアー最後のオフである。

駅にはMarcoとJenifer GentleのドラマーAlessioが迎えに来てくれている。東君と津山さんはMarcoに連れられて市内観光へ、私とCottonと夘木君はAlessio宅へ向かう。Alessio宅は市内から離れた静かなアパート。彼がビールを用意してくれており、それを飲みつつ雑談。なんでも今夜は、彼がパスタを御馳走してくれるらしいが、こんなに大人数の料理を作った事がないと、彼女に電話してレシピを教えてもらっている。

続々とJenifer Gentleのメンバーも集結、市内観光組のMarcoと東君と津山さんも到着し、いよいよ皆でディナー。Alessioの不安を他所に、パスタは頗る美味しく、ワインを飲みつつ、イタリア人らしく皆喋りまくりながらもディナーを楽しむ。

Marcoの話では、彼がリリースしたJenifer Gentle + Kawabata MakotoのCDは、セールスも好調らしく、特にイギリスやアメリカへの進出の足掛かりになった事は、彼にとって重要な事のようだ。イギリスの大手音楽雑誌であるMojo Magazineにディスクレビューが掲載された事についても「イタリアのバンドでは初めての快挙」だそうで、彼の喜び具合は半端ではない。彼もJenifer Gentle共々、何か野望のようなものを抱いている様子で、とてもポジティヴな印象を受ける。この手のタイプの人間は大好きだ。お互い利用出来るものは利用すればよい、その結果、相乗効果があればそれでよし。私も何にせよ、より多くのネットワークやパイプラインを地中海沿岸に作って行きたい。美女天国のイタリア、何かしらの足掛かりは欲しい処。素晴らしきかな、イタリア!

Alessio宅には5人は宿泊出来ぬと云うので、私はJenifer GentleのヴォーカリストMarco(Sillyboy Recordsのオーナーと同名で紛らわしい為、我々は「ちびマルコ」と呼んでいた…以下「ちびマルコ」)宅へ移動する。ちびマルコは両親と暮らしており、立派なゲストルームを与えられる。深夜までちびマルコとワインを飲みつつ音楽の話等して、結局午前3時就寝。

11月26日、朝10時起床。この部屋は窓が閉ざされており、電気を消すと真っ暗闇で、一体何時なのかさえ見当もつかず、ついつい眠りこけてしまう。ちびマルコはキッチンにて朝食のビスケットをかじっている。イタリア人の朝食は、大抵このビスケットである。とてもじゃないが、斯様なものは食えぬ。ちびマルコのお母さんが、ランチにエビを使ったパスタを御馳走してくれると云うので、それを楽しみにする事にする。

リビングには両親のステレオが置かれており、L.ZeppelinやらBeatlesやら相当な量のイタリア盤のEPがある。特にL.Zeppelinの「Moby Dick」がシングルカットされていたのには、驚きを隠せぬ。多分これはイタリアのみであろう。津山さんが見たら、さぞ欲しがる事であろう。ちびマルコは未だ二十代前半である故、両親はこの手のロックのリアルタイム世代であろうか。そして今、これらのレコードを息子が愛聴している…親子2代に渡って同じレコードを聴いていると思うと、少々羨ましくも思う。

ランチは、ちびマルコのお母さんの手料理を御馳走になる。矢張りイタリア料理は何も問題なし。安心して食べられる、されど明けても暮れてもパスタとピザでは、すぐに飽きてしまいそうであるが。

さて今宵はMilanoにてライヴである。車で駅まで送ってもらいAMTのメンバーと合流。どうせ明日はここPadovaにてライヴなので、機材のみの軽装備。

Milano駅にてローカル・オルガナイザーであるQbico RecordsのEmanueleが迎えに来てくれる。この男については、人声天語第56回特別編「ソロツアー2002(伊・仏)雑記」の「其の壱」内「5月26日 Milanoにて」で紹介しているので省略するとして、こいつのスポーツカータイプの車では、到底荷物全部と5人は乗れぬ。結局彼には、駅と彼の自宅を2度往復してもらう事となる。

Emanuele宅にて、先ずはEmanuleと云えば恒例のシャンパンにて乾杯。彼が新しくリリースしたConrad SchnitzlerのLPやらビデオを貰い、来年にリリースする予定である私の初期録音のアートワークについての打ち合わせ等も済ませる。

今宵の会場はLa Casaと云う小さなスペースらしく、毎度Milanoに来る度、Emanueleから「Milanoはこんな大都市なのに良いクラブがない」と聞かされており、前回ソロで演奏した小劇場も既に潰れてしまっている。

午後5時、会場へ向かう。Padovaから車でやって来るJenifer Gentleは、洪水で橋が水没した影響でかなり遅れての到着。遥々パリからFractal RecordsのJeromeもやって来た。AMTの新譜「Univers Zen ou de Zero a Zero」をFractalからリリースしたばかりである為、プロモーションも兼ねての事で、これからパリまで「道連れ」となる。

ここは1階がギャラリーとバー、2階がステージとバーになっている。サウンドチェックにて、未だファズも踏んでおらぬうちから、ここのオーナーから「ボリュームを落とせ」と苦言を戴く。結局サウンドチェックはファズを踏まぬまま済ませど、Emanueleが心配してオーナーと話をつけようとする。オーナーの話では、そもそもこの場所では爆音での演奏は不可能らしく、Emanueleが彼に聴かせたのが3rdアルバムであった為、勝手に「スペーシーな静かなバンド」と思い込んでいたらしい。阿呆か、よう聴いてみい云うねん。あれこそ大爆音にて録音された作品であり、一体どこに耳つけとんねん、ボケがぁ~。兎も角これでは話にならん。「もう今日はやめや!」と思わずオーナーとEmanuleに告げるや、2人は「何とか音量を絞って演奏してくれ」と懇願する。そんな事するぐらいなら、キャンセルした方が、自分達で納得がいく。頑なに「無理だ」と拒否。されど Emanueleは「何とか演奏してもらえないか?チケットはほぼ完売状態だし…」と縋る故、「ファズの使用を5分だけ認めてくれれば演奏してもいい」と妥協案を提案。そこへ津山さんが「もうええやん、ぐちゃぐちゃ鬱陶しいしやめよ、やめよ」と、皆の気持ちを代弁するかのように私に告げる。結局私の妥協案が通り、ファズを5分のみ使用する事で、ライヴは取り敢えず行われる事となった。我々は「インプロ~Pink Lady Lemonade」のみ1時間演奏する事にする。

前座のJenifer Gentleも、今日は45分1曲のインプロ・セットを展開。初期Pink Floyd+66年のVelvet Undergroundの即興の如きでかなり良かった。

さて問題の我々AMTのセット、先ず宇宙音とドローンによるスペーシーなインプロからスタート。その後、ここ最近のリハで試している新曲のリフを私が始めるや、津山さんのベースがリードパートを担い、東君がリバース等を駆使したループっぽい効果音を奏で、そのままシスコ・サイケの如き乾いた軽いスペース・ジャムへ突入、そして私が十手によるグリッサンドギターを始めるや、その瞬間、全ての電源が落とされた。

一瞬にして何が起きたかを察知して余りある私は「The end, Good bye!」と云って十手を客席に投げ捨て、ギターも放り出して退場。同時に全てを察したメンバーも、そのままステージを降りる。ここまでの演奏時間10分あまり、当然私は未だファズを踏んでおらぬどころか、一切のリードパートさえ弾いておらぬ。

電気の落ちた真っ暗な1階のギャラリーで寝転んでいるや、ゾロゾロと帰って行く客に「Great! Thank you!! 」と声を掛けられるが、今晩だけは素直にその言葉を受けとめられぬし、金を払って来てくれた客に申し訳ないと思う。我々としては、新しい試みを試す良い機会となったし、如何にもAMTらしい顛末と云う意味でも、ある意味楽しめたが、矢張り初めての街でもある故、ベストとは云わねども、もう少しマシなショーをしたかったと思う。先日のGoliziaと云い、今宵のMilanoと云い、イタリアに来てから未だ「Pink Lady Lemonade」を演奏した事もなければ、マトモな演奏が出来た試しもない。爆音系ロックバンドにとっては、イタリアは最低の場所であるかもしれぬ。

Emanueleは、ひたすら我々に詫び続けるが、もう過ぎ去った事なんぞどうでもいいので「We could enjoy tonight.」とだけ伝えておく。されど約束を違えたオーナーには、未だに猛烈に腹立たしいので、バーテンのネエちゃんに「パスティスをくれ!」と頼めば、オーナーに問うてくれと云われ、居合わせたオーナーに「パスティス貰うぞ」と彼の返事を待たずボトルを奪取。これぐらいしても罰は当たらぬであろう。

Jenifer GentleはJeromeを連れて、今からPadovaへ戻る。我々はEmanule宅へ戻り、彼の家に来れば勿論白ワイン、と云う訳で白ワインを飲む。ライヴ前にピザを1切れ食したのみなれば、かなり空腹なれど、今回は奥さんが仕事疲れの為、自慢のサルジニア料理も深夜のパスタもなし。今晩はライヴで疲れた訳でもなく、不完全燃焼な気持ちが何処かやり切れなくもあって、さっさと就寝。

11月27日、午前9時起床。流石にツアーも終盤に差し掛かり、疲れも蓄積されてきたのか、少々目覚め悪し。EmanueleにMilano駅まで送ってもらい、Padovaへの到着時間をMarcoに電話にて知らせる。

2時半過ぎの列車に乗る為、まだ1時間以上時間がある。Milano駅はとてつもなく広く、構内にはバーやファーストフードのスタンド、エロカレンダーから日本の漫画のイタリア語版まで扱うキオスク、エロトランプからローマ法王グッズまで取り揃えている雑貨屋、そして勿論サッカーグッズショップに至るまで、まるで巨大ショッピングモールの如きである。取り敢えずここで自由行動とし、私は「美味しいスパゲッティが食べたい」と云う津山さんと、駅の外のレストランで昼食を取る事にする。パスタもピザも食い飽きた私は「ステーキ(マスタードソース添え)」と赤ワインをオーダー、高い金を払っただけあり流石に美味い。調子に乗り2人でデザートまでオーダー。散財したとは云え、過労気味で体力も落ちてきている故、ここらで贅沢にスタミナのつきそうなものを食うておくのもよかろう。どうせ今宵もパスタであろうから。サッカー好きの東君は、当然サッカーグッズショップにて散財した様子。夘木君はお土産にと「ちんぽカレンダー」を購入。Cottonはビールさえ飲んでおれば幸せのようである。

Padova駅にてMarcoとAlessioが迎えに来る。今日はここPadovaのクラブBanaleにてライヴである。


彼等の地元であるし、今夜こそはマトモに演奏したいものである。今回のイタリアでのツアー・オルガナイザーであるMarcoは、Milanoでの出来事をJeromeから聞いたようで、Emanueleに対し相当憤っている様子。

今宵の会場Banaleへ向かう。ここは前回のソロでも演奏した場所なれば、多少勝手も判っているので安心である上、Jenifer Gentleの専属エンジニアFrancescoがここで漸く登場。彼は予めどんな音作りにして欲しいか、事細かに訊ねてくる上、ミックスのセンスも素晴らしいものがあるので、今宵は気持ち良く演奏出来そうである。

リハ終了後、楽屋にてディナー。前回はトマトソースのスパゲティーでそこそこ美味かったと記憶するが、今夜登場したのはバジリコペンネで、これは決して美味とは云えぬが、空腹なればとりあえず腹に放り込む。続けて揚げ物が登場、未だ空腹の我々はこれに飛びつくが、「揚げる」技術のあまりの低さに驚愕。油の温度が低過ぎたのであろう、油でベトついた野菜のフライ、これで一気に胃はもたれるは胸やけはするは。更に続いてフレンチフライも出てくるのだが、もう食欲はすっかり失せ、見るだけで気持ち悪くなる。赤ワインで口直し。その時突然、東君の手の甲に蕁麻疹が発疹。原因不明のまま「痒い、痒い」と悶取りうつ。

この広い会場はほぼ満員、ライヴはと云えば、Jeromeを感涙させた程の出来だったらしく、まあ当然漸くマトモな状況で演奏出来たと云う事もあり、ここ2回続けての不本意なライヴに対する憂さ晴らしも兼ね、全員大爆発。イタリアで初めて「Soleil de Cristal et June d’Argent」「Pink Lady Lemonade」も演奏し、既に3日目の共演となるJenifer Gentleの連中も、改めてAMTのポテンシャルを思い知ったようである。アンコールでは、「フニクリ・フニクラ」等を絡めたイタリア・バージョンの「God Bless AMT」を演奏。

終演後、可愛いイタリア女性とビール片手に雑談するが、口説く程の時間的余裕もなく、またツアー疲れで斯様な元気も既になし。

私は再びちびマルコ宅へ、皆はAlessio宅へ。Jeromeはパスポートの期限切れにて、明日のクロアチアのライヴへは同行出来ず、Marco宅に居候する予定。ちびマルコ宅にて、赤ワインをあおって午前4時就寝。

(2003/2/21)

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